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三月界戦記  作者: ナギ
2/2

暁の少年・2

 少年はまだそこに居た。

 雨を避けるように木の下に立って、雷霧の接近する姿を見ながら呆れたような表情を浮かべた。

「なんで戻ってくるんですか」

 雷霧より頭半分くらい背が低い。年もおそらく一つか二つは下だと思われた。

 少年の様子に先ほどと変わった様子はないが、一度飛び出して引き返してきた雷霧の方はすっかりびしょ濡れで、あちらこちらから水が滴り落ち、足元に水溜りを作っていた。

 どう切り出そうか迷ったが直接的に口にした。元より気を回すことには向いていない。

「帰るとこないのか?」

 こんな年頃の少年が一人、よりにもよって魔の森と呼ばれる人気のない場所で。

 はじめは直感だった。もしかしてそうじゃないかと思い、考えをめぐらす。誰かが一緒にいるとは考えられなかった。はぐれたのか、一人でどこかへ向かおうとしているのか、どちらにしろわかって来るような場所ではないのだ。

 雷霧の言葉の意図を読み取れなかったようで、少年は首を傾げていた。その手首を、有無を言わさずに取って引っ張る。

 冷たい手だった。

 目線が完全に合う。ここまで近づいて、雷霧は少年が両耳に飾りをつけていることにようやく気付いた。派手なものではなく、あまり光沢のない青い石。宝石の一種だろうか。詳しくはないのでそれが何かはわからなかった。

「うち、来いよ。部屋余ってるし、おまえだって拭いて暖まらないと体壊すだろ」

 驚きからだろう。少年の瞳が揺れた。

 雷霧は返事も聞かずに再び勢いの弱まらない雨の中へ飛び込んだ。

 繋いだ手を離さず、慎重に歩を進める。手に抵抗を感じたのは最初のうちだけだったから、足を止めずに黙々と進んだ。さっきと逆だなと内心思いながら。

 何度も行き来した場所だから、視界が悪くても、こちらの方だろうという確信を持って進む。

 雷霧の帰る家はユームの街の外れにある。二階建てで、割と綺麗な外観をしている。真っ白に塗った外壁と、赤い屋根。家の窓からあの魔の森が見れるような距離。隣の家までは五、六軒は家が建つだろうというほど間が空いており、家の横の草地で鍛錬用の木製の剣を振り回しても怒られたりしたことはない。

 街の中心部までは結構歩かなければならなかったが砦は近く、兵士たちが多数詰めているせいで砦の側にはたくさんの店が連なっており、買い物をするにはむしろ便利だった。

 もともとここに住居を持ったのも、家主の砦の側に家を構えたい、と言う意見のためである。

 その家主に拾われて連れてこられたのはついニヶ月前のことだ。

 あまりに食生活が乱れていて、このままではちゃんと育たないから、というのが理由だった。

 味覚が無いわけではないのだが、食べれればいい、と言う感じで適当にやっていたのが悪かったらしい。

 砦には共同の食堂があり、そこで雷霧は毎日食事をしていた。軍に所属していれば無料で食べさせてもらえるので利用していたのだが、栄養配分をあまり考えていないようで、同じような料理が繰り返し出されたりする。もちろんお世辞にもおいしいと言えるようなものではない。

 同僚たちはもらっている給料で街の食堂や酒場へ行ったりしているが、とくに不満はなかったため雷霧はそこで食べ続けていた。

 聞いたところによると軍の食堂で食事を取り続ける人はめったにいないらしい。確かに雷霧が食べている間、他に食事を取っている兵士はほとんどいなかった。いたとしてもそれは懐の寂しい者が泣く泣くやって来ている程度で、食べる者が少ないから作る側もより手を抜くようになり、どんどん味が悪くなっていったのだと誰かが言った。

 たまたまある日偶然食堂を通りがかった雷霧の所属している第一隊の隊長が、こんなところじゃなくてうちで飯を食べろ、とほぼ強制に近いことを言って無理やり雷霧を引きずって今の家に連れてきたのだ。

 それじゃあついでだからと言って、何故か一緒に住んでいた第一隊の副隊長は、雷霧の脱寮手続きを本人の意思を無視して進めた。

 その日からこの家の住人になった。

 決して自分から望んだことではなかった。

 反論も抵抗もできずに流されて気付けばこの部屋のベッドに座り込んでいた。

 朝、誰かに起こされて朝食を何人かで一緒に食べ、砦へ出かける。日が暮れてから帰宅し、夕飯を共に食べ、他愛も無い会話をして眠りにつく。

 そんな普通の生活に最初は戸惑い、今は感謝している。口にはださないけれど。

 聞けば五人ほどいる家の他の住人は似たような感じで家主である隊長に連れて来られたらしい。

 今ではすっかり慣れて帰るところと認識している家へたどり着いた雷霧は、ドアを開ける前に一呼吸置いて心を決めた。

 ぐっと力を込めてドアを開けると暖かい空気が流れて来た。



 玄関を入って濡れた靴をおいてあるマットでふき取りながら、雷霧は奥にただいま、と声を掛ける。

 後から入ってきた少年も雷霧に習い、靴の水滴と汚れを落としていた。とはいっても落とせるような状態ではない。家の中で立っているのが悪く思えてしまうほどの濡れ具合で、雷霧はシャツを脱いで声を張り上げた。

そう!悪いけどタオル持ってきてくれよ、二枚!」

 お帰り、という挨拶は返ってこなかったがいるのは分かっている。開けたままのドアの先でシャツをしぼると勢い良く水が滴り落ちた。

 しばらくするとバタバタと騒がしく音をたてて小さな人影が奥から現れた。

「だから降るって言っただろ、朝!何聞いてたんだよ、ずぶ濡れじゃないかよ!」

 廊下にかかっている明かりの光で照らされると緑に見える黒緑色の髪と、大きくてくるくると動く濃い緑の瞳。耳の下で綺麗に切り揃えられた髪はまっすぐで光沢がある。

 口を閉じていれば女の子にも見えなくもない子供である霜は、いきなり悪態をつき始めたが手にはしっかりとタオルを持っている。

 それも頼んだとおりに二枚。

「悪いな。ありがと」

「悪いと思ったらもっと早く帰ってこいよ!……霧波きりは、心配して一度戻って来たんだからな」

 この場にはいない家人の名前が出てくる。

 ちょっと言いづらそうにしているのは、きっと理由を聞いたのだろう。

 いつもより言葉に棘がないのもそのせいか。

 自分よりも五つも年下の霜にまで気を使わせるなんて、何をやっているのだろう。

「もう大丈夫だからさ……ありがとな」

 大丈夫だと言うのは簡単だった。

 胸の奥の喪失感と痛みは消えたわけでなく、ちょっと引っ込んでいるだけだ。いつ何をきっかけとして強まるかはわからない。

 後ろを振り返り、受け取ったタオルを一枚差し出す。

「とりあえず頭だけでも拭いて、暖炉に火いれるか。さすがに冷える」

 そこでようやく雷霧が一人でないと霜は気付いたようだ。

「客?軍のやつか?」

 霜は家の中だろうと外だろうと口が悪い。良い時もあるがたいていはぶっきらぼうに対応してしまう。

 理由も分かっている。警戒しているのだ。

 こうして試しているのだろう、相手を。どういう反応をするかを。

「軍人じゃないとは思うけど。少なくとも見かけたことはないから」

「何だよ、思うってのは」

 はあ、とこれ見よがしに霜はため息をつく。

 そうは言われても砦に詰めている兵のすべての顔を把握しているわけではない。到底覚えきれるわけがないほどたくさんの人があそこに出入りしているのだ。

「違いますよ。人を捜しに来て道を間違えたところを、彼に助けてもらったんです」

 それまで黙っていた少年が口を開く。

 雷霧は瞬いた。

 顔色一つ変えずに平然と言い放った少年の顔を見つめる。

「へえ」

 霜が雷霧を見上げて意味深な笑いを浮かべる。

「雨が降ってきたから、濡れると風邪ひくから、だから……」

 必死になって言い訳をする。

 この家の住人は他人を警戒するのだ。必要以上に。それは分かっていたが、あのまま雨の中放っては置けなかった。

「雨が上がったらすぐにでも出発しますよ」

 濡れた髪にタオルを当てながら少年は霜に言った。

 自分が歓迎されていないと気付いてしまっただろうか。

「もうすぐ他のやつらも帰ってくるし、中、入れよ……それと」

 まっすぐ少年の顔を見上げて霜は言葉を紡ぐ。

「名前は?俺は霜。そっちは聞いたかも知れないけど、雷霧」

 少年の瞳は髪と同じ薄い枯葉色だ。その瞳に霜が映っているのだが、顔は全くの無表情で何を考えているのか読めない。

碧儀あおぎです。雨が上がるまでお邪魔させてもらいますね」

 向けられた笑顔を横から見て雷霧はしばし動きを止めた。出会ってから笑みを浮かべるところを見たのはこの時がはじめてで、愛想の良さそうな印象がなかっただけに驚いたのだった。そして、内心あまりいい気分ではないだろうにと少し感心した。

 ここの住人が、特に霜がどういう反応をするか承知で連れてきたのだが、ひるむことの無い碧儀にちょっと嬉しさを感じた。

 玄関からまっすぐに伸びる通路を進むとまず広間とも休憩室とも談話室とも呼んでいる部屋にたどりつく。霜はそこへ案内をし、自身はさらに奥へと進む。

 部屋の中にはあまり物が無い。

 家主が華美なものを好まず、装飾品などにもほとんど興味を持っていないせいだ。ごちゃごちゃ飾るぐらいなら、そのお金で美味しいものを食べたいなというのが家主の意見だ。芸術というものに全く造形のない雷霧に異論はない。

 入り口からは奥に当たる壁際に置かれた暖炉の側に屈み込み、薪が十分に置かれているのを確認する。

 朝晩は冷えるから毎日のように使っているのだが、さすがにこの時間だとまだ火は入っていない。雨雲のせいで大分暗くなってはいるものの、日が沈むまでにはまだ少し時間がある。

 隣に積まれた細い小枝を何本か取って、部屋を照らす燭台から火をもらい、薪にくべた。

 それから雷霧は部屋の中央に置かれているテーブルの、周りに置かれた六つの椅子の手前から二つを出して暖炉の前に置く。

「すぐにあったかくなると思うから、座って乾かそう」

 部屋の中を見ていた碧儀と名乗った少年は、振り返って頷いた。

「悪いな。嫌な思いさせて。ちょっと訳ありでさ。ピリピリしてるんだ」

「いいえ、こちらこそすみません、雨宿りさせてもらってしまって」

 かなり強引に有無を言わさず連れて来たのに碧儀は嫌な顔をしない。当初の印象とは随分違う。手を掴んだ時も振り払われるのを覚悟していたというのに。

「……道に迷ったって、どこに行くつもりだったんだ?」

 がしがしと濡れた髪をタオルで拭きながら聞く。迷うほど入り組んだところではないし、この辺りにユームよりも大きな街はない。魔の森の向こうには村があるが、それだってユームからまっすぐ進んで行けば着けるところだ。

 碧儀はしばらく口を開かず、雷霧の目をじっと見つめていた。

 意図を掴み取れずに困惑する。聞いてはいけないことだったろうかと思い始めた頃にようやく言葉が紡がれた。

「エンバニア」

 雷霧は大きく目を見開いた。

「何言って……!今のこの国の状況わかってるよな!?」

 思わず声量が大きくなる。

 よりにもよってその地名が出るとは。

「雷霧は自由解放軍の兵士?」

「ああ!だから余計に王都がどういう状況かよく聞いてる」

 暁国の王都、それがエンバニアというところだ。

 位置的にはほぼ大陸の逆側にある。今も都には王城があり、国王がそこにいる。そして雷霧たち自由解放軍と戦いを続けている宮廷騎士団に指示を出しているという。

 大戦が始まって以来エンバニアの状況というのはほとんど聞かれない。

 噂に寄れば毎夜亡霊がさ迷い歩いているとか、日々誰かの処刑をとり行っているとか、昼間でも怯えた人々が家から出られないとか。良い話は聞いた覚えがない。

「この国のことはよく知っています。それでも僕は」

「何大声張り上げてんだよ。ほら新しいタオルと毛布。あと熱いお茶な」

 霜の声が聞こえたと思ったら視界が真っ暗になった。

 手渡しでなく投げつけられたようだ、毛布を。

「ありがとうございます」

 頭から毛布を下ろすと碧儀にはきちんと手渡ししている姿が見えた。

 こっちにもそうやって渡せばいいのに。いつものことながら扱いがひどい。

「言わなくても当然言うだろうと思ってたけど、やっぱそこまで気が利くわけないか。碧儀も服脱いだら?」

 前半部分はこちらへ言っているのだろう。確かに自分はさっさと脱いでいたが碧儀に勧めていなかった。

「もうほとんど乾いたから大丈夫ですよ」

 ひらひらと乾いた裾を振って碧儀が言う。

「悪いね、そいつ気が利かなくて」

「お前一言多いっての!」

「だってホントのことだろ」

 碧儀が困ったように首を傾げた。

 いつもと変わらない霜の態度に、雷霧はゆっくりと胸の重い息苦しさをほぐしていくのだった。


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