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僕が、極夜の空に見たもの

作者: grotaka



 《2022年 7月 ノーム》



「うあー、まだ明るい……これが白夜か……」


 午前1時。ベッドから起き上がり、僕はカーテンの隙間から差す陽光に低く呻いた。



 アメリカ合衆国アラスカ州西部、スワード半島はノーム。ベーリング海に面し、北極圏内に位置する半島の主要都市である。


 その小さなホテルの一室で、僕は明天の深夜を迎えていた。


 今の季節は夏。ここアラスカは、ほぼ一日中日が照っている『白夜』の季節だ。まだここに来て二日目の僕にとっては、異常極まりない光景。感覚が狂って気分はよろしくない。


 しかし、反して体は起き上がる準備を整えていて。僕は、ゆっくりとだがベッドから抜け出した。


 服を着替え、顔を洗い歯を磨きその他諸共の身仕度をして、外出の準備を整える。


 そして、『大事な荷物』の入ったカバンを背負い、


「……行くか」


 一言、部屋を後にした。


 朝食(?)はどこかのレストランで食べよう。そんな事を考えながら、階段を降り、ロビーを通り抜け、街中に出る。


 さあ、極北の地での初活動だ。これからどんな日々が待ち受けているのかーー


「楽しんで、行こうか」




  ◯  ◯  ◯




 少しばかり、僕、九茲祐貴と、彼女、朝霧琴音の話をさせて欲しい。


 僕と彼女は、保育園以前からの付き合いだ、と思われる。なぜに「思われる」なのか?物心がついた時からの友達だったから覚えていないだけだ。


 家が隣で、母親同士が仲が良い。さらに特に意識した訳でもないのに、保育園から高校までずっと同じ所に通っていた。そういう理由から付き合いは濃く、またお互い他人と積極的に関わらないタイプだった為に、僕らは良く行動を共にした。


 彼女はたいていどこへ行くにもカメラを持って写真を撮りまくっていて、僕はその横でのんびりしながら彼女とのお喋りを楽しむ。そんな関係だった。



 彼女の父親はちょっとした(そう、あくまでちょっとした、だ)写真家で、その影響を受けて彼女は育った。


 幼稚園児の癖して使い切りカメラを持ち歩き、誰かと遊ぶ事もなく写真を撮っている変わった少女。周囲からは無論変人扱いされて、『カメラお化け』なんて訳の解らないあだ名で呼ばれていた時期もあった。


 一眼レフを持ち歩くようになったのは小学校の頃から。低学年の内は、貴重品を持ち歩く事に先生達も目くじらを立て注意していたが、彼女は一歩も譲らずむしろ自分の写真で納得させてしまった。


 中学に上がれば、廃部寸前だった写真部に入部して、たった一人で部を全国レベルにまで持って行ってしまい。


 写真部のなかった高校では、校長を説得してたった二人の部員しかいない部を作ってしまった。ちなみにその部員というのは彼女と僕だ。



 周囲から変人扱いされても、担任にカメラ漬けの生活を正すよう言われても、彼女は自分のやりたい事をやった。やりたい事だけやった。


 それだけならいい。大した事じゃない。ただ、誰かにバカにされたり注意された時の口癖が、


「私のやってる事に口出しする暇があるなら、自分のすべき事をしたら?どうせ何かを叶えられた事なんてないんでしょ?その程度で、よく偉そうな口が聞けるね」


 なのだから、たまったもんじゃない。大抵のヤツはキレる。


 そして事もあろうに、彼女は相手を選ばず言う。一度ヤクザ予備軍みたいな連中に向かって同じ事を言って、学園中を騒がせたりもした。


 ーー彼女が何かを起こすその度に、幼馴染の僕が方々を駆け回る事になったけど。


 彼女の起こした騒動の後始末は、全て僕がやっていた。初めがいつかなんて覚えてない、気づいたらこういう流れが出来ていた。ただそれだけの事で、僕は彼女の起こした騒動には苦言を呈した事はあっても、僕が後始末をする事には何の思いもなかったのだ。


 まあ苦言を呈した所で、


「あいつらが矮小で、私が偉大だった。それだけの事だよ」


 と宣ってくれるだけだが。それを聞く度に、どこまで上から目線なんだ君は、とよくため息をついた覚えもある。



 さて、ここまでの話を聞いていれば、大抵の人は彼女が傲慢不遜でかつ偏屈な性格をした、地味目な少女だと思うだろう。


 だが違うのだ。


 まず、彼女の名誉の為に、別に彼女は傲慢不遜でも偏屈でもないという事は主張しておこう。彼女がそういう風になるのは自分の機嫌を害する者に対してだけで、僕や彼女の友人には普通に話しやすくていい奴だ。


 また、彼女以上に「美少女」と評される人を、僕は見た事がない。


 とある友人の評価を引用するなら、「ああ、その御姿は地上に降り立った天の女神の如く、その眼差しは美しき氷の女王ーー」………なんで僕はこんな奴と友達だったんだろうか。今更ながら不思議だ。


 さてまあ、彼女がそう高評価を受けるのは、一目見て解る“華”故だ。


 彼女の外見は、僕から見ても綺麗だと思う。顔立ちは整っているし、腰まである長髪はつやつやした漆色。切れ長の双眼とスラリとした長身が見事に調和して、「深層の令嬢」という雰囲気を醸し出している。……ちなみに今の表現は、また他の友人の発言からの引用だ。


 しかし、彼女は気取らない。自分の容姿にはまるで興味なんか持たず、ただカメラに没頭する。そのミスマッチは、ハッキリ言って勿体無かった。


 余談だが、己の美醜に興味が無いイコール恋愛にも興味がない訳で。彼女に告白した者は、悉く精神を切り刻まれて果てた。一度傍で聞かされた事があるのだが、その時は僕ですら膝を折ったと明言しておこう。



 さて、そういう具合に、彼女は正に「自由の女」、「輝いている人」だ。対象的に、僕は地味という言葉の代名詞みたいな人間だった。


 勉強は出来る方だった。定期テストで平均80点を下回った事がないのは何気に自慢だったりする。あと、何らかの騒動を丸く収めるのは得意だった。間違いなく彼女のおかげ(・・・・・・)だ。


 でも、それ以上に何がある訳でもない。運動は並程度で、外見だって並以下。特に目立つ性格でも無かったし、何より、



 ーー|夢を持った事が、無かった《・・・・・・・・・・・・》。



 スポーツにそこまで興味が無かったから、スポーツ選手になりたいなんて思った事も無かった。誰かを助けるなんて高尚な事にも、さほど憧れは無かったので消防士やら警察になりたいとも思わなかった。ましてヒーローモノに夢中になった事は一度もない。良くも悪くも現実的だったので、そういうありもしないものに関心は抱かなかった。


 中学高校と、だんだん社会人に近づいて行く時期にあっても同様だ。さすがに夢がないなんて言えるはずもない時期だったので、自分の中でそこそこ興味があった幾つかを述べておいた。それが本当の夢になるかもしれないと、努力もした。だけど結局は今まで通り、それも夢にはならなかった。


 そういう風に、僕はどこからどう見てもつまらない人間で。だから、ある時疑問に思った。ーーなぜ、彼女みたいな夢を第一とする人間が、僕みたいな奴と一緒にいるんだろう、と。彼女が一番嫌うのは、僕のような夢のない奴、夢を叶える努力をしない奴なのに。


 その事について、彼女に聞く機会は無かった。その訳は、今の関係を崩す事を恐れて、僕が言い出せなかったというのもあるし、何より。



 ーー彼女が、知らない間にいなくなってしまったから。




  ◆ ◇ ◆ ◇




 《2022年 9月 フェアバンクス》



 白夜が終わって、正常な(?)明るさの期間が一ヶ月続いた。あと一週間で10月に入り、そしてその約一ヶ月後には11月ーーついに、極夜の期間がやってくる。


 二ヶ月の間に僕はノームでの目的を終え、そこから「オーロラの見える街」として有名なフェアバンクスにやってきていた。



「今年はどうでしょうかね……去年は良く見られたんですけど。街中で見るのを期待はしない方がいいでしょうか」


 とある喫茶店のテーブルで僕が珈琲を口に含んでいると、隣に座っていた女性がそう呟いた。


 エマ・カールトン。僕が大学で知り合った友人で、カナダ人と日本人のハーフさんだ。アラスカやカナダの観光に関わる全般に詳しく、今回の旅ではガイドをお願いしている。


「確か、予測は数日前くらいにしか出来ないんでしたっけ?」


「ええ。それも100%じゃないですが。少なくともあと二ヶ月くらいは待つしかないですよ」


「ですよねー」


 吐息して、また珈琲を口に含む。今日はエマさんの案内でフェアバンクス観光だ。ノームは少し閑散として観光向きでは無かったが、しかしいい写真がたくさん撮れた。ここではどんな写真が撮れるだろうかーー。


「ここから90分くらい行ったチェナっていう所にはいい温泉がありますから、今日早速行ってみましょう。やっぱり日本人は温泉ですよね!」


「ですねー。外国の温泉っていうのは初めてなんで、結構楽しみですよ」


「あら意外、ユウキさんっていろんな国行ってらっしゃるから、何回かあるのかと思ってました。じゃあいい体験になりますね」


「ええ。いい写真、撮れそうで何よりですよ」


「やった!チップ弾んで下さい!」


「赤裸々過ぎますってエマさん……」


 苦笑しながら、カップに残った珈琲を飲み干した時。


「あ、そういえばユウキさん」


「はい?」


「カバンの中に閉まってあったあの手紙、アラスカ(こっち)来てからずっと開封してないみたいですけど、誰からの手紙なんですか?」


「ん?……ああ、あの手紙ですか」


 指摘された手紙の事を思い出すのに、少し掛かった。


「あれは、友達からのですよ」


「友達?」


「ええ。ずっと昔からの、友達です」




  ◯  ◯  ◯




 《2017年 10月》



「ーーおーい。おーい祐貴ー」


 放課後、教室の机に突っ伏して寝ていた僕を、涼やかなハスキーボイスが揺り起こした。


「祐貴ったらー、もうHR終わったよ。いつまで寝てるのー?」


「あ……あと五分……」


「許さじ」


「あと一時間……」


「増えてるって」


「あと2469時間……」


「何日寝るつもりそれ」


「約……103日間……」


「具体的に答えろとは言ってない!そしてそんな事言ってられるんなら起きなさい!」


 ゴウンッッ!!何か硬いものが僕の頭を打撃した。メチャクチャ痛い。というか今の音人間の頭からする音か?


 ぎゃああああああああああという悲鳴と共に僕は飛び起きた。


「痛ってコラ何するんだ琴音!?」


「あ、おはよー祐貴」


 人を打撃しておきながらケロッとした顔で、僕の幼馴染・朝霧琴音は快活に笑った。


 反射的におはようと返答して、次に僕は彼女が右手に持っているものを見た。それは彼女が先程僕を打撃したもので、



 木工に使う、鉄製の玄翁だった。



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおいいいいッッ!!!!」


 唐突の絶叫に、琴音は大きくビクゥ!!!と跳ね上がる。だけどそんな事に構ってる余裕は無かった。少なくとも僕には無かった。


「こっ、琴音ええええええええ!!何すんだ君はあああああああああああああああ!!」


「え、えっ、あ、これ?これはあれよ、今日の技術の授業でかっぱらってきたーー」


「なんでさ!!??」


 思わず正義の味方候補生になってしまった。


「いやいやいや、玄翁かっぱらってくるのも問題だけどそうじゃない!問題はそんな釘打ち用の工具で人の頭を殴った事だ!!」


「そこはノリで」


「はああああああん!?」


「というか落ち着いてよ祐貴、ほら深呼吸!」


 玄翁をその辺に放り投げ(危ない)、琴音が僕の顔を両手で挟む。そしてそのまま前後にシェイクーーってそれじゃ深呼吸出来ないじゃん!


 ともあれ琴音の珍妙な行為で頭が冷えたので、深呼吸するまでもなく落ち着いた。という訳で、


「琴音」


「ん、なに」


「謝ろうか」


「……ごめんなせう」


 反射的に、僕の右腕が閃いた。


「ぎゃあああああああああああああああああああっっ」



 《閑話休題》



「祐貴、最近君居眠り多いけど、大丈夫なの?」


 下校途中。校門を出たあたりで、不意に琴音が問いを投げてきた。


 最近、どうも僕は授業の途中で寝落ちして、そのまま授業終わりまで居眠りしてしまう事が多いのだ。今までにない事だったので担任にもその事で面談を食らったりした。


「んー……そこまで必死なつもりもないんだけどなあ……。でも前よりも寝る時間は遅くなってるから、その影響かな……」


 僕と琴音は、高校三年生。そして僕は、受験生だ。


 うちの高校は地元ではそこそこの進学校なのだが、何分片田舎なので全員が大学受験をする訳ではない。毎年生徒の三割が、高校卒業後社会人になる。琴音はその三割の一人だ。


 とはいえ僕は今の成績なら第一志望も余裕でA判定だし、琴音も当然将来の事は決まってるので、特に気にする事なくこうしてダベっているのだが。


「まあ、周りが勉強勉強うるさいし、手を抜く訳にもいかないからな……仕方ないよ」


「ふうん……受験組も大変なんだね」


「他人事のように言うけど、本当に他人事だから言い返せないのが腹立つなあ」


 琴音がフフン、と胸を張って見せたので容赦無く背中に平手。ぐはぁと呻いて琴音は膝を突く。


「痛いっ!何するのよ!」


「今の行為は受験生に失礼です。さらに玄翁の恨みも混ざっています」


「え、まだ根に持ってるの?」


「あんなことされて忘れられると思うかい?」


 今、恐らく僕は天使のような笑みを浮かべているだろうが、その内側はマグマの如く煮えぐり返っているのを忘れてはならない。琴音もさすがにそれを悟ったか、肩を震わせて鎮静化した。


「……まあ、さ。ちゃんと体調管理には気をつけてね?祐貴がグダってると、私もつまらないから」


「一回、僕が風邪の時に君がそう言って、僕が恩義を感じた次の日には僕を冬の山中に連れ出さなかった?」


「もう、いい話にしようと思ったのになんでそういう話にするの君は!面白くない!」


「いやこっちはハナから面白くないけど。ーーでもまあ、ありがと。またぶっ倒れて迷惑掛ける訳にもいかないし、気をつけるよ」


 一旦間を置いて僕が礼を言うと、琴音も膨れっ面から「仕方ないなあ」という感じの苦笑を浮かべた。


「本当に頼むからね?あれは本当に心臓に悪いんだから……」


「あ、はは、それについては何とも言えないなー……」


 一度、あまりの寝不足で授業中にぶっ倒れ、琴音含めクラスの皆を大騒ぎさせた身としては、何も言い返せないのが厄介だ。


 肩をすくめ合い、くつくつと笑い合う。僕らはこの後もやかましく騒ぎながら、家までの帰り道を歩いたのだった。



  /◯/



 ーーこんな風に、僕の体調一つで騒いだりしんみりしたり、これが僕らの通常運転だ。傍から見ると「ノロケ」らしいが、僕らにとってはーー少なくとも僕にとっては、さっぱりそんな自覚はなかった。


 中学の時、一度「彼氏彼女!」と囃し立てられた時も何の事だかさっぱり解らずそのまま一日を過ごした。ストーキングしてる奴もいたが面倒なので放っておいたら、次の日には何故か同情の視線を向けられた。今ではそいつとは割と仲が良かったりする。


 他にも、影で生まれていたらしい琴音ファンクラブの連中に「お前屋上」状態にされかけたり、女子軍団に取り囲まれてやいのやいのと騒がれたりしたが、もう遠い昔の記憶だ。



 でも、基本的なんでも開けっぴろげに話し合う僕らでも、最後の最後まで話さなかった、いや話したくなかった話題があった。


 それは、約18年間続いてきた僕らの関係が終わる事を意味する話題。


 ーーそう、僕らの関係の終着点だ。




  ◆ ◇ ◆ ◇




 《2022年 11月22日 フェアバンクス》




 11月に入り、ついに極夜がやってきた。ほぼ一日中夜の闇が続く時期。僕の待ち望んでいた時期だ。


「Do you mind if I take your pictures (写真を撮っても構いませんか)?」


「I don't mind(構いませんよ).」


 川の畔で遊んでいた四人家族に、写真を撮らせてもらう。自然を撮るだけではない。こういう風に、街の人の営みを写真に収めるのも僕の目的の一つだ。


 そんな具合に収める僕が絶賛撮影中というタイミングで、


「あ、いましたいました、ユウキさーん!!」


 弾むような声、それも日本語。反射的に振り向くと、エマさんが満面の笑顔で駆けてくる所だった。それもハアハアと息を切らしながら。


「?どうしましたエマさん、そんな息を切らして?」


 写真を撮らせてくれた家族に礼を言い見送ってから、僕は首を傾げた。疑問半分、期待半分で。


「ユウキさん!朗報です、明後日出る確立が高いそうですよ!!天気もバッチリです!!」


 その言葉に、思わず目を見開いた。


「ホントですか!?」


「はい!!」


 息を整えもせず、花のような笑顔で頷くエマさんに、思わず僕も飛び跳ねた。


「やった!!」


「はい!!」


「やった!!」


「はーい!!」


 オーロラが見れるシーズンになってここ数週間。天候不調で見える日も全て潰れ、さすがに気分が沈んでいた時の朗報。らしくもなく、子供のようにはしゃいでしまった。まあ、エマさんも似たようなものだったので、5分くらいはずっとこんな状態だったけど。周りの人にすごく変な目で見られたけど。


「……はあ、はあ……と、とりあえず、帰って準備しておきましょうか。場合によっては明日見えちゃう場合もありますし、善は急げです」


「そうですね。僕も色々準備するとしますよ」


 ーーそう、その日こそ、僕がこの極北の地にやってきた最大の目的なのだから。


 自分達が泊まっているロッジへ向かいつつも、僕はカバンの中の手紙の事を思い浮かべた。


 約4年間、ずっと封を切ることの無かった、彼女(・・)からの手紙。封を開ける約束の日が、何を隠そう明日なのだ。


 ああ、やっと、やっとだ。この日をずっと待ち望んでいた。君がいなくなった、あの日からーー。




  ◯  ◯  ◯




 《2018年 11月》



 ーーその報せが届いたのは、僕が大学から帰ってきた時だった。


「ーーえ?」


 唖然とする以外になかった。予想だにしない、いや予想なんて出来るはずのない事だった。


「ーー琴音が?」


 ーー遠い中東の地での、幼馴染の突然の死。


 僕の中で固まりつつあった、何かが砕け散った瞬間だった。




 /◯/



 今年の三月、卒業式の終わった後の時間。皆が団体を組んで焼肉やらカラオケに行く中、僕と琴音は普通に家路を辿っていた。


 僕は無事大学受験に成功し、家から出て親戚の家に下宿。そこから大学に通う事が決まっている。


 そして琴音は、念願の写真家に就職する事となった。琴音の父親のコネとかで、海外に行ってそこでの写真を雑誌に載せ、日本人の皆に紹介するーーという職種のようだ。


 その帰り道も、僕らはお互いに夢への第一歩を刻んだ事を讃え合った。手放しで相手の事を賞賛するというのはなかなかない事だったので、照れたり慌てたりと珍しい騒ぎ方をしたものだけれど。


 その中で、僕らはとある会話をした。それは、そういえば今までした事が無かったという内容で、しかし、とても大切な話だった。




「そういやさ。琴音って何で写真家になろうって決めたの?やっぱお父さんの影響ってやつ?」


 そういやこういう話、するのって初めてじゃないか?とも聞くと、そういえばそうねと琴音も頷いて、


「んー……それもあるけど、私的に大きかったのは……うん、オーロラだね」


「オーロラ……?あの、北極とかで見えるあれ?」


「そう。小学4年生の時、私がお父さんと一緒にアラスカに行ったの覚えてる?」


 ああ、そういえばそんな事もあったっけ。確か土産がビーフジャーキーで、「どこ行ってきたんだよ」と心底から思ったものだが。


「そこで見たオーロラが、今まで見た何よりも綺麗で……私はそれで決めたの。一生掛けてこの綺麗な光景を見尽くそうって」


 そう語る時の琴音は、カメラ片手に何かを写真に収めている時の彼女以上に輝いていた。


 だからこそ、僕は泣きたいくらいに情けなかった。彼女はそんな昔から、人生をかけて叶える夢を見つけていたというのに。僕は、小さな夢一つ持ったことがない。夢見る事が、出来ていない。


 大学に行く事を決めたのも、ただ学歴を良いものにする事が目的で。担任に言った「コンピュータプログラミングに興味がありまして」も、所詮その方法を人より知っていたというだけで。


 僕は、今まで一度も夢に生きられなかった。


 きっと僕は、彼女が輝く様に目を向けて、真反対に真っ黒にくすんだ自分を見たくなかったのだ。そうやって、醜い自分から目を背けていたのだ。


 琴音の「夢のきっかけ」を聞くことが出来て、本当なら喜ぶべき所だったのに。僕はただ、己の現実に打ちひしがれていただけだった。



 これで話が終わっていたら、僕は恐らく大学に行くことは無かっただろう。もしかしたら自殺だってしていたかもしれない。それくらいに、僕は滅入ってしまった。まして、それが彼女と分かれる瞬間ともなれば。


 そんな僕の心境を知ってか知らずか。不意に、琴音の両手が僕の頬を挟んだ。


「うっひゃあああああああああああああああああ!!!」


 季節的にはまだ肌寒く、彼女の手もひんやり冷たいので、本気で心臓が跳ね上がった。今までの思考も全てリセットされて、


「つ、冷たッ!!なっ何何だよ離せ離せ離せ!!」


「嫌よ。あったかいもの」


「僕は凍えそうだ!!」


「なに、口答えする気?私がせっかくいい話をしていたというのに」


 容赦無く痛いところを刺された。ぐ、と僕が呻くと、琴音ははあーと深いため息をつく。


「仕方ないなあ……じゃあ、約束しましょうか」


「や、約束?」


「そ、約束。私達のどっちかが夢を叶えるまで、私達は会わないっていう約束」


 少しだけ、息を呑んだ。琴音の口からそういう言葉が出てくるとは、思わなかったからだ。


 でも、彼女が言いたい事は解った。


 自分に依存していて自分と向き合えなかったのなら、これから先は、自分と向き合う時だーーそう、言いたいんだ。


「どっちが先に夢を叶えるかで勝負しましょう。そしてどっちかが勝ったら………」


 なまじ琴音の両手が僕の頬をガッチリロックしていて、割とお互いの顔が近い状態だったので。その時、僕の視界を占拠していた彼女の表情は、その後もハッキリと脳裏に焼き付いていた。


 琴音は、今まで見たこともないような桜色に染まった頬で、照れ笑いのように、誘うように、


「一緒に、オーロラを見に行こう」




  ◆ ◇ ◆ ◇




 《2022年 11月24日 フェアバンクス》




 深雪の積もる林道を、雪の感触を確かめるように歩く。まだこの位置からではよく見えない、もう少し歩かないと。


「ユウキさん、あと五分も歩けばちょうどいい具合に開けて来ますからね」


「解りました。ありがとうございます」


 しんみりした声で応じると、エマさんは「?」と少し首を傾げながらも微笑んだ。そしてすぐに前を向いて、歩き始める。


 僕も、その後にゆっくりした歩調でついていった。



 こうして森の中を歩く事になる、一時間前。僕は、4年間封を切ることのなかった手紙ーー琴音からの手紙を、ついに読んだ。


 その手紙は、琴音から届いたものでも、彼女に直接渡されたのでもない。ーー琴音の葬式の日、琴音のお母さんから手渡されたものだった。



 琴音が亡くなったのは、2015年からアラブ地域で続いていた、大規模テロとアラブ諸国との紛争の惨状を撮影していた現場だったそうだ。


 琴音のお母さんから聞いた話では、撮影場所のすぐ近くで銃撃戦が繰り広げられる中、琴音は逃げ遅れた少女を助けようとして、仕掛けられた地雷を踏んでしまったらしい。


 不謹慎な話だけど、琴音らしくないようで、とても琴音らしいと思った。


 遺体は戻って来なかった。だから棺桶には、琴音の写真と花以外何も入っていなかった。


 手紙は葬式の終わった直後、火葬場から引き返してくる車中で受け取った。琴音のお母さんは静かに涙を流しながら、


「撮影に出る前に、あの子が、『私が死んだら祐貴に渡して』って言って……ただの冗談

だと思って笑って見送ったのに、こんな事になるなんて……」


 と言っていた。



 葬式の後、実家の自室で僕はひとしきり泣き通した。彼女と過ごしてきた18年間の崩壊。あの日の約束の事。それを考えると涙は次から次へと溢れてきた。


 恋愛関係じゃなかったけど、何よりも大切な関係だった。夢を見つけられなかった僕が、夢を見つけられたきっかけだった。きっと、僕にとっての全てだった。


 それでも。僕は挫折はしなかった。彼女がいなくても、約束は果たさなければならない。ーー何よりその時、僕は二つの夢を見つけていたのだ。一つはちっぽけだけどとても大切なもので、もう一つはじっくり時間を掛けるだけの大きなものだ。



 ーーそうして今、僕はこのアラスカの地にいる。彼女との約束を、果たすために。


 最初の夢ーー「これからの夢」の軍資金の調達は、何とか叶った。バイトはしたし、趣味で始めた写真撮影(これは間違いなく琴音の影響だ、ちょっと恥ずかしいが、なかなか面白い)も軍資金を貯める大きな支えになった。



「あ、そろそろですよユウキさん。期待していて下さいね!」


「はい、すごく楽しみです……って、………」


 木々が並ぶ道の先に、開けた空間が見えてきた。


 思わず歩調を早めて、エマさんも追い抜き、林道の先ーー小さな湖の畔にまで駆ける。そして、


「おおー……」


 息を呑んだ。


 夜天に揺らめく虹色のカーテン。極夜の時期に見られる美しき極光。ーー見上げんばかりに大きなオーロラが、僕の頭上に広がっていた。



 これが、琴音が見た光景。彼女に夢を与えた、天地の神秘!


 首に掛けたカメラの存在も、すぐ横に駆け寄ってきたエマさんの存在もすっかり忘れて、オーロラの美しさに魅入る。


「……そうか……琴音は、僕にこれを見せたかったんだ……」


「え……?」


 横でエマさんがキョトンとした顔をする。でも、それすら意識の中には入らない。


 琴音が、僕に見せたかったもの。夢を叶えた僕への、最高のプレゼント。それがこのオーロラ。


 そういえば、琴音はオーロラを見た事はあっても、写真に収めた事はないと言っていたけど、全面的に賛成だった。写真に収めたところで、この感動は写真には収められないのだから。


 頭上の輝きに呆気に取られながら、僕は琴音の手紙の内容を思い出していた。


 琴音の、最後の言葉。僕へくれた、4年ぶりの気持ち。


 内容は少し恥ずかしくて、そして本気で驚いたけどーー


 でも、心の底から、笑う事が出来た。琴音の心を、感じ取る事が出来た。


「全く……今更そんな事言われてもさ……どうしようもないだろ、これ」


 思わず口から零れる言葉。エマさんはもう何も言わない。もしかしたら、僕の心境を察してくれたのかもしれない。


 涙は出ないけど、泣きたいくらいに感情が溢れ出す。ああ、こんなに嬉しいのは人生始めてかもしれない。


 だから、今こそ言おう。ちゃんとした答えを出すまでに、実に20年以上も掛かってしまったけれどーー


「ああーー琴音、僕は君の事、昔っから大好きだったし、今も大好きだよ」


 僕の今の夢は、世界中を旅して回ること。世界の自然や、人間や、そこにある全部を見て回る事だ。


 その夢が終わった後も、きっと僕は何かを夢見る。そしてそこへと向かっていく。


 僕の夢は、きっと一生掛けなきゃ終わらない。




 /◯/



 君がこの手紙を読んでる時、私はもう死んでると思う。


 ……なんか変な感じだね。自分が死んでる前提で手紙を書くなんて。


 どう、夢は叶ってる?祐貴の事だから、この手紙を読む時ってきっと夢が叶った後だと思うけど。どう、当たってる?


 当たってたら嬉しいな。だってこれは、一つでも夢を叶えた君への手紙だから。



 あの日、私は君に約束した。夢を叶えたらオーロラを見に行こうって。


 私に夢を与えてくれた、あのオーロラ。あ、もしかして今見てたりする?これから見に行くところ?当たってたら私も大したものじゃない?


 私、本当は君が夢を叶えるまで、オーロラを見に行く気は無かったんだ。あのオーロラは、君へのご褒美。18年以上も夢を持てなかった君への、誕生日プレゼント。


 らしくないって思う?でしょうね、私もそう思ってるから。


 でも、私、ずっと昔から気づいてたよ。君が、私が君と一緒にいる理由を気にしてた事。


 君は私の事、夢を叶える事を大事にする人間って思ってたし、きっと今もそうだろうけど、ホントは違ったんだよ。


 私は、夢を叶える為に努力する事が好きだったんだ。


 夢に向かって努力してる人って、輝いてる。そう思わない?私はそれを見るのが好きだったし、私も輝きたかった。


 初めに見た輝いてる人は、お父さん。確かにそこまですごい人じゃなかったけど(この手紙、お父さんに見せちゃダメだからね!)、でも世界一の写真家になるって努力してた、輝いてた。


 そして、お父さんが写真家になる事を決めた理由の、オーロラ、真っ暗な極夜に見た眩しい輝き。だから私は写真家になりたかった。カメラに没頭したんだ。


 ここまでだと、君はじゃあなんで僕はって思ってるだろうね。だから言うよ。実を言うとすごく照れ臭いけど、言うからね。



 私、君の事が大好きだった。



 気づいてなかった?私が見てきた人の中で、君が一番輝いてたんだよ。


 君は夢を見つけられなかった人。夢を叶える事を知らなかった人。でも、|誰よりも夢に憧れて、夢を持ちたいって努力してた《・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・》。それも無意識に。


 意識して努力してる人より、無意識に努力してる君の方が輝いてるなんて、ちょっと色眼鏡がかかってるかな。でもいいんだ。私はそういう君が好きだったんだから。



 そして実を言うと、夢を叶えた後の君に会うのが、私はすごく不安だった。


 夢を叶えた君は、輝いていてくれているのかな。輝きを失った君を、私は好きでいられるのかな。


 そんな心配が続いて、君を心配させたりもした。


 その答えは、私が夢を叶えてからようやく解った。


 夢って、次から次へと溢れ出て来るんだね。


 私も写真家になったけど、叶えたい夢はむしろ増えた。まあ、この手紙を読んでるって事は、私は夢半ばで敗れちゃったって事だけど……。


 でも、一度夢を叶えても新しい夢が持てるんなら、きっと大丈夫だよね。


 君は一生輝いてる。私が大好きだった輝きは、きっと一生君のもの。


 だから、絶対に諦めたらダメ。夢を途中で投げ出したら、絶対ダメ。


 さっきは過去形で言ったから、言い直すね。



 生きてても、死んでても。


 夢を追いかける君の事が、私は本当に、心の底から、大好きです。

はじめまして、grotakaと申します。今回、こうして初めて作品を投稿させてもらいました。


この短編は他サイトでも投稿した作品です。一次作品のメッカたる当サイトで修行を積むべく投稿させてみました。


ぶっちゃけ恋愛運ものは得意というわけではなかったりします。これも修行のため、どうか皆様ご感想ご指摘をお願いします!

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