26 未熟な傍観者
『どうして、俺が小娘を寝かせたと思う?』
どこか攻撃的な声が直接脳裏に入って来た。
洞窟みたいな特殊な場所にいることは分かる。この声の正体も分かる。
『気兼ねなく、色々楽しませてもらおうと思ってな』
その響きは、僕にとって凶悪そのものだった。
あの人だったら間違いなくやるはずだ。気になるけど下界の様子は僕には分からない、どうやって見ればいいのか分からない。
「何を楽しむ気..?」
『見えないのかっ!?』
やたら小馬鹿にした声音が響く。下界を除くなんて悪趣味なこと出来なくたっていい!...とは思ったもののやっぱり気になる。
あの人は何をしようとしているのか.......。
『俺の前にはムスカリが居て、これから...』
「え?.......これから、何だって!?」
音声がプツリと途絶えてしまったように、返答は一切無かった。
さっきの一言を根に持って仕返しをしてきているとは思うけど、気になるものはやっぱり気になってしまうもので...。舜は下界を見る方法を模索し始めた。
まず、心の目を意識して下を見る。
下界って勝手に命名しているものの実際どこに存在しているのかは全く見当が付かない。けど、気分的に下を向いてみる。
次に、念じて下を見る。
うーん.......。
さて、どうしたものか。
下じゃないのかも知れない。
上を見上げてみるが.......、成果はない。
『幽体離脱』の身体は思った以上に上手く動いてくれないようだ。
細かい作業が苦手なことも影響しているのかな?
『あはははは。相変わらず風変わりな!』
突然降ってきた声にギクリとする。
どうしよう?このまま話しちゃったらあの人は機嫌を損ねて余計に何をするか分からない。ここは、気づかない振りを決め込んだほうがいいだろう。
さて、心を切り替えて下界を見る方法の模索を開始する。
片目を瞑ったり、手を双眼鏡みたいにして覗きこんでみたり.......。
『聞こえているはずよねー?』
『無視する気ぃっ!?』
『君が望むなら、見る方法を教えてあげてもいいんだけどなー』
最後の一言がかなり魅力的だった。
「本当に!?」
僕は躊躇わず、飛びついてしまった.......。
相手はニヤリとしてガッツポーズを取ったような気がした。
『無視するなんて、百年早いわよっ!!』
「はい、ゴメンナサイ.......」
僕はすぐに白旗をあげた.......。
『よろしいっ』
すごく満足そうな声だった。相手がどんな表情をしているか手に取るように分かってしまう。そんな彼女を可愛いな、とか迂闊にも思ってしまった。刹那、殺気が何処からか飛んできた気がした.......。でも何も言ってこない。
それが逆に恐ろしいんですが.......。
やっぱり、反応するんじゃなかった.......。
そんな舜の気持ちを知ってか知らずか、丁寧に下界の観察方法を教えてくれる。
想像力が必要なのだと。どこでもいいから窓を作り見たい風景を窓の外側に思い浮かべる。『下とか上とか場所は関係ないから!』何故か念入りに説明されてしまった.......。後は、ゆっくりと窓を開けていくだけらしい。
やっぱり下に窓を想像してしまった舜だったが霞がかった空間が現れ、視界が鮮明になった。そして目に飛び込んできたのは、ムスカリではなく...。
「な、仲間割れ?」
『王都商会』本店は、何故か男たちで盛り上がっていた。
『いいなあ。私も参加したいものだわ』
心底、羨ましそうな声が聞こえてきた。僕は参加したくはない!キッパリとお断りする。安全第一って言葉が頭をよぎる。
一体、あの人は何をしているんだろう?
実際、楽しそうにはしているけれど.......。
エリカは、困っている様子。ムスカリは石のように固まっている。
固まっているムスカリなんて、なかなかお目にかかれない、これは貴重だと思いながら目に焼き付けることにする。アザミは相変わらず寝ている...。大物すぎるだろっ!とか突っ込んでしまった。
悪趣味と言ってしまったものの、なかなかどうして意外と楽しい。まるで、家でテレビを見ている感覚に陥る。でも決定的な違いは見えているのは自分の現実だということだ。早く戻らなければいけない、ここは僕の居るべき空間では無いのだから。
朱にエメラルド、そして翡翠の光が交差する。
双剣の刃をシュンノスケとトレニアがそれぞれ掴み、トレニアの左手をシュンノスケが握っている。本当に戯れていたらしい、楽しそうな顔が並ぶ。
その背後には。
「だー、かー、らぁっーーー!今は遊んでいる場合じゃなぁーーーいっ!!」
エリカがキレていた.......。
「誘ってくるからさ、男だったら乗るだろ普通?」
「楽しそうだと思って、俺もつい誘いに参加してしまって.......」
「なんだよっ!この俺が誘ったと言いたいのか?違うだろ?お前らが変なことを言い出すからだろ?」
一流の強者の男たちが、エリカの前で責任転嫁を始める。
基本的に、男は女に弱い.......。涙なんか流された日には手も当てられない。
今は泣かずに怒っているけど。
「いや、お前の美貌が悪い!あんなキラキラした瞳で見つめられたら、男だったら抱きしめるだろ普通?」
「てめえっ!まだ言うか.......」
「待て待て、それは仕方のない事だよ.......」
殺意全開のユリの肩をトレニアはポンポンと叩いていたが、肩に置かれたトレニアの手はユリによって勢いよく払われる。
「面白がっているだろ.......?」
「そんなこと、まあ、そうだな.......。少しは面白いな...」
悪びれる様子もなく、トレニアは紳士的な笑みを向けた。
「いい性格してやがる.......」
眉間の皺がバッチリ刻まれ、ユリは不愉快そうに毛皮のソファーにどっしりと腰を下ろした。
「コンバン.......は?」
新たに『王都商会』本店に入ってきた人物がいた。
賑やかな室内に驚いているのか辺りを見渡し褐色の大男に近づいていく。
「えっとっ、ジニア?.......あそこ、一匹増えてないかしら?気のせいじゃあ、ないわよね.......?」
「.......ああ、仲良さそうだろ?デンファレ」
「ほ、本当ね...。二人でも苦戦しているっていうのに三人になるって.......アタシは嫌よ?」
ツンとした美しい顔が歪みに歪んだ。あの時のエルフの人だ。スレンダーな体つきに見えるが、出るところはしっかり出ている。ロイヤルブルーのタイトなスーツが金髪の髪によく似合っていた。
「わたくしは、そろそろ帰らないと。お探しの方と無事に会えることを祈っております。彼が心配していると思いまっ.......」
「待て!」
「待ってぇ!」
「お待ちを!」
「おいっ...!」
ゆっくりと立ち上がるムスカリに四方から声が集まる。
向けられる顔を見比べ首を傾げる、かなり戸惑っている様子。
「かなり、イジられているからなー。ちょっと触るけど怒るなよ?」
シュンノスケの言葉は、間違いなく僕に対して発せられていると思った。
ムスカリが元に戻ってくれるならそんなこと言われるまでもなく平気に決まっている。
「人違いではないのですか.......?」
「人違いじゃない」
きっぱり言い切り朱い光を携えた手をおでこに当てる。
シュンノスケの口はその間ずっと動いていた。
何かを唱えているようにも、ブツブツ文句を言っているようにも見える。
おでこか、問題ない。何ならずっと触ってくれていても構わない。
今度は手ではなく唇がおでこに触れる。
うぅ。平気、平気、平気.......。
「あの、何を.......?」
「黙って」
「怪しいけどぉ、これがこの人のやり方なの〜」
エリカがサポートしたようだけど、こんな説明で信じるのか?
今でも疑ってしまうほどに本当に怪しいんですが.......。
「そう、なんですか...」
信じた!あっさり信じた!...それで、いいのか!?
「遠慮無くいくぞ?」
ムスカリの羽織っている上着を剥ぎ取りトレニアに投げつける。
透き通るような白い腕が、胸の膨らみが、顕になる。試してみる気になったのかムスカリは無抵抗で、恥ずかしそうに顔を赤らめ立っているだけだ。シュンノスケは真正面から本当に遠慮なく全身を食い入るように見つめる。ムスカリは更に居心地が悪そうに下を向こうとしたが阻止される。
「.......きゃっ!」
「ムスカリからこの反応、なんか新鮮だな。これはこれでいいな!」
今は、ムスカリを抱きしめている。
まあ、想定内、想定内.......。
そのまま、頬にキスをした。
うう。挨拶、挨拶.......。
頬の感触に驚き見上げた顔を覗き込み、そして、唇に。
うううう。挨拶、挨拶、挨拶.......、挨拶?
「.......ぁっ...!」
仰け反り出来た身体と身体の間に両手を入れ逃れようとしているが、シュンノスケはびくともしない。ムスカリの手が力なく下に落ちる、もう抵抗するつもりはないらしい。ただのキスシーンではないことは理解しているつもりだ。でも、ムスカリが後からこのことを知ったらきっと喜ぶんだろうとか思ったり考えしたりするとやっぱり面白くない。僕のことよりもムスカリはシュンノスケの方が好きに決まっているから。
捻くれた性格の持ち主は僕の方かも知れない。
勝手に嫉妬した挙句、束縛なんか始めたりして、歪んだ片思いに自嘲する。
そして、『片思い』という言葉を使った自分に驚く。僕は好き、なのか...!?他人に取られるのはすごく嫌で自分だけならいい、それは傲慢な独占欲みたいなものだと思っていた。だから『片思い』という言葉に違和感を感じたけど、僕の中から意外にすんなり出てきたその言葉に納得もする。
『また、ジメジメと...。落ち着きなさいって!もう少しなんだから、ね?』
別に落ち着いてない訳じゃ...、ない。
力の暴走までして、迷惑をかけて僕は何を血迷ってしまったんだろう。
僕自身に自嘲する。
『あ!まだ早いわよ.......』
「わあっ!」
空間がガラリと入れ替わった。視界が広がり明るくなる。
そして、目の前にはムスカリが居た。身長は若干負けているけど、ほぼ同じだ。同じくらいということにしておこう.......。だから容易に表情が分かってしまう。また拒絶されてしまうんじゃないかと思うと心が折れてしまいそうになる。
男らしくない僕は未然に防ぐため逃げることにした。
自ら後ろへ一歩離れる、離れたつもりだった。
だけど、さっきと距離は変わっていない。
ならば、もう一度。
「舜、サマ.......?」
「へっ?」
かなり格好悪い。加えて、上ずった声が口から漏れた。
潤んだ瞳がまっすぐ僕に向けられる。そこには拒絶の二文字は見られなかった。そこにあったのは.......。
「無事だったのですね...」
いつもの妖艶な笑顔だった。だけどちょっと違う気もする。そんな事よりも、言いたいことがあった。『無事』って言葉が引っ掛かる。勢いよく抱きつかれてそのまま床に倒れそうになるのに耐えつつ、ムスカリを引き剥がした。
「.......水を飲んだよね?」
その一言にムスカリはしらばくれる。首を態とらしく傾げている。気づいているはずなのに挑んでくる瞳は何を思っているのか。
「僕が飲もうとした、毒入りの水のことだよ?」
「毒だったんですか。それは気が付きませんでした」
「いや、嘘でしょ?」
「.......舜?ムスカリが戻って来たんだからいいじゃないの〜!アザミは動かないし今日はこのまま休ませてもらって続きは明日にでもしたらぁ?」
気遣わしげなエリカの言葉を後押しするようにトレニアが動いた。
「この上階の部屋なら自由に使ってもらって構わない、案内しよう」
僕は気まずい空気の中、階段を上がり馴染みのある部屋に足を踏み入れた。
流石に八日間生活していれば勝手も分かる。
直後、ドアが鳴る。そこに現れたのはデンファレだった。
正直、少しだけガッカリしてしまった。あんな険悪な状況をつくってしまったのだから自ら来るわけはないと思うけれども、心のどこかで期待してしまった事実が痛い。
「食事を持ってきたわ。足りないようだったら声をかけてね」
彼女の事務的な振る舞いが逆に気を使わせてしまっているのだと感じる。労るような笑顔を最後に部屋から出て行ってしまった。窓から見える空は真っ暗になっていた。時間の感覚は分からないけど近所の家などの明かりが消えていることから深夜なのは分かる。食欲は湧くはずはなく、ベットに横になることにした。
いつの間にか寝てしまったらしい。
控えめなノックの音が鳴っているのに気づいた。
デンファレが食器を片付けに来たのかもしれない。
「はっ、はい...」
ぼ〜っとする頭を起こしながらゆっくりと開けたドアの先に見えたのは、ムスカリだった。




