25 王都商会
『無風同盟』にお世話になること今日で八日目になる。
不便さを感じること無く普通の生活を皆の安否を祈りつつ舜は送っていた。
朝起きて、歯を磨いて、三度のご飯をしっかり食べ、シャワーを浴びて、ベットで眠る。そんな他愛も無い日常が日常で無くなってしまっていた事実を改めて思い知らせれる。
「トレニアさん〜、この契約書はこちらに置いていいんですかぁ?」
「ああ、そこで。エリカちゃん、いつもありがとう」
「いえいえ〜。少しくらいは働かなくっちゃ申し訳ないので〜」
ということで、エリカは『王都商会』のお手伝いを始めている。
時折、突拍子もない行動をして周囲を驚かせるが基本的にエリカは真面目で働き者なのだ。
大きな窓からは太陽の光が降り注ぎ、白で統一されたカーテンや家具にはトレニアのこだわりが見えるようだった。中央には丸い大きな木のテーブルが置かれていた。そのテーブルは床と同じ木で造られていて統一感がある。家具の脚はすべて猫脚だったり、何かの細工がしてあったりと、シンプルだけど洗練されたもので溢れている。ただ、ひとつの家具を除いては.......。
大きな窓の横にあるトレニアの机の横にソファーが無造作に置かれている。
そのソファーだけがこの部屋の中で異質というか、思いっきり不協和音を奏でていた。何かの動物の毛皮で作られた大きくて存在感を主張し続けているソファーは、明らかに後から置かれたもののようだ。その持ち主は何となく分かるような気がする。
『王都商会』とは、『無風同盟』の表の顔で。
トレニアはビャッコー大陸の特産品である果実酒の唯一の蔵元の跡継ぎだった。
果実酒は大陸内では各家庭や観光客によって消費されていたが、トレニアは各大陸に広めるために港街リディアルに『王都商会』を立ち上げた。消費地に向けて輸送や注文を船を使用し行っていたがその過程で『楽園の翼』の悪事に気づく。今度は『無風同盟』を設立して『楽園の翼』と対抗していくことになった。
予想外なことに、『無風同盟』で活動すればするほど『王都商会』は規模を拡大していくことになっていく。そのからくりは至って単純で、救出した娘の家が農産物や海産物を取り扱っていたり、木材を加工していたり、菓子や装飾品を製造していたりしていたため、「感謝の気持」だの「娘の恩人」ということで商品を独占的に『王都商会』が取り扱えるようになっただけのことである。ビャッコー大陸ほど経済の統制が取られていない他の三大陸は自由に商売の相手を決定できる上に、自給自足が基本なので気候や風土を活かした特産物と呼べるものを生産し家計を支えている家庭が多かったのが要因かも知れない。
トレニアが社長で、ユリが専務と呼ばれてるのは『王都商会』からだとすれば肯ける。他には、四大陸担当の班長がそれぞれいるらしい。
ここの営業所が本店ということだが今現在社長のトレニア一人しか居ない。
最小限の人員で経営しているっていうのは聞いていたけど、もう一人くらい事務的な仕事をする人間が居てもいいのではないかと思ってしまう。今朝、机の上に山積みだった書類の束が昼過ぎには驚くことに綺麗サッパリ無くなっていた。
そんな手際の良いトレニアには必要ないのかもしれないけど。
「僕も何かお手伝いすることはないですか?」
何もすることが無いと、身体が鈍る。
僕もエリカと同様に身体を動かしたかった。基本、外出は禁じられているし。
「今のところは大丈夫かな。忙しくなったら頼むよ。ありがとう」
トレニアはにっこりと微笑んだ。どこまでも紳士的な態度を貫いている人だと感心してしまう。いつも穏やかで周りを常に気にかけている。僕もこんな上司の部下なら喜んで働くかも、とか思ってしまうほど理想の上司に見える。
そんな理想の上司は、窓の外を見るなり表情を一変させた。
『王都商会』から『無風同盟』代表の顔に変わる。
「どうだった?」
ドアが開くと同時に話し掛ける。そのタイミングは絶妙だった。舜は、スゴイ!と感嘆したが話しかけられた本人は慣れているのだろうか、特に気にかけた様子もない。
「収穫は多いぞ?」
良い知らせの割に表情が硬いユリの後から褐色の大男、次に入ってきたのはアザミだった。アザミの肩には小さな女の子と、ムスカリが居た。
「無事だったんだ!よかった.......」
心配で仕方のなかった二人の顔が見れてホッとすると同時にやっぱりユリの表情が気になる。他に事件が起きたのかも知れない。
「流石に二人抱えて全速力は、疲れたな.......」
ふぅ〜と、一息ついた後、床に倒れこんでしまった。そして、寝息が聞こえてくる。本当に大物としか思えない.......。
「アザミ...?」
心配そうにアザミを気遣う少女に、褐色の大男は肩を叩いて「大丈夫だ」と呟いている。エリカは周りをキョロキョロ見渡しているムスカリに抱きついていた。
それにしても。
一体、ムスカリは今まで何をしていたのだろうか?
っていうか、なんなんだこの格好はっ!?
化粧は分かる。派手だけどすごく似合っていて綺麗だ。
問題は胸元が大きく開いた丈の長い、あのドレスだ.......。長い丈で歩きにくそうと思えば信じられないくらい深く入ったスリットのお蔭で歩く度に信じられないくらい白い足を露わにしている。ドレスの黒い生地は透けていて肌の色がしっかり分かる。生地に施されてる刺繍で大事なところが辛うじて隠れているからいいものの。なんて、目のやり場に困るドレスなんだ.......。
舜は見ないように目を伏せていたが他の男性陣は違ったらしい。
「すげえな!」
「そんなにジロジロ見るものでは.......」
「でもよぉ、目は行くよな?」
目のやり場に困っていない、窓際に佇んでいたトレニアの近くに集結しているスーツ姿の三人組の会話である。
「だよな、見ろってことだろ?」
「そこまでは言ってないとは思うが.......」
「まぁ、目は行くよな?」
聞かれても構わないとでも思っているのだろうが、聞き捨てならない会話が小声ながらに聞こえてくる。ムスカリは三人組の視線に気づいたのか、「きゃあ!」と可愛い声を上げてその場に座り込む。また芝居でもしているのかと思ったけれどそうでもないらしい、顔は勿論、耳まで赤くなっている。どういうことなのか?いつものムスカリなら動じないはずなんだけど。
「そんなに恥じらうなら始めっから着なければいいものを」
「だ、だって、懇願されて.......、こ、これでも嫌だって言いました!でも、暗いから目立たないとか言われて、そうかなって.......」
「ほう。かなり目立ってたぞ?夕方でもこの通りの街灯はかなり明るい。それに担がれてケツが見放題だったしな」
大男にユリはニヤリと笑う。「それで、お前後方を担当したのか!」と悔しそうな声が上がった。トレニアの深い溜息が聞こえてきた。
「そんなこと言われても.......」
ムスカリは涙目でユリを仰ぎ見ている。ユリは物凄く楽しそうだ.......。
エメラルドの瞳がキラキラ輝いている。間違いなくSの文字が見える.......。
「ムスカリ?」
「あの...。その方は、そんなにわたくしと似ているのでしょうか.......?」
「似ているというかぁ、本人にしか見えないくらいですっ〜!」
『人違いです』を繰り返すムスカリに僕が問いかけ、ムスカリの疑問にエリカが応えた。
差し出した僕の手に、ムスカリは拒絶の色を瞳に浮かべる。胸が傷んだ。当たり前のように側に居てくれたムスカリが消えていた。僕に何の相談もなく勝手に危ない事をした彼女に文句だってまだ言えていないのに...。
記憶喪失なのだろうか?
相棒のコンちゃんは何処にいるのだろうか?
「君はいつからルピナスと一緒にいるのかい?」
着ていた上着をムスカリに羽織らせる。
その自然な仕草こそ、流石紳士!っていうか、今のは僕がやるべきだったんじゃないのか.......!?舜は頭を抱えた。
そんな僕にトレニアは苦笑をしたようだった。
ユリは「キザな奴め!」と吐き捨てるように言った。
ムスカリは「ありがとうございます」と嬉しそうにお礼を言い、トレニアはそんなムスカリに眩しいほどの笑みを送る。それは男の舜にとっても魅力的と思える危険な笑みだった...。
キザって言うよりも、紳士って言うよりも、相当なプレイボーイなだけなんじゃ.......、今までの見解に疑問を持ち始める。現にムスカリは、ぽっ~とした顔で頬を赤らめている。
「彼とは、幼馴染らしいのですが...、わたくしには記憶が無くて.......。覚えているのは一年くらい前のことからになりますが」
「うそぉ?八日前じゃなくてぇっ!?」
エリカに僕は頷いた。ルピナスはムスカリに何かをしたに決まっている。
「では、君にとってルピナスはどんな存在なのかい?」
「ええと、婚約者で、仕事の仲間のようなもの、です」
「ほう。上手い事しやがる」
ユリの言葉にドキリとした。
「.......え?何それっ!?何で婚約者なんかにっ.......!?」
気がつくと僕は、ムスカリの肩を強く握りしめていた。
そして、頭が真っ白になっていく.......。
「わぁっ!ちょっとっ!ちょっと待ったぁ!!」
エリカの緊迫した声が『王都商会』本店に響き渡った。
『お前、そろそろ自分の力を自覚して欲しいんだが.......』
久し振りに聞いたことのある気怠そうな低い声の主に舜は、懐かしさを感じていた。
『女を取られたなら取り返せばいいだろ?簡単なことだ』
『だって.......、婚約者ってことは.......』
声の主は、舜が何を気にしているか悟った様子。
『小せえ男だな!その辺は安心していい俺が保証する。だが、唇は手遅れだがなっ!』
意地悪そうな声音が響いた。舜の絶句に気分を良くしたようだった。
周りに、歪んだ性格の持ち主が集まっているような気がしてならない.......。
『今回だけは俺に任せろ、そんでお前は『ここで』大人しく待っとけ!』
『どっちが、小せえ男なんだ.......?』
舜の呟きは、独り言に変わってしまったようだった。
恐らく本人には聞こえているだろうけど。
つまり、あの女神様に会いに行くなって、ことだよね.......。
* * * * * * *
「みんな、逃げてぇーーーーーっ!!!」
舜を力いっぱい突き飛ばし、全力で巨大な防壁を作り上げる。
朱一面の世界が現れるとエリカは思った。
が、現れたのは.......。
「痛えぞ...?」
不愉快そうにエリカを睨みつけるのは、朱の髪と瞳を持つ青年が佇んでいた。
「シュンノスケ.......?」
「見れば分かるだろう?」
偉そうにふんぞり返っている青年の周りは、急に慌ただしくなっていた。
説明すべきかなのだろう。エリカはゆっくりと振り返った。
「うおっ!?」
「舜君は何処に行ったのかい?」
「.......」
三人組の反応はこんな感じ。
アザミの近くにいる少女は、瞳をキラキラして見つめている。外見は確かに申し分ないからねぇ、その気持はワタシにも分かりますとも。
「忠告しとくが、アイツの扱いには十分気をつけろよ?平気で空間ごと消滅させることぐらいやってのけるぞ?今回は俺が治めたがな!」
偉そうに手を後ろで組みうろうろし始める。
そしてトレニアを横目でチラリと見る。
「アイツは今は別のところに居る。俺はアイツの身体を借りて出て来ているから当然、居場所が無くなるって訳だ」
「そうだったのぉ!」
「いやいや、エリカは今更だろうが!」
呆れた声とともに、頭をペシッと叩かれた。シュンノスケを見るとニヤリと笑っている。相変わらずの傲慢な振る舞いに何故か安心してしまう。部屋の中央ドア寄りで大の字で寝ているアザミに一瞥し、その隣の少女の両手をそっと握りしめる。両手は瞬く間に淡く朱い光に包まれる。
「これでよーし!」
髪がぐしゃぐしゃに乱れるまで頭を撫でた後、少女の手の甲に唇を押し当てる。「きゃっ」小さな悲鳴が聞こえたと同時にアザミの上にの覆いかぶさるように倒れてしまった。
「何をしたんだ!?」
褐色の大きな人が少女の近くに駆け寄る。
「見苦しいものを消したまでだ。...さて、今度は」
シュンノスケはムスカリを指した。
突然現れた、朱い人物にムスカリは恐怖を抱いているように思えた。確かに、眼つきが悪い上に性格もいいとは言えない.......。たった今、小さな女の子にも手を出した、訳だし。
ペチンっ!
今度はオデコを通りすがりに叩かれる。そのまま真っすぐ行けば目的地に着くはずなのにシュンノスケは少し戻って大きなテーブルを一周しエリカを通過してからムスカリの前まで移動した。そこまでして叩きに来たかったのかしら?本当にこの人ったら.......。エリカはまた叩かれては困るので思考を中断させた。
「初めましてと言うべきか?」
優雅に腕を組みシュンノスケはムスカリの正面に立ちはだかる。
「あ、の.......?」
迫力に押されてか、ムスカリが後退る。そしてシュンノスケがその距離を縮めていく。元通りの彼女にしてくれようとしているんだろうけど疑わしい気もする。きっと何かを企んでいるんじゃ.......。
「さてー!」
言い放って、大きく手を叩いた。こうなると嫌な予感しかしない。
久々に出て来たんだしすぐに帰るのは勿体無い、何するかなーみたいなことをブツブツ言っているようだ。
「なんか、お前すげえな!」
ユリはキラキラした瞳をシュンノスケに向けている。
やっぱり嫌な予感しかしない。
「ムスカリを元に戻して欲しいんですがぁ...」
「へいへい」
渋々といった体で、ムスカリに向きなおり力強く抱きしめた。
ユリを、だ。
「!!」
ユリは絶句し、エリカは呆れた。
ユリは見事脱出し、右足から放たれた回し蹴りは未然に防がれてしまっていた。
「俺にはそっちの趣味はねえっ!」
シュンノスケに足を持たれたまま、ユリは言い放つ。
「男でも女でも綺麗なものは綺麗だろ!?そして、お前は十分に綺麗だっ!」
「その意見には賛成だな。美しいものに性別など関係無い!」
トレニアまでが参戦した.......。いや、そんな遊びはいいからムスカリをどうにかしてよぉーー!エリカの心の叫びは届く様子は無さそうだった。
褐色の大きな人を頼りにしていたが呆れ果ててしまっているようだった。
大きな溜め息しか聞こえてこない。
「.......お前らいい加減にしろよ?」
ユリは、どこから取り出したのか双剣を手に構えている。
双剣からは、ボォっと瞳と同じの色の光が発せられる。
「面白い、相手になってやる.......」
シュンノスケの身体が朱い光に包まれ始める。
「いやいや、始めるなら外でお願いしたい」
トレニアの手にも淡い緑の色に輝いている。
な、何をする気なのよおおおおおおぉぉぉおおおっ!?
エリカは頭を抱えた。