24 黒髪の舞姫
このまま他人の振りをしてアザミを逃がそうか?
シラーはその案をすぐに否定する。アザミは絶対納得しないだろう。身を挺してでも私を守ろうとしてくれるはず...。シラーは震えだした体に鞭を入れるように口を開いた。
「アザミ、ごめんなさい。見つかっちゃった.......」
泣き出しそうになるのを我慢しつつ、アザミを見上げた。
「それで?」
相変わらずな反応に説明を加える。
「私のせいで尾行に失敗した上に、捕まってしまって.......、えぇっ?」
あらら?
肩に手を置き、私を呼び止めた背が高くてごっつい人を見た。捕まえられると恐怖し戦いたそのごっつい人はシラーを見て苦笑している。この笑顔に見覚えが。
あっ!ああああっ!
「あっ!.......ジニアさん!?」
「おっ!やっぱりそうだと思ったよ、そのおかっぱ頭でピンと来たからな!」
得意気な顔で腕を組んでいる。ジニアは、両親と住んでいた家の隣人さんだ。よく遊んでくれたから大好きなお兄さんだったんだ〜。一見怖そうだけど、目が優しそうなところは昔のままだ。仕事中なのか、グレーのスーツを格好良く着こなし大きな鞄を持っている。
「これ、どうした!?」
突然手首を強い力で掴まれた。顔は怒気を帯びている。
見ているのは、手首の黒い二本線。隠してくれていたはずの袖は見事に捲られていた。
「ロベルタールで両親と逸れてしまったみたいで、気づいたらこんなことになっていて.......」
シラーは手首を見つめた。
「あそこの宿屋は潰しといたからな!もう悪いことはしないだろうよ?」
「へっ?...つ、つぶす?」
本当にやってしまいそうな雰囲気はあるけど、まさかね...。
「ところで、シラーはここで何をしているんだい?尾行だの聞こえてきたが...」
「ああ、ええっと...」
私ったら、無意識に余計なことまで喋っていたのね...。こんなんじゃ、探偵にはなれないな.......。これから先自由になることがあるなら探偵になるのもいいなって思っていたのに。
「ボクの知り合いを追ってここまで来たんだけど、あの中で何をしているのか調べようと思ってるところで〜」
アザミは隠すどころか、見事に話してしまった...。ジニアは、腕を組みながらアザミを見つめている。
「君は、シラーの恩人ってところかな?」
「ボクのほうが助けられたんだけどね」
「いえいえ、お屋敷から逃げ出して来れたのはアザミのお蔭だから...」
ジニアは、腕を組みながら「なるほど」と呟いた。
「まさかとは思うが世間話とか、してんのか...?」
ジニアの背後からひょいっと現れた人物は、華麗に黒いスーツを着こなし顔立ちも整っていて格好いい部類にしっかり入っているのに、残念なことに物凄く不機嫌そうだった。鋭い眼つきがなんとも言えない威圧感を醸し出している...。この綺麗な色って多分、王族色っていうんじゃなかったかな?どうだったかな?彼の問いが自分に向けられていないことをいいことにシラーはじっくりと観察し始めていた。気になることはその場で解決したい質なのだ。もしや、探偵向きなんじゃ!?この時のシラーは自分の素質に全く気付いていなかった。ここの住人ではないし確証はないけれど、この大陸の王都に住む王族の家系は深くて澄んだ宝石のような緑色の髪や瞳を持って産まれてくることからその宝石のような緑色を王族色と呼び敬っているのだと、買い出し途中に立ち話をしている女性達から教えてもらった。
王族色って、どんな色なのだろう?から始まり想像が膨らみ、その日はついつい夜更かしをしてしまったものだ。どんな色なのか、実物を見たことはないけれど彼の瞳の色はあの夜シラーが想像していた通りの色だった。すごく綺麗で完璧な宝石の色だった...。思わず見惚れてしまうほどに。
「この子は知り合いで、偶然に何年か振りに会ってな。ついつい世間話を始めたわけなんだが」
「その知り合いが、俺をさっきから見っぱなしなんだが.......。俺に惚れたか?」
誂うような眼つきに性格が悪い人だなって思ったけど、人間ジロジロ見られたらいい気持ちはしないか、と考えなおした。
「綺麗な瞳だなと思って...」
「ほう、それはどういう意味だ?」
眉間の皺が不愉快さを物語っていた、細められた瞳に思わず後ずさってしまう。嘘ではなく本当に思っていたことを話したはずなのに、これはどういうことなのか?ジニアが間に割って入ってきた。
「あっ、...いや、なっ!ユリは格好いいもんな!見惚れるのは当然だ!じゃあ向こう行こうか!」
ユリの肩をしっかり組んでクルッと方向転換した。
「いくら俺でもガキには手を上げたりはしねえし、そんなことでキレるほどガキじゃねえ」
「同じこと言われていきなりそいつを蹴り上げたのはいつの話だったか?」
「...一ヶ月くらい前だったな...、そいつは無礼な奴だったから報復を与えただけだが」
「そ、そうだな.......」
ジニアの溜め息が聞こえてきた。
どうやらユリにとっての禁句を言ってしまったようだった。
恐ろしい言葉を耳にしたけど、シラーは気付かない振りをしようと心に決めた。
アザミは明後日の方向をじっと見ていた。
「今なら入れるかも!」独り言のように呟いてから、アザミに手首を捕まれる。移動先は黒いマントを羽織った団体の後部。褐色の肌の女性ばかりの団体で、腕には黒い二本線が刻まれていた。雑談をしながら楽しそうに例の劇場の受付を通るところだった。拍子抜けするくらいあっさりと会場に潜入できた。入場券の提示は無く、警備員も入り口に二人居るだけだった。こんなに簡単に入れるものなのだろうか?罠ではないのか?シラーの心配は増すばかりで心臓のドキドキが止まらない。一方、隣席に腰を下ろしているアザミは鼻歌交じりに寛いでいた。
.......この香りは何だろう?
何処からとも無く、柔らかな甘い香りが漂ってくる。何かの果実?花?今まで嗅いだことのないだけど落ち着く香りにシラーの心配事は見事に吹き飛んでいた。中央にある舞台に照明が集められる。淡いオレンジ色で暗めのものだった。このままこうしていたいと思わせるほど居心地がよかった。周囲から聞こえていた話し声が消え静まりかえった館内に何かの音が響き渡る。澄みきった音に心がときめく。気づくと音を目で追っていた。何処から聞こえてくるの?気になって気になって自分ではその気持を押さえられない。
黒の大きな布を頭から被った人が舞台の真ん中にいた。
その人は一礼すると布を器用にはためかし華麗に身を翻す。その度にあの音が聞こえる。手の指、足首に着けている装飾品から聞こえているのだろう。音は聞きたいと願う絶妙な瞬間に鳴らせれる。舞台にいる人と私を遠ざける大きな布の存在が忌々しくて近くで見たいと願ったその時、大きな布が宙を舞った。そこには、長い黒髪の女性がにっこりと微笑んでいた。感嘆の声が館内を埋め尽くした。
黒いロングドレス姿の女性は見覚えがあった。
先ほどまで尾行していたあの女の人だった。踊るのに支障を来すのではないかと思われるほど長いドレスには脇に切れ目が深く入っていた。動きに合わせて裾が波打ち大胆に腿を見せたり隠したりする。大きく開いた胸元から見える白い肌が荊を象った首輪を強調している。観客側は惹きつけられ現実を、日常を忘れる。彼女さえ居てくれれば.......。
シャラン。シャラン。
時折聞こえてくる澄んだ音。
所狭しと舞台で踊る黒髪の舞姫。
館内いっぱいに広がる高揚感。
なんて、素晴らしいの!
シラーは食い入るようにただ一人を見つめる。
あの瑠璃色の髪の男が現れ、舞姫に跪き愛しそうに見上げる。
舞姫の手の甲に口付けてからその手を高く掲げる。
「朱い女神の時代は終わった。これからは漆黒の女神の時代だ」と。
歓声が鳴り響き、拍手に包まれる。最後列の席に座っているためすべてが見れるわけではない。逃さずすべてを目に焼き付けたい思いが増幅していく。シラーも立ち上がり手を叩いて漆黒の女神を讃える。
「.......シラー?」
すっかり存在を忘れていた隣りのアザミの声が聞こえてきた。
邪魔だな〜、今は漆黒の女神様を見ていたいのに!
「んぅっ...!」
鼻と口を押さえられ、呼吸が出来ない。アザミの仕業だった。邪険に扱ったのは悪かったけど、殺害を企てるなんて?アザミも鼻と口を布で隠していた。どういうこと?
「外に出よう」
小声で囁かれた言葉に、シラーはここに居たいと願った。
こんな素敵な安らげる場所は、この先探しても見つからないだろう。
アザミは頭を抱えているようだった。そして一言「ごめん」と言った後、シラーを肩に担ぎあげた。
ドアに近づいていく、まだ見たいのに。
「イヤーーーーーーっ!」
声が会場中に響き渡る。ざわめきと周囲の視線も集まってきている。どうしてこうなってしまったのだろう...。こっそり潜入したはずなのに夢中になり立ち去ることを拒絶している。自分の行動に理解できずにいた。このまま居たい!ただ、この場に居たいのだ。シラーはバタバタと暴れて抵抗する。アザミは気にする素振りもなくそのままドアに手を掛ける。
「どうなさったの?」
低いけれど優しい声が聞こえた。あの漆黒の女神様が居た。舞台から降りて来てくれたようだ。その後ろに急いでこちらに駆け寄ってくる瑠璃色の髪の男性がいる。...こんな近くで見れるなんて!シラーは純粋に喜んでいた。握手してもらいたいな...。シラーはアザミの肩の上で惚けていた。アザミはニヤリと不敵な笑みを見せる、逆に瑠璃色の髪の男性は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。
「きゃあ!」
アザミは漆黒の女神様も肩に担ぐ。左の肩にシラー、右の肩に漆黒の女神様を担いでいるため手が使えなくなったアザミは扉を勢いよく足で蹴り上げ逃走を始めた。
「きゃあって...。随分と可愛くなっちゃって〜」
「人違いですって!何処に向かわれているのか存じませんが帰していただけませんか?」
誂うような口振りに言われた当の本人は至って真面目に返答している。本当に人違いじゃないの?と喉まで出かかった言葉を飲み込む。今口を開いたら舌を噛んでしまいそうだったから。逃げるだけで余裕なんて無いはずなのにそういう素振りは一切しないアザミはやっぱり只者じゃない。
「『何処に向かわれている?』って〜?分かるわけないじゃん!逃げてるんだから〜」
カラカラと笑うアザミ、言葉を失った様子の漆黒の女神様.......。
シラーは、漆黒の女神様に同情した。
「あなたっ!」
「なっ!?連れて行かないでくれ!」
緊迫した声音の漆黒の女神様と瑠璃色の髪の男性の髪の二人の扉越しの最後の会話を思い出す。これって、立派な犯罪じゃないのかしら.......?探偵から罪人になってしまったシラーだった。