23 お嬢様の戯れの末
インシエ港で見かけた少女に遭遇して、自分の部屋に住まわせること四日。まだ本調子ではないが回復したらこっそりスザーク大陸へ帰してあげようと考えていた。少女の傷は痛々しく、女の子に何てことを!って思うほど酷いものもあった。朝早く起きて自室を出て夜遅くに帰ってくる生活を送っているため、顔を合わせる時間は少ないが少女が元気になってきているのは確かだった。昨日の夜御飯にと枕の横に置いておいたパンと水が無くなっていたから。少ない量に申し訳無さを感じるが、回復してくれたことに食事が取れるようになってくれたことに純粋に喜びを感じる。あとは、どうやってスザーク大陸に行くかだ。シラーは思考を張り巡らせる。
海に面して建てられているお屋敷に旦那様と奥様、お嬢様、ベテランの家政婦ひとりとで暮らしている少し裕福な家庭に、シラーは十一歳の時から働いている。家族の人々は朝から晩まで働くことを強いてきたが、夜の相手を強制されること無く無事に過ごせてきたことには感謝をしていた。仲間達に聞かされた話は耳を塞ぎたくなるものばかりだったから。
「シラー!シラーは居ないの?」
聞こえてくるのは同い年のお屋敷のお嬢様、カラーだった。
「はい、お嬢様。お呼びですか?」
ドアを軽く叩くと、「入って」と返ってきた。
部屋には、カラーの友人が数名いてこちらを見ながらニヤニヤしている。嫌な予感がした。シラーと名前が似ているのがとにかくカラーは気に入らないらしい。そんなことを言われてもどうしようもないし、いい迷惑なのだが.......。カラーは自分の持ち物のようにシラーを紹介する。そして、何でも言うことを聞くペットのような扱いをする。それが、カラーの最近の流行りだった。
今日は、名門校の制服姿に身を包んだ男の子三人に女の子が二人。
好奇の目に晒されて、居心地が悪いったらない!
「へぇ。これがそうなのか?」
「おお!初めて見たぜ」
「何でも言うことを聞くのかっ?」
男の子達が物珍しい物でも見るような視線を向けてくる。瞳には、手首に刻み込まれた黒い二本線が映っていた。その横で得意気な顔をしているカラーにシラーは不安を覚えた。金で買った者が逃げないように、抵抗しないように、服従させるための拘束具と呼ばれる肌に刻みつける黒線。使用できるのは、主に雇い主、つまり目の前のカラーも含まれているのだ。
「ええ、勿論!何でも聞くわ。じゃあ、この子に何をさせる?あなたが決めていいわ」
最後に話した男の子にカラーは微笑む。みんなの視線が一人の男の子に注がれる。注目を浴びた男の子は暫くシラーを見つめ、ニヤリと笑った。変なことを言いませんように〜、シラーは心の中で祈った。
「これを食べてみろ」
お皿の上に綺麗に並べられたクッキーを一枚手に持っていた。シラーはほっとする。そんなことなら簡単!カラーは何かを言いたそうにしていたがシラーは差し出されたクッキーを受け取ろう手を伸ばした。が、冷たい目で言い放たれる。
「違う。跪いて手を使わずに食べろ」
「まぁ...」
カラーから笑みが溢れる。好奇と同情の目が入り混じる。この手の視線には慣れているシラーとは言え、同年代からのものは辛い。
「シラー、どうしたの?」
冷たい視線が突き刺さる。促されるように跪きクッキーを口にする。揶揄する歓声の中、声高らかに嘲笑うカラーや学友達。クッキーの持ち手が変わる毎にシラーは床を這って移動するように強要される。
「面白いなーコイツ、何でも言うこと聞くのな!」
「そうね〜」
「貸出とかしてくんねえかなあ?」
「わたくしも欲しいっ!」
絶対イヤっ!!シラーは心の中で叫んだ。
例のクッキーの持ち手がカラーに変わっていた。「きゃああああ!」と態とらしい悲鳴が部屋中に響いた。食べかけのクッキーは床に落ちていた。その場で足踏みを始める。みるみる粉のようになっていくクッキー。もしかして.......!?この行動に学友達は引いているようだった。
「はい、どうぞ」
満面の笑みでカラーはシラーに向き直った。
腰に手を置き、粉々に砕けたクッキーを指さす。
「早くなさいっ!」
「なあ、流石にそれは...」
「うん。そうよね...」
「.......だよな」
「他の遊びをしましょうよ〜」
「そう、だな!」
お嬢様には、学友達の私に向ける同情がお気に召さなかったらしい。
「いいのよっ、わたくしの所有物なのよっ!?」
賤しむべき存在に向けられる凍てつくような瞳がそこにはあった。
迷うこと無く手首を握り、ブツブツと呟き始めた。淡い光に手首が包まれる。
「.......あああああああああああああぁっ!」
凄まじい頭の痛さにのシラーは頭を抱えて倒れこんだ。
「お、おいっ!大丈夫か?」
「カラー、止めてっ」
シラーを心配する声が、ますます気に入らない様子.......。
学友達に見られない死角からジロリと睨んでくる。
こんなにも、不当な扱いをされても立ち向かうことも出来ない。
ここに連れて来られた時点で運命は決まってしまっていたことを改めて思い知らされる。
「ボクの恩人に何してくれるんだぁっーーーーーー!!」
ドアが開くなりすごい勢いで侵入してきた人物にカラーは不愉快そうな顔をあげ、シラーは「へっ!?」っと素っ頓狂な声をあげた。
この出来事から、シラーは、自分の置かれた立場の急激過ぎる変化に困惑することになる......。お掃除に買い出しに出かける毎日は変わらないものの.......。
「アンタさっ。自分のことは自分でやんなよ!」
偉そうに腕を組み、人差し指を相手に突き立てているのはアザミだ.......。
「いいです!いいですっ!私がやりますからっ!!」
「シラー.......、アンタが甘やかしてきたからコイツがつけあがってるの、分かるっ!?」
もう、優しいのにも程があるっていうんだぁーーーー!
吠え出した彼女を止められる者はこの場には居なかった...。
「はい.......」
と頷き後ろに下がる。
「よろしい!」
ニヤッと笑って頭を撫でられる。
鳶色の髪と瞳の勝ち気そうな美女はうんうんと満足そうに何度も頷いている。その後ろで、複雑な表情で零してしまった紅茶を雑巾で拭いているお嬢様のカラーが見えた。その横の旦那様のフクシアと奥様のマンリョウは苦々しい顔でアザミを見ていた。
かなり良くなった待遇にシラーは慄き、ベテラン家政婦はほくそ笑み、アザミは満足していた.......。
あの時、すごい剣幕でカラーの部屋へと乱入してきたアザミは一瞬でカラーを鞭で締め上げ耳元で囁いた。
「こんなことしていいの〜?人間はオモチャじゃないんだよ?」
アザミはそのまま、カラーを人質にフクシアとマンリョウを脅迫した。
アザミの居候を許可し、束縛具の使用を禁止し、自分のことは出来るだけ自分でやることを約束させた。シラーには予想もつかないほどのあり得ない展開だった。
今朝の紅茶事件の後、強引に買い出しをベテラン家政婦に任せアザミと出かけることになった。本当にこれでいいのだろうか...!?と思いつつも、初めて自由に動ける外出に胸を弾ませているシラーだった。
「どこか行きたい場所は?」
蔑むような周りの視線を気にすることもなく、アザミはどんどん進んでいく。
アザミこそ、どうなのだろう?
「えぇと、アザミは帰らなくていいの?」
予想していなかった言葉にアザミは急に立ち止まる、シラーはアザミの背中に衝突することになった鼻を抑えつつアザミを見上げた。ずっと一緒に居たいけれどそれは叶わないことだし、束の間の幸せでもシラーは構わないと思っていた。アザミが居なくなれば元の生活に戻るだけで。
「帰るって、どこに?」
逆に質問されてしまった.......。
「ボクはみんなと行かなきゃいけないところがあるんだ。シラーこそ、帰りたいんじゃないの?」
鳶色の瞳がゆっくりと向けられる。
「で、でも。私はあそこに居なくちゃいけないの.......」
俯いていた顔をググっと上げられる。
「帰りたくないの?」
「.......た...ぃ」
「聞こえなーーーーーいっ」
「...帰りたいっ!」
シラーはアザミの瞳を見つめた。
「よしっ!」
髪の毛をくしゃくしゃにしてから、ぎゅうっと抱きしめられた。
「じゃあ、このまま行こうー!帰らなくていいよな?」
「.......!?」
言っている意味が分からなかった。そんなこと出来るのかしら.......?そんな夢の様なことを望んでいいのかしら?手首にある黒い線を眺めた。
「いいんだよな?」
もう一度、念を押されゆっくりと頷く。信じてみるのもいいかもしれない、シラーはアザミを見つめて微笑んだ。
「あっ!」
アザミの視線は何処か一点を見つめている。馬車が行き交う広い道路の向かい側を目を凝らして見ている様子。何かを発見したらしいけど、忙しい人だ...。
「おーーーーいっ!」
今度は大声を張り上げている。元気よくぶんぶん音が鳴りそうなくらい手を降ったが、気づかれない様子...。豪傑な人物は今度は猛スピードで馬車が行き交う道路を豪快に渡り始める。
「待ってー!」
置いて行かれそうになり慌ててアザミの腕にしがみつき向こう岸まで渡り切ることに成功した。本当に、忙しい人だ.......。おまけに何をするか予想もつかない分目が離せない.......。本当にこの人に付いてきちゃっていいのだろうか?一瞬だがそんな考えが頭を過った。
「おーーーーいっ!」
アザミの視線の先には。
瑠璃色の長い髪の男に寄り添うように優雅に歩いている、長い黒髪の人間離れした美人に向かっている。何度も大声をあげ道路を無断で横断したのだから周囲の人々の注目はしっかり掻っ攫っているアザミ。この大陸の大部分の人々は白い肌を持ち、髪や瞳は緑か青系の色と決っている。だから肌の色も一役買っているだろう。それを言うなら呼び止められた黒髪の女性も目立つか。より一層、注目を集めているのだろう。ほとんどの人々は立ち止まりことの成り行きを見守っている。
「どうかなさったの?」
上品な仕草と言葉遣いが似合う、女の人だった。心配そうな顔をアザミに向けている。隣を歩く男の人も同じく心配そうな顔を向けている。人違いかな?大勢の人の前で人違い。流石のアザミも恥ずかしがったりするのかな?その辺は興味があったりする。
「え?...えっ?.......えぇっ!?」
あたふたしている。これは、恥ずかしいに違いない!滅多に拝めないアザミの乙女の恥じらいを見れてちょっと嬉しい気持ちを隠しつつ、アザミを落ち着かせようと腕を引っ張っる。
「えーっ!?何言ってんの?それにこの話し方は何の真似!?ムスカリなんでしょっ!!」
アザミは真剣だった。と、言うことは...。そっくりさん?それとも...!?
あの時の逃げ切れなかったアザミの仲間なら...、と手首を確認する。手首はすごく綺麗で、黒線はない様子。白くて艷やかで、白魚のような手というべき素晴らしい手だった。ムスカリと言われた女性は、困ったように隣人を仰ぎ見ている。
「人違いじゃない?」
控えめにアザミに呟く。アザミの表情がぱぁっと明るくなった。
「うん、そうかも!ゴメンナサイ人違いでしたっ!」
「いいえ、会えるといいですね、その方に」
にっこりと微笑んで、ふたりは優雅にそのまま寄り添って歩いて行く。
「すごい人違いしちゃったね.......」
さっきまで明るかった表情が、険しいものに変わっていた。
「あれは、間違いなくムスカリだ.......。何があったんだ?」
「でも、あの人アザミが分からないみたいだったよ?」
「きっと、何かに巻き込まれているんだ。...ニオイがムスカリだったし.......」
「ニオイっ!?」
思わず聞き返しちゃったけど、何となく分かるような気もした。アザミの中の野生の勘がそう思わせているに違いない。鋭い眼光は、瑠璃色の長髪の男の人に注がれていた。
「尾行する?」
何でこんな言葉が口から出たのか分からないけど、出てしまったのだから仕方がない!ゆっくりとアザミを見上げる。目を見開いて驚いた顔が一瞬見えたが、私を見てニヤリと笑った。これは、肯定ということだな!探偵気分で私はアザミと後を追うことに決めた。
ムスカリは、横にいる男性と本当に仲が良さそうに見える。
寄り添ったり、手を繋いだり、楽しそうに笑いながら会話だってしている。アザミの嗅覚を疑うわけではないけれど人違いなのでは?とか思ってしまうほどに恋人同士のようであり、とてもお似合いの二人だった。儚げな美人に、痩せているけどしっかり筋肉は付いている頼りになりそうな二枚目、そんな感じだ。
ウキウキしているのはシラーだけかと思いきやアザミもイキイキしている。
野生の身のこなしでどんどん進んでいく。そんな後を私は必死でついて行く。毎日、広いお屋敷を一人で掃除して、買い出しまでこなしてきた甲斐があるっていうもんだ。シラーは初めて自分の不運に、そこで得た体力に感謝をしていた。大通りを左に曲がって、次に右に、更に右に曲がった先に大きな劇場があった。そこへ二人は仲睦まじく入って行った。それも裏口から。関係者ってことなのだろうか?
「シラー、なのか?」
「ひぃっ!」
尾行相手に気を取られ周囲に気を配ることを失念していた。
名を呼ばれ肩に手を置かれたままシラーは心臓が口から飛び出すかと思うほど驚き、体は身動き一つすら許してくれなかった。探偵ごっこ気分でウキウキしてしまったことをすぐに後悔する。まさか、名前まで知られてしまうとは...。どこかに名前が分かるもの身につけていたのかな?シラーは袖で隠しているはずの黒い二本線を見つめた。どうしよう...。私のせいでアザミが.......。少しだけでも夢を見せてくれたアザミに感謝はすれども巻き込むつもりなんてこれっぽっちもシラーには無かった。