20 希望
ビャッコー大陸に二つある港湾のうちの一つ、インシエ港。
インシエ港を含む港街、リディアル。中央に位置する噴水広場を中心に網目状に水路が広がり海へと続く。水の色が翡翠というところから、リディアルの人々は翡翠の宝珠とも呼んでいる。迷路のような入り組んだ路地が多いため、長年住んでいる人でも迷子になってしまう、それを皮肉って蜘蛛の巣とも呼ばれている。
いつものように海を見ていた。
防波堤があって、展望台があって。
波が穏やかで。それが、シラーにとって心の休まる時間だった。
そこへ、小さな船が港に着く。
その船を待っていたのは、三人の男だ。そのうち一人はビックリするくらいの大男で、ゆっくりと一番後ろを歩いている。そんなに重たい荷物なのだろうか?何を運ぶのだろうか?すぐに寝るつもりだったけど気になってしまったのでもう少し見守ることにする。
船にいた人が、例の三人組を手招きしている。船底から出てきたのは、本当に大きな木箱だった。こんな時間に何をやっているんだろう?今は、午前二時。普通の人なら寝ている時間だっていうのに...。普通の人なら寝ている時間に起きているのはシラーも同様、お互い様なのだが、自分のことは棚に上げておく。シラーは部屋の電気を消して、再び窓から様子を眺める。
木箱を開けた途端、暖色系の光が発せられた。
「綺麗.......」
シラーは小さな声で呟いていた。
出てきたのは、女の子二人に男の子一人?
違う、男の子の背中にもう一人いる。
「あの人達も、連れて来られたんだ.......」
髪の長い子はオレンジ色に光る短剣を手にしている。
もう一人の髪を結っている子は、なんだろう長い紐みたいな...、鞭か。鞭も黄色の光を発している。二人とも武器使いなんだ〜。すごいな!直後、シラーの顔が曇る。ああ、あんなに綺麗な色の光を発する事が出来る人達なのに.......。
頑張って逃げてほしい。
でも、きっと逃げられない。
胸がチクリと傷んだ。
シラーは、痛む胸を押さえた。
「でも、諦めないでほしいな」
矛盾しているが、希望を口にする。
思った通り、長い髪の子が大男に捕まり、男の子と背にいるもう一人が捕まってしまう。既に手首を氷の鎖で後ろに繫がられている。槍・斧の武器に加えて、氷と風の魔法の能力者が揃っていては敵うわけがない。男の子が必死に何かを言っている。そして、髪を結っている子が動いた。後ろから風と氷の刃に襲われて蹌踉めくが持ち堪える。素早い身のこなしで路地に逃げ込み姿を消した。
「すごい...」
両手を合わせた。
逃げ切れるか、は別として.......。
シラーには、明日がある。働かなければならないのだ。
両手首に印された黒い二本の線を見る。
もう辺りは明るくなって来てしまったけど、少しでも寝ようとベットに滑り込んだ。
あっという間に、朝が来ていた。当たり前と言えば、当たり前。夜更かしをしてしまったし、ベットに入ってからも色々考えこんでしまいほとんど寝ていない状態で朝が来たのだから。あの人の安否が気になるけど、自分には何も出来ない。ちらっと、窓際から覗いてみると昨日の出来事が嘘のように日常に戻っていた。
家中のお掃除を午前中に終わらせ、午後は食材などの買い出しに出かける。そんな生活が二年間続いている。休みなく同じ生活を繰り返していれば嫌でも習慣付いてくる。悲しいことに体が覚えているのだ。
「では、行って参ります」
シラーはいつものように裏口から買い出しに出かける。
細い路地を海とは反対側へと進んでいく。すれ違う人の視線が痛い。見たくないものを見てしまったという嫌悪感が見て取れる、この冷淡な眼差しには今でも慣れない。褐色の肌に、手首の印。白い肌がなんだって言うんだ!中身は最低のくせして.......。シラーはやり切れない気持ちになった。こんな気持ちになったのは本当に久し振りで、昨日の、あの出来事を見てしまったからだと思う。抱いていても仕方のない、どうにもならない感情は捨ててきたはずなのだけれど。
曲がり角を何回か曲がったあたりで、目が留まった。
あれ?この人は!?
人通りの少ない路地裏の水路に掛かった橋に座って凭れかかっている。白い洋服は切り裂かれたように所々切れてに血が滲んでいる。血はもう乾いているのかもしれない。鮮やかな色ではなくて錆びたような色をしていたから。あれから、逃げ切れたんだ!?信じられなかったけど同時に心から安堵もしていた。
どうしよう、あの橋は範囲外だ...。
シラーは悩んでいた。でも、橋の手前までは行けるはず。橋を目指して慎重に進んでいく。ああ、やっぱりこの人も褐色の肌をしている。捕まってしまった人達も褐色の肌なんだろうな、と思った。
「あの、大丈夫ですか?」
遠慮がちに声をかけてみる。反応が無いようだけれど、生きているわよね?
「あの.......」
どうしよう、誰か呼んだほうが?でも、せっかく逃げてきたのに?あれこれ悩み始めて唸っていたら視線を感じた。
「アンタ、誰?」
眼光鋭く見られている。怖い、そう思った。
「倒れているのが見えて、心配になって来てみたんです」
私をこれでもかってくらいジロジロ眺めた後に「そっか」と笑ってそのまま気を失ってしまった。そのほっとした笑顔が頭から離れない。これでは、放っとく訳にもいかないじゃないのっ!。シラーは意を決して橋に向かって歩いて行く。直後、気が狂いそうな頭の痛みに襲われる。
「.......くっぁ.......」
あと、もう少しで、あの子に手が届く!
早く戻らなくては、このままでは心が壊れてしまう。キリキリ締め付けられるような頭の痛みの中、両脇に腕を入れ引きずって元居た路地へ戻ることに成功した。
「...はぁ.......」
もう駄目かと思った...。両手をついて倒れそうになる体を支えた。
誰がこんな碌でもないものを考えたのかしら...、忌々しげに手首を見た。
買い出しはまだ終わっていない。でもこの人をこのままにはしていけないし。悩んだ結果、怒られるだろうけど一旦家に帰ることにする。今なら誰も居ないはずだし。残された時間は少ないので急いで行動に移す。両腕を自分の肩に乗せて背負う。私よりも身長が高そうなのに軽い.......。
お陰で楽に移動できるけど羨ましいな。
「あら?シラー、買い出しはもう終わったの?」
突然降って湧いた、声にビクリとなった。心臓がバクバクしてくる。
「マンリョウさん。ごめんなさい、途中で具合が悪くなってしまって帰って休んでいました。これから、、、」
出かけてきますので。
続けようとした言葉は口から出ることはなかった。
代わりに、頬に痛みが走る。
「使えない子だね!あんたにいくら払ったと思っているんだい!?」
瞳が細くなり、射抜くような威圧的な眼光に変わる。シラーの手首に向けて手を翳しマンリョウは『愚かなる者へ天罰をくださん』と唱えた。手首の二本の線が淡く発光し始める。嫌だ!逃れようとした身体は床に崩れ落ちた。先ほどとは比べものにならない頭の痛みがやって来る。
「...っ!.......あああああああああああああぁっ!」
声をあげなければ、気が変になりそうだった。
早く楽になりたい、いっそ殺してくれればいいのに.......。
でも、自傷することさえ許されない。
自分は無力で何も出来ない。最後にはいつも絶望が待っていた。
でも、今のシラーには希望がある。
あの連中から逃れられた人がいる。私と同じ思いをさせては絶対に駄目。
シラーは歯を食いしばった。私が居なくなったらどうやって守ってあげるの?
* * * * * * *
僕はまた寝かされてしまったようだ。
薬ではなく、今度は魔法で。照明が当たりすごく眩しい。前回、暗い場所で目を覚ましたと思ったら今度は明るい場所か...、忙しいな、最近.......。それで、ここは何処だ?またまた、手足が不自由なことに気づき不快に思う。だが、今回は、目と口が機能しているだけいいと思うことにする。
「起きたぁ?」
隣りには、エリカとムスカリが居た。
ムスカリはまだ寝たままだった。まだ、治らないのか...。
いったい同じ食事をしていたはずなのに何でムスカリだけがこんな目に遭っているんだろうか?ムスカリだけが口に入れたもの...。ああ。ひとつだけ、あった。...そういうことだったのか、あの時の.......。ってことは僕が狙われていたことになる。血の気が引くとともに、怒りが込み上げてくる。
「勝手に決めて、何も分かってないじゃないか」
ムスカリの頬に触れる。まだ、冷たかった。
「くそっ!」
「周りを見てみぃ」
すっかり頭に血が上ってしまった僕を冷静にしてくれた。今の現状を把握しろって、ことだ。厳しいエリカの視線があった。
円形の舞台の上に僕たちは居た。僕たちの他に、褐色の肌の女の子が三人と、耳の尖ったスラリとした女の子が二人。男は僕ひとりってのが気になるのだが...あえて、気にしないでおこう。舞台の周りには多くの人々が座っている。後ろにいる人は双眼鏡のようなものを手にしている。座席は舞台に向かうように設置されていて、って当たり前か。劇場みたいな舞台にいる僕たちは見世物にされている。これから何が始まるんだっ!?舞台を囲うように隅っこで佇んでいる五人の男達。鋭い目を向けてくるその男達には見覚えがあった。忘れもしない僕たちを襲った奴らだ。僕らは負けてここに居るわけで。唯一の救いはアザミが逃げ延びてくれたことか.......。
「皆様っ!お集まり頂いてありがとうございまぁーーーーーすっ!」
やたらテンションの高い声が響き、拍手喝采に包まれた。直後、ドラムの音がけたたましく鳴り響き大男がタキシード姿で軽快に舞台に上がってきた。加えてジョークを飛ばし観客をどっと笑わせている。ほぼ芸人だな...。
「では〜、はじめにっ!コイツから、いっちゃいましょうかぁー!」
近くでへたり込んでいる、耳の尖った金髪に空色の瞳をした女の子の腕を強引に引っ張りあげた。ツンとした綺麗な顔立ちをしている。蹌踉めきながらも立たされた女の子はガタガタと小刻みに震えていた。
舞台の真ん中にテレビのような画面が現れ、数字を映し出す。
客席には、それぞれ小さなリモコンのようなものが肘掛けに備え付けられていて指で押している人もいる。画面の数字は、「40000」から始まって、「444444」で止まった。
立ち上がり手を振るのは、丸っこくて脂っこくてがギトギトしている中年男性だった。さらに、射止めた女の子をギラギラした目で舐めまわして見ている姿に虫酸が走る。
次に、褐色の肌のオレンジ色の瞳と同色の長い髪を編みこんで後ろで丸くまとめている女の子だ。これまた、綺麗な子だった。数字は「50000」から開始し「4444444」で終了した。射止めた人は、白いタキシード姿の立ち振舞も優雅な紳士を思わせる青年だった。立ち上がり、にこやかに周りに会釈をしている。正直、意外な感じもするが人は外見で判断すると痛い目に遭うのだ.......。
もしかして、というか。やっぱり、この数字って...。
そう思ったところに僕の出番が来た。
「20000」から開始し「24444」で終了した。
なんか、寂しい.......。予想はしていたけど、この数字は...。おまけに、僕をギラギラした目で舐めまわして見ている人物が最悪だった。さっきの耳の尖った金髪に空色の瞳をした女の子を射止めた、あのギトギトだった...。
「僕をどうするつもりなんだ...!?」
僕は呟き、ギトギトから視線を逸らした。視界の片隅にぼわっと火が点いたような光が出現し、明るさは徐々に増していく。おいおいおいおい!ここでやるのは不味いんじゃ!?
エリカはムスカリを癒やし始めていた。それも、気合が入った方のを。
この先のことを考えて、動いたんだろうけど。それは、ちょっと.......。
案の定、周囲がざわめき始める。
歓声なのか、悲鳴なのか分からない声も上がる。観客の視線をガッツリ集めたエリカは微動だにせず自分の仕事に集中していた。司会の大男が近づいてくるのと、エリカが倒れ組むのがほぼ同時だった。
「これは、すごーーーーいっ!!貴重な『癒やしの使い手』が混ざっておりましたーーーーっ!私どもっ、長い間この仕事に携わっておりますが、こんな事は初めてでございますーーーーっ!今日お集まり頂いた皆様は、すごく運がいいですよーーーー!重宝すること間違いなしっ!この機会を逃す事のないようにーーっ、さあっ、どうぞーーーーーっ!!!」
大男が観客を盛り上げ拍手喝采、歓声が響き渡る。その様子に、やっぱりエリカってすごいな!って感心しつつ、予想はついていたが自分の不人気さに複雑な気持ちになる。
盛り上がりは最高潮。エリカは大丈夫なのだろうか?大男に抱きかかえられたまま見動き一つしていない。全力の癒しの後はいつも眠るように動かなくなってしまうのだけど今回も例外ではない様子。この場で意識を手放してどうするっ!?そう突っ込みたかったが突っ込みたい相手は近くには居ない。手足を鎖で繫がれているため動くことも出来ない。文字盤には「4444444444」と映しだされた。
表示された途端、先ほどの騒ぎは何処へ?辺りは急に静まり返った。
誰がこの数字をリモコンへ入力しているのか気になっている様子だった。
そんな時、辺りが一斉に暗くなった。演出かと盛り上がる声が上がるが、予定にない出来事だとハプニングだと悟った観客達は騒ぎ始める。悲鳴や不安気な声が館内に広がっていく。僕は隣にいるムスカリを庇うように抱き寄せる。ハァ〜〜。今度はなんなんだ...!?僕は巻き込まれる確率がウナギ登りに上がってきているここ最近の境遇をひたすら呪った。
「皆様ーーーっ!落ち着いてくださーーーっい!」
大男の声は、観客には届いていない様子。
舞台の上にいる僕たちも、同様に手足の自由が利かない分、不安は大きい。
「おい、こっちだ...」
不意に凄味のある声が聞こえてきた。
味方なのか?
周りの娘たちも同じ気持ちを抱いた様子。
キョロキョロしている。
「そんな、ぶっきらぼうな物言いでは誰も信用して付いて来てはくれませんよ?」
前者の声に諭すような落ち着いた声音が湧いた。落ち着いた声音の人物が呆然としている娘たち、一人ひとりの元へと順々に周っている。
「でもさあ、時間がねぇーじゃん」
「だから〜こういう時は優しく言うものだと言っているのに。お前ときたら...」
はぁ〜〜〜っと、深い溜め息が聞こえる。
暢気な人たちだな!とか思っていたら違っていた。
舞台の周りに待機していたあの手練れの五人と戦闘の真っ最中だった...。
確かに、刃物のぶつかり合う音みたいのが聞こえてくる。
落ち着いた声音の人物なんか、戦闘しつつ捕らえられた人々の手足を自由に、解放して周りつつ、痴話喧嘩(?)をしている。神業だ.......。
「うるせえええええええええっ!」
爆発した声の主は更に大声を張り上げて叫んだ。
「束縛具を付けられエロ爺を相手にしたくなかったら俺について来おーーーーーーい!」
「だから...。お前って奴は仕様のない.......」
深い深い溜息が漏れた。