13 絶望の光景
広大な大陸のほとんどが砂漠に覆われたスザーク大陸で数少ない水の湧く貴重な場所に、それはあった。湧き水の周囲には、色とりどりの花が咲き誇り背の高い樹木は多くの実を実らせている。ここが、砂漠の中だということを忘れてしまうほどに見事な草花や木が多在していた。言うまでもないが、ここにも赤の色は存在しない。
多くの者が発見したら足を踏み入れるに違いないであろう魅力満載のこの土地に誰も居ないのは、立ち並ぶ木々の後方にそびえる無機質な建物があるからだろう。高い壁に囲まれ高い塔が左右に並ぶその建物は、住居用ではなく防御戦闘に必要な防壁や兵器を備えている要塞だ。左右の塔に掲げている黒に白い十字が描かれる旗こそ、獣人族専用のものだ。そんなモノを見て近寄っていく人間はそうそう居るものではない。
一部のモノ好きを除いては、だが。
本人達の意志に反して足を踏み入れてしまったのは。
黒い光に包まれた球体は、ゆっくりと浮上していった。空間が歪み、何かが崩れるような轟音が辺りに響いた。球体に守られているのか崩れたモノに当たることはなかった。酸欠状態からも開放されているようだった、今は全く息苦しくない。これから間違いなく対面してしまうんだろうな.......。コンちゃんと初めてあった時のことを思い出した。あの絶望的な恐怖は忘れられない...、ブルっと身震いをする。隣りの気遣わしげなアザミの視線に強引に微笑んだ。きっと引き攣ってしまっているだろうがこの際だから大目に見てほしい...。
「何とかしてくれるんじゃ、無かったっけー?」
意地の悪い顔を近づけてきた。
「ま、任せといて?」
「やっぱ、舜はいいなー。こんな時に一緒に居てくれてよかった!」
ニヤッと笑って肩を組んできた。
「ど、どんな意味だよ......」
さっきまでメソメソしていたのはどこの誰だっけか?
立場がいつの間にか逆転していることに拗ねたい気分になったが、そうではなかった。アザミは小刻みに震えていた、触れた身体から伝わってきた震えは簡単に止まることは無さそうだった。きっと怖くて仕方がないんだ。自分ではどうにも出来ない恐怖や不安、様々な感情が入り混じっているのだろう。それでも平静を取り繕っている健気さが、ものすごく愛しく思えた。
アザミの頭を優しく撫でる。
「心配しないで、僕が守るからさ」
耳元で囁いた途端にアザミが顔を背けた。気に触ること言ってしまったのかな?アザミの顔を覗き込むとプイッと顔を逸らされた。えっ!?こんな時に仲間割れ?それは、困る。絶対に困る!チームワークは大切だよ、僕たちは嫌でも二人きりでこれから強敵と戦うことになるのに。強引に肩を押さえつけて顔を正面からアザミを見つめた。
「何するんだっ、よー!」
頭を思いっきり拳で叩かれた...。痛い...。グーで殴るか?普通...。
何で機嫌を損ねてしまったのか聞くはずが口から飛び出していった言葉は。
「あれ?顔が赤くない?」
褐色の肌でも分かるくらい顔が真っ赤になっている。耳までも、だ。
「見るなって!!」
もう一度叩かれそうになったので、振り上げられた腕を掴む。
そう何度も叩かれてたまるかー!それに、かなり痛いしね。
「ぎゃあっー!!!」
今度は悲鳴が.......。僕が何をしたっていうんだ!?
またまたそっぽを向いてしまったアザミに僕は頭を抱えた。
「舜はさ、もっと自分に自信を持ったほうがいいよ。さっきだって、すごくカッコ良かった...し。頼りにしてる.......」
長い沈黙の後、未だにこっちを向いてくれないアザミがボソリと言った。
「カッコイイ」「頼りにしてる」そんなフレーズを生まれてこの方一度も言われたことがない。人が言っているのを傍で聞いたことはあるが.......、元親友の、親友だと信じていた人物の顔が浮かんできて僕は瞬時に消し去った。
「ありがとう、なんか嬉しいかも...」
暫くして、ゆっくり浮上していた球体が停止し、消滅した。
差し込んでくる日差しに目が眩む。
宮殿の大広間を思わせる広大無辺な一室。
一段高いところに位置する玉座に悠然と座っている大きな塊を見ようとして視線が逸れる。玉座の真横にある扉が勢いよく開いて女の子たちにが一斉に入ってきたからだ。現れた女の子たちは、玉座に佇む存在に悲鳴をあげ逃げようとするも後から押し寄せる人の勢いに負けて前へ前へと押し出されていく。
ガリガリ。
バキッ、バキバキッ!
何重にも聞こえてくる甲高い悲鳴に、不可解な音が交ざっている。
この後は、何.......?嫌な予感がして落ち着かない。隣のアザミは何が起きているのか知っているのであろう、両手で耳を覆い隠し目を伏せている。
「う、嘘だろ......?」
何故か突然現れた女の子たちを次々に口に放り込んでいるモノの姿を確認する。全身黄褐色で黒い横縞がある、まるで猫のような顔を持った動物がいた。ただ、それには背中に羽根があり、大きさが尋常ではなく大きい。元の姿に戻ったコンちゃんよりもそれは更に一回り大きかった。
「や、やめ...ろ...っ...」
アザミは瞳に涙を浮かべて僕の耳にやっと入ってくるほどのか細い声で呟いた。先ほどの不可解な音は、人を頭から食べている音だった...。その音は今も続いている.......。
逃げ惑う彼女たちは、すべて鳶色の髪と瞳をしていた。
ということは、この中にストックのお姉さんがっ!?
もしかしたら、既に.......。強引に悲観的になってしまった考えを頭から追い払う。
大丈夫、まだ間に合う!
これ以上、犠牲者を出しちゃいけない!
左目を覆っている眼帯を外す。
手は動かせる。今回は、恐怖で動けないわけでは無さそうだった。
今まで見えていなかった左側の視界が広くなる。
耳を塞いだまま動けずに座り込んでいるアザミに「ここで待ってて」と告げて駆け出していく。今この場で動ける人間は僕しか居ない。
「やめろーーーーーーっー!!!」
玉座を見上げて、言葉が通じるワケがないと思ったけど叫んでいた。
意外なことにキュウキの動きが止まった。ゆっくりと玉座から僕を見下ろしニヤリと口元を歪めた。笑みといえども胸を鋭いもので貫かれるような衝撃が身体中に走る。周囲は鮮血で塗れ、逃げることを放棄した数人の女の子たちがキュウキや肉片とかした以前は動いていたモノを見つめていた。逃げる者に混じって狂ったように叫び続ける者もいる。キュウキの口元にある大きな二本の牙から鮮血が滴り落ちる。そこには地獄があった。
『お前だけか?奴は何処にいった.......?』
言葉が話せるのか...!?
誰もが感じるであろう違和感に誘われるようにキュウキを見上げる。
射抜くような鋭い視線にビクッと身体を震わせる。
『奴』って、誰のことだろう?
対面するのが初めての相手だけに、選択肢は少ない。
アザミはここに居る。ならば、シュンノスケのことだろう。
キュウキは、シュンノスケに何故か固執している。
それだけ邪魔な存在なのだろうか?
キュウキの言葉でわかったことが、あった。今この場に、シュンノスケはいないということだ。いつもの彼の行動パターンからだともう姿を現してもいい頃合いだし。と、いうことはシュンノスケは僕の中に存在するのではなくて、何処からか気まぐれにやってくるのだろうか...?シュンノスケが近くに居ない事実は僕を軽く絶望に突き落とした。心の何処かで期待していたんだ、僕の後ろにはシュンノスケが居るって。僕の身体が大切だから危険に晒されたら必ず助けに来てくれるって。
僕は対面する化獣を見据えた。
こんな時だからこそ、人を頼っちゃいけない!僕は僕の出来ることをしよう。僕は気持ちを落ち着かせるために深く息を吐いた。
「奴とは、誰、の...ことです...?」
震える心を抑えこみ、話し掛ける。できれば、今のうちに玉座に居る彼女たちに安全な場所に避難してほしい。だが、鮮血で真っ赤に染まる床には動けずに佇むものが殆どだった。動けなくなる気持ちも分かる、自分も経験済だから。でも、そこに居るのは危険すぎる。どうしたら、逃げてくれるのか...。藁をも掴む気持ちで辺りを見渡したその時、不意に目が合った。意思の強い、真摯な瞳がこちらを見ている。髪の短い、凛とした雰囲気の女性だ。後ろには三人、動揺はしているけど動けそうな人がいる。僕は、前のバケモノに怪しまれない程度に一瞬だけ髪の短い女性を見た。それだけで彼女は僕の意図を把握してくれたようだった。
『知らぬと、言うのか?お前の中の者を?』
「ああ、あの人のこと、ですか?」
横目に映る彼女たちは、ゆっくりと後方へ人々を誘導し始めている。
僕の仕事はキュウキを引き付けることだ。加えて、時間稼ぎもしたい。エリカたちが無事にこの場へと駆けつけてくれることを祈って。
「あの人は、四六時中僕の中には居ないようです。あの人に何か用ですか?」
出来るだけ、答えが必要な言葉や興味を持ちそうな言葉を選び慎重に口にしていく。
『我が言うと、思うのか?』
「...ただ、気になったものですから.......。うまくすれば、この場に呼べるかも知れないですし...、あの人を」
『ならば、呼んでもらおうか...』
キュウキの殺気に満ちた声音だけで、心臓が激しく鼓動する。
いつまで、心臓が持ち堪えてくれるのか.......。
短い髪の女性を目で探す。恐怖に囚われ動けなくなった人以外はその場から居なくなっていた。あともう少しだ。
『お前、先程から何処を見ている.......?』
「あ、いや。ここは何処なのかな...とか、思って...」
なに言っちゃってんの、僕っ!!
苦し紛れの言い訳にも程があるだろっ!!!
焦る、焦る、焦るっ。
ヤバイって、これヤバイでしょ!?
僕の心臓が破裂しそうなほど痛いくらいに激しく鼓動する。
キュウキは一瞬だけ閉じた眼を勢いよく見開いた。
『そんな戯言、信じると思っているのかっ!』
怒気を露わにした声に後退る。これは、本当にマズい!
頭上で振り上げられる巨大な前足が下ろされた。風圧で身体が後ろに吹っ飛ぶ。「うぅ.....っ..!」女性の呻き声が耳に入ってきたような気がした。何が起きた?体勢を整え状況を把握する。
キュウキの前足に短い髪の女性がぶら下がっている。よく見ると、腹部が爪で貫かれ背中にまで達していた。身にまとっている青い衣服がみるみる赤く染まっていく。ぐったりしているが肩を上下させている。まだ息はあるようだ。その女性は苦しそうに血の塊を吐き出しぐったりとしたまま動かなくなってしまった。
「ロベリアっー!!!」
悲痛な声がその場に響いた。
「な、なにっ.....を..!?」
『お前が何かを謀るから悪いのであろう』
冷ややかに言い放つ声音は、更に殺意に満ちているものだった。だが、不思議なことに僕はもう恐怖を感じることはなかった。ここまで人の命を冒涜するのは、許せない。僕はただ、猛烈に怒っていた。
「だとしてもっ!テメェがやっていいことじゃあっ、ねぇんだよっーーーー!!」
はっ.......!!!
怒りに囚われ頭の中が真っ白になって、やってしまった。
忘れていた、対峙していた相手の正体を.......。
僕の役割も。
でも、一番やっちゃいけなかったのは.......。
お飾りだったはずの片手剣を思いっきりキュウキに向かって振り翳したことだ。しかも、抜身で空高く掲げてしまっている。おい、どーした?それはお守りだったはずだろっ!?もう手遅れ、完全に終わった.......。
『面白い...。奴が来るのを待つつもりだったが気が変わった』
キュウキは背中の真っ黒な羽根を広げ、前足を払って跳んだ。短い髪の女性はキュウキから落下し玉座に叩きつけられた。数人の女性が短い髪の女性に駆けつけているのを確認したが僕にはこれ以上見届ける余裕が無くなっていた。キュウキが僕の目の前に現れたからだ。
鋭牙に鋭い爪。
こんなの食らったら一溜まりもないな。
どう動くべきか思案しようとしたが、そんな時間も与えてはくれないらしい。黒い影が掠める。僕は見事に宙を舞い床に叩きつけられる。
イタタタタタ.......。
腰を強打してしまったようだ。左側の頬にも痛みがある、手で触ると血が付いていた。どうやら切れているらしい。軽く掠めただけで、このダメージ...。渾身の一撃みたいのがきたら僕はどうなるんだ...?
繰り返し、繰り広げられる攻撃に逃げまわるだけしか出来ない。それなのに、どんどん負傷していく。全身に鋭い刃物で斬られたような傷ができていく。衣服もボロボロだ。僕が避けられるギリギリのところに態と攻撃しているんじゃないのか...?死なない程度に計算して。諦めたようなことを言っているけどあの人が来るのを待っているんじゃ...?
「つっ...!」
目の上を負傷してしまった。流れてくる血で前がよく見えない。血を拭うことに気を取られて逃げ遅れてしまった。バランスを崩し倒れる。直後、重たい衝撃に襲われた。
「...っぐっ!...ぁっ.......」
「...え?舜!?」
右肩から腹部にかけてざっくりと裂けていた、ぱっくりと傷口が開いている。生温かい感触は一瞬で激痛が全身を駆け巡る。気を失いそうになる中、呼び戻してくれたのは驚愕するアザミの声だった。アザミのいる場所は避けて逃げていたつもりだったのだが、さっきの衝撃でアザミの元に跳ばされてしまったようだ。動かなければ、キュウキが来てしまう。だけど、仰向けに投げ出された身体は自分のものではないかのようにピクリとも動いてくれなかった。
「...ごめん.......。ボクが...、こんなっ.......巻き込んでしまった.......」
アザミは涙声で呟いた。心の痛みが伝わってくるようだった。どうにかするって言ったくせにこのザマだ...。らしいといえば、らしいんだけど、もう少しどうにかならなかったのかな...?泣きたいのを通り越して笑ってしまいたい衝動に駆られる。自嘲的な笑みが口元に浮かぶ。
キュウキは嘲笑うかのように僕たちを見ていた。その眼は冷淡で恐ろしく研ぎ澄まされていた。アザミは胸元から鞭を取り出し前足から繰り出されたキュウキの払いを受け止めた。
「...だ、め.......だ、逃げ......っ...」
言葉が出てこない。逃げてほしいアザミは僕の言う通りに動いてくれる気は無さそうだった。小刻みに震える身体はそのままに、その瞳はキュウキだけをまっすぐに射抜いていた。
『お前は要らない』
大きな翼を広げ無数の羽根がナイフのようにアザミ目掛けて襲いかかっていく。鞭で器用に弾き避けていたが、僕に向かっていた羽根の方向を変えるため鞭を振るった直後、鞭を握る手を二枚の羽根が貫通した。アザミは苦痛に顔を歪ませた。鞭は高く舞い上がりくるくる回って運悪くキュウキの目前に落ちた。間髪入れず襲いかかってくる羽根にアザミはとうとう膝をついてしまった。腕からは血が流れ落ちる。
『早速、消えてもらうとするか』
キュウキはニヤリと笑う。楽しくて仕方ないようにクツクツと喉を鳴らして笑っている。その姿は無情にして暴虐。アザミの間近にキュウキの姿があった。鋭い爪が心臓目掛けて突き立てられようとしていた.......。