11 大切なもの
いったい、ここが何処なのか?
いったい、これから何が待ちうけているのか?
不安は日々募るばかりで、気が滅入るばかり。
ここが、ブルーシの街中では無いことは分かっている。確かに、あの日。私は街の外に出たんだと、思う。思う、っていうのはいつの間にか意識を失っていたから。次に気がついたのは、暗闇で階段を降りている時だった。空気は澱んでいて居心地が悪くて出来れば逃げ出したかったのだけれど身体が動いてくれなかった。意識を手放す前に嗅いだ香草のような香りのせいかも知れない。
それにしても、何でこんなことになってしまったのだろう。
ここに運び込まれたのは、誕生日を迎えた未明だったのだ。
獣人も日付をもう少し選んでくれたらよかったのに...。
外の騒がしさで目が覚めたら隣にいるはずの弟がいなくて、不安になって外に出たらあの獣人と目が合ってしまったのだ。そうして今に至るのだけど...。
暗闇の中での生活が始まってどれくらい経つのだろう?
暗闇とはいっても、朝昼晩の区別くらいは僅かだけど入ってくる陽の光で判別することは出来るし、見張りをしている獣人が交代したり食事を運んできたりするからそれも時間を知る手段のひとつになっていてくれてはいるのだけれど。滞在日数なんて、数えるだけ虚しくなるだけだもんね...。
「はぁ.......」
「何考えてたの?」
「どうした〜?」
「スミレちゃん?」
「ううん、何でもない。ただ、これからのことを考えちゃったら、ね...」
私を抱きしめてくれている彼女たちもブルーシの街の出身だ。幸運だったのか、スミレにとって素晴らしい人選だった。同い年の親友のオリーブ、その姉のダリアと、頼りになる姉のような存在のロベリアだったから。ダリアは『癒やし』の使い手で、ロベリアは『弓使い』。おまけに二人は親友同士。なので、この薄暗い中での囚われの生活は意外にも楽しいものとなっていた。ただ不安はいつも心に居座っているのだけれども。年齢も近い彼女たちが居てくれて本当によかったと思う。もし一人だけだったら気がどうにかなってしまっていただろう。近くにいてくれる彼女たちを見て気づいたことがあった。
「ねっ!私たち四人とも同じ色だね!髪とか瞳とか!すごくないっ!?」
すごい発見だ!と思っていたのに反応は冷ややかだった...。
「え?それ今更でしょ!?」
オリーブの言葉に一同頷く。
「スミレちゃんって、おもしろいよねー」
とは、ダリア。
「おもしろいで片付けたらこの先もっと調子に乗るぞ?しっかり教えてあげねば!心を鬼にしてなっ!」
拳を握りしめ力説しているのはダリアの隣りにいるロベリアだ。大発見とばかりに偉そうに話さなければよかった...。伏し目がちに三人を見たら、ロベリアに髪をくしゃくしゃにされた。時々ここが何処なのか忘れてしまうことがあるのは、幸せなことだと思う。
いつか誰かが助けに来てくれるんじゃないかって期待は、もう無い。
だって、不可能だと思う。ここはきっと獣人の巣くう場所だから。
無謀に命を落として欲しくはないし、やっぱり期待してはいけないのだと思う。
だけど、願いはある。
焦げ茶のくりんくりんの髪を肩くらいまで伸ばしていて、「短いほうがカッコイイよ!」って私がいくら説得しても髪を切らせてはくれなかった頑固な七歳年下の弟のことだ。
散髪嫌いな弟の髪を切ってくれる人はいるのかしら?
伸び放題になっているんじゃないかしら?
せっかく整った顔立ちをしているのに隠しちゃうなんて絶対に勿体無い!
おねぇちゃん、おねぇちゃんって懐いてきてくれるけど、大事な決断をする時は私に相談も無しにどんどん話を進めていく。困ったことに私自身のこともすべてにおいて、だ。そして、悔しいことにその決断がこれまで間違ったことが一度もない。どっちが歳上なんだろう?ってよく思ったものだ。
そういえば、あの子って人脈もあるのよね〜。
本人は「呼んでもないのに何でか寄ってくるんだよ」とか嫌そうな顔をしているけどそんな表情をする割にはやたら面倒見がいい。いつも女の子たちに囲まれていて、かなりのモテっぷりを発揮していたり。勿論、大人からも可愛がられていたな〜。近所のパン屋さんのご夫婦からは「養子に来ないか?」って言われていたわよね〜。ついでに私も一緒に誘われていたけど、当然あの子狙いよね?だって、素直だし可愛いんだもん!会いたいなぁ.......。ぎゅ〜〜〜〜って抱きしめたいっ!!これを現実逃避というのか、スミレは愛しいたった一人の肉親であり可愛くて仕方ない弟へと思いを馳せる。
小さい頃に両親を亡くしているからか変に大人になってしまっている弟、まだまだ子供なのに。しっかり者だけど、実はかなりの甘えん坊の弟はどうしているのだろうか?あの時、獣人に「彼には手を出さないで。その代わりに抵抗しないで従うから」って約束したんだもん、絶対に生きているはず。獣人って武器を使うし群で行動しているから彼ら独自の言語はあると思ってはいたんだけど、まさか私たちの言葉まで通じるなんて思ってもみなかった。言ってみるものだよね〜。通じないだろうって話しかけなかったらきっと後悔していたかも。やらなっきゃ損なのね、勉強になったわ本当に。獣人は確かに頷いたんだもん、ストックはきっと大丈夫!
『幸せに暮らしていてくれていたらいいな......』
祈るような気持ちで、スミレは手を合わせ瞳を閉じた。
「また弟くんのために祈ってたの?」
オリーブが顔を覗きこんできた。
スミレと同じ鳶色の瞳が気遣わしげな光を湛えている。
「うん」
「ここに来てまで弟くんのことばかりとは...」
大袈裟に額に手を当て空を仰ぎ見た。
「少しは自分の幸せのために動きなさい!」とは、オリーブの口癖だ。
当人、至ってそんなつもりはないのだけどそれを否定した途端、いつも額に手を当てられ頭を抱えられてしまう。時には大仰な溜め息つきだったり。心配してくれる貴重な存在だと思って感謝をするようにしているが、あの絶対に態とであろう大袈裟な素振りにはやっぱり苦笑してしまう。
「ーーー危ないっ!」
ドア付近でダリアと話していたはずのロべリアは緊迫した声をあげた。
ドンっ!!
ドーン、ガラガラ、ガタガタ、バーン!
一瞬何が起きたのかわからなかった。
オリーブと話していたはずなのに、いつの間にか身体は壁に激しく叩きつけられている。
「な、にが、あったの?」
激痛に気が遠のきそうなのを現実に戻してくれたのは、懐かしいものだった。
スミレは瞳を見開いた。
あれ?明るい!?
何日かぶりの眩しすぎる、そして慣れ親しんだ陽の光のだ。同時に周囲の様子が見えてきた。横で倒れているオリーブの無事を確認しながら、ロベリアを見る。
ロベリアがダリアを抱え身を挺して守っている。
さすがは、女性の憧れの的!
ロベリアはブルーシの街で二人しかいない武器の使い手のうちの一人で、風貌も切れ長の瞳のキリリとした二枚目ってこともあり彼女の周囲はいつも女性の黄色い声が湧き上がっていた。
もう一人の武器の使い手、大剣使いも女性だ。
男性の方が力もあるし向いていると思うんだけれども、何故か選ばれたのは女性だけだった。だけど二人共すごく強い。彼女たちが現れるところは人集りができ、決まって大騒ぎとなる。常に女性からきゃあきゃあ言われている彼女たちを男性陣はどう思っているのか?男性もしっかり人集りに参加して低い歓声をあげていた。まさにヒーロー、というかヒロインと呼ぶべきか。ロベリアと顔を見合わせ、スミレは頷く。そして笑顔になる。よかった〜、四人とも無事だ。
暗闇に唐突に差し込まれた陽の光によって遮られていた周囲の様子が徐々に見えてくる。ここはゴツゴツした石を組み合わせて造られている小部屋だということは分かっていた。でも、窓ひとつ無い閉ざされた空間を改めて見せられると嫌気がしてくる。こんな陰気な場所にはもう居たくない。壊れかけの鉄格子の扉をロベリアが蹴り飛ばし小部屋から脱出する。
驚いたことに、囚われていたのは私たちだけではなかった。
蜘蛛の子を散らすように出てきた女の子たち。仕切られている小部屋は全部で八つ。そこに閉じ込められていた子たちが出てきたらしかった。こんな近くに大勢の人が居たとは...、どうして気づかなかったのだろう...?防音の設備が備わっているのかな?だとしたら獣人ってすごい技術もっているのね。
感心していたらロベリアが呆れた顔を私に向けている。
オリーブは頭を抱えている。
ダリアは優しい笑顔で見守ってくれている。
「ほら、行くよー!」
鉄格子の棒に捕まっていた私にロベリアが手招する。
「はーい!」
小走りにみんなの元に向かうも足が縺れて転倒してしまった。体力が見事に落ちている...。これは誤算、みんなよく走れるわよね...。私は足元を見つめた。久々に耳にした大勢の人の声は甲高い悲鳴じみたものだった、どうせなら歓喜の声の方がよかったな...。
「お、おーい.......」
先ほどと同じ場所で待ってくれている三人に苦笑した。転倒したので二、三歩の距離しか近づけていない私に三人も苦笑している。もう一度ロベリアが手招する。
「ごめんね.......」
やっと、私はみんなの元に辿り着くことができた。
さっきの激しい揺れは、地震なのだろうか?
一つしか無い逃げ道へと迷い無く進む人の波に乗りながらスミレは考える。壊れたのは八つある個室の鉄格子の扉と上階へ行くための階段手前にあった二重扉。崩壊した壁は扉付近だけ。陽の光を届けてくれたのは二重扉近くの壁の割れ目から。階段の先には何があるのだろう?何処につながっているのだろう?当たり前のように陽の光に向かって逃げちゃっているけど本当にいいのかしら?この惨事に対して負傷者がひとりも出ていないのもおかしい。常にいる見張り役の獣人の姿が見当たらない、だったら余計に様子を見に来てもよさそうなものだけれど気配すら感じない。
これは、誘導されているようにしか思えない。
やっぱり、行っては駄目だ!
「待ってっーーーー!!!」
張り上げた声は喧騒よってかき消される。もう一度あげようとした声は、もう届くことはなかった。すべてが手遅れだった。前方を走っていた女性たちの耳を劈くような悲鳴が辺りに響いた.......。