おじいちゃんとふつうの杖
僕のおじいちゃんは竹の杖を一本持っている。足腰は達者なのに、どこにいくのでも杖がいっしょなのだ。長さは、地面に立てるとおじいちゃんの胸に届くくらい。ぶらぶらさせたり、肩にかついだりして持っている。
「どうして杖を持ってるの? 邪魔なだけじゃない?」
僕が聞くと、おじいちゃんはいつもこう答える。
「ポン助は知らんだろうがな、杖が一本あると何かと便利なのよ」
散歩に出かけるおじいちゃんの背中は、短めの物干し竿をかついでいるように見える。
小学校の春休み、僕とおじいちゃんはハイキングに出かけた。目的地は近所の山だ。
黒茶の土肌をさらす崖沿いに、木枠で固められた階段を登ってゆく。勾配は結構きつい。中ほどまでいったころには、僕はもう全身汗だくになっていた。けれどおじいちゃんは杖を首の後ろに回して、ひょいひょいサルみたいに登っていく。
もう休憩しようよ、と僕が言おうとしたとき。
頭のてっぺんにするどい衝撃があった。僕は反射的につむじをおさえ、崖の上を振りあおぐ。
何メートルも上の崖、さらにその上には塗り重ねたような葉の緑。真っ白な日差しが目に差し込む。それだけだ。
なんだ、いまの?
「ポン助、おいで」
おじいちゃんが呼んだ。
「おじいちゃん、いま、何か――」
僕が言いかけた瞬間、目に痛みが走った。
それからは一瞬のできごとだった。体を強く引き寄せられ、僕はしりもちをついた。テントを打つ雨のような音。大きな手が僕の肩をつかんでいた。おじいちゃんだ。
「お、おじいちゃん、目が――」
耳元で低い声がした。
「落ち着け。砂が目に入ったんじゃ」
「砂?」
「落石じゃよ。あぶなかった」
まぶたをおさえ、あふれてくる涙がごみを洗い流すのを僕は待った。やっと目を開けられるようになると、なぜか真っ暗だ。
「おじいちゃん?」
「おじいちゃんの傘だよ」
闇は幕のように右側に引いていった。
「傘なんか、どこに……」
僕は立ち上がる。
「ここさ」
おじいちゃんは肩の上で、紺色の傘を上下させてみせた。受け止めた落石がごろごろと転がり落ちる。――いや、ちがう。あれは傘じゃない。
コートだ。杖の上に、おじいちゃんのコートがかぶさっている。どういうわけか、コートが杖の上で、傘の形に広がっているのだ。
おじいちゃんがコートを引きずりおろすと、その下の杖は形を変えていた。幹から枝が生えるように、竹細工の細い骨が何本も伸びている。
「杖が一本あると便利じゃのう」
なるほど、と僕はうなずく。僕たちはさらに登った。
階段のてっぺんには、広場が開けていた。
「やっと到着じゃな」
「やっと休憩だよ……」
そのとき、地の底から響くような爆音が聞こえ始めた。
「な、何、この音……?」
雑木林の向こうから現れたのは……暴走族だ! 改造バイクにまたがって、全員そろいの金髪モヒカンを逆立てている。
「てめーらこんな山奥で何やってんだコラー!」
「やんのかコラー!」
「うわ何あれ。おじいちゃん、ヤバいよ、逃げようよ」
「はて、ツッパリ……? キツネに化かされたかのう……」
「ヒャッハー! そこのジジイとガキ! 通行料をよこしな!」
相手の数は十近い。走って逃げるにしても、すぐにかこまれてしまうだろう。
しかしおじいちゃんは動じない。
「ポン助、下がっておいで」
そう告げると杖を水平に、胸の前にかまえる。並んだこぶしに力がこもる。
筋ばったふたつのげんこつが離れていくと――その間から出てきた杖は、凶暴な銀のかがやきを宿しているではないか!
「しっ、仕込み刀だとぉーっ!?」
おじいちゃんはすらりと刀を抜き放ち、さやをベルトに差し込んだ。
「かかってきな小僧ども……団塊の世代ナメんなよ……」
モヒカンどもはにやにや笑いをやめない。
「何を持とうがジジイ一匹! ヤロウども、やっちまいな!」
ひとりのモヒカンがつっこんでくる。腰にためているのは、見るもおそろしいサバイバルナイフだ!
「杖が一本あると便利じゃのう……」
おじいちゃんはゆらりと刀を振り上げる。左からのモヒカンの突進に、ためらいなく刃を叩き下ろす! リーチの差で利を得たおじいちゃんは、ナイフの完全な射程外から先制攻撃をしかけたのだ!
しかしそのとき!
「ヒャッハー! その程度で俺に勝てると思ったかー!?」
逆袈裟に斬り下ろされたはずのモヒカンが、何ごともなかったかのようにナイフを突き出してくる! おじいちゃんは半身になってあやうくかわす。
「なるほど、貴様ら物の怪か……」
「ヒャッハー! 物理攻撃は効かないぜ!」
ふんふんと軽くうなずくと、おじいちゃんは刀をさやに収めてしまった。獲物は再び、ただの竹の棒にもどる。
「ジジイ、観念したか! 念仏でもとなえるんだな!」
「そうさせてもらおうか」
おじいちゃんは杖を高々と天にかかげる。
「ナマク・シチリヤ・ジビキャナン……サルバ・タタギャナン・シッタギレイタランソワカ! 業火よ、悪鬼羅刹を焼くものよ! いざ仏敵を滅さん……!」
「おじいちゃん……マジかよ……!」
モヒカンどもがざわつき始めた。あなどりの笑みはくずれ、今やその顔にはたじろぐような色があらわれている。かかってくる者はひとりもいない。逃げ出すふんぎりもつかないままで中途半端に腰を引き、遠巻きに見守るばかりだ。
先ほどまで刀の柄だった竹杖の節を、おじいちゃんはパキリと折り取った。その上部には小さな栓が差し込まれている。
一番上の節は水筒になっていたのだ。
おじいちゃんは栓を親指ではじき、中身をあおる。
「この土壇場で何を飲んでやがる? ジジイ、気が触れたか!」
おじいちゃんは答えない。いくらかを口にふくむと、モヒカンどもに水筒を投げつける。しぶきはきれいな弧を描いて悪漢たちをなめた。
「このにおい……酒――!」
おじいちゃんは不敵な笑みを浮かべ、竹杖の二段目の節をひねる。
かちりと音がして、杖の先に赤々とした火がともった。ライターだ! 水筒の下、二段目の節にはライターが仕込まれていたのだ! 今や松明となった杖を、おじいちゃんはまっすぐ前方にかまえる。恐れをなしたモヒカンたちがあわてて背を向け走り出す、しかしもうおじいちゃんからは逃げられない。
おじいちゃんの気合の一声――
「ぷファイア!」
勢いよく吹き出した酒が炎をまとい、モヒカンの背を追う。一見したところでは細くたよりないが、しかしそれは目前の敵を追う狩人の火。コンマの差でおくれたモヒカンの腕をからめとり、一瞬にして火だるまにしてみせる。熱さに我を忘れたのだろう、モヒカンは仲間めがけて突進し、道連れを増やしていく。
豪炎は一気に広がり、モヒカンたちを飲み込んだ。
「ギャアアアアア――!!」
「杖が一本あると便利じゃのう……」
焼け焦げていくモヒカンどもをながめ、おじいちゃんはしみじみとつぶやくのだった。
やがてモヒカンたちは骨も残さずに燃え尽き、煙となって消えてしまった。
あとに残ったのは一匹のテングだ。
「マジですんませんっしたぁーっ! オイラ強い男になりたくて……人間様を取って食っちまったら仲間にイバれるかな、なんて……」
「あんまり悪さはしちゃいかんよ」
「ははーっ! アニキ、ぜひオイラを舎弟にしてくれませんか! アニキみたいな人の弟分になれたらマジ仲間にイバれますんで!」
テングがむにゃむにゃと呪文をとなえると、ポンと音がして契約書があらわれる。
「ささ、こちらにお名前を」
おじいちゃんは杖の片側を持ち上げ、ライターのついていた節をスポンと抜き取った。
中から現れたのは筆の毛先だ。
でも、
「おじいちゃん、それはさすがに無理があるんじゃない……?」
何しろ元は竹杖だったのだ。筆というよりほうきに見えた。軸は僕じゃ片手でにぎれないくらいの太さがあるし、筆先ときたら、広がったらテングの持っている紙なんかおおってしまいそうだ。
「書道ガールズじゃあるまいし」
「わからんかポン助。杖が一本あると便利なんじゃよ……よっこらしょ、と」
おじいちゃんは杖をかつぎあげ、軸を肩でささえる。文字をつぶさないよう、毛先だけを注意深く紙の上におよがせていく。
「やはり、杖が一本あると便利……ぶっ」
おじいちゃんは長い杖をもてあまし、自分の頭をぶんなぐってしまったのだ。
あぶない、とささえる間もない。おじいちゃんはよろめく。たたらをふんで後ずさり、何とか体勢を安定させようとしたとき、かかとを木の根にひっかけた。
「おっ……おじいちゃーん!」
「アニキぃーっ!」
一瞬のことだった。
僕もテングも、動くことさえできなかったのだ。
翌日。おじいちゃんがひょこひょこ居間にやってきて、こう言った。
「ポン助、散歩にいこう」
「おじいちゃん! 足、まだ治ってないんでしょ?」
おじいちゃんは捻挫をしたのだ。少しひねった程度だが、おばあちゃんから何度もしかられた。
横からモヒカンテングも言った。
「アニキ、無理は禁物ですぜ。どうしてもって言うなら、オイラが背負っていってあげますよ」
「ああいやだいやだ、老人みたいにあつかいよって」
つぶやいて、おじいちゃんは玄関の方に消えてしまう。僕たちは急いで後を追いかけた。
「おじいちゃん! だからダメだってば……」
「いいじゃろ? ほら」
戸口に立ったおじいちゃん。
その肩の下ではあの竹杖が、松葉杖に姿を変えていた。
おじいちゃんはニヤリと笑う。
「杖が一本あると、便利じゃのう」
「もう。なんでも杖でやろうとしちゃダメだよ、おじいちゃん!」
キーワード「杖」と「文字」で作りました。