「お父様、お母様。私の好きな色はなんでしょう」
「新婦・クレール。貴女は病める時も、健やかなる時も、死が二人を別つまで、新郎・エルヴェを愛し続けると誓いますか」
その言葉に、一瞬だけ声が出なかった。
けれどその“一瞬”を悟られないように決められた言葉を吐く。
「──誓います」
それを聞き、神父が更なる言葉を続けていく。けれどその言葉はもう、私の耳には入っていなかった。
クレール・アザーブルー。
侯爵家に生を受けた私は、そう名付けられた。両親と、兄がふたり。長兄が家を継ぎ、次兄が補佐として支える。よくいる貴族の家庭だ。ひとつだけ違っていたのは…。
「エルヴェ殿下との交流で問題は起こさないように」──それが父の口癖。
アザーブルー家第三子である私が、この国の第一王子の婚約者であること。
エルヴェ殿下が生まれた年に、高位貴族に生まれた女児は私だけだったそうだ。
それだけの理由で決められた婚約。もっとも、アザーブルー侯爵家としては王太子妃になるのは初めてのことらしく、一族中が私の婚約に騒いでいた。
絶対に婚約破棄などされないように。
物心ついた頃から言われていたことだ。
王太子妃教育が始まったのは5歳の頃。
早い内から始めて、間違っても他の令嬢に代わることができないように差をつける。そういう魂胆で幼い内から王宮で生活してきた。
泣き言は許さず、授業についていけなければ叱責を受け、良い成績を出しても褒められることもなく。
王太子妃になるべく育てられた。
だから…。
流行りのドレスを着たいと言えば、王太子妃がそのような世俗的なことを言うなと怒られた。
昔、気に入っていた色は殿下の色に合わないと取り上げられた。
食事は体型管理を理由に周囲の令嬢の半量しか与えられなかった。
交友関係も、娯楽も、寝る時間さえも。
全て制限され、今の私はできている。
今日という日を迎えたら、私はやると決めていたことがある。
「ここで、新婦・クレール様より、ご両親への手紙を読み上げさせていただきます」
式も終盤に差し掛かった頃。司会者が予定にない項目を読み上げた。殿下にも話していなかった項目。予期せぬ内容に流石の殿下も驚いていた。
困惑する両親の前に立ち、用意していた便箋を取り出す。
「“お父様、お母様。突然のことで驚いていることでしょう。勝手なことをして申し訳ありません。また、エルヴェ殿下。殿下にもお伝えせず、このようなことをして申し訳ありません。今日という日に私は父母に伝えたいことがあるのです。どうか皆様、お時間をください”」
手紙を読み上げると、周囲はそういう“余興”なのだと認識してくれた。まだ肝心の本題に入っていないのに、年配の参列者は涙を浮かべていた。彼らにはきっと、これから父母へ感謝を伝える良い娘に映っていることだろう。
「“まず、今日まで育てていただいたこと、感謝しております。侯爵家に生まれ、家格に見合った教育をいただけたこと、このご恩は一生忘れません。必ず、どこかで返すと誓います”」
「“私は5歳の頃からエルヴェ第一王子の婚約者として、王太子妃教育を受けてまいりました。成績が伸びない時は家庭教師を何人もつけてくれ、時に厳しい言葉で鼓舞してくださいましたね。そのおかげで私は今日、ここに立てているのでしょう”」
「“お父様は流行りのドレスが着たいと言った私に、王太子妃がそのような世俗的なことを言うなとおっしゃりましたね”」」
ざわっ。
「“お母様はお腹が空いたと言う私に、王太子妃は見た目の美しさが大事だと言い、周囲の令嬢の半量にするようおっしゃりましたね”」
ざわっ。
会場の空気が変わるのを肌で感じた。勘のいい者はただの感謝の手紙でないことに気付いただろうか。
「“王太子妃になるため。そのために生きてきたと言っても過言ではないでしょう。私は貴方たちの望む王太子妃になれたのでしょうか”」
「クレール、何がいいたい」
「お父様、まだ終わっておりませんわ」
「お前、いい加減に「“ところでお父様。私の好きな色は分かりますでしょうか”」
「…は?」
突然の問いかけに父が顔をしかめた。その顔にもう一度、問う。それでも意味が分からないようで、くっついてしまいそうな眉毛は変わらなかった。
「“お母様。私の好きな食べ物は分かりますでしょうか”」
「食べ物…?何の話よ!」
母の様子も同じだった。
化粧が崩れてしまいそうな程、眉が歪んでいる。二人とも私の質問が分からないらしい。
「お父様、お母様。難しいことは聞いておりませんわ。私の好きな色です。好きな食べ物です。好きなドレスの仕立て人でもいいですわ。好きな髪飾りのデザイン。学院時代に交流のあった友人。得意な科目。休日にしていること。…なんでもいいですわ。ひとつ、お答えくださらない?」
「くだらない話に殿下を待たせるんじゃない」
「お父様が答えてくだされば終わりますわ」
「クレール、辞めなさい。…貴女の好きな色は桃の色よ。これでいいでしょう」
「よくありませんわ、お母様。違いますもの」
私の言葉に母の顔から表情が消えた。
「嘘をつかないで…貴女は昔、桃の色のドレスを着たがったわ」
「でもそれを殿下の色に合わないと言って、取り上げたのは誰でしたか?」
参列者の視線がエルヴェ殿下に向かう。エルヴェ殿下は瞳にこの国の王族の色…透き通る空のような水色をお持ちだ。だから夜会などのパーティーでは水色を中心に青系統の色を身につけることが多い。そこで殿下の婚約者の私が桃の色など着ては釣り合わない。
「殿下の婚約者である貴女が殿下に合わせたドレスを着るのは当然のことでしょう。夜会で令嬢はそうするものです」
「では取り上げたのが正当だとして…娘の好きな色を答えられない母は正当でしょうか」
「だから貴女は桃の色が…」
「違うんです。違うんですよ、お母様」
「なにが…!」
「お前の好きなドレスの仕立て人は、公爵家御用達の店だろう」
私たちのやりとりを黙ってみていた父が口を開いた。父の口から出たのは公爵家御用達の店の名前。昔から公爵家が贔屓にしている店だ。それが学院時代、令嬢たちに流行ったのだ。
「お父様がその店をご存知とは思いませんでしたわ。けれど残念ながら違います」
「…っ!!なんなのだ、お前は!お前が違うとさえ言えば答えは出ないのではないか!」
「そのようなずるいことは致しません。答えは必ずあります」
今すぐにこの茶番を辞めろと言い続ける両親に私は何度も「答えをひとつでも出せば辞めます」とだけ返した。
引かない私に両親は思いつく限りの言葉を羅列する。
「鶏の蒸し焼きが好きだろう」
「いえ、この子は魚のはず。香菜で焼いた魚が好きよね?」
「キャロットケーキ」
「緑色」
「ベルラインのドレス」
「光沢のある生地」
「ゴールドカラーの髪飾り」
「赤色」
「刺繍」
「リボン」
「スコーン」
「チョコレート」
「紅茶」「黒」「レース」
「オムレツ」
「読書」
「パンプキンパイ」
「銀色」「ヒールの高い靴」「コーヒー」「ミルク」「紫」「揺れるデザインのイヤリング」「グラタン」
「シチュー」「侍女の故郷の料理」「黄色」「シルバーアクセサリー」「エメラルドカラー」「殿下に手紙を書くことが好き」「ピクニック」「裾の広がるドレス」「焼き魚」
──数打てば当たる。
そういう気持ちが明け透けな両親の回答を、彼らが口を開かなくなるまで聞く。
会場に静けさが広がり、参列者も言葉を失っていた。
それを確認してから、また便箋を開く。
「“きっと、お父様も、お母様も、私の好きなものを答えられないことでしょう。どのような答えが出るか、想像はつきますが…どれも違います”」
「“正解は「分からない」です。私は何色が好きなのでしょうか。好きな食べ物は?得意な科目は?休日に何をしているか。…何なら王太子妃に適しているのでしょうか。そう思ったら…私は私の好きなものが分かりません”」
「ふざけたことを…!殿下の時間を無駄に「“だから、お父様とお母様に聞いたのです。王太子妃に相応しくない。そういうのならば、私は何なら好きでも許されるのですか?好きになっても否定されると思うと…もう私は何にも心が動かないのです”」
「“恨み言を申し上げているのではありません。ただ、今日でアザーブルー家を出て王家に嫁ぐ前に、何を好きでいていいか聞いておきたかった。それだけです。
…冒頭に申し上げた感謝も、恩を返していく覚悟だということも、嘘ではありません。侯爵令嬢として育てるには膨大な費用がかかっていることでしょう。それはきちんと返していかねばならないと思っている所存です。
お父様、お母様は私が王太子妃になることを強く望まれていたでしょう。私はこの先王太子妃として、お父様、お母様の望む姿をお見せし続けます。それが私の恩の返し方です”」
便箋を閉じ、控えていたアザーブルー家の侍女へ託す。
冷たくなった会場の空気を司会者が変えようとマイクパフォーマンスを始める。それでも会場の空気は重いまま、式は幕を閉じた。
クレール・ウンディーネ・アズール。
彼女は歴代の王妃の中でも人気の高い人物となった。
国王との仲は良好で、夫婦として憧れを持たれていた。子宝にも恵まれ、3人の王子と2人の王女を、王族として恥のない人間に育て上げたことで母としての尊敬を得た。近隣国との外交も上手く、国が豊かになったことで、彼女とその国王は民から慕われていた。
だが民は知らない。彼女に一切の“好き”がないことを。夫のこと。子供たちのこと。民のこと。近隣国のこと。そこに何の感情もないことを。知らないのだ。
”好き“がないから冷静に、客観的に判断ができていた。
”好き“が分からなくなった令嬢は、皮肉にも王太子妃に向いたのだった。




