第1話「旅のはじまり」
病院の白い天井を、僕はぼんやりと見つめていた。
消毒液の匂い。
規則的に鳴る機械の音。
医者の声は、静かだった。
「……余命は、長くて数か月です。」
その言葉は、あまりにも普通の声で言われた。
僕は、うなずいた。
「そうですか。」
自分でも驚くほど、落ち着いた声だった。
隣で母さんが泣いている。
父さんは何も言わず、下を向いていた。
だけど僕は、不思議と悲しくなかった。
ただ思った。
――ああ、もうすぐ終わるんだな。
家に帰った夜。
僕はベッドの上でスマホを見ていた。
友達のグループチャット。
学校の話。
テスト。
部活。
もう、全部関係ない。
僕はスマホを閉じた。
そして、ふと思った。
死ぬ前に、何かしたい。
ゲームでもない。
SNSでもない。
何か、ちゃんと「生きた」って思えること。
しばらく考えて、僕は決めた。
「……旅、するか。」
日本を。
行ったことのない場所を。
知らない街を。
知らない人を。
死ぬ前に、見てみたいと思った。
次の日。
僕は学校に行かなかった。
先生には「体調不良」とだけ伝えたらしい。
別に、もうどうでもよかった。
リュックに入れたのは、少しの服と財布。
それだけ。
玄関で靴を履く。
母さんが心配そうに聞いた。
「どこ行くの?」
僕は少し考えて言った。
「日本、見てくる。」
母さんは何も言わなかった。
ただ、少しだけ笑って。
「気をつけてね。」
そう言った。
最初に乗った電車は、ローカル線だった。
ガタン、ゴトン。
窓の外には、田んぼが広がっていた。
今まで何度も見てきた景色。
でも今日は、少し違って見えた。
もう二度と見ないかもしれない景色だからだ。
しばらくして、電車は小さな駅に止まった。
知らない駅。
知らない町。
僕は降りた。
駅前には、小さな商店があった。
お腹が空いたので、入ってみる。
中にはおばあさんがいた。
「いらっしゃい。」
僕はおにぎりを一つ取った。
「これください。」
おばあさんは僕を見て、少し驚いた顔をした。
「一人旅?」
「まあ、そんな感じです。」
おばあさんは笑った。
「若いのにすごいねぇ。」
レジでお金を払おうとすると、おばあさんが言った。
「もう一個持っていきな。」
「え?」
「サービス。」
袋に、もう一つおにぎりを入れてくれた。
僕は少し戸惑った。
「いいんですか?」
「旅人には優しくするもんだよ。」
そう言って、おばあさんは笑った。
店を出て、ベンチに座る。
おにぎりを一口食べる。
少しだけ、涙が出た。
理由はよく分からない。
ただ思った。
日本って、こんなに優しかったっけ。
僕の旅は、まだ始まったばかりだ。
でもきっと、この旅で僕は――
何かを見る気がする。
それが何なのかは、まだ分からない。
だけど。
これが、
僕が見た日本の、最初の一日だった。




