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誰のおかげで飯が食える」が口癖のモラハラ弟を、看護師の姉が『医療的判断』で完膚なきまでに叩き潰す話  作者: 品川太朗


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第7話:和也の孤独と崩れ落ちる日常


 美羽ちゃんと湊くんを連れ出してから、一週間が経った。


 その間、和也からの連絡は途絶えていた。

 最初は怒りのLINEが何通か来ていたが、母が着信拒否をし、私が「次に連絡したら職場に相談に行く」と警告してからは、不気味なほど沈黙を守っていた。


 土曜日の午後。

 私は、合鍵を持って和也のマンションへ向かった。

 様子を見に行くためではない。現実を突きつけに行くためだ。


 インターホンを鳴らすが、応答がない。

 私は無言で鍵を差し込み、ドアを開けた。


「うっ……」


 玄関を開けた瞬間、私の鼻を突いたのは、えた臭いだった。


 コンビニ弁当の空き容器、生ゴミ、そして汗の染み付いた衣類の臭いが混ざり合った、独身男性特有の生活臭。


 たった一週間だ。

 あのモデルルームのように整然としていた空間は、見る影もなかった。


「……誰? 姉ちゃん?」


 リビングのソファから、のそりと人影が起き上がった。

 和也だ。


 その姿を見て、私は言葉を失うより先に、呆れ果てた。


 髪はボサボサで脂ぎり、無精髭が伸び放題。

 着ているワイシャツはシワだらけで、黄ばみがかっている。


 あの「外面が良く、清潔感あふれる弟」はどこにもいなかった。


「何しに来たんだよ……。美羽は? 戻ってきたの?」


「美羽ちゃんは来ないわ。あんたの生存確認に来ただけ」


 私は靴を脱がずに、土足で上がり込みたくなる衝動を抑えながらリビングへ進んだ。


 惨状は酷いものだった。

 テーブルの上には飲みかけのペットボトルとカップ麺の残骸が散乱している。

 床には脱ぎ捨てた靴下や下着が地層のように重なっている。


「随分と風通しのいい生活ね。これが、あんたが望んでた『誰にも邪魔されない生活』?」


「うるさいな……仕事が忙しいんだよ」


 和也は不機嫌そうに頭を掻いた。


「おい姉ちゃん、美羽に言っとけよ。『そろそろ許してやるから帰ってこい』って。俺だって限界なんだよ。ワイシャツのクリーニングも出しに行けないし、洗濯機回したら色移りするし、風呂の排水口なんてなんかヌルヌルして臭いし……」


 和也は被害者のように愚痴を並べ立てた。

 私は、その言葉尻を逃さなかった。


「ヌルヌルして臭い?」


「あぁそうだよ! 欠陥住宅なんじゃないか、ここ」


「馬鹿じゃないの」


 私は冷たく言い放ち、キッチンのシンクを指差した。

 そこには洗われていない皿が山積みになり、腐敗臭を放っている。


「排水口が勝手に綺麗になるわけないでしょ。今までは毎日、美羽ちゃんがブラシで擦って、ネットを交換してたの。あんたが寝てる間にね」


「……あ?」


「トイレットペーパーが勝手に補充されると思ってた? シャンプーの中身が無限に湧いてくるとでも? 部屋の埃が自然消滅するとでも思ってたの?」


 私は、和也の目の前に、コンビニのレシートが散ラばる床を指差した。


「あんたは『誰のおかげで飯が食える』って威張ってたけど、その稼いだお金を『生活』に変えていたのは誰? あんた一人じゃ、そのお金でコンビニ弁当を買って、ゴミを積み上げることしかできてないじゃない」


 和也は口をパクパクさせた。

 反論しようとして、言葉が見つからないのだ。


 目の前にある「ゴミ溜め」という現実が、彼の「俺は有能だ」という妄想を粉々に打ち砕いているからだ。


「……で、でも、俺は仕事をして……」


「仕事をしてれば、家では王様でいいの? 見てみなさい、今の自分を。シワだらけのシャツを着て、ゴミに囲まれて、美羽ちゃんに『管理』されてた頃よりずっと惨めよ」


 私は彼がかつて美羽ちゃんに書かせていた『反省ノート』を、ゴミの山の上に放り投げた。


「あんたが彼女に言ってたこと、全部自分に返ってきてるわよ。『自己管理ができてない』『効率が悪い』『だらしない』。そっくりそのままお返しするわ」


 和也はノートを見下ろし、そして震える手で自分の顔を覆った。


「……わかんねぇよ……」


「え?」


「洗濯の仕方も、ゴミの分別も、何にもわかんねぇんだよ! 母さんが全部やってくれてたから! 美羽が何も言わずにやってたから! 俺、どうすればいいんだよ……!」


 それは、三十過ぎの男が吐くにはあまりにも情けない、けれど初めて本音から出た言葉だった。


 彼は「悪意ある支配者」である以前に、「何もできない子供」だったのだ。

 母親にスポイルされ、妻に甘え、その依存構造を「支配」と履き違えていただけの、哀れな子供。


 私は溜息をつき、彼を見下ろした。


「やっと気づいた? あんたは一人じゃ何もできないって」


「……うぅ……」


「美羽ちゃんは、あんたの奴隷じゃない。あんたの命を支えてたパートナーだったの。それを壊したのは、他でもないあんた自身よ」


 和也が、膝から崩れ落ちた。

 ゴミの散らかる床に座り込み、うなだれるその姿は、一週間前の傲慢な態度は微塵もなかった。


「……会いたい……美羽に会って、謝りたい……」


「今のあんたに会う資格はないわ」


 私はきっぱりと言った。

 ここで情けをかけては、また元に戻る。


「でも、チャンスはあげる」


「……チャンス?」


「来週の日曜、実家に来なさい。ただし、その汚い恰好じゃ玄関も開けないから。自分でクリーニングに出して、自分で美容院に行って、人間らしい恰好に戻ってから来なさい」


 和也は涙目で私を見上げ、何度も頷いた。


「行く……絶対、行く……」


 私は踵を返した。

 部屋を出る背後で、和也の嗚咽が聞こえた。


 ざまぁみろ、と思う気持ちは半分。

 あとの半分は、ようやく「治療」のスタートラインに立てたという安堵だった。


 次は、本当の地獄――「家族裁判」の始まりだ。


 母と私、そして覚醒した美羽ちゃん。

 女三人が待ち受ける実家という法廷で、彼がどう贖罪するのか。


 徹底的に、絞り上げさせてもらう。

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