第1話:小さな違和感と、重すぎる「ごめんなさい」
ご覧いただきありがとうございます。
本作は、身内の無自覚なモラハラという少し重いテーマを扱いながらも、最後にはきっちりと膿を出し切る「救済」と「更生」の物語です。
専門知識を持つ姉が、いかにして「外面だけは良い弟」の仮面を剥ぎ取っていくのか。
全10話、本日一挙公開いたします。
最後まで一気に駆け抜けますので、どうぞお付き合いください!
「――はい、それではお薬を変えて様子を見ましょうね。無理はなさらないでください」
勤め先である心療内科の診察室から出てきた患者さんに、私は笑顔で声をかけた。
患者さんは少しだけホッとしたような表情を浮かべ、会釈をして帰っていく。
私の名前は相原玲子。
このクリニックで看護師として働いて十数年になる。
心療内科に来る患者さんは、体に傷があるわけではない。
けれど、心には他人には見えない深い傷を負っていることが多い。
声のトーン、視線の動き、服装の乱れ。
そして、言葉の端々に滲む「助けて」のサイン。
それらを読み取り、医師のサポートをするのが私の仕事だ。
その「観察眼」は、私のささやかな自慢であり、職業病のようなものでもある。
「玲子さん、お疲れ様。今日はここまでで大丈夫よ」
「ありがとうございます。お先に失礼します」
同僚に挨拶をして更衣室へ向かう。
スマホを取り出すと、時刻は十九時を回っていた。
夫と、小学生の娘、そして私の両親。
二世帯住宅での暮らしは賑やかだが、忙しい。
スーパーに寄って夕飯のメニューを考えながら、私はふとLINEを開いた。
トーク画面の上位には、弟の妻である「美羽ちゃん」の名前がある。
三つ下の弟・和也と結婚して二年。
三ヶ月前に第一子となる男の子・湊を出産したばかりだ。
私は彼女のアイコンをタップした。
以前はカフェのパンケーキの写真だったアイコンが、今は真っ白な背景に変わっている。
少し前からだ。
◇
『美羽ちゃん、育児はどう? 湊くんの首、もうすわったかな?』
昼休みに送ったメッセージに、既読がついている。
返信が来たのは、私が仕事をしている最中の十六時頃だった。
『お義姉さん、お疲れ様です。返信が遅れてしまい、本当に申し訳ありません。湊は元気です。首もだいぶしっかりしてきました。ご心配をおかけしてすみません』
画面を見つめ、私は小さく首を傾げた。
(……また、謝っている)
美羽ちゃんは元々、真面目で控えめな子だ。
けれど、以前はもっと明るい絵文字を使っていたし、文章にも弾むようなリズムがあった。
それがここ最近、極端に「堅苦しい」のだ。
私はスーパーのカートを押しながら、返信を打った。
『謝らなくていいのよ(笑) 元気ならよかった。和也はちゃんと手伝ってる? あの子、外面はいいけど家ではだらしないところがあるから、遠慮なくお尻叩いてやってね』
弟の和也は、優秀な営業マンだ。
人当たりも良く、両親にとっても自慢の息子だろう。
けれど姉の私から見れば、彼は「甘やかされた末っ子」そのものだ。
母さんが何でもやってあげていたせいで、生活能力は皆無に近い。
数分後、スマホが震えた。
『和也さんはお仕事が忙しいので、家のことまで頼むわけにはいきません。私がもっと要領よくできればいいだけの話なので。ご迷惑をおかけしないよう頑張ります』
違和感が、胸の奥でチクリと刺さった。
「ご迷惑をおかけしないよう」?
家族間のLINEで、そんな他人行儀な言葉を使うだろうか。
それに、「私がもっと要領よくできれば」という自己否定のフレーズ。
これは、職場でよく目にする「心が風邪を引き始めた人」特有の思考回路に似ている。
育児ノイローゼだろうか。
初めての育児で、責任感の強い彼女のことだ。一人で抱え込んでいるのかもしれない。
私は少し踏み込んでみることにした。
看護師としてではなく、義理の姉として。
『美羽ちゃん、無理は禁物よ。今度の週末、私がそっちに行って湊くんを見ててあげるから、少し寝るといいわ。和也にも私から言っておくわね』
送信ボタンを押す。
これなら、「ありがとうございます、助かります」と返ってくるはずだ。
和也に気を使っているなら、小姑である私(姉)が強引に介入すれば、彼女の罪悪感も薄れるだろう。
だが。
返信は、即座に来た。
まるで、スマホを握りしめて待っていたかのような速さで。
『いいえ、大丈夫です!』
強い否定。
そして続けて、追撃のメッセージが届く。
『本当に大丈夫ですから。和也さんには何も言わないでください。お願いします。私がちゃんとやりますから。本当に、お願いですから』
文面から、異常なほどの「焦り」が伝わってくる。
最後の一文には、絵文字もスタンプもない。
ただ、懇願するような必死さだけがある。
私はスーパーの精肉売り場の前で、足を止めた。
ざわり、と背筋が冷たくなる。
これは、「遠慮」ではない。
「恐怖」だ。
彼女は、何を恐れている?
夫である和也に「姉が手伝いに来る」と知られることが、なぜそんなに怖いのか。
私の脳内で、赤い警告灯が静かに回り始めた。
(……これは、一度「中」を見ないとダメね)
私はスマホをバッグにしまうと、無意識のうちに強く拳を握りしめていた。
画面の向こうにいるはずの弟の、人当たりの良い笑顔が。
急に、薄気味悪い仮面のように思えてならなかった。
第1話をお読みいただきありがとうございます。
主人公・玲子の脳内でパトランプが回り始めました。
家族間の「ごめんなさい」に隠された、異常なまでの恐怖の正体とは……。
第2話からは、玲子の「観察眼」がさらに鋭く弟を追い詰めていきます。
「続きが気になる!」「弟を成敗してほしい!」
と思っていただけましたら、ページ下部の【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にしていただけると、玲子の毒舌にさらに磨きがかかります!
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