2.二人の山越え
簡単に挙式が行われた。本来なら盛大に祝うところなのだろうが、私が忌み子であるという事実と、ルンドさんの早めに出立したいとう意向があったからだ。その日の夜のうちに村長の家で会食を行い、朝には村を出る事になった。
村を出る為の準備なんてやった事も無かったが、私の私物なんて着回しの衣服と少しの装飾品だけだ。それを見かねた彼が村人から外套を買って与えてくれた。
「山を越えなさるんで!?」
村長の驚いた声が響く。家で支度を終えた私はルンドさんが宿泊する村長の家に向かう。すると家の前で村長とルンドさんが話をしていた。
「はい。理由あって山向こうのゼンダの街に向かわなければならないのです」
「しかし、この時期の山を行くのは寒風の吹く険しい道中になりますぞ?もしかした、雪の積もる場所もあるかもしれません」
「ですから、健康な娘を望んだのです」
どうやらルンドさんは山越えをするらしい。私の産まれた村は山裾にひっそりとある、寒村だ。時たま山を越える行商人等が立ち寄るくらいで、旅人なんてものは稀である。山は雪が振れば閉ざされる。それだけ険しい道が続いているのだ。
「やあ、サルアラ。おはよう」
「おはようございます。山に入るのですか?」
「そのつもりだよ。僕と行くのが嫌になったかい?」
ルンドさんはそう聞くが、私に選択肢など無いのだ。今頃家では私の寝所の藁を燃やしている頃だろう。帰る場所はもう無い。
「いえ、お供します」
「……そうか、良かった」
少し考えるような素振りをして、ルンドさんは荷物を揃えた。山越えの為にゴンバを一頭買い上げたらしい。ゴンバとは荷運びに重宝する魔物だ。四足歩行の獣で青の縞模様が特徴的な生き物である。
村長に見送られ私達は村を旅立った。少し小高い丘に登ったところで後ろを振り返る。私が産まれた村、私が育った村、私を除け者にした村。もう帰る事は無いだろう。私の胸にあるのはほんの少しの郷愁と、新たな人生への期待だった。
「この先の道が分かるかい?」
「私は二つ山までしか行ったことがありませんが、この子が道を知ってるはずです」
そう言ってゴンバを撫でる。ゴンバは言うなれば、貸し荷車だ。山を越えたら売り払い、山に入る時に買う。うちの村の収入の一部でもある。この子も若いゴンバでは無いから何回も往復しているはずである。任せて失敗は無いだろう。
「それは助かるな。さあ、行こう。先は長そうだ」
ルンドさんに背を押された、大きな手だ。この人が私の旦那様。少しだけ実感が湧いたかもしれない。
そこから三日間、私達は山道をひたすら歩いた。尾根を伝い、岩陰で野宿をし、少ない食料を分け合って食べる。意外だったのはルンドさんが私に手を出さなかった事。やはり小娘の体になんて興味が無いのかもしれない。それともそういうアクションを私からしなければいけないのだろうか。悩みながら道中を行く。
荷はゴンバが担ってくれている。私は歩くだけだ。山生まれの身にしてみれば、この程度、なんてことは無い。逆にルンドさんに疲れが見えていた。気遣って私は声を掛ける。
「今日はもう休みましょう」
「……そうだね。そうしようか」
辺りを見回して、崖下の窪みを見つける。あそこがいいんじゃないかな。
「あそこで夜を明かしましょう」
そう言うと、ルンドさんも頷く。
二人で野営の準備をする。実は私は着火の魔法が使える。これは産まれながらの才能次第で使えるようになるもので、こういった火種の無い場所では非常に便利な魔法だ。
「サルアラが魔法を使えて本当に助かるよ」
「あのルンド様。私の名前言い難くありませんか?」
「いや、そうは思わないが……そうだな。僕らは夫婦になったのだから、僕だけの愛称があってもいいか、サアラでどうだい?」
「サアラ……」
生まれてこの方、愛称なんてものを付けられた事が無かったので、少し不思議な感じがする。でも決して嫌じゃない。
「サアラと呼んで下さい」
「ああ、そうしよう。それと、食料は後何日分ある?」
「えっと、二日です。明日には山を越えられると思うのですが」
「そうか、じゃあもう引き返すのは無理だね」
「え?そう、ですね」
「まあ、ここまで来れば、もういいだろ」
ルンドさんはそう言うと、徐に詰め襟の服を脱ぎ始めた。筋肉質の体が露わになる。これはそう言う事だろうか。頬を赤らめながら、私は覚悟を決める。私達は夫婦なのだから、何もおかしい事はない。
だが、彼は荷物から毛皮のジャケットを取り出すと、それを羽織った。そして私の頭に手を置く。
「連れ出して悪かったな。街に着いたら、仕事でも探してやるよ」
「え?え?」
混乱する私をよそに、詰め襟の服を放り投げた。
「悪いが街に入るまでは付き合ってくれよ。夫婦てのは見栄えがいいからな」
そう言いながら、懐から魔法管を取り出す。岩に腰掛け、紫の煙を吐き出しながらそれを堪能していた。今まで、そんな物吸って無かったのに。
「私を、騙したんですか?」
「騙したわけじゃない。今は夫婦だ。街につけば他人になる、それだけだ」
「同じです。貴方の事、ちょっといいなと思ってたのに!」
「そりゃあ嬉しいね。俺の演技も中々のもんだ」
「あの時、美しいって言ってくれたのに」
「あーん。まあそれは本音だぜ。お前、貴族に売り込めば妾も目じゃないぞ」
複雑な気分だ。褒められているのにちっとも嬉しくない。
「ほら、これ食って今日は寝ろ。明日には街に着くんだろ」
干し肉を私に投げて寄越す。その仕草までまるで別人だ。こんな人が私の旦那様だったなんて!
悔しかったが、今さら帰るわけにもいかない。干し肉を齧って、腹を満たして、横になった。
横になると涙が出て来た。寝ようと思えば思う程、目の前の男をぶったたいてやりたくなって、目が冴えてしまう。
『サルアラ。こんな奴にもう付いて行く事ないよ』
私の中の悪魔がそう呟く。
「でも、そんな人でも今は旦那様だから」
人並みに幸せに生きる事が出来るのだと期待していた。それは今までの短い人生で願うべくも無かった事だったんだ。
『じゃあ、サルアラがこいつの主人になればいい』
「私が?」
『そうさ、力で捻じ伏せて、言う事を聞かせるんだ』
すると、私の体に力が湧いて来た。今なら何でも出来る気がする。
『さあ、この力で君は変わるんだ』
悪魔の囁きは甘く私の意思を刺激した。