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エッセイ・随筆集

日本の〝文民統制〟が孕む差別意識

初出:カクヨム

https://kakuyomu.jp/works/16816700426809476053/episodes/16818093093933863957

 先日(2025年2月5日)の予算委員会に関連して〝文民統制〟が話題となった。

 すなわち、元自衛官という出自の橋本幹彦衆議院議員(国民民主党)が、予算委員会に自衛官を呼んで答弁してもらうことを要求したものの叶わなかったことから「制服組が国会に立つことを阻む法的根拠はない」と訴えて委員会の対応を批判したところ、安住淳予算委員長(立憲民主党)から「シビリアン・コントロール(文民統制)の重みをわきまえて国会はやってきた。戦後、長いルールの中で積み上げてきたものだ」「行き過ぎた批判は看過できない」と一喝されたというものである。

( https://www.jiji.com/jc/article?k=2025020500891&g=pol )


 これを受けてSNSでは、橋本議員は自衛官出身のくせに文民統制を全く理解していない、怖ろしいことだという趣旨の投稿が次々に上がる一方、これとは全く逆に、いやいや橋本議員は正しい、安住委員長の方こそ文民統制の本質を理解していないという見解も複数展開された。つまり、対立する双方が、それぞれに相手方の文民統制に対する無知・無理解をあげつらうという、何ともちぐはぐな様相が呈されたのである。


 さて、それでは一体どちらが正しいのだろうか? そもそも文民統制とは何なのだろうか?


 文民統制、シビリアン・コントロールは、英語では、civilian control of the militaryやcivil control of the militaryと呼ばれる。この”civilian”とは、一般に「文民」と訳され、ロングマンの辞書によると「軍や警察の一員でない人物(anyone who is not a member of the military forces or the police)」とある。その文民によって軍が統制(管理・制御)される仕組みが文民統制とされる。

 ただ、文民統制(シビリアン・コントロール、civilian/civil control of the military)の文脈において「文民(civilian)」とは、単に「軍や警察の一員でない人物」というだけで事足りる話ではない。

 この文民統制の概念は、民主主義と密接な関係があり、主権者たる国民が軍という実力組織(暴力組織)をその支配下に置き、管理・制御していくという趣旨こそがその根幹と言える。しかし、大勢の国民が寄り集まって軍を直接的に管理・制御するなどということは現実的に不可能である。そこで、民主的な手続き(選挙など)を経たシステムが主権者たる国民の委託に基づき軍の指揮・統制を行うということになる。

 例えば、アメリカやフランスでは民主的な選挙で直接的に選ばれた大統領が軍の最高指揮官である。

 日本では衆/参議院議員選挙を経て国民から選ばれた国会議員が、国会において首班指名選挙を行った結果、選出された総理大臣が自衛隊の最高指揮官を務めている。

 イギリスでは、名目上、国王大権(Royal Prerogative)を有する国王にイギリス軍(His Majesty's Armed Forces)の最高指揮権が存するものの、権利章典(Bill of Rights)をはじめとする慣習法により国王の実権が次第に制限されてきた歴史があり、国王は君臨すれども統治せず(The King reigns but does not rule)という原則が数世紀にわたって続いている。したがって、実質的には首相(下院の多数派党の党首;慣習法に基づく)が国王大権を輔弼するという民主的なシステムが機能しており、このシステムのもと、軍の最高指揮権の実質は首相が保持している。

 ドイツやイタリアでも民主的な手続きを経て首相や国防相が軍を実質的に指揮・統制しており、他の民主主義諸国でも同様に、民主的な手続きを経たシステムで軍が指揮・統制されている。

 また、行政府の文民(大統領や首相など)による軍の統制のみならず、立法府である議会(選挙を経た文民たる議員が意思決定を行う場)による軍の統制も存在する。戦争や海外派兵など軍の重大な行動に際しては、行政の命令のほかに、議会における監視や承認が必要となる仕組みであり、日本はもちろん、上述の米英仏独伊を含めた民主主義諸国で採用されている。


 以上をまとめると、軍という実力組織(暴力組織)は、行政府の文民の指揮下に置かれ、軍の重大な行動に関しては、行政府のみならず立法府の文民によっても管理・制御されるという仕組みが民主主義国においては整えられており、それが文民統制である。単に「文民(軍や警察の一員でない人物)」であれば誰でも可という訳ではなく、「《《民主的な手続き》》(選挙など)を経た文民」により、行政府と立法府とあいまって、軍という実力組織(暴力組織)を管理・制御することこそ、文民統制の本質であり、文民統制が民主主義と密接な関係を有する所以でもある。


 ところで、吾が国では文民統制ならぬ「《《文官》》統制」と俗に揶揄されるシステムが70年以上にわたって機能している。これは、いわゆる「背広組」の防衛官僚(文官)が、いわゆる「制服組」の自衛官(武官)よりも優位な立場を占めるという仕組みであり、この文官優位の仕組みは行政府と立法府の双方において存在してきた。具体的には、防衛庁/省内にかつて存在した参事官制度その他や、国会答弁は文官である防衛官僚が専ら務め自衛官が国会内で発言することを実質的に排除する慣行(現在も存在)などである。

 しかし、この「《《文官》》統制」は文民統制の本質との相関を決定的に欠いたものであると言わざるを得ない。

 なぜなら既述のとおり、文民統制は選挙などの民主的な手続きを経たシステムで軍を統制するものである。一方、文官も自衛官も、どちらも試験に合格するなどして採用されたpublic servant(公僕;現代的には公務員)であって、いずれも選挙などの民主的な手続きを経て保証された身分(国会議員など)でないという点で違いはない。したがって、同じpublic servantである文官と自衛官のうち、文官のみを優遇するというのは、民主的な手続きによって軍を統制する、文民統制の本質とはまったく無関係ということになる。

 民主主義がまだ十分定着していなかった戦後間もない頃の日本において、シビリアン・コントロール(civilian control of the military)と聞いて「シビリアン(civilian)」とは「軍や警察の一員でない人物(anyone who is not a member of the military forces or the police)」だから文官たる防衛官僚のことだろうと〝誤解〟した認識に基づき、防衛官僚(文官)が自衛官(武官)よりも優位に立つ仕組みが出来上がり、定着してしまったというものが、いわゆる「《《文官》》統制」の起源のようである。

 なお、昭和の時代の防衛庁に関係する、高級官僚などの要職には元の内務官僚たちが多く起用され、かつて軍人の横暴に対し言い知れぬ怨嗟を抱いていた彼らが、その意趣返しとばかりに自衛官(初期には旧軍出身者も少なくなかった)を厳しく冷淡に遇し、文民統制についてもあえて本質を歪曲して《《文官》》統制の仕組みが生み出されたとする、どろどろと妖しい情念を感じさせる穿った研究もあるが、ここでは詳述しない。


 同じpublic servantであるにもかかわらず、文官のみを優遇し自衛官を差別的に扱う歪んだ《《文官》》統制への批判は以前から存在した。自衛官などからは改革が要求され続けたが、文官の抵抗とともに、軍や自衛隊の存在そのものにネガティヴな見解を有する革新政党やメディア、学者らの強い反対に遭い、長らく放置された。

 その解消に政府がやっと重い腰を上げたのは、2006~2015年頃のいわゆる防衛庁(省)改革を通じてであり、1954年の防衛庁設置から実に半世紀以上が経過していた。

 これらの改革により、防衛(庁)省設置法の一部が改正され、参事官制度が廃止されたり、従来は防衛大臣が自衛官である統合幕僚長や陸海空各幕僚長に指示・承認・監督などを行う際、文官である官房長と局長が、自衛官と大臣との間に割って入るような形で大臣を補佐する体制だったものが、自衛官が文官と対等な立場で防衛大臣を直接補佐できる仕組みに改められたりした。また、文官主体の組織であった防衛省運用企画局が廃止されたことにより、部隊運用に関する事務を自衛官主体の組織である統合幕僚監部が一元的に担うようになった。


 このように行政府である防衛省内部においては《《文官》》統制の仕組みが改められてきたが、一方の立法府においては、自衛官を答弁者として国会に招致することを忌避する文官優位の原則がいまだに連綿と続いている。


 国民民主党の浅野哲衆議院議員のTwitter(X)への投稿によると、本稿の冒頭に言及した2025年2月5日の予算委員会では、事前に橋本議員が属する国民民主党の理事(浅野哲氏本人など)も交えた形で理事会が開催され、自衛官の答弁を希望する橋本議員の要求が協議された結果、現場を担う自衛官ではなく、防衛省の担当官が答弁を行う方針で委員長を含む理事各位の意見が収斂しゅうれんしたとのことである。

( https://x.com/Asano__Satoshi/status/1887159168639070443 )

 予算委員会の手続き論的観点からすれば、理事会の決定をないがしろにするような発言を行った橋本議員を、委員長がたしなめたこと自体は妥当であろう。

 ただ、これに関連して「〝シビリアン・コントロール〟の重みをわきまえて国会はやってきた。戦後、長いルールの中で積み上げてきたものだ」(安住淳氏)とか、「日本の歴史をふまえ、過去数千人の衆議院議員達が(与野党を問わず)60年以上にわたり、この慣例を維持してきたことの重み」(浅野哲氏)とかの言が飛び出してくると、首をひねらずにはいられない。

 これら議員の方々はいわゆる「《《文官》》統制」を是とし、今後も維持なさるご意図に見える。何とも釈然としない。文民統制の担い手である所の、民主的な手続き(選挙)を経た文民たる国会議員の皆さんは、果たしてどれほど文民統制の本質を理解なさっているのだろうかと危惧される。


 本件に関して、別の国会議員のTwitter(X)での投稿にも「文民統制上、自衛隊『制服組』が出るのを認めないとしたのは全会派一致の結論」との見解が示されていた。しかし、このTwitter(X)投稿で語られている〝文民統制〟とは本来の文民統制ではなく「《《文官》》統制」に過ぎないことはすでに述べたとおりである。

 日本と違って他の民主主義諸国(文民統制のシステムが当然存在する諸国)では、軍人が立法府である議会に呼ばれて発言を行うことは、ごく一般的に行われている。上で文民統制の例として示した米英仏独伊の外に、ノルウェー、スイス、ニュージーランド、カナダ、オーストラリア(これらの諸国はEconomist Intelligence Unitの調査によって民主主義指数が高いとされる)を始め、日本の近隣の韓国や台湾でも軍人が議会で発言する機会は普通にある。

 この例からも、国会で自衛官を答弁させない慣例など、文民統制とはまったく無関係という事実が立証される。


 この国会議員のTwitter(X)投稿はさらに「かつて軍部が台頭して軍事費拡大し戦争に突っ込んでいった歴史を振り返れば、文民統制(筆者註:実は《《文官》》統制)のルールがあってよかった、と心底思いました」と続き、別の議員の投稿にも「日本国憲法は、軍部に強大な権限を持たせ暴走を許した歴史の反省に立脚している」とあった。

 このように、日本では、戦前の歴史の反省といったような趣旨で、「《《文官》》統制」(文民統制の本質から外れ他の民主主義諸国の制度とも異なるもの)を肯定する意見が少なくない。確かに、歴史を振り返ってみると、政治と軍の関係に禍根を残した統帥権干犯問題や軍部大臣現役武官制、五・一五、二・二六などの反乱事件、満州某重大事件といった謀殺事件、満州事変における関東軍による不拡大方針の無視等々、軍の〝暴走〟と言えるような歴史事案が多々認められることは事実である。これらを論う人達は、日本の特殊な歴史的事情を強調することにより「《《文官》》統制」のような独自システムを正当化したいのだろうが、このように軍が〝暴走〟した歴史を持つ国は何も日本だけに限らない。

 ドイツしかり。イタリアしかり。韓国では、朴正煕元大統領がクーデターにより政権を獲得し、全斗煥元大統領も軍の力を背景に政権を維持した。光州事件などでは、韓国軍による多くの国民の虐殺があったとされる。台湾でも二・二八事件以降、白色テロと言われる多くの民衆の粛清・逮捕・拷問・処刑に軍が関与している。

 一方、日本では、現代の自衛隊はもとより、戦前の軍も、韓国の光州事件や台湾の白色テロのような、自国民に対する大規模な虐殺に関与する事件は起こしていない。

 それにも関わらず、ドイツ、イタリア、韓国、台湾などでは軍人が普通に議会で答弁し、日本では自衛官による国会答弁が忌避されていることに論理的かつ合理的な根拠は見いだせない。

 軍の〝暴走〟の歴史は日本だけの特殊事情でないにもかからわず、歴史の教訓なるものを盾に「《《文官》》統制」のような、日本独自の歪なシステムを正当化しようとする人たちの試みはナンセンスでしかなく、あえなく破綻するほかはないと考える。


 さらにまた別の国会議員のTwitter(X)投稿を見てみよう。自衛官出身の橋本議員を批判して「無知なのか無邪気なのか分からないが、国会で現役自衛官が国防語るようになると考えると、怖すぎます。憲法学んで欲しい」と書かれている。上記敷衍のごとく文民統制の本質を踏まえるならば、この投稿者こそ「無知なのか無邪気なのか」と評するしかない。特に「国会で現役自衛官が国防語るようになると考えると、怖すぎ」との言及には、自衛官がひとたび国会に呼ばれるととんでもないことを語り出し、怖ろしい軍国主義を招来しかねないとでもいうようなニュアンスが僕には感じられる。何を根拠にこのような妄想じみた発言ができるのか分からないが、この投稿者に内在する、自衛官を軍国主義者とでもみなすような偏見や差別意識が発露した印象である。


 ちなみに当該国会議員から透けて見えたものと同様の、自衛官に対する偏見や差別意識にあふれる発言は、一般の人からもSNSなどで実に数多く見られる。そして、それらの発言をする人達が、概して普段は、民主主義、人権、平和、多様性などを声高に主張していらっしゃるらしいことは非常に興味深い。


 戦後の昭和時代、いわゆる〝進歩派〟とされる人達の中には、反核、平和などを一方で主張しながら、もう一方では、ソ連や中国の核兵器開発を〝きれいな核〟と正当化する向きがあった。また、普段〝人権派〟を自ら任ずる教師が、自衛官の子女に対し「〇〇さんのお父さんは自衛官です。自衛隊は人を殺すのが仕事です。日本国憲法にも違反です」などと子供の心理を深く傷つけてしまうような、差別的で、現代ではモラル・ハラスメントに当たるような言動を、平然としかも正義面で行っていたという証言も少なくない。


 このような、かつての〝進歩派〟〝人権派〟の一部による、自家撞着に類する悪意が現在に至るまで温存されている例が、今般の衆議院予算委員会において露呈した〝文民統制〟を詐称する慣行である。

 同じpublic servantである文官と自衛官とをその属性によってことさらに弁別し「国会で現役自衛官が国防語るようになると考えると、怖すぎ」などと排除するのは、歪んだ偏見・差別意識以外の何物でもない。

 そもそも現代の現役自衛官は、皆戦後生まれであり、旧軍時代を知る人など一人もいない。それにもかかわらず、ステレオタイプで杜撰な連想により旧軍にまつわる負の歴史を現代の自衛官のイメージと安易に結びつけ、ネガティヴな印象操作を行うことは実にひどい人権侵害と言わざるを得ない。


 ある著名な作家のnoteには、数万人もの自衛官のうち、当該作家が接触したほんの幾人かに対する個人的な印象をもとに、これまで会った自衛官の中には、知見が深く尊敬に値する人もいたが、極めて偏った考えの人がいたなどと述べられていた。ただ、このようなことは何も自衛官に限らない。どのような属性にも様々な資質の人が存在するものである。では、自衛官でなく文官ならば大丈夫かと言えば、文官であっても、その最高ポストである事務次官を経験したような高級官僚が、汚職はもとより殺人の罪に問われたケースもあり、一概に〝大丈夫〟などと太鼓判を押すわけにはいかない。

 そもそも、職業などの属性で相手を判断すること自体、あまたの具体を捨象した偏見でしかなく、人権尊重に悖る態度でもある。


 ところで万一の話として、国会に招致された自衛官が何かとんでもないことを発言してしまったらどうなるのかを想像してみよう。この自衛官が仮にどんなことを口走ろうとも、そもそも国会における意思決定に当該自衛官が直接的に関与できる権限は何ら保持していないのである。国会における議決に参与しうるのは、民主的な手続き(選挙)を経て選ばれた議員のみである。せいぜい政府参考人に過ぎない自衛官の発言が、仮に妄言であったとしても、何を怖がる必要があるのだろうか?

 また別の観点からすれば、自衛官も日本国民であり有権者なのだが、その有権者に対して「怖すぎ」などという言葉を投げつけ、差別意識を臆面もなく曝け出す国会議員が存在することの方が僕には怖ろしい。

 この偏見に満ちた杜撰な内容の投稿を行った国会議員も、民主的な手続き(選挙)を経た選良であり、文民統制の担い手なのである。「憲法学んで欲しい」とは、まさにこのような議員に対し、有権者の立場から申し述べるべき言辞であることを強調したい。


 以上、縷縷述べてきたが、国会における自衛官の締め出しを「〝シビリアン・コントロール〟の重み」だの「過去数千人の衆議院議員達が(与野党を問わず)60年以上にわたり、この慣例を維持してきたことの重み」だのと語る国会議員に正当性があるのか否か、読者諸賢の考察の一助に供することが出来たならば幸いである。

 この国会議員らが語る「重み」とは、自衛官をその属性で差別し締め出しているだけという事実を鑑みれば、国権の最高機関における恥が数十年にわたりいまだ是正されず続いているという、負の意味での〝重み〟ではなかろうかと僕は考える。



                         <了>






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