エピローグ②
黄家の広大な中庭では雨花を中心にまるで戦勝ムードかのように賑やかだった。
ニイナは先頭に立ち雨花たちのいる今回、司令室の役割を果たしていた池の中心にある小島に設置された東屋から屋敷に続く橋を渡ったところの広場に向かった。
祐人の表情は硬く少し緊張気味であったがニイナは臆せずに進んでいく。
見れば秋華や琴音、英雄や大威、そして王俊豪も合流しておりそれぞれに怪我の治療を受けながらもそれぞれには笑顔が見られた。
「ちょっと、よろしいですか。大変なところ申し訳ないのですが、黄家の方々に挨拶をしたく思いますのでお繋ぎしてくださいますでしょうか」
ニイナは近くの黄家の人間に声をかけて雨花のところに誘導してもらう。
黄家の者もニイナは客人として認識されており「少々お待ちください」と言われた後すぐに案内してもらえた。
「雨花さん」
「ニイナさん、戻ってこられたのですね。無事でなによりです」
雨花はニイナを笑顔で迎えるとその後ろにいるアローカウネや祐人にも視線を移したがそちらには触れずにニイナの手を握った。
ニイナはその雨花のあり得ない反応を見て改めて胸がチクリと痛んだ。
(こういうことなのね……祐人を見ているのにまるで気にも留めなかった)
今回の騒動を治めた最大の功労者であるはずの祐人をスルーなどあり得ない。ましてや雨花は祐人を心から気に入っていたはずなのにだ。
「はい、先ほどはご配慮くださりありがとうございました。結界も消えたのを確認しすべてが解決したのだろうと思いご挨拶に参りました」
「ご丁寧にありがとうございます。今回、こちらには秋華の友人であるニイナさんを巻き込んでしまった自覚がありましたから申し訳ない気持ちがあったのです」
そう言いニイナは「なるほど」と思った。
(重大な記憶が無くなった場合、普通、混乱をきたすものだと思っていたけど微妙に記憶や理解がずれているんですね)
雨花との僅かな会話の中にニイナは違和感を覚えて逆に納得した。
祐人の存在が消えてしまったためか自分が秋華の直接的な友人というポジションになっている。実際は祐人が秋華に依頼を受けて自分はそれに無理やりについてきており、秋華にも歓迎されているわけではなかった。
(これも能力の反動による調整なのか、人自身が自分の記憶の矛盾を嫌がって帳尻を合わせるように認識を調整してしまうのか、分からないです。ただ……)
分かっているのはこうやって祐人の存在がなかったことになってしまう、ということだ。
ただ自分もそうだったがそれは無理があるのだ。
どうしても所々で無くなったパズルのピースのように状況が説明できなくなる。
それは祐人に近しい人や何かしらの想いを祐人に持っていた人間ならなおさらだ。
ニイナは自分自身もミレマーでの記憶を辿る時いつも違和感を払拭できず、不思議な焦りと寂しさを覚えて自分の感情の取り扱いに困ったものだった。
でもそれが……それを持ち続けたことが堂杜祐人へ再び繋がった。
自分の記憶、想いを探し続けたことが祐人を思い出すことに繋がったとニイナは疑わない。
(じゃあ、私のすることは決まっているわね)
「雨花さん、秋華さんたちにお話をしても大丈夫でしょうか。まだお身体も精神的にも大変な状態だと思いますが……どうしても友人として無事を喜びたいんです」
「ええ、もちろんです。疲れてはいるでしょうが大事な友人ですもの。むしろ会ってやってくださいな」
雨花はそう言って奥にいる秋華たちのところへ自ら案内してくれた。
この時、一瞬、雨花が祐人へ視線を移したことをニイナは見逃さなかった。
その表情の変化も見逃さない。
だからニイナは希望を持った。
ニイナは振り返り未だに緊張気味の表情をしている祐人を勇気づけるように笑って見せ頷いた。
忙しそうに動いている黄家の従者たちの間を抜けると並べられた簡易ベッドの上で談笑している秋華たちがいた。
起きた出来事や怪我の割に元気そうにしている。
「秋華、ニイナさんよ」
「え? あら、ニイナさん」
琴音や英雄との話を止めて秋華はこちらに顔を向けた。
「秋華、私はまだやることがありますから後はお願いね。まあ、元気そうだから大丈夫でしょうけど一応、怪我人なんですからあんまりはしゃがないように」
そう言うと雨花はニイナに笑顔を見せ、そしてやはり祐人に視線を向けながら出て行った。
「元気そうで良かったわ、秋華さん。琴音さんも英雄さんもです」
「ふふん、私はそんな簡単にくたばらないわよ。天才だしね!」
胸を張って偉そうな態度をとり、横で琴音や英雄が苦笑いした。しかし、二人とも秋華が元気そうにしていることにホッとしている様子だった。
祐人はニイナの後ろから声を上げられずにいたが三人が元気そうに仲良くしている姿を見て心から嬉しそうにし、優し気に微笑んだ。
この時、琴音が祐人に吸い込まれるように凝視している。
英雄も体中に包帯を巻いている同世代のこの少年が気になるようで何者なのかを確認するかのように見てきた。
ニイナはこの状況を笑顔のままでしっかりと把握する。
「それはそうとニイナさん、まだいたんですねぇ。すっかり避難してそのまま一人で帰国するのかと思ってたわ」
秋華がいつもの小悪魔的な顔でニイナを牽制するように言う。
「ちょっと、秋華ちゃん」
「秋華! ニイナさんは心配してきたんだぞ」
「ふふん、別にいいじゃない。それよりも残ったお兄さんは私に任せて……あれ、お兄ちゃん? あれ?」
「さっきから何を言っているんだ? お前は」
「ふん、何でもないわよ!」
諫められても可愛くない態度をとる秋華も自分が何故このような態度をとるのか、と不思議に思ってしまう。そのような態度をとる理由が見当たらない。
ところがニイナはその態度に満足そうに頷いた。
牽制をする、というのは一体、何に? と思うのだ。また一人で、と強調したのはまるで誰かを残してあなたは帰ってもいいのよ、と言わんがばかり。
「ふふ、秋華さん、もちろん、帰りませんよ。だって私は報酬の確認をしに来たんですから」
「え⁉ 報酬? ああ……そうだったわね? うーん? あれ? 報酬って何の? いや確かに頼んだような」
「ちょっと困りますね。今回は私の社長に護衛を依頼しましたでしょう? ねえ、祐人」
「ええ⁉ う、うん、そうだね」
いきなり話を振られて狼狽える祐人だったがニイナの話に合わせて、という視線を受けて思わず頷いた。
「前金はもらっていますが依頼終了後に改めて残りの報酬をもらう予定でしたので振込みをお願いしますね。あ、口座は以前に振り込んでいただいた口座でお願いします」
「ええ? 振り込んだ? 私が?」
ニイナは殊更、大袈裟にため息をついて見せる。
「まさか、秋華さん。黄家の令嬢が契約を有耶無耶にするなんて恥ずかしいことはしないですよね」
「失礼ね、そんなのしないわよ! ただ今は多分……そう! 色々あって記憶が曖昧なの!」
「そうですか。ではこちらが契約書です。確認してください。ほら、ここにあなたのサインもあります」
秋華はニイナから契約書を受け取りまじまじと見つめる。
「た、たしかに私の筆跡だわ」
「じゃあ、よろしくお願いしますね。できれば一週間以内に入金をお願いします。では帰りましょう、祐人」
「ま、待って!」
そうくると分かっていたかのようにニイナは自然に振り返る。
「何ですか?」
「えっと、護衛したのはニイナさんじゃなく、そちらのお兄さんで間違いないわよね」
「当たり前です。私が誰かを護衛なんてできると思いますか? か弱い一般人ですよ、私は。今回、護衛をしたのはうちのボス、堂杜社長です」
「あぁあ、はい! 頑張らせてもらいました」
秋華たちの視線が集中し、ちょっと居心地が悪い祐人は頭を掻きながらお辞儀してしまう。
するとニイナは祐人に近づき「ごめんなさい」と言い、祐人の包帯の一部を解き始めた。
そして突然、顔が真剣そのものに変わり、声にも力が籠る。
「秋華さん、見てください。この全身のひどい痣や切り傷。肋骨は数本ヒビが入ってますし……この両手は当分、何を握っても激痛が残ります。仕事の依頼ですので当然だ、と言われればその通りですが……これだけは忘れないでください」
ニイナはここで振り返り、秋華だけでなく英雄や琴音を見回した。
「これはすべてあなたを守るためにうちの堂杜が死力を尽くした結果です。今、あなたが助かったのも琴音さんや英雄さんがその程度の傷で済んだのも堂杜祐人がいたからです」
ニイナから発せられる目に見えない迫力に皆黙った。
秋華でさえ茶化すことができなかった。
好戦的な英雄が黙っているのはニイナがそれを言っているというのも大きかったが英雄は祐人を見ていて何とも言えない感情が湧き上がっていた。
それを表現するには難しい。
ただ、ニイナの後ろに隠れているかのような同世代と思われる少年にまどろっこしくも歯がゆさが英雄にあるのだ。
この見たこともない少年に。
「大きく出たわね、ニイナさん。私たちは魔神二体と戦ったのよ、そんなの能力者の長い歴史の中でもめったにないはずよ。それをそんな風に言うなんてそこの堂杜さんも相当、凄い人なんでしょうね」
秋華がようやく口を開いた。
そして祐人を測るように見つめる。
「そうですね、うちの社長は凄い人です。だからそこに依頼をかけてきた秋華さんも見る目がありますよね」
「まったく……口の減らない人ね」
「あ、あの」
「なんですか、琴音さん」
「あの、私もその社長の堂杜さん? のことを思い出せないんですが面識があったのでしょうか?」
「ふふふ、琴音さん、変な質問をしないでください。琴音さん自身が面識があったかどうかを他人に聞くのはおかしいですよ。まあ、あったとしても思い出せないのなら気にするほどの人ではなかったということですから別にそれでいいんじゃないでしょうか」
ニイナは優しく微笑みながら答える。
「では帰りましょう。祐人」
そう言いながらニイナは解いた包帯を、体を労わるように優しく巻き直す。
祐人は内心、ハラハラしていた。
こんなことを言って黄家の人たちが激高しないか心配になっていたのだ。
しかも若干、ニイナさんが煽っているようにも思う。
ただ……それとは別に祐人には込み上がるものがある。
それは嬉しかった。
自分が言えないことを自分を覚えている人がこのように言ってくれたのはリーゼロッテ以来初めてのことだ。
だからなのか祐人は自然と感謝の気持ちが籠った顔でニイナを見つめた。
するとその時だった。
突然に秋華と琴音の表情が変わった。
まるでニイナを危険な人物として認定したような顔をしている。
祐人でさえ気づいたのだ。
ニイナが気付いていない訳はない。
だがニイナはその二人の視線を受け流すように相手にせず、包帯を巻き終えると祐人の腕に自分の腕を絡めた。
「ではごきげんよう。ここで私たちは失礼しますね」
秋華と琴音が何か声を上げようとしたがニイナはニッと笑い、それ以上は取り合わないと言わんがばかりにその場から去った。
それはまるで先輩の女性が後輩の女性をあしらったかのようだった。
ニイナたちが出て行った後、数分の沈黙が英雄も含めて支配した。
がそれを秋華が打ち破る。
「ああ、もう! 絶対に調べるわ」
「何をだ? 秋華」
「あの社長って言っていた堂杜さんよ! 契約した経緯とか自分が行ってきたことを思い出すの。変だけどどうしても思い出せないの。でもこんなのおかしい。魔神とのやり取りで混乱しているだけかもしれないからそのうち思い出すかもしれないけど待てないの」
「そうか」
「あれ? なんか否定しないんだね、お兄ちゃん」
「いや、俺は興味はないぞ! ただ……あの堂杜ってやつのことが分かったら俺にも教えてくれ。何故だか分らんがイライラというか何というかどうにも気持ち悪いんだ。俺も何かあいつにはあると思う」
珍しく兄妹ですんなり意見が纏まり、二人は自然と笑みが出た。
「それにね」
「そうだな」
黄家兄妹は同じ方向へ顔を向ける。
そこには————
顔をクシャクシャにして大粒の涙で泣くじゃくる琴音がいた。
「ご、ごめんなさい。自分でも分からないんです……でも止まらないんです」
「これで何もないわけがないわ。もちろん私だって……」
秋華の頬に涙が伝わる。
英雄は二人の少女の泣いている姿を見つめると何も言わずに横たわった。
「ふん、俺が怒る気にもならないなんてな」
そう言って二人の鳴き声を聞かなかったふりをして目を閉じたのだった。
この三人の姿を王俊豪は壁の影から見つめている。
「おい、亮」
「うん」
「俺たちもあの堂杜っていうガキを調べるぞ」
「はあ~、分かったよ。それにしても俊豪がお金以外に執着するなんて珍しいね」
「ふん」
俊豪はそう言って深く眠る重症の大威に目を移した。




