もう一つの戦い
祐人のたちが中国へ出発した前日の夕方、清聖女学院では髪が乱れた男女の学生がふらついた足取りで寮に帰宅していた。
二人は遠くを無言で見つめており、顔色も悪い。
「……袴田君」
「……何だね、水戸君」
「私……今日のことで出会ってから初めて袴田君を尊敬したわ……。これを一人で一週間こなしたのよね……」
「そうか……結構、以前から出会っていたと思うが、今日、そう思ったか。まあ、その評価はありがたく受け取っておくわ……」
静香は瞬きという機能を失った目で、顔はただ前を向き、口は力なく半笑いだ。
「私、ひどい女だわ」
「ど、どうしたんだよ、突然? 水戸さんは頑張った、そう、とても頑張ったよ!」
「でも私……親友を置いて……」
「言うな! 仕方なかったんだ! 仕方がなかったんだよ……この戦いは、恐らくまだ続く。俺たちは明日の戦いのために体を休める必要があるんだ!」
すると、二人の後方の校舎の方から悲鳴のような声が聞こえたり、聞こえなかったりする。
「静香ぁぁ! 袴田君! 助けてぇぇぇ! 無理! そんな恰好は無理だからぁぁ! みんなも騙されないでぇぇ、そんなの庶民の間では流行っていな……」
「袴田君……今、茉莉の悲鳴が聞こえ……」
「幻聴だ。そして振り返るな」
静香と一悟は顔を青ざめさせて、フルフルと体を震わせながらゆっくりと歩いていく。
そして、静香の歩みが止まると、急に頭を抱えて座りこんだ。
「私! 私は! 無理無理無理無理ぃぃぃ! あんなのフォロー無理ぃぃ! あれをどうやって日常に組み込むのよ!? 今日だけで『モフモフしっぽ組』と『天使の羽根組』の抗争が勃発! お昼には私のクラスにまで侵食してきて……」
「水戸さん! お、落ち着け! 忘れろ! 忘れるんだ! いいか? 俺たちは過去のことは捨てて、常に前を、未来を見据えていくんだ!」
と、その時、再び校舎の方から、
「嫌ぁぁぁぁ! 本当にこんなのが日本の文化なんですかぁぁ!? しっぽも羽根も無理ぃぃ! 私は胸を大きくするために、しっぽを生やすなんて無理ぃぃ!」
「ニョロ吉ぃぃ! 助けて! 何故、出てこない!?」
一悟はそっと静香の耳に手を添えた。
「今……ニイナさんと花蓮さんの声がきこ……」
「空耳だよ。さあ、水戸さん立ち上がって。仲間の犠牲を無駄にしないためにも……」
「う、うん……」
静香は一悟に手を借り、何とか立ち上がる。
「私たち……よくここまで……」
「クラスが違ったからな……。同じクラスの連中は……真っ先に……あの二人の毒牙に」
「先生たちは何をしているのよ!?」
「水戸さん……見ただろ? あの二人を前にして学校権力は……無力だ。既に数名の先生が、『モフモフしっぽ組』と『天使の羽根組』の幹部に納まっている」
「ああ、なんてこと……」
「しかも、どうやらこの二つの組織の序列は……すべて胸の大きさと腰つきの豊かさで決まる、というもの……。始まりが嬌子さん(マリオンの姿)とサリーさん(瑞穂の姿)の女性の色気とは? という談義から始まったものらしい」
「お、恐ろしい……それで、あの胸と大腿部と臀部を強調するような服装を強要しているのね……。それじゃ私とニイナさんはどうなるのよ!? 茉莉だって……あの中途半端な大きさの胸じゃ……。」
「ああ、あれでは、良くて中級構成員だろうな……」
「あ! そう言えば、男の子の試験生たちは!? この事態を修めるように動いたんじゃ!」
「水戸さん……男たちなど市民権すら与えられていない。祐人至上主義を掲げたあの二人にとって、他の男など最下層の住人……」
「……。袴田君はよく逃れて来れたわね」
「ああ、俺は過去の経験とその時に鍛えた精神力がある。あのみんなの素晴らしい姿は惜しいが、あれ以上のフォローは無理だった。それで写真だけ取って脱出を……」
「今、何て言った?」
「何でもない」
「……」
「オッホン! あれはな、動き出す前に止めなくては駄目なんだ。今回、クラスが違うために、それが俺には出来なかった。事が動き出した後になると……以前のように……」
「ああ、あの意味不明な堂杜君争奪戦……。確かにあの時のみんなは常軌を逸していたわ」
「さあ、行こう、水戸さん。明日になれば、また違うことが起きる。今度は必ず事前に止めないと」
「え!? これが明日も続くんじゃ……」
「いや、多分、そろそろ飽きるころだ。明日は明日の遊びを考えるはずだ、特にあの嬌子さんていう人は……。しかも、マリオンさんの姿というのがたち悪い。マリオンさんは信頼があるからな。だから、今日は戦略的撤退が必要なんだ! 明日のためにも!」
「……分かったわ。明日のために……ね」
「ああ……そうだ。明日こそ、白澤さんとニイナさん、花蓮ちゃんを救おう」
静香と一悟はお互いに覚悟を決めたような目で見つめ合い、力強く頷くと寮に向かって再び歩きだした……。
それは明日にもあるだろう激戦に備えるためなのだ。
だから仕方ないのだ。
「「「う、裏切り者ぉぉぉぉ!!」」」
その背中に茉莉、ニイナ、花蓮の悲鳴を背負ったとしても。
女子寮と男子寮に向かう道の分岐点。
一悟と静香は鋭い視線を交わす。
「……袴田君」
「うん?」
「堂杜君が帰ってきたら……」
「……ああ、分かっているよ」
二人はお互いの拳をトン、と当て合い、ニッと笑った……。
「「絶対に……」」
気のせいか、遠くの方から三人の少女たちの断末魔のような声が聞こえてくる。
「地獄を見せてやる!!」
「地獄を見せてやるわ!!」
そして、二人は互いに何故か陰が覆う顔をして背を向けてバッと走り出した。
二人はこの確固たる決意を胸に、決してその足を止めはしなかったのだった。
「裏切り者ぉぉぉぉ!!」
「お嫁にいけないぃぃ!!」
「私は関係ないぃぃ! ニョロ吉ぃぃ!」
((聞こえない! 聞こえなーい!!))