すれ違い⑥
「ぬう!」
百眼は月明りのみの山林の中で憎々し気に唸る。
先手を打たれたのだ。
祐人たちがこの人気のない山林に自分たちを誘ったのは分かっていた。当然、待ち伏せをしていることも。
だが、その程度のことで闇夜之豹に対して優位に立つことはない。
百眼にはその名の通り、自身から半径約800メートル以内の状況を見ることが出来る。さらには集中力を高めることでその範囲内にいる標的を前後左右から認識することが可能なのだ。
百眼の能力の特筆するべき点は、この大量の映像情報を混乱することなく処理する頭脳とそれら状況の分析ができる冷静さを持ち合わせていることである。
これが百眼を対人戦闘において指揮官の役割を担わせている理由ともなっている。
今、標的のマリオンがいる場所も確認済みだった。前方の山林内にある開けた広場の中央にいる。その近くで瑞穂を始めとする精霊使いたちがマリオンを守るように取り囲み、防御陣を築き、自分たちを待ち受けていた。
その百眼が今、焦りを隠しきれず横にいる連絡役の思念共有能力者に大声で指示を飛ばした。
「散開せず、2組になり北と南からしかけろ! 我々も行く!」
百眼はこの場に来た際、連れてきた6名の闇夜之豹にそれぞれ武装した工作員を3名つけ、6部隊に分けて包囲するようにマリオンたちがいる広場に迫るように指示を出していた。
しかし、現在はその内2部隊が襲われ、音信不通になっている。
精鋭闇夜之豹をこの忌々しい状況に追い込んでいる原因は……祐人だった。
(小僧がぁ!)
祐人は広場中央にマリオンを配置した後、自身は遊撃の任を受け持ちその広場から離れて敵を待ち受けていた。
祐人の移動速度は疾風のごとく、かつ不規則。また、山林の中でも草木を揺らさずに移動していることから、百眼もそこにいるのは分かっているのだが特定した場所を仲間に指示できないでいた。何故なら指示した時にはもう既にそこにはいないのだ。
そして、遊撃する祐人に強襲され2部隊が沈黙させられた。
闇夜之豹で優秀な近接攻撃を得意とする怪力の岩肌の男とまるで関節を持たぬ軟体の男だった。どちらも闇夜の中から忽然と背後に現れた祐人に、月明りを反射させた白金の鍔刀倚白によって切って捨てられている。
「百眼……分かっているわね? 失敗などはありえませんよ?」
「はっ! 分かっております」
どこからともなく発せられた姿の見えないロレンツァの声を聞き、緊張した声色で即座に答えた。
百眼はチラッと後ろに控えさている死鳥に目をやる。
死鳥の人質を奪われ、死鳥がどこまで自分たちの言うことを聞くのか読めなくなったことを恐れ、死鳥をこの場に控えさえたのが仇になった。
だが、あのたかがランクDのはずの小僧を抑えられるのは、この死鳥だけと否応なく理解させられる。
そして、もはや百眼に余裕などなかった。
「死鳥……お聞きしますが、依頼は完遂して下さいますね?」
「分かっている……あの少年を殺ればいいのだろう?」
「良いのですね?」
「フッ……お前は勘違いしている。奴らが匿ったガキどもが俺を縛るものだと考えているのだろうが、俺には関係のないものだ。あそこにいるのも自分たちでそう決めたのだろう。それに俺は受けた依頼を違えたことはない」
「それを信用しろと? それにしてはあなたはあのガキどもにご執心だった。我らに要求した便宜はすべてあのガキどもへのものでしたが?」
「……それは依頼を受けたからだ」
「は? 依頼ですと?」
「かつて瀕死の状態だった俺をその傷を癒す代わりに、あいつらの母親から依頼を受けたにすぎん。あいつらが自力で生きていけるまで面倒を見ろと。俺はその依頼を完遂しただけだ」
「……」
「既に俺は受けたものに対し、それ相応のものを渡している。お前らから引き出した報酬も含めてな。後のことはあいつらの問題だ。どう生きようが、どう死のうが……知ったことではない」
表情のなく淡々と語る止水を見つめ百眼は目を細め、眉根を寄せる。
(確かに……死鳥の名声を高まらせたものの一つは、受けた依頼を一度も違えたことはないというもの……。死鳥の本質には暗殺者として有り様があるのかもしれん。それに……悪仙、崑羊の弟子でもあることを忘れていましたね)
「分かりました。では、あの小僧の相手をお願いします」
止水は百眼に対し、何も答えることもなく闇に溶けるように姿を消した。
(よし! 敵の戦力を削れた。出来れば、もう少し削っておきたい!)
祐人は敵を待ち受けていた時に、敵が止水を温存させたことに気づいた。理由は分からなかったが、志平たちをこちらで保護したことが、何らかの影響を与えた可能性を想像した。
祐人は立ち止まり、山林に中から石を瑞穂たちのいる広場に放り投げる。その石は闇の中を滑空し、明良の1メートル前の地面に落ちた。
「祐人君からか! まったく、彼に驚かされるのは、もう何度目だ」
祐人が地面に円を描き、明良に連絡を石が飛んできた方向に情報風を飛ばしてほしいと言ってきた時、明良には一瞬、言っている意味が分からなかった。
だが、山林に隠れた祐人は定期的に違う方向から石を投げてきて、それを寸分たがわずに明良のいる目の前の描かれた円の内側に落とすのだ。
「今度はこちらか。祐人君! 敵は残り4部隊。離れたところにいる指揮官らしき奴は動いていない。うん? いや、敵は合流して北と南からこちらに来ようとしているようだ!」
明良は自身の探査風と四天寺家から来た土精霊術を得意とした精霊使いと協力して、地面の振動を把握し、敵の位置取りを祐人に風で伝えていく。
すると、先ほどと同じ方向から了解を意味する石が、明良の前の円に落ちてきた。
「……祐人さん、器用ですよね?」
「マリオン……こんなの器用なんて言わないわよ。ほとんど無駄にすごい隠し芸みたいなもんよ。本当に呆れるわ……祐人には」
「あはは……」
そんなことを言われているとは知らずに、祐人は移動を開始する。
(燕止水はまだ動いていない……)
祐人は気配や殺気には敏感だが、広範囲に亘って展開されて殺気を消されると、何となくぐらいに精度が落ちる。そのため、明良たちの索敵能力は非常に便利だった。
唯一、今、祐人がどこにいるのか分かる敵は、相変わらず自分を誇示するように仙氣を隠す気もなく纏っている燕止水だけ。
(僕と戦いたがっている……な。でも、それでは燕止水にとって志平さんたちは……。いや、まだ燕止水には機関が信用できるか分かっていないのもある)
祐人は闇の中を移動し、広場の北側に合流した部隊に向かおうとしたその時、表情を変えた。
(燕止水が動いた! こちらに……来る)
祐人はジーパンのポケットに入れていた、あらかじめマジックで印を入れている石を取り出し明良たちに投げる。
その石が明良たちのところまで飛来した。
「この石は!? 瑞穂様、マリオンさん、死鳥が来ます!」
「分かったわ!」
「はい!」
瑞穂とマリオンは顔を引き締め、敵の来襲に備え霊力を練りだした。
「志平兄ちゃん……怖いよ」
「大丈夫だから、みんなは寝てな」
「でも……ここは?」
ここは四天寺家の土精霊術で作られた地下空間だった。そして、瑞穂たちのいる広場の真下に作られており、明良のいる背後にその小さな出入り口がある。
この中に明良たちは匿い、数本の懐中電灯と地面に敷く毛布を志平や子供たちに渡していた。
「大丈夫だから……」
「ねえ、志平兄ちゃん、止水は?」
「わたしも止水に会いたい」
「止水にもその内、会えるから。今はここで我慢しよう。みんな一緒だから大丈夫!」
そう言いながらも子供たちの不安や心配を志平は見てとっていた。子供たちにとって、このような状態で不安にならない方が無理だろう。
こういう時は故郷の家でも同じようなことがあった。嵐の夜や獣鳴き声が聞こえる時などがそうだ。
そういう時、止水がいるということだけで子供たちに安心を与えていたのも覚えている。
何故なら少なからず、志平にとっても同じことが言えたのだから。
志平はまだまだ、自分が子供たちに安心を与える存在になりきれていないことを、悔しくも思った。そして自分に体を寄せて寝息を立てている子供たちの中で一番小さい玉玲の頭を撫でた。
その時……突然、この地下空間のすべてが地響きを立てて揺れる。
「これは!? 始まった……」
突然の地響きに子供たちは悲鳴を上げて志平のところに集まり身を寄せる。
玉玲は幸運にもまだ気づかず寝ていた。
「みんな大丈夫だからな! 心配すんな」
そう言い、志平は寄り添ってきた子供たちに手を回し抱きしめる。
(止水……。祐人……止水を頼む! 止水の心を解放してあげてくれ。何となく分かるんだ、止水が今、何を考えているのか……)
「話を聞け、燕止水! 志平さんたちは!」
「貴様と話す言葉を持たぬ。語るなら刃で語れ、堂杜祐人!」
「グウ!」
「!」
止水の棍と祐人の倚白がぶつかり合い、辺りの木々を凄まじい衝撃波でなぎ倒す。
静かな月明りの中、やや遠方から放たれた大きな衝撃音となぎ倒されていく巨木たちの方に瑞穂たちが顔を向けた
「あれは!? 祐人!」
「祐人さん!」
「来ます! 瑞穂様、マリオンさん、集中して!」
明良が大声を張り上げて二人に警鐘を鳴らす。
すると広場の南北から人影が見えてきた。
明良はこの広場の大きさに合わせて風の結界を張っており、正確にその侵入角度を把握している。
「瑞穂様! 南側から来る奴らの方が早いです。そちらに警戒を! 大技をかましてください! 北側は私たちで押さえます。マリオンさんは我々の防御に専念してください。何の能力者なのかまでは分かりませんから!」
その明良の言葉を皮切りに、辺り一帯は戦場と化した。