7.家庭の事情
俺は深々と頭を下げる玲奈へと手を伸ばし、彼女の後頭部を軽く引っ叩く。
「いたっ…」
ぺちっと軽い音と同時に、玲奈の小さな悲鳴が校舎裏に響く。
「なにすんのよ!」
「そこに頭があったから」
「近くに頭があったら叩くわけ!?」
「うん」
「即答!?ありえない!本当にあり得ない!」
そりゃあ目の前にお手頃な頭があれば気分で叩くだろう。
特に今日は、誰かの頭を叩きたい気分だったとしか弁明のしようがない。
俺はさっきの感謝のお言葉と打って変わって怒鳴る玲奈の小言を聞き流しながら、校舎の壁に背中を預ける。
「お前、どうして借金なんて取り立てられてたの?」
聞くかどうか迷っていたことを訊ねる。
玲奈の家は高所得者が集まる住宅街に家を連ねているはずなのに、どうして借金取りになんて追われているのか。
家庭の事情に踏み込むのはあまりよくないことなのだろうが、俺だって多少のお金を支払ったのだから聞く権利くらいあるはずだ。
俺が訊ねると、玲奈は詰まったように言葉を発さなくなり、俯き加減でその場にしゃがみ込んだ。
「お父さんが、高校時代の友達がお金借りるときに保証人になってたらしいの。…ソイツとは結構仲が良かったみたいで…事業もうまくいくだろうからって、軽い気持ちで保証人になったみたいで…ソイツが逃げたの」
「あるあるだな」
友達に保証人になって貰い、自分がヤバくなったら逃げる。と言う手を選択する人は、この日本にごまんといる。
人間なんて所詮そんなもんだ。
自分さえ幸せならばそれでよくて、友人だろうがなんだろうが、都合が悪くなれば切り捨て、都合が良ければ助けて…を繰り返す。
それはどの世界でも変わらなくて、一般人でもヤクザでも、全く同じようなことが繰り返されている。
玲奈は茶色の瞳で一度俺の方を確認すると、自重気味にハッと笑う。
「笑ってもいいよ。結局、ソイツが逃げてからウチは突然2000万の借金。最初は私のために貯めてくれてた学費を切り崩したりして、なんとか借金を返済してたんだけどね。家の雰囲気は最悪だった」
「そっか」
「それで去年、お母さんが我慢の限界に来て家を出て行っちゃってさ…お父さんはそれからどんどん引きこもるようになっちゃって、私が2年になったのと同時に、仕事辞めて帰ってきた」
だから玲奈は、2年になってから遊ばずに真っ直ぐ家に帰るようにしていたのか。
きっと父親が、また気持ちを切り替えて再就職すると思って帰っていたのだろう。しかし現実は残酷で、家に帰った彼女を出迎えてくれるお父さんは、全てにやる気を失った、抜け殻のような父親。
「そっからはアンタも見た通り、借金が返せなくて…家の前まで借金取りが来るようになった」
玲奈は借金を背負った理由を全て話し終えたのか、しゃがみ込んだまま諦めたような表情で俺を見上げてくる。
こう言う時、どう言う話をすればいいのだろうか?
ある程度思っていた通りの内容だったが、それから先の会話内容を考えていないという致命的なミスを犯した俺は、地獄のような数秒の間の後に声を発する。
「金、昨日ので足りたのか?」
「…足りた。残り1000万だったから、ちょうど返せた」
それはそれは、なんたる偶然。
昨日俺が借金取りに支払った金額が1011万だから、彼女の家の借金は、昨晩の時点で支払いが終了したということだ。
これで彼女は借金取りに迫られることもなく、余計な心配をせずに学校生活を過ごせるということになる。ここはひとまず、お祝いの言葉でも述べておこう。
「良かったじゃん」
「…全然良くない」
即答された。
俺が祝うと、玲奈は喜ぶような素振りひとつ見せず、険しい表情を浮かべている。
「借金は返せたけど、アンタに金を借りてる」
「あ、うん。そだね」
本気で返すつもりなのかは知らないが、彼女が1000万を本気で返すと言うなら、少なくともあと十数年はかかることだろう。
父親ももう働く意思がないようだし、借金がなくなって働く気になったところで、突然1000万稼げるわけじゃない。
俺に借金をしているから全然良くないと話す玲奈の瞳には、不安という感情が見え隠れしていた。
多分、俺が金をすぐに返せとか、変な要求をしてくるのではないかと考えているのだろう。
「別に、お前に何かしてもらおうって思って金を出したわけじゃない。いつまでに返せなんて期日を設ける気もないし、お前に変なことをさせる気もない」
「そんなの…」
「欲を言えばお金はチョロチョロでいいから返して欲しい…」
そんなの信じれるわけない!後でえっちなこと要求するんでしょ!なんて言ってきそうだから、彼女の言葉を遮ってそう呟く。
実際、俺は今お金に困っている。
欲を言えば、今すぐ5000円くらい返して欲しいものだ。
ちょっとカッコつけて期日なんて設けないと言ってみたが、やっぱりお金は欲しいし、俺が実家に帰るのを先延ばしするためにも、鼻くそ程度でいいからお金をください!お願いします!
玲奈は俺の願いを聞くと、ポケットから財布を取り出して中身の確認を始めた。
「ごめん、5000円しかないや…」
「ください!お願いします!」
俺は玲奈が5000円をチラつかせた瞬間、地面のコケに額を擦り付けて懇願する。
お願いお願いお願い!お金欲しい!まだ殺されたくない!
実家に帰ると死刑がほぼ確定している以上、ここはプライドなんて捨てて土下座してでも5000円を勝ち取る!
これがジャパニーズ土下座だ。
どうしてもお願いしたいことがあるときは、こうやって土下座をするんだと、まるで教本のように華麗な土下座を見せる。
我ながらうまく決まった。
人前で土下座をするのは人生初だが、昨日練習しておいて良かった。
これは対親父用に練習した土下座だったが、早速有効活用できた。
どうだ?玲奈。俺の華麗なる土下座を見て、お金を渡したくなっただろ?
そう思ったが、会心の土下座ができて誇らしい俺とは裏腹に、後頭部に向けられる視線はやけに冷たく、例えるなら後頭部に氷を当てられているような感覚だった。
俺はそのとき気づいた。
多分、コイツは今俺に汚物を見るような視線を向けているのだろうと。
しんと静まり返った校舎裏に、カラスの鳴き声が響き渡る。
お願いだから何か返事して!?早見さん!
次回、センチメンタルな俺。