18.挨拶
玲奈を丸め込むことには、なんとか成功した。
まぁ、アイツには1000万という重すぎる借金があるわけで、拒否権がなかったのかもしれないが、おかげで俺の首の皮は一枚繋がった状態だ。
蝉の鳴き声が鬱陶しい真夏の朝に、俺は駅前で待機していた。
今日は待ちに待った夏休み初日。
陽キャ集団だと、終業式が終わってからみんなでお泊まり会なんてするのかもしれないが、陰キャ3軍の俺には関係のない話で、終業式が終わってから別荘に直帰していた。
いいもん。俺は陽キャじゃないが、沙羅と一緒に別荘で過ごしてるんだ。もう結婚したと言ってもいいくらいの新婚ほやほやだ。学級日誌があったら結婚しましたって書きたいくらいだ。連絡先は知らないけど。
でもまぁ、おかげで俺の生活は充実しているのかもしれない。
沙羅という同居人がいるおかげで毎日が楽しく感じるし、彼女の姿を見れなくても、一つ屋根の下で共に過ごしていると考えるだけで舞い上がってしまうほどだ。
青春ってすごい!
そんなことを考えながら、時計を見上げる。
時刻は10時を回り、ジリジリと気温が上昇しているのを感じる。
肌を刺すような直射日光は、まるでフライパンの上で焼かれているような奇妙な感触で少し気持ちが悪い。
その時だった。
駅の方から、真っ白な半袖のシャツにハイウエストロングスカートに身を包んだ茶髪の女が現れる。
俺はソイツに見覚えがあった。玲奈だ。
いつも制服姿しか見ていなかったから彼女の大人びた姿が新鮮で、好きでもないのに少し緊張してしまう自分がいる。
玲奈は俺を探しているのかキョロキョロと周囲を見渡すと、俺の元へと近づいてきた。
これで合流はうまく行った。
俺たちは連絡先を交換しているわけじゃないから、10時前後に駅前で待ち合わせという約束しかできなかった。
理由は単純、玲奈が俺との連絡先交換を拒んだからだ。
別に俺もコイツのことなんて好きじゃないし?と思って無理に連絡先を交換しようとせずに手を引いたが、やっぱりこういう時連絡ができたら便利だと思う。
玲奈は俺と1メートルほどの距離にまで近づくと、俺の顔を覗き込むようにして立ち止まった。
「あのー、すみません、この辺で陰険な眼鏡見ませんでした?めちゃくちゃダサい眼鏡の男です」
おい、嫌がらせか?嫌がらせなのか?
本人を前にして陰険だのダサい眼鏡だの言ってくるなんて、新手の嫌がらせでも思いついて実践しているのか?
まったく最近の若い奴は他人に嫌がらせをすることに長けているから困る。
まさか本人の前で侮蔑の言葉を並べるようなクソアマを、親父に紹介する日が来るとはな。
ここは俺も、玲奈のノリに乗ってやろう。
俺が適当なことを言えば、コイツもこのネタが面白くないことに気づいていつも通りに戻るだろう。
「ああ、ソイツならあっちに行きましたよ」
「ありがとうございます」
適当に指を指すと、玲奈は俺には見せたことのないような懇切丁寧な挨拶とお辞儀を見せ、しかも去り際に何度も会釈までしながら去っていく。
おいおいおいおい!
「待て待て待て待て!その面白くもないショートコントをいつまで続ける気だ!?」
ちょっと付き合ってやったら図に乗りやがって!貴様それでも俺から1000万貰った人間か!?
今から親父に会いに行くのに巫山戯る辺り、大したメンタルだ。お前中身に雨龍でも憑依してんじゃねえのか?とまで思ってしまう。
玲奈は振り返ると、俺を吟味するように見つめた後、バカを見るような視線を向けてきた。
「は?アンタ真面目ガネ?」
「そうだよ。陰険なめちゃくちゃダサい眼鏡の奴だよ!」
「いや、いやいやいやいや!は?え?どちら様ですか?何?工藤代行的なアルバイトでも始まったの?」
「おい!失礼な事ばっかり言うんじゃねえよ!そんなに俺の眼鏡が好きだったのか!?」
コイツらなんだ?俺の本体が眼鏡だとでも思ってるのか!?
沙羅もそうだったが、沙羅以上に玲奈の反応がおかしすぎる。
そりゃあ印象を変えるために学校で眼鏡を掛けているのもあったが、まさかここまで眼鏡イメージが定着しているとは思いもしなかった。
俺は家に帰るときはいつも眼鏡を外すから今日は眼鏡をしていないし、髪だってカップル風にするためにセッティングしてきたが、それでも気づいてもらえないのはショックだ。
「…どうやらホンモノみたいね。そんな顔してんのになんであんなクソダサい眼鏡つけてたわけ?古代エジプトの眼鏡みたいなアレ」
「おい、古代エジプトには眼鏡はないと思うんだが」
「知らないわよ歴史なんて興味ないし。兎に角私が知りたいのは、なんでそんな顔なのにあんな変な眼鏡掛けてたかってこと!」
なぜか知らないがめっちゃ怒ってる。
そんなに俺が学校で眼鏡を掛けているのが不満なのか?いや、眼鏡を掛けていないから文句を言っているのか?全くもって訳のわからん女だ。コイツ生理まだ終わってないんじゃねえの?
「お前、もしかしてまだ生理終わってないの?俺に八つ当たりすんなよ」
「死ね!」
俺が呟くと同時に、玲奈の右肩からそこそこ早い右ストレートが放たれる。
「うお!危ねえな!恥じる事じゃないだろ!生理現象なんだから!」
ギリギリのところで玲奈のストレートを回避した俺は、目尻に涙を溜めながら赤面する玲奈を睨んだ。
「人通りが多い中で生理とか言うアンタが悪いんでしょ!ざけんな!」
「ソイツは悪かった」
そんなに気にする事じゃねえだろ。胸のサイズばらされたわけでもあるまいし、幼稚だなぁ。
玲奈は深いため息を吐きながら、不機嫌そうに俺に背を向けた。
「なんで学校で眼鏡してんの?それだけ教えて」
めちゃくちゃ機嫌悪そうな声が聞こえてくる。
「そりゃあ目立ちたくないからだろ。俺みたいな陰険な奴はクラスの隅で眼鏡かけて小鹿のように震えてた方がお前も嬉しいだろ?」
「アンタが好きでそうしてるならいいわ。でもその素顔、私以外の女には見せないで」
「は?なんで?」
なんでそう言う話になるの?
まるで自分が俺の素顔を知っていることが特別みたいな、そんな大層なことでもないのに、なぜ俺の素顔を他人に見せたらいけないのか、全く理解できない。
玲奈は俺に背を向けたまま耳を赤く染めると、口元を腕で拭った様子で何かを呟いた。
「………だし。それに今は、私がアンタの彼女役だからよ…」
「それはあくまで彼女役だろ」
前半の方が上手く聞こえなかったが、役はあくまで役だ。
別にクラスメイトに素顔を晒すつもりなんてないが、なぜ玲奈に束縛されなくちゃいけないのか、理解できない。
コイツ本当に生理で頭おかしくなったんじゃないのか?