16.女の事情
翌日の放課後。
あと数日もすれば夏休みということもあり浮き足立つ高校生たちの奇声を耳に、緑のデッキブラシで地面を擦る。
これが俺の本職、清掃業務だ。
入学してからこのデッキブラシを握った回数で、俺の右に出る者はいない。デッキブラシ使いのプロフェッショナルと言ってもいいだろう。
俺は入学してから今日まで、体育の試験のたびに掃除をして点数を貰ってきたから、そんじょそこらのおサボりキッズたちとは〝格〟というものが違う。
今なら、逆立ちをしたままデッキブラシを使いこなせるんじゃないかと思ってしまうほどだ。
しかし今回は、俺のデッキブラシ扱いのテクニックなんかよりも注目すべき場所がある。
今日掃除をしているイカしたメンバーたちだ。
昨日声をかけてきた恭弥は当然のこととして、何故か玲奈や沙羅もプール清掃に姿を見せているし、男子よりも女子の方が多い気がする。
女子はプールを好まないと聞くが、もしかすると成績よりも自分のプライドを優先させたのかもしれないな。
ちなみに俺と沙羅との関係は、通常通りだ。
昨日、沙羅は俺が別荘に帰ると既に帰宅していたようで靴があったが、一度も顔を合わせることなく過ごした。
つまり進展がなかったのかよ。なんて言わないでくれよ。俺だって一つ屋根の下で好きな女の子と過ごせたのに、進展がなかったのはショックなんだ。その言葉は効く。
「なにボサっと突っ立ってんの?ちゃんと掃除しなさいよ」
「あ、早見さん」
俺が立ったままセンチメンタルになっていると、背後から脹脛を軽く蹴られ、振り返る。
振り返った先には、茶髪をポニーテールに結んで体操着をタンクトップのように捲っている玲奈の姿があった。相変わらず大きな瞳だ。くり抜いてネックレスにしたら高くで売れそう。
「早見さん体育サボりなんて珍しいよね。なんで休んだの?」
周囲を見渡しながら訊ねる。
幸い、プール清掃は仲の良いグループで固まってよろしくやっている人が多いから、俺が玲奈と話したところで騒がれる心配はない。
もし騒がれたとしても、玲奈に一方的に文句を言われていたと話せば済むだけであって、彼女との関係性を知られることはないと断言しても良い。
玲奈は俺が訊ねた瞬間、カチンと固まったように動かなくなり、どんどん表情が険しくなっていく。
「アンタって、マジでデリカシーないわよね」
「え?なんで…体育休んだ理由くらい教えてくれてもいいだろ!」
だって期末試験だよ!?どんな大層な理由で休んだのか気になるじゃん!
恭弥は右手を怪我して見学していたが、玲奈はぱっと見怪我をしているようには見えない。
元気に体操着も捲っているし体調不良の可能性は低いだろうし、本当に謎だ。
そこまで考えたところで、あることに気づいた。
男にはなくて、女にはあるもの。
水泳を見学するときに女子がよく使う切り札は…
「あっ、早見さん生理?」
その結論に至り、笑顔で呟く。
瞬間、俺の頭には脳天が勝ちわれるのではないかと思うほどの衝撃が走った。
「キッショい…アンタよく女子に向かってそんなこと聞けるわね…ほんと無理なんだけど」
玲奈の発言を聞きながら、遅れて気づく。
俺はデッキブラシでぶん殴られたのだと。
なんで生理の話をしただけでぶん殴られなくちゃいけないんだ。しかも拳ではなく、散々プールの床を擦ったであろうデッキブラシでだ。
目には見えない汚れが付着しているであろうデッキブラシで殴られたことにショックを覚える俺は、顔を真っ赤にしている玲奈を見上げる。
「早見さん、めちゃくちゃ痛い」
「ああそう?なら冷やしてあげるね?」
「あばばばば…」
おいやめろ!なんで水までかけてくるんだよ!
頭をぶん殴られて俺が倒れたのを良いことに、仰向けで寝ている俺の顔面に、玲奈はホースで水をぶっかけてくる。
呼吸ができない!
視界の端に微かに映る玲奈はキラッキラの笑顔で俺の顔面に水やりをしている。俺は花じゃないんだぞ。
コイツマジでひでぇクソアマだ!
クラスメイトをホースの水で溺死させてこようとするカースト1軍の早見玲奈の虐待は、1分ほど続いた。
「飽きた」
「はぁ…はぁ…飽きたってなんだよ!?」
眼鏡が水浸しだ。
せっかくプール清掃前にに曇り止めのスプレーまで掛けたのに、玲奈のせいで全てが台無しじゃないか!
そもそも生理がなんだよ!別にそのくらいいいだろ!恥ずかしがることなんてないじゃねえか!
玲奈に歯向かうともっと痛い目に遭いそうだから口が裂けても言えないが、彼女は俺を嬲って満足したのか颯爽と去っていく。
「派手にやられたな〜工藤。大丈夫か〜?」
玲奈が立ち去ると、俺の元には入れ替わるようにして恭弥が現れた。
きっと俺がやられる無様な光景をどこかから見ていたのだろう、全身水浸しの俺へと手を差し出してくれる。
恭弥きゅん、俺と結婚しない?
きっとコイツみたいなやつが漫画の主人公なんだ。
顔も良くて性格も良くて、おまけに空手を習っているから強いだろうし、女のピンチに颯爽と駆けつける姿が似合うことだろう。
まぁ、今回は女じゃなくて陰キャのピンチなんですけどね。
俺みたいな吹けば飛ぶ程度の雑草に手を伸ばしてくれた恭弥の手を取る。
「あはは…ありがとう、南郷くん」
恭弥は俺が手を掴むと、グイッと軽く引き上げてくれた。
「おう。…ところで、何話してたんだ?」
「えっと、早見さんが体育休むの珍しいからさ。休んだ理由を予想したんだ」
「休んだ理由?」
恭弥が興味深そうに反応を見せる。
俺の顔を覗き込み、早く教えてくれと言いたげな表情を見せる彼を見たとき、俺は気づいた。
多分、恭弥は玲奈に気がある。
まぁ、玲奈は顔は可愛いからな。モテるのも当然だ。
きっと恭弥は、玲奈の些細なことですら詳しく知りたいのだろう、俺は人差し指を立てて、玲奈の話をした。
「うん、早見さんが休んだのは生理だよ。それ当てたら怒っちゃってさ。ぶん殴られた」
「ああ…それはお前が悪いわ…」
「えっ」
俺が玲奈の休んだ理由を口にすると、恭弥は呆れたように呟く。何がいけなかったんだろうか?
「工藤、女子はな、自分の生理周期を男に知られたくないんだよ」
「そうなんだ?だからあんなに怒ってたのかー」
知らなかった!ウチは男しかいないから、生理が女子にとっては禁句だったなんて初知りだ!
それにしても恭弥は物知りだな。もしかすると俺みたいに、同じ過ちを犯したことがあるのだろうか?
「ま、今度からは気をつけろよー」
「あ、うん!そうだね。そうするよ!」
ありがとう恭弥!今日で俺はまたひとつ賢くなった!
沙羅に聞くときは、もうちょっとオブラートに女の子の日って聞いてみるよ!