12.過ちの夜
「ごめん、冗談」
俺のことをキモいと一刀両断した沙羅は、俺が膝から崩れ落ちるのを見て慌てて冗談だと訂正する。
「宮本…俺お前のこと本当に嫌いになりそうだった…今のは酷すぎる」
「その発言だと、元々私のことを好きだったように受け取れるけど」
「…いや、んなわけないでしょ。俺みたいな学生Aが、宮本みたいな可愛い女子に好意を寄せるなんて烏滸がましいと思わない?」
「眼鏡取れば問題ないと思うけど。ていうかいつもの鳥の巣の残骸みたいな髪じゃなくて、今みたいにちゃんと整えれば?そうすれば印象変わると思うけど」
鳥の巣の残骸!?
俺の髪のことを言ってるのだろうか?
あの寝癖を直しただけの無造作ヘアが、まさか鳥の巣の残骸だと思われてるだなんて知らなかった!
「そもそも工藤くん、その眼鏡って伊達眼鏡ってやつよね?なんでわざわざそんな昭和みたいな眼鏡掛けてるの?」
「おい!昭和生まれの人に失礼だろ!俺がこれを買ったのは令和だ!」
「あら本当?オーパーツか何かだと思ってたわ」
沙羅のやつ、薄々思ってたがやっぱりドギツイ!
こういう美人には棘があるとよく聞くが、棘が痛いだけの玲奈と違って沙羅の棘は1本1本に毒があって、言葉を交わすたびにダメージを負ってしまう。
「はは…工藤くんって、面白いのね」
「っ…ソイツは良かった」
好きな人に笑われると、さっきまでの屈辱が洗い流されて行く。
そういう笑顔もできるんだな。
この高校生活において、彼女が微笑んだ姿なんて見たことがなかった俺は、初めて見た彼女の笑顔を目の当たりにして頬を緩める。
沙羅は俺との会話がひと段落すると、玄関の先に見える白亜の螺旋階段へと視線を移し、指を指す。
「それじゃあ、2階を使っていいの?」
「うん。冷蔵庫とかは1階にしかないから冷やしたいものがあったら言ってくれ。あとは宮本さんも不安だろうし、俺が2階に行くのは避けるから」
「別に不安じゃないけど。ここまで徹底して部屋を分けてる人が、態々襲おうと画策してるとは思えないし」
「それ俺のことバカにしてる?」
「馬鹿にしてないけど、女性経験ないんだろうなと思った」
「それが俺の売りだからな。速く2階に上がってくれ。俺が泣きそうだ」
「そうさせてもらうわ」
沙羅と話すのは楽しいが、虐められてるような気持ちになる。
好きな女の子に虐められるだけ俺は幸運なのかもしれないが、たった30分程度話しただけで俺に女性経験がないことがバレたのは想定外だった。
背を向けて階段を登って行く彼女を、抱きしめたい。
そんな気持ちがないと言えば嘘になる。
…ただ、今それをすると彼女は2度とこの空間には戻って来てくれないだろうし、今の俺ができるのは、彼女が今後、この家に訪れやすい雰囲気を作り出すことだ。
今はまだ心の壁があるのかもしれないが、いつか沙羅が俺を意識するその日まで、この関係が続きますように。
心の中でそう願いながら、シャワーへと向かう。
今日は夏日ということもあって、随分と汗を流した。
汗でしっとりと濡れた制服を脱ぐ俺は、1人で使うにはやや広い脱衣所の中に制服を脱ぎ捨て、明日も履くズボンとベルトは足で払い、カッターシャツを洗濯機の中に投げ込む。
そして最後にカッターシャツの下に着ていた黒い半袖のシャツを脱ぐ。
俺が体育をずっと見学している理由は、このシャツの下にある。
別に身体が弱いとかそんな問題を抱えているわけではなく、もっと純粋にヤバいモノが、背中にあるからだ。
そんなわけで、俺は体育をずっと見学している。
教師には生まれつき身体が弱くて走るだけでも倒れてしまうと弱者アピールもしてるし、偽造された医療報告書まで作って貰っているから、特に問題はないけど。
とりあえず、今日流した汗を洗い流すことにしよう。
俺は風呂場の扉を開けて、真っ黒な風呂場の床に足を踏み入れる。
しっとりとした風呂場の床の柔らかさは、少し気持ちがいい。
俺が別荘で最も気に入っているのは、この1階のお風呂だ。
ガキの頃から2階の風呂は絶対に使わず、1階の風呂だけを使うことに人生を賭していた俺は、この歳になっても1階の風呂離れができない。もちろん乳離れはしてるぞ。
「はぁ…冷てぇ…」
シャワーの蛇口を捻って出てくる冷水を頭から浴びる俺は、疲れて眠りそうな全身を叩き起こしてくれる冷たい水で身体が跳ね起きる感覚を感じながら、身体を洗い流す。
「まさか…宮本をウチに連れ込む日がくるとはな…」
儚く終わるとばかり思っていた青春だったが、どうやら神は俺を見捨てていないらしい。
玲奈と知り合ってから、俺の周りを取り巻く環境が少しずつ変わってきている気がする。
思えば、玲奈がいなければ俺は別荘に住むという選択をしなかったわけで、そうなれば沙羅と放課後に鉢合わせることもなかった。
そう考えると玲奈は恋のキューピッドというヤツなのかもしれないな。あんなギャルっぽい女がキューピッドなんてなんだか笑えてくるが、俺にとってはあんな奴ですら天使なのかもしれない。
俺は体を洗い終えた後に、シャンプーで髪を洗い風呂を出る。
「はぁ…さっぱりした」
やはり夏場は冷水に限る。
お湯を使うのもいいが、水を使ったほうが気持ちがいいというか、この後汗を流さず快適に過ごしている気分になる。
籠の中に置いていたバスタオルを取って身体を拭く俺は、今日1日の出来事に満足しながら下着を手にする。
ちょうどその時だった。
コンコンと脱衣所内に扉を叩いた音が響き、俺は顔を上げる。
「どうかした?」
俺が返事をすると同時に、その返事を待っていたように扉が開き、黒髪に黒いワンピースを羽織った少女が現れる。
「2階にタオルがないみたいなんだけど、貸し…」
沙羅は最初こそ普通に話していたものの、扉を開けた先にいる俺がほぼ全裸…パンツ以外のものを何も着ていないことに気付いたのか、扉を開けたまま喋らなくなる。
「あ…なんで開けたの…?」
「だ、だって返事したから…」
唯一幸いだったのは、俺が既にパンツを履いていたことくらいだろう。沙羅は何度か口をパクパクさせながら何かを言おうとしているが、徐々に耳が赤くなってきて、顔を伏せた。
「ば、バスタオル!それだけ貰ったらすぐ行くから!」
「わ、わかった。確かここに…」
好きな女の子に裸を見られるのは初めてだから、俺も顔を赤くしたい。
沙羅が俺の体を見て耳を赤くしていることに気づいてしまって、なんだか変に意識をしてしまう。とりあえず沙羅の使うバスタオルを探すのが先決だろう。
「工藤くん…?」
俺が沙羅に背を向けてタオルを探していると、彼女の凛とした声が脱衣所に響き、俺は首を120度ほど回す。
「なに?」
「背中のそれ…何?」
あ、終わった。
俺は彼女が突然現れた驚きで、自分が隠すべきだったものをすっかり忘れていた。
頭隠して尻隠さずとは言うが、まさかち○こ隠して刺青隠さずになる日が来るなんて、思いもしなかった。