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第97話 「私の名前は」

 1日の仕事を終え、僕は持っているお金をありったけもって、あの部屋へと向かう。

 本当ならあんな部屋は2度と見たくない。けど通り道だから通らずにはいられない。

 なるべく見ないように、手早く済ませよう。

 そう思い地下室の扉を開く。


「ん、ここの使用か。では金を……ユイ!?」


 僕の存在に気付いたアストさんは驚いた声を上げ、目を見開いた。

 それもそうか、僕がこの部屋を快く思っていない、それどころか苦手と思っていることをこの人は知っている。

 だから僕がここを訪れたのが信じられないんだろう。


「……一応聞くが、ここを使いに来たのか?」


「はい」


「そうか……まあ、何も問題はないか。では銀貨を1枚よこせ。それ以上を希望するなら……」


「奥の部屋を使わせてください」


「なに?」


「あの、魔石の一族の少女がいる部屋を、使わせてください」


「……ユイも、あれ相手なら殴れるということか。よし分かった、使用を認める。ただ今日は予約が入っている。使用するなら1時間後になるが……」


「問題ありません。それと、連続して使うことは可能ですか?」


「連続して? まあ、今日はこの後の予約が入っていないから問題ないが、あの部屋は30分の使用で銀貨10枚だぞ? いったいどれほど……」


「金貨を3枚持ってきました。これでお願いします」


「金貨3枚!? お前、物欲がない奴だとは思っていたが、そこまでため込んでいたのか。まあいい。ここの使用時間も限度がある。とりあえずは金貨1枚を受け取っておく。1時間後にここに来い。そこから5時間はお前の時間だ」


「はい、わかりました」


 僕は金貨を1枚アストさんに手渡して、この場を後にした。

 我ながら不思議なことをしている。

 この金貨を上納金とは別にアストさんに渡せば、奴隷から解放される時が早まる。なのにわざわざ、女の子と話をするためだけにお金を使っている。

 以前の……いや、今の僕であっても、信じられない。

 むしろ人に対し過度に恐怖を覚える今の僕からすれば、ありえないことだと思う。

 けど、それ以上に彼女に、興味を引かれた。

 こんなに人と話をしたいと思ったのは、いつぶりだろうか。


     *


 1時間が経ち、約束の時間になった。

 僕はアストさんからカギを受け取り、奥の部屋の鍵を開ける。

 ドアノブに手を取り、カチャっと音を立てて扉を開ける。

 中には、昨日と同じように鎖につながれ横たわっている少女がいた。


「あ……」


 彼女を見た瞬間に、悲しい気持ちに襲われる。

 やっぱり、ここまでする必要があるのかと思ってしまう。

 魔石の一族は多くの人間を不幸にした、けどだからって、その罪を一人に押し付けることが正しいこととは思えない。

 いくら何でもやりすぎだと、そう思わずにはいられない。

 けど、僕にはどうすることもできない。

 さっきまではこの子と話をしてみたい、そう思ったけど、自分には何もできないという無力感から、自分から話しかけるということができない。

 牢屋を開けて中に入るも声をかけられず、僕はその場に座って、膝を抱える。

 少女は僕の姿を認識している。

 目が合うこともしばしばあって、そのたびに僕は目線をそらす。


 いったい、何をしに来たんだろうか?

 目的であった話すこともできず、ただこの場で座っているだけで、この子にとっては迷惑なだけかもしれない。気まずい沈黙の中、いろんな考えが駆け回り続け、頭がグルグルしてくる。

 そして1時間が経過したころ、彼女の方から話しかけてきた。


「あ、の……」


 息も絶え絶えな、かすかに耳に届くか細い声。

 僕は顔を上げて少女の姿をじっと見た。


「殴り、に、来たんじゃ……ないん、ですか?」


 少女はまるでそうすることが当然のように聞いてきた。

 自分を殴ること、それ以外にこの場に人が来るわけがないという確信があるのだろう。

 実際、ここに来る人はそれが目的であったのだろうから。

 わざわざお金を払ってただ座っているだけの僕は異質なものでしかない。


「いえ、殴るつもりは、ありません」


 事実、そんな気は毛頭なかった。もともとこの世界の人間でない僕は、魔石の一族がどれだけひどいことをしていたのだとしても、実害はない。

 だって僕がこの世界に来た時にはすでに、魔石の一族はこの子以外、滅んでいるのだから。

 僕自身が何かされたわけでもないし、仮にされていたとしても人なんて殴りたいとは思わない。

 僕にはこの子を殴る理由なんて一切存在しないのだ。

 ただ……話をしたいだけだ。


「殴らない、なら……なにを、するんですか?」


「話を……してもいいですか?」


「……はなし?」


 少女はキョトンとした顔つきで僕を見る。


「はい。ただあなたと、話をしたくて」


「……そう、ですか。わかり、ました。どうぞ、こんな私ですが、罵倒、してください」


「ば、罵倒って……」


「私の一族は、多くの命を、奪いました。恨み、憎しみ、私にぶつけに、きたんですよね?」


 少女の言葉が僕の心を痛めつける。僕にはこの子を痛めつけるつもりはない。体はもちろん、心すらも。

 罵倒なんて考えもつかなかった僕は少々呆気にとられ、再び沈黙してしまう。

 そんな僕を不思議そうに見つめる少女の姿は……やはり目を引いた。

 長い髪の毛の隙間から時折見える瞳は、額の宝石なんかよりも僕の目を引く。

 沈黙を貫いている僕であったが、少女から目を離すことだけはしなかった。

 ただじっと、視線を奪われ続けていた。


 10分ほど見つめて、僕は話題を考え始める。今日の目的は話をしに来たのだ、こうして少女を見つめるだけでは無意味すぎる。

 けど、何の話をしようか?

 目的は話すことだけど、肝心の内容を全然考えてなかった。自分はこんなにも後先考えない人間だっただろうかと自己嫌悪に陥るも、必死に頭を働かせて話題を考える。

 そして、話題ではないけれど、ふと思ったことを口に出す。


「あなたの名前は、なんですか?」


 多くの人はこの子を、あれとかこれとか呼び、他には魔石の一族と、名前で呼ぶことはない。

 誰も呼ぶことはない名前を知りたいと思い、少女に質問する。

 すると少女は、数秒黙りこくったのちに、口を開く。


「私の、名前は、な、まえは……」


 まるで忘れたことを思い出すかのように言葉を濁す少女。

 まさか自分の名前すらも忘れてしまったのではないかと危惧したが、少女は痛々しい笑みを浮かべながら、口を動かす。


「どうぞ、スカーと、呼んでください」


 少女……スカーさんの表情を見ると、胸が締め付けられた。それと同時に、名を教えてもらっことに喜びも感じてしまう。

 自分勝手な思考に気落ちしてしまうが、それでもスカーさんが名を教えてくれたことを契機に、僕は少ないながらも質問を重ねた。

 その質問は好きな食べ物とか特技みたいなレベルの、他愛もないものだった。けど質問のたびにスカーさんは困ったような表情を浮かべて、あいまいな返答をする。

 きっと、本当に答えがわからないんだろう。

 そうこうするうちに時間が来てしまったようで、ガチャっと音が聞こえ、入り口にはアストさんが立っていた。


「時間だユイ、今日のところはここまでにしておけ」


「あ、はい。わかりました」


 僕は慌てて立ち上がって扉まで歩いていく。


「ユイ、おまえ……」


 部屋の中を一瞥したアストさんは、訝しんだ表情を浮かべて僕を見た。

 何かやってしまったかなと多少の恐怖を覚える。


「え、ど、どうかしましたか?」


「……いや、なんでもない」


 その時のアストさんの表情は、少しうれしそうに見えた。

 アストさんの真意はわからなかったものの、特に問題行動をしたわけではないことにほっと胸をなでおろして、僕は部屋を出ていこうとする。

 けど最後に振り向いて、スカーさんに言葉を贈る。


「また来ます、お邪魔しました」


 思えば、奴隷を痛めつける発散場でこの言葉は不適切にもほどがあっただろう。


     *


「……あのひと、やさしいひと、なんだろうな」


 薄暗い部屋に一人、鎖につながれた少女がつぶやく。

 そのつぶやきは誰の耳にも届かず、誰に聞かせるものでもない。

 ただ少女が、己の心を完全に破壊しないようにするための、己の心を確認するための本音の吐露。

 この時だけは少女は正直な気持ちのつもりで、自分に言い聞かせるように言葉を吐き続ける。


「わたし、は、傷つけられないと……不幸にならないと、いけないから」


 それは、かつて誰かが言ったような言葉。

 少女は今、本心から自分は不幸にならなければいけないと信じている。

 だからこそ、あの少年の存在はノイズにしかならない。

 あの少年の優しさを無下にしないように、そして自分が不幸になるために少女のとった行動は、


「スカー……か。ごめん、なさい」


 自身の忌み嫌う名を呼ばせ、そのことを悟らせない。

 傷つかせる自覚なく己を傷つけさせる、それが少女のとった行動だった。


「私の、名前は……」


 誰にも届かない虚空に向かい、少女は自身の名前をつぶやく。

 少女は己の名前を確認するようにつぶやき、過去を思い出す。


 本当の名前を呼ばれたことが、一度もない過去を。

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