第93話 「アストさんの仕事」
この奴隷施設での生活が始まり、すでに1か月がたった。
はじめは不安でどうなることかと思ったけど、僕の仕事は黙々と野菜の皮をむいたり切ったりするだけの単純作業で、つらいことなんかは特に何もなかった。
同じ部屋に住むカルトさんも、一日目は僕に話しかけてくれたし、それ以降は仕事の関係か何なのかはわからないけど、この部屋には全く立ち入ってこないし、たまに帰ってきたら僕に楽しそうに話しかけてくれて、危害を加えようなんて気配は全くない。
端的に言って、僕はこの生活を少し気に入っている。
誰かと戦う必要がない。誰も僕を虐げたりはしない。
同じ奴隷という立場だからか、それとも単にここの人たちが優しいからなのか、理由はともかくたいして苦労しない人間関係は僕にとっては理想だ。
対人恐怖症、これ自体が治ったわけではない。
カルトさんとたまに話したりするだけでそれ以外は人とかかわりを一切持っていない。そんな状況では治るものも治らないのは百も承知だ。
けど、治す必要もないこの環境自体が、理想郷すぎる。
この生活もいいものだと思い始めたとき、
「おい、少しいいか?」
部屋のベッドで腰かけていると、扉を開けてアストさんが入ってきた。
「あ、はい。なんですか?」
「……今日の仕事は、もう終わったのか?」
「はい。1時間前には終わって、ずっと部屋にいました」
「そうか……早すぎるな」
アストさんは頭に手を当てて、何かを考えるそぶりを見せた。
「お前はある程度優秀な人間だと思っていたが、一人入っただけでここまで変わってしまうものか。仕事が早く終わるのはいいが、格差が生まれてしまうな。不満の捌け口を増やすのも……いや、今考えることでもないな。ユイ、今日はお前に要件が二つほどある」
「要件ですか?」
「ああ、まずはほれ、お前への給料だ」
アストさんから銀貨が50枚入った袋が渡された。
「あ、ありがとうございます」
「それとな、お前、明日は俺の仕事を手伝え」
「アストさんの仕事……わかりました。明日はどこに行けばいいですか?」
「時間になったら呼びに来る。お前はここにいてくれればいい」
アストさんはそれだけ言って、この部屋から出て行った。
アストさんの仕事か、何をやってるのかな?
明日の仕事が何なのか、楽しみ1割、不安9割の中、僕はこの日、眠りについた。
*
アストさんに連れられて、僕は施設から離れて久しぶりに地上に出た。
忘れていた太陽の光が体にしみわたり、なんともすがすがしい気分だ。
「今日は悪いな。では乗れ」
そう促され、僕は小型の船に乗り込んだ。
これからやることは、アストさんの身なりで何となく予想はついた。
上半身裸で、手には一本のモリ、船には大きな網やらなにやらが常備されており、つまりは漁をするということだ。
「普段僕たちは食べてるお魚って、アストさんが獲っていたんですね」
「全部ではないがな。だが大半はそうだ。こうして俺が大量に食料を調達し、日々の食費を浮かせる。結果としてお前たちから余分に金を調達できるというわけだ」
「それ、僕に言って大丈夫なんですか?」
「お前は気づいていただろ。まあ気づいていたかったとしても、バレたのがお前なら問題はない」
確かに気づいてた。ほぼ無料で調達していた魚の分を差し引いても、明らかに管理費として徴収される銀貨50枚が高すぎる。
いいとこ30枚、それでも多いかもしれない。
けど、僕は特に不満に思っていない。
お金をもらえるだけでもありがたいことだし、なんならお金がもらえなくても、虐げられないのなら問題はない。
「ちなみにだが、徴収する銀貨は10枚あれば事足りる」
「それはまた、随分と大胆なピンハネですね」
「本当にな。だがまあ、基本は奴隷なのだ、それでも破格の扱いだろ」
「確かに」
本来なら銅貨1枚すら支払う必要のない相手だ。
それどころか、働いてその後に殴られる、なんてことがありえても問題にならないのだ。
いくらピンハネしようと、悪とは言えない。
「それでも気づかれたら文句を言う奴隷もいるだろう。内密にしておけよ」
「はい」
わざわざ争いの火種になるようなことをいう意味がない。
僕はただ、穏やかに生活しておきたいだけなのだから。
「……そういえばなんですけど」
ふと、気づいたことがあり、僕はアストさんに話しかける。
「なんだ?」
「2つほどお聞きしたいんですけど、いいですか?」
「質問による」
「じゃあ……僕は、奴隷から解放されることってあるんですかね?」
「ああ、お前は借金も懲役もない奴隷だったな。そういうやつは、奴隷の相場、金貨20枚の納金で解放される。月に金貨1枚の上納金があるから、お前はこのままなら20か月で解放だ」
思ったよりも早い。
10年20年奴隷の可能性も考えていたけど、まさか2年もかからないなんて。
「で、2つ目は?」
「あ、はい。アストさんって、どういう立場のお人なのかなって」
「俺が?」
アストさんは奴隷を管理している人、割といい地位についているのかもと思った。
ピンハネの件も絡んでいるようだし、奴隷ではないんだろうなと考えた。
予想としてはこのシステムを作った組織の、いわゆる管理職みたいなものだと思っていたのだが、
「俺もお前と同じ奴隷だ」
予想に反し、アストさんも奴隷であった。
「奴隷の中では権限がある方だが、根本的な立場はお前と変わらんよ」
そう言って、アストさんは漁の準備を進め始めた。
あまり深く聞かれたくないのか、それからは特に何も発さずに、黙々と作業を始める。
いらぬことを言わなければよかったと後悔しながら、僕もアストさんを手伝う。
そして準備が完了し、魚を捕まえる仕掛けを設置する。
「よし、こちらの方は時間がたつまでは待機だ。その間、お前をこれを頼む」
アストさんから釣竿を手渡された。
これを使って魚を捕まえろということか。
「わかりました。アストさんは……そのモリで魚を獲るんですか?」
「ああ、では行ってくる」
間髪入れずに海に飛び込むアストさん。
僕の顔に水しぶきが思いっきりかかり、口に海水が入り込む。
しょっぱさに顔をゆがめながら、僕は釣り糸を海に垂らす。
*
釣りを始めてから2時間ほどが経過した。
アストさんはまだ出てくる気配がなく、静かに波が流れ続ける。
海を眺めながら、傍らの釣り上げた魚を一瞥し、また海を眺める。
そんな穏やかな時間が流れる中、水面に大きめの影が見えた。
割と大きめの魚が徘徊しているようで、その大きさは1メートルほどあるように見えた。
僕はその魚を見て、釣り上げてやろう、そんな気持ちがわいてきた。
釣りが好きなのかもしれない。
「……中々食いつかないな」
魚の姿を見てから5分ほど、僕の釣り竿には一切引っかかる様子がない。
いつかかるのかなぁとボーっとしながら釣り糸を垂らしていたんだけど、ふと思った。
あのあたりを凍らせちゃえばいいじゃん、と。
我ながら雑なことを思いついたと、思わず苦笑する。
「最近魔法を使ってなかったけど、うまくいくかな」
魔法を使う機会がなかったゆえに感覚を忘れつつあったが、そこは何日も特訓してきたもの、割とすんなりと海の一部が凍り付いた。
「……やりすぎたな」
海の表面が、10平方メートルほどの面積の氷が出来上がった。
明らかに調整ミスだ。魔法を使うだけなら問題ないけど、加減の仕方が下手になってる。
「ちょっと練習しようかな」
これも何かの機会だと、僕は魔法を使ってあたりを凍らせ始める。
大きめの氷塊、小さめの氷塊、囲いを作るように氷の壁を作る、氷で文字を作ってみるなど、色々と試すこと30分ほど、魔力の使い過ぎで少し疲れてきたなぁと思った頃に、
「ぶはぁっ!」
大きな水しぶきを上げて、アストさんが水中から出てきた。
「あ、おかえりなさ……」
と、言い終わる前に、アストさんが即座に船に上がってきた。
傍らには大量の魚が入った網を持っていたからさすがだなぁと思っていたら、
「ささささ、寒い! いったいなんだ、なぜ急に……!」
ガクブルと体を震わせていた。
「すいませんでした!」
原因が僕であることは即座に理解し、額を床にこすりつける。
これでもかと頭をたたきつけ、額がヒリヒリと痛くなってくる。
「あれは……氷か。そういえば、お前の属性は氷だったか。どうして魔法を使った?」
「あ、っと、最初は大きな魚を捕まえようとして。そのあとは、魔法の使い方が下手になっていたので、練習を……あれ、僕の属性、知ってるんですか?」
「ああ、お前を助けたとき、氷の板に乗っていたからな。おそらくはそうだと思ったんだ」
「あ、なるほど」
「で、練習だといったな。真面目なのはかまわないが、俺が海に入っていないときにしろ。お前の魔法は中々に強力だ。俺の身が持たん」
「本当にすいませんでした。以後気を付けます」
深々と土下座をしながら、僕は魔法を使うときは細心の注意を払おうと心に決めた。
「ふぅ、今日はもう、網を引きあげて帰るか。お前も結構釣り上げたようだし、問題ないだろ」
「すいません……、あ、網は僕がやります」
僕のせいで迷惑をかけてしまったんだ。
せめてアストさんの負担を少しでも減らそうと、網を一人でもって、引きあげようとする。
「いや、さすがに一人ではきついだろう。俺でも多少は重いと感じ……」
「えいっ!」
アストさんが言い終わる前に、網を一息で引き上げる。
中には無数の魚が入っていて、かなり大量だ。
案外軽かったな。
「お、おお……なあお前」
「はい?」
「闘士になる気はないか? お前なら相当稼げるぞ」
「いえ、それは遠慮しておきます」
せっかくの平穏な暮らし、無駄な戦いなど介入させてなるものか。
ここは魔道学園国家とは違う、戦わずに序列が落ちてスレイブになるなんてことはないのだから。
必要のない戦いなんて絶対にしない。
「そうか、お前の戦いを見てみたかったのだがな。気が変わったら言ってくれ。舞台はすぐにでも用意する」
そういわれ、僕たちは帰りの支度を進めた。
このあと、アストさんがご飯をおごってくれるというので僕はお言葉に甘え、一緒に食事をしていきました。




