第80話 「意味のない勝利」
「は?」
アイラさんからの言葉はわけがわからなかった。
僕に対して、つらかったのね、と言った?
なんでそんな憐れみの言葉を。
「こんな記憶、今まで見たことないわ。友人はおろか、家族からすら愛されないなんて……」
「ちょっと、待ってください。記憶? どういうことですか?」
「……苦痛の幻覚を見せるために、あなたの記憶を見させてもらったわ。あなたが何を辛いと思うか、苦しいと思うか、それをもとに幻覚を作り出そうと……けど……」
僕の記憶を見た?
そのうえで、つらかったのねと、同情の言葉をかけてくれた?
……なんだそれ。
「あなたの記憶が、想像以上に辛かったの。私は……これ以上あなたを傷つけたくない」
僕を可哀そうに思い、僕のことを本当に思ってくれているのが伝わってくる。
その思いやりが、とても腹立たしい。
「なんで……!」
拳を思いっきり握りしめ、爪が食い込み血が滴る。
そんなことがどうでもいいと思えるほど、僕はアイラさんが憎らしく思った。
「あなたはどうして……僕にやさしくできるんですか!」
あふれ出る激情を押さえられず、思わず声を荒げる。
「あの記憶を見て同情できない奴はただのひとでなしよ。あなたみたいな優しい人があんなつらい目にあってたなんて、可哀そうすぎるもの」
「なら……僕なんかより、アルちゃんにやさしくしてください! あの人は僕よりも、誰よりも優しい人なんです! 僕に同情できるなら、彼にもやさしくしてくれてもいいじゃないですか!」
関りの薄い僕にさえ同情できる心を持っているのなら、この人はそこまで冷徹な人ではないのだろう。
だとしたら、なぜアルちゃんにやさしくしない。
なぜ彼を化け物と呼び蔑むのか、全く理解できない。
そのことに、沸々と怒りが湧いてきた。
「あの子は化け物よ」
僕の叫びに、アイラさんは躊躇なく言ってのけた。
彼は化け物だと、曇りなき眼で断言した。
「どうして、そんなことを……!」
何もかもが納得いかない僕はさらに言及しようとするが、言葉を吐きだそうとする僕にアイラさんは背を向ける。
そして一歩踏み出すと同時に、きっぱりと宣言された。
「降参よ」
自身の敗北を認め、降参を宣言した。
「い、いいのかアイラ?」
唐突の降参宣言に、審判を務める教員が尋ねる。
「ええ、この勝負は私の負け。序列は急転直下、彼は序列2位、劇的な幕切れね」
まるで何でもないことのように言ってのけ、アイラさんはこの場をあとにする足を止めようとしない。
それがわけがわからなくて、無性に腹が立つ。
「待ってください!」
「なに?」
僕の叫びに、つまらなそうな顔で振り向くアイラさん。
最初からそうだったけど、戦意が微塵も感じられない。
「どうして……降参なんですか?」
「あなたに勝ちたくないからよ」
「そんな、そんなの……!」
「安心しなさい。約束通りあの子にはきちんと土下座するわ。当初の取り決め通り、裸でね。じゃあすぐ謝るから、あの化け物を呼んできて……ああいや、ここに呼べばいいか」
この場から去ろうとしていたアイラさんだが、一切悪びれることなく土下座を裸ですると宣い、その場に足を止めた。
そして彼女は大きく息を吸い、闘技場内に響き渡るほどの大声を上げる。
「いるんでしょ化け物! この私があなたに土下座するわよ! 来なさい!」
そう宣言した後、アイラさんは闘技場のある一点を見つめた。
その場所を見てみると、アルちゃんが立ちすくんでいた。
この場所からじゃ正確にはわからないけど、その顔は、悲しそうにしていた。
だからだろうか、アルちゃんはその場から一切動こうとはせず、この場に赴こうとしない。
それを見たアイラさんはため息をつきながら、自らの衣服に手をかける。
「はあ、あの化け物はイラつかせるわね。この場であの子に向かって謝るわ。それでいいでしょ?」
上着を脱いで、ピンク色のブラを露にさせた状態になっているのに、恥ずかしがる様子を一切見せずに、今度はスカートに手をかける。
僕はそれを見て、この勝負がいかに意味がない物かを、悟ってしまった。
この人は、土下座はおろか、裸になることすら何の抵抗感も感じない。
謝ることがただの作業になってしまっている。
僕が勝っても反省の気持なんか抱かないことはわかっていたことだけど、ここまで達観されると、この勝負がいかに無意味だったかを痛感してしまう。
「もう……いいです」
下着姿になって、その下着にすら躊躇せずに手をかけるアイラさんを制止する。
自分から始めたことなのに、このままじゃ意味がないどころか、悪い結果にしかならないと気付いてしまった。
僕は、なんて愚かだったんだろう。
「もういい? こんな半端で終わらせるつもり?」
怪訝な顔をアイラさんが見せるが、この場はもう、こうするほかない。
だって……少し考えればわかったはずのことだけど、こんなことをしても、何の解決にもならない。
それどころか、
「アルちゃんが、悲しみます」
あのやさしいアルちゃんが、自分のせいでこんなことになったと、自分を責める。
戦いを申し込んだ僕に対して、土下座をするアイラさんに対して、苦しくなるほどの罪悪感が抱かせる。
本当に、少し考えればわかったはずなのに、僕は自分の怒りに囚われて、アルちゃんの気持ちを蔑ろにしてしまった。
「いまさらね」
「わかってます」
「じゃ、私はもう帰るわ。序列2位、おめでと」
「……それもいらないです。あなたが序列2位で、いいです」
「私はもう負けを認めた。それは覆らない。それに、もうその肩書はいらないしね」
そう言い残し、アイラさんは衣服を拾い上げてこの場から去っていった。
僕も、愚かで無意味なことをした自覚と、アルちゃんへの罪悪感を抱いて、この場を離れる。
僕はいったい、何がしたかったんだろう?




