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第79話 「苦痛の幻覚」

「ふふ、あなたは今、どんな夢を見ているのかしらね。けどまあ、どんな夢にせよ、あなたの戦意はもう一切ない。なんていっても、愛にあふれた世界であなたはすでに至高の幸せを得ている。戦うなんて、バカらしいわよね?」


 自分の勝利を確信してるからか、長々と話し続けている。

 傍から見れば異様な光景だが、この学園の人から見れば普通の光景。

 だって、すでに勝負をついていると思っているから。

 だから、対戦相手に自分から向かっていき、完全に弛緩しきっている。

 隙だらけだ。


「さあ、あなたの幸せな顔を、私に見せ……ハッ!?」


 完全無防備なアイラさんの顔を、僕は鷲摑みにする。

 そしてアイラさんを転ばせ、地面に完全に押さえつけた。


「な、なんで、戦意を失ってないのっ……!?」


 僕に押さえつけられたアイラさんは、僕の腕をつかんで振り払おうとした。

 だけど、力は僕の方が上だ。この有利な体勢を絶対に維持する。


「あなたの幻覚は僕には効かなかった。それだけです」


 事実は違う。あの時、お母さんの笑顔さえ見なければ、幻覚であるということに気づかず、流れに身を任せていただろう。

 そしてあの優しい世界の虜になり、戦う気なんか一切なくなっていたに違いない。

 だから、違う幻覚を見せられれば今度こそ敗北は必至だ。

 この幸運を活かすなら、今しかない。


「勝たせてもらいます!」


 押さえつける力をさらに強め、とどめを刺そうとする。

 アイラさんは身体能力自体は平凡、こうなってしまえば僕に分がある。

 さあ殴れ。この人の顔を思いっきり殴ってやれば、うまくいけば一発で気を失わせることができる。

 僕の友達を、あの優しいアルちゃんを化け物と宣うこの人を、倒すことができる。

 ……なのに。


「は、離しなさい! 離せ!」


 いまだもがき続けるアイラさん。

 彼女に、拳を振り下ろせないでいた。


「幻覚が効かないなんて……どうして……」


 幻覚が効かなかったことが相当にショックなのか、僕の腕を引き離そうとするだけでそれ以外の抵抗をしようとしない。

 一瞬とはいえ幻覚にはかかるのだから、それでこの場からは逃れるのにそこまで考えが回らないようだ。

 この時間は少し長く続いている。

 アイラさんは魔法を使わず力だけでなんとかしようとし、僕もアイラさんを殴れないでいた。


 殴られる痛みを知っている。恐怖を知っている。

 そのことを考えると、恨めしいのに、怒っているのに、どうしても殴るという行為ができない。

 そんな僕に対し、


「く……やるならさっさとやりなさい! 情けなんかかけるな!」


 ついには早くとどめを刺せと言うようになった。

 かつて、ガルドさんも同じようなことを言っていた。

 はやく負けを認めればいいのに、プライドがそうさせるのか、絶対に自分から敗北を認めるようなことはしない。

 相手は負けましたとは言わない。なら言われた通り、思いっきりやればいい。

 そもそも、僕はアイラさんにムカついたからこの戦いの場に赴いたんだ。

 相手を気遣う必要なんかない。

 殴られる痛みを、恐怖を、教えてやればいい。

 傷つけられることがどんなことなのかを身をもって知り、アルちゃんに謝罪させる。そして二度と化け物なんかとは呼ばせない。

 握った拳を振り下ろして、殴りつけてやればいい。

 そう決意して、いざとどめを刺すと決めたとき……。


「幻覚魔法を使えばいいじゃないですか」


 無意識に口を動かしていた。

 確実な勝利が目の前にあるというのに、それを手放す選択をしている。

 自分でも訳が分からなかったが、アイラさんはそれ以上に混乱しているだろう。


「は?」


 怪訝な顔を見せるアイラさん。

 それは徐々に、怒りへと変わっていくのが見て取れた。


「通用しない幻覚魔法を? バカにしてるの?」


「幻覚にはかかります。僕の手は緩んで、あなたはこの窮地を脱せます」


「……ざけんな。ここを脱せても、幻覚が効かないんじゃ、意味がない。あれが私の勝ち方なんだよ!」


「苦痛を見せればいいじゃないですか」


「え?」


「幸せな夢を見せて戦意を喪失させるなんて回りくどいことをしなくても、苦痛を見せて、心を折ればいい」


 僕は何を言ってるんだろうか?

 苦痛を人一倍怖がっているくせに、こんなことを言うなんて。


「そうすればあなたは勝つんです。簡単なことじゃないですか」


「……何を企んでるの?」


「あなたにそれ以外の選択肢があるんですか?」


「ない……けど。でもそれは……」


 怒りの表情が薄れ、どこか歯切れが悪くなっていくアイラさん。

 やろうと思えばやれるはずだ。

 あの口ぶりからすれば、幸せな夢とやらは意図的に見せていたはず。

 なら、どんな幻覚だって見せられると考えるのが妥当だ。

 それが事実だと証明するように、


「むごい夢を見せてやる」


 意を決したアイラさんは、僕の腕を握っていた手を放して、僕の頭に手を置いた。


「……やるんですね」


「自分で言ったんでしょ? あなたが今まで味わった苦しみ、それをいっぺんに見せてやる。そのために……」


 アイラさんの魔力が僕の脳に通ってくる。

 ああ、これから、ひどい夢を見るんだろう。

 きっと今の僕じゃ、耐えられない。自らの自己防衛手段を持ちえない今の僕に耐えられる苦痛ではない。

 そんなことはわかっている、だけど、

 人を殴るのに比べたら、100倍マシだ。


「…………」


 覚悟をしていた。耐える覚悟でなく壊れる覚悟。

 アルちゃんに申し訳ないと思う一方で、もうしょうがないと、割り切って。

 目を閉じ、再び幻覚を見ることをジッと待っていると。いつまで経っても、幻覚に陥ることはない。

 目を開けて様子を見てみると、


「あっ……あっ……」


 苦しむアイラさんの姿があった。

 何が起きている?

 どうして僕じゃなくて、幻覚をかける側のアイラさんが苦しんでいるんだ?

 僕は押さえつけていた手を放して、アイラさんを解放した。

 するとアイラさんは頭を両手で抱え始めて、涙まで流し始めた。


「なによ、これ……! なに……いや! こんなの、見たくない! ふざけんなふざけんなふざけんな!」


「あ、アイラさん……」


 その尋常でない様子に、僕は思わず心配してしまった。


「くそくそくそ!」


 その苦悶の叫びは5分ほども続き、ようやくアイラさんが落ち着いたころ。

 僕のことを見つめてきた。


「あなた……」


 呼吸が荒くなっているけど、僕のことはしっかりと見据えている。

 疲れ切った表情をしながら僕を見て、息を整えてから、一言。


「つらかったのね」


 僕を憐れむ言葉が発せられた。

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