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第44話 「新たな課題」

 無事に研究工房への所属を済ませた僕は、瞬間移動での疲労がまだ取れないので、このまま家に帰ることになった。

 その際、セウルお嬢様からロイド先生を殴っていいといわれたけど、丁重にお断りした。


「ねえユイ、あなたはいったい何をされたら怒るの?」


 帰り道の途中、不意にお嬢様から尋ねられた。

 その質問に答えようと頭を働かせたが……一向に思いつかない。

 思えば、殴られたら痛い、罵倒されたら悲しい、苦痛を苦痛と感じる感性はちゃんと存在する。

 けど、それらに対する不満、怒りを感じたことは、ここ最近の記憶では存在しない。

 理不尽なことを言われても、しょうがないと割り切るようになってしまった。

 だから……答えられない質問に、僕は沈黙するしかなかった。


「はぁ……何も思い浮かばないのね?」


「すいません」


「いや、別に謝る必要はないのよ。あなたは優しすぎるだけだもの」


 優しすぎる……か。それはきっと違うだろう。

 きっと僕は、覚えていないけど子供のころは人並みに怒る感性は持っていたはずだ。

 泣いたり怒ったり悲しんだり、普通の子供だった。

 今の僕は、あきらめているだけだ。

 怒っても意味がない。最悪の場合、火に油を注ぐ行為だと思っている。

 だから、怒るという行為を無駄なものだと思い、頭の中から排除しているに過ぎない。


「ユイ、怒ったり怒らなかったりはあなたの感性だから何も言わないわ。けど、身の危険を感じた命令だったりお願いは、今度から断りなさい。わかった?」


「わかりました。心配かけて、すいませんでした」


「……全然信用できない。ねえ、どうしてもあの工房に入るの?」


「興味を持ってしまったので」


「それ言われたら、何も言えないじゃない。今後はくそ爺も監視してなくちゃ」


 今までの行動が理由だろうけど、全く信用されていない。

 でもお嬢様の心配通り、僕はきっと頼まれたら何でも引き受けてしまう。

 もう一度瞬間移動してみてくれって言われたら、たぶん受け入れる。

 死ぬほどの苦痛、それをわかっていながら拒絶しない僕は、どうしようもないくらい、壊れているんだろう。

 自らの欠落ぶりを再確認した僕は、家についてからも仕事を始める。


 体調不良、それが理由で帰っておきながらだ。

 お嬢様にもあきれられた。けど体は多少だるいだけで、もうだいぶ回復している。

 今働かないことは僕にとってさぼることになり、それを許容できる精神構造をしていない。

 ゆえにこうして、アニスさんと一緒になって夕食の準備を進める。

 アニスさんは味見専門だけど。


「うん、おいしいですね。ユイ君、また腕を上げたんじゃないですか?」


 味見というには大きすぎる一口で僕の料理を食べて、アニスさんは頬を緩ませる。

 褒めてもらえるのはいいけど、アニスさんの作った料理のほうがおいしいと感じる僕としては、ちょっと複雑だ。


「そういえばユイ君、今日は何があったんですか?」


「今日ですか?」

「なんでも体調不良を理由に帰ってきたらしいじゃないですか。今のユイ君は多少無茶しても大丈夫なように鍛えてるはずですが、それでも疲労を感じるほどの出来事があったのですよね?」


「別に、深い理由はありませんよ。実は今日、魔道具研究工房に入ることになったんですけど、その工房のロイド先生が……」


「は?」


「え……っ!」


 動かしていた口が、反射的に硬直してしまった。

 聞こえないくらいの小さな声の、アニスさんの一文字。

 その言葉自体は聞き逃しても問題はなかったことだろう。だが、無視できないものが、この場の空気をピりつかせる。

 無視できないアニスさんの放つ物……殺気だ。

 アニスさんから迸る目には見えない殺気が、僕の体温を急激に奪っていく。

 それにもかかわらず、体中から汗が噴き出して止まらない。


「あ、かっ……!」


 ピりつく空気、何とかしたいと口を動かそうとしたけど、うまく動かない。

 口だけでなく、手も足も全く動かず、呼吸すらも難しい。

 僕の体からすべての自由を奪うアニスさんの殺気。

 この状況が数秒たち、アニスさんは穏やかな表情を僕に向けた。


「そうですか、魔道具研究工房に所属したのですか。ユイ君、そういうのに興味があったんですね」


 先ほどまでの迫力が嘘のような。優しさがあふれているように見えるアニスさんの表情。

 硬直していた体は徐々に自由を取り戻し、下がっていた体温も平熱を取り戻しつつあった。


「ユイ君、どうしました?」


 理由は自分でも明確に分かっているだろうに、白々しくも聞いてくる。

 それは、今のことを何も聞くなと、そういっている風に聞こえた。


「は、はい……便利な道具がたくさんあったので、面白そうだなって」


「確かに、ユイ君は技術レベルの高い世界にいたんですから、この世界の水準以上の道具を目にしても、多少好奇心がうずくだけに留まるんでしょうね。馬鹿で理解できない人間にとっては、便利すぎる道具は恐怖しか抱かないですが」


「好奇心は確かにありましたね。魔力を使えば、僕のいた世界以上のものも作れそうな雰囲気はありました。ロイド先生は、たぶん天才だとおも……」


 ロイド先生の名前を出した瞬間に、アニスさんの表情がピクリと動いたのが見て取れた。

 先ほどの殺気の正体、それはおそらくロイド先生に対してのものだ。

 理由はわからない。アニスさんとロイド先生にどんなつながりがあるのかも想像できないけど、決して相いれない何かが存在することだけは、理解した。

 下手をすれば僕の首も飛ばされてしまいそうだ。

 念のため、エイジン様の前でもこの話はやめておこう。


「準備はできました。夕飯にしましょう」


 話を切り上げ、出来上がった料理をお皿に盛り付けて準備を始める。

 アニスさんは僕を手伝うでもなく、ただ無言でじっと、僕の動作を見続けていた。

 そして食卓に料理を置き終えてから、4人で食事をとり始める。


「ねえユイ」


 食事を始めて直後、お嬢様は料理を口に運ぶ前に僕に話しかけてきた。


「嫌いなものでもありましたか?」


「そうじゃないわよ。私に苦手なんかないわ。私が聞きたいのは、あのライムって女のことよ」


「ライムさん?」


 お嬢様とは実力差が天と地ほどあるライムさんを気に掛けるとは意外だな。


「ユイはさ、あの女と私、どっちが頭いいと思う?」


 ああ、そういうことか。


「思慮深さならお嬢様のほうが上ですよ」


「……なんか腹立つ言い方。頭の良さはあの女が上って言ってるようなものよね?」


「学力という面でみればライムさんのほうがお嬢様よりも上かもしれませんけど、頭の回転なんかはお嬢様のほうが高いと思ってますよ。ライムさんは残念ながら考えて動くタイプの人でもないですから」


「それでも複雑だわ。あんな奴よりも私のほうが頭が悪いなんて、認めたくない事実だわ」


 お嬢様はため息をつきながら料理を口に運び、その表情は浮かないものだ。

 確かにライムさんはパッと見は頭がよさそうに見えないし、人のことをナチュラルに見下し、自分こそが上だと公言してはばからない人だ。どんな失態を晒したとしても。

 けど、総合的な能力ではお嬢様の足元にも及ばない。

 きっと、ライムさんの欲しいものをお嬢様はすべて手に入れている。

 落ち込む必要なんて皆無だと思うけどな。


「ユイ君、学園でお友達ができたんですか?」


 落ち込むお嬢様を一瞥した後、アニスさんが僕に振り返って聞かれたのだが……友達、と言っていいのだろうか?

 ライムさんは僕のことを様づけで呼び、正直なところ関係性がよくわからない。

 本人に聞いたら、主従関係と躊躇なしに言いそうだ。

 僕が答えあぐねていると、アニスさんは続けてこんなことを言ってくる。


「どこからが友達とか、そういう明確な線引きが必要ですか?」


「……ほしいですね。僕が勝手に友達なんて言っていいかわからないですし」


「ユイ君、今まで友達いたことあります?」


「ありません」


「そこは悩むまでもなく即答なんですね」


「やめてユイ、それにアニスも。なんだか悲しくなってくるわ」


 僕の発言に対し、お嬢様は食事する手を止めて頭を抱えた。


「というか、あの女はよくわからない関係性だけど、ライは友達って言ってもいいんじゃないの? よく話してるみたいだし」


 ライさんか。言われてみれば、話す機会は結構多い。

 大抵の場合はライさんから話しかけられるだけで、僕から何か言うことはめったにない。

 それでも、友達といってもいいかもしれないレベルの会話は交わしているのかもしれない。


「そう……かもしれない、ですね」


「かもしれないなんだ。まったく、悲しい人生送ってきたものね」


 不満顔で再び料理を食べるお嬢様。

 気のせいかどうかわからないけど、僕についての会話をするとお嬢様は高確率で不機嫌になる。

 自分でも聞いてて気分のいいものではないとわかるけど、だからと言って気分のいい会話というものが、残念ながら全く思い浮かばない。

 こうして、僕のせいで変な雰囲気になって沈黙が続いていたのだが、アニスさんはそんな空気を一切読まず、思い出したように僕に一つの紙を差し出してきた。


「忘れないうちにこれを渡しておきます。確認しておいてください」


「なんですかこれ?」


 おつかいの紙か何かかなと思ってみてみると、その紙にはこう書かれていた。


 マグナ・ガンズ

 アル・クール

 アイラ・シィル


 人の名前……のようだけど、聞いたことのない名前だ。


「そこに書かれているのは、学園国家に所属する生徒たちです」


「はぁ」


「3か月以内に全員倒してください」


「……え?」


 突然の命令に、僕は思わず聞き返した。

 この屋敷にいるための条件、それは最低限の実力を示すこと。

 それは前回、この屋敷の侵入者と一戦交えたことでクリアしたはずだ。

 なのにまた課題を出されるなんて。


「ちなみに、達成できなかったら奴隷商に売りさばきますのであしからず」


「ぶーーーーーーー!」


 そのペナルティに、僕ではなくお嬢様が驚愕した。

 口に含んでいたものを僕の顔に盛大に噴き出して、怒りを露わにさせてアニスさんをにらみつける。


「ちょっと、私の許可を得ないでなに勝手なことを言ってるのよ!? いくらなんでもそんなこと、道理が通ってないわよ!」


 お嬢様の言う通り、アニスさんのこの課題は無茶な話だ。

 課題を出すこと自体、それはまだいい。問題はその罰の重さだ。


「道理はありますよ。学園に通うからには、この屋敷に住まう人間としてのふさわしい立ち位置というものがあります。奴隷という身分はどうしようもないことですが、それを補って有り余るほどの序列を得てもらわなければ、お嬢様にエイジン様、二人の品位まで貶めてしまいます」


「そんなの、勝手に言わせておけばいいでしょ! 大体、ユイを学園に通わせることにしたのは私とアニスの独断なのに、なんでそれでユイが被害を被らなけりゃいけないのよ! パパもなんか言ってやってよ!」


「いや、アニスの言い分にも一理ある」


「パパ!?」


「正直俺は、ユイの実力をまだ認めてはいない。序列というわかりやすい指標で示してもらわなければ、ユイがこの屋敷にいるということ自体、認めたくない」


 今更な話だ。

 侵入者を撃退とはいかないまでも、攻撃を耐えたことによってそれはすでにクリアされたことであるはずなのに。

 二人は淡々とこの課題の優位性を示そうとはしているが、徹頭徹尾無茶苦茶な話だ。

 ……けど、断る権利がないことはわかっている。


「わかりました、3ヶ月以内ですね?」


「ユイ!?」


 受け入れた僕に驚きの目を向けるお嬢様、そして数分の間不平不満の限りをぶちまけ続けたのだが、やがては諦め、この無茶苦茶な課題とペナルティは、成立してしまった。

 その後は気まずい雰囲気のまま、今夜の食事は終わりを迎えた。


 食事を終え、アニスさんに渡された紙を眺めていると、あることを思い出した。

 あれは確か、この屋敷に初めて来たときのことだ。

 アニスさんから渡された、一つの紙。

 当初はこの世界の文字がわからずに何が書いてあるのかわからなかったもの。

 そういえば放置してしまっていたと、僕はその紙を取り出した。

 その紙には、この世界の文字でこう書かれていた。


『6月6日、Xデー』と。


 この日付の意味することを、僕はいずれ理解する。

 ……しかしそれは、6月6日を過ぎた時のことだ、

 ちなみに今日は7月を越えてすぐ、Xデーまでは1年近くある。

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