第36話 「氷漬け」
制限時間は残り10分を切っている。
僕はクランさんがいなくなった玉座に腰を下ろし、静かに時が過ぎるのを待っていた。
別にさぼっているわけではない。今この時に至っては、僕があちこち歩き回る必要がないのだ。こうしてゆっくりと、おそらくもうすぐ来るであろうセウルお嬢様を、悠然と待つのが僕に残されたただ一つの道だ。
ただ一つと言っても、窮地に陥っているわけではない。お嬢様が僕の思い通りに動いてくれているのなら、万事問題なくことが進んでいる。
理想的なのは、クランさんが攻めた塔にお嬢様がいて、時間を無駄に浪費してくれているということ……。
などと理想論を考えていると、大抵はその通りには動かないわけである。
足音が聞こえてきた。
カツン、カツンと、塔をゆっくりと登ってくる音。
音から判断して、1人だけだ。
それだけで十分に分かった。
この場に赴いてきたのが、セウルお嬢様だけだと。
「あら、ユイ1人?」
戦争中とは思えないほど気の抜けたような発言をするお嬢様が、悠々と現れた。
まったくもって無傷の状態で。
クランさんとお嬢様にいくら差があると言っても、さすがに無傷はないだろう。
ということは、クランさんはお嬢様と鉢合わせせずに、今も戦ってくれている。
さっき考えた理想とは違うけど、それならそれで大歓迎だ。
だってこれで、もう王手だ。
「で、ユイ、何か面白い仕掛けでもここにあるのかしら?」
笑顔で僕との距離を詰めるお嬢様。
しかしその顔とは裏腹に、周囲への警戒を怠ってはいない。
「そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ? ここには一切の罠を張っていません」
「信用するわけないでしょ。あなたが良い子だっていうことは分かってるけど、アニスから教えを受けたユイは一切信用しないわ」
「それは逆にアニスさんへの信用とも取れますね」
「まあね。アニスはウザくておふざけばかりのどうしようもないメイドだけど、戦いに関しては別よ。私は序列3位だけどこの学園の誰にも負けているなんて思ってないし、戦えば勝つ自信だってあるわ。たとえパパ相手だって勝つ見込みはあるけど……アニスだけは別なの。全く勝てる気がしないわ。そのアニスの教え子のあなたには、絶対に油断しないわ」
まったくの予想外の言葉が飛び出てきた。
戦う前に言葉を交わして時間を浪費するのは望むところだ。
そのためにいくつか話題も用意していたのだけれど、それが吹き飛ぶほどのお嬢様の衝撃発言だ。
あの自信満々で傲岸不遜、高飛車でプライドの高い自尊心の塊のお嬢様が、明確に自分には勝てない人間がいると言ったのだ。
しかも、日々自らをおもちゃ同然に扱う相手に対してだ。
僕はただの興味本位で、この話を広げてみたくなった。
「アニスさんのどんなところに、勝てないって思うんですか?」
「あなた、アニスに訓練受けてて気づかないの?」
「僕自身もアニスさんに勝てる気はしないし、その理由もはっきりとしてます。けど僕ごときと同じ考えかどうかが怪しくて」
「相変わらずの卑下ね、今に始まったことじゃないけど。でもま、まずはユイの意見を聞かせてもらいたいかしら」
「僕の意見……ですか?」
「ええ」
会話の流れとしては普通のことなんだろう。
けど僕は、僕の意見を求められたことに素直に驚いてしまった。
今まではそんなことがなかったから……今はそんな考えはどうでもいいか。
僕は若干の戸惑いを感じながらも、意見を述べる。
「何をするか分からないところ……ですかね?」
「その通り!」
僕のお言葉に、お嬢様はビシッと指をさして同意した。
「そうなのよそうなのよ! アニスの奴、一体何するのかが全く分からないのよ。今回みたいな戦いはもちろんだけど、真正面から戦ったとしてもアニスの考えだけは全く見当がつかなくて、実際戦ってみると思いもよらない手で毎回、気付いたら地面に寝転がってるのよ! 搦め手を使うやつは今までにも何度か経験してるし、そういうやつらはたいていの場合初見でも対応できるのだけど、アニスのだけは絶対に対応できないの。しかもよ! 今までに喰らわされた手を使われても全く反応できないの! だからアニスには絶対に……勝てる気がしないの」
中盤までは勢いよくハイテンションで捲し立てていたけれど、最後の最後でプライドの高さゆえか、聞こえるか聞こえないかくらいの声でつぶやいた。
「分かりますよ、その気持ち。アニスさんは人の心が手に取るようにわかってみたいなんですよね。こっちの手の内は完全に把握されているのに、逆にアニスさんの考えはまるで分らない。あの人に勝てる人はこの世に存在するんですかね?」
「正直な話、アニス以上の力を持っている人間はいくらでもいるわ。単純な身体能力、魔力量から算出する総合能力では、私の見立てならすでにユイの方が上よ。けど……アニスに勝てる人間がいるなんて、私には思えないわね」
「そこまでですか……」
強いとは思っていた。
あの屋敷に住まう人間として最低限の能力を持っているということは分かっていたけど、お嬢様の見立てではアニスさんはこの世界で最強、ということらしい。
「それで、私が勝てないアニスから直々に手ほどきを受けているユイに、この私が油断すると思うの?」
「……思わないですね」
僕の知らない事情だから、正直高をくくってしまっていた。
お嬢様は僕相手に本気なんか出さないだろう。兎相手に全力を出す獅子ではないだろう。
そんな楽観的思考があったことは認める。
だからちょっと、ピンチです。
だって本当に、罠を張ってないんです。
「お嬢様、僕はどんな罠を張ったと思いますか?」
とりあえずハッタリをかましてみる。
時間はもう5分を切っている。あと少しくらいなら時間を稼げるかもしれない。
「…………」
無視された。
「お嬢様、そう言えば負けた時のペナルティって、どういうのなんですか?」
「晩御飯抜き。食堂で正座」
簡潔に言われて話を打ち切られた。
というか地味に嫌なペナルティだ。
ごはん抜きの上に正座なんて。
気が引けるなぁ。お嬢様にそんなことをさせるなんて。
「……ねえユイ、もしかして、何の罠も張ってないなんてことがあり得るのかしら?」
「張る必要のない場所に罠を張りませんよ。もしかしたら僕に触れると罠が作動するかもしれませんね」
いつまでたってもなにも起こらないのを確認して、お嬢様は僕に問いただしてくる。
そんな僕の反応を見て何かを察しようと思っているらしい。
「ああそうだ、もしかしたら塔の下に何か仕掛けがあるかもしれませんよ?」
「さすがにそんな誘導に引っかかるわけ無いでしょ。制限時間はもう2分、いちいち下に降りてたらその時点でタイムアップ、それまでにそこを明け渡してもらうわよ」
「僕はアニスさんのように強くないんで、お手柔らかにお願いします」
「全く信用してないからね。逆に信用してるとも言えるけど」
その言葉を最後に、お嬢様は僕に向き直った。
「どうやら、本当に罠を張っていないみたいね。ユイ、どういうつもり?」
「どうもこうも、罠を張る時間がなかっただけです」
「時間がない?」
もう時間はそんなにない。
なら、最後の時間稼ぎとしてネタばらしをしよう。
そして残り数十秒を使って、全身全霊の魔法を叩きこむ。
「何で時間がなかったか、分かりますか?」
「……何が言いたいの?」
「ついさっきまで僕はここにはいなかった」
「いなかった? じゃあ、ここはもぬけの殻だったわけ? ありえないわ、クランの奴がわざわざ遠くの塔を狙う意味がない。ここには誰かしらがいたはずよ」
「はい、いましたよ、クランさんがここに。で、そのクランさんにはさっき別の塔に行ってもらいました。いまごろいくつかの塔はクランさんが占領してるでしょうね」
「なっ……!?」
「あとちなみにですけど、この敷地の真ん中あたりの塔、あそこにも小細工してまして」
「そ、その塔なら私が陣地を制圧したわよ。囮を使ったみたいだけど、私が塔を制圧して、あそこは私のクラスの陣地に……!」
「見張りを一人置いておくべきでしたね。そのあと、僕が制圧しましたよ」
「嘘!?」
「てことはですよ? 中央の塔、そしてここと、クランさんが4つは制圧してくれていると考えて、今の状況が分かりますか?」
「……5対6で、私の負け……」
「その通り。もしクランさんが5つ制圧していたら、たとえここを制圧されてもお嬢様の負けです」
「ならそこを私の陣地にして速攻で別の塔に……!」
言い終わる前に、僕は渾身の力を込めて氷塊を作った。
直径にして3メートルほどの、僕が作りだせる最大の魔法だ。
日々の訓練で、ここまでの力を僕は手にしている。お嬢様に最初は才能がないと言われた僕だけど、やはり魔石の力はすさまじかったらしく、傷物になったとはいえ、常人以上の力を僕は手に入れている。
その魔力量は常人の実に10倍!
全力で魔法を放てば、さすがのお嬢様といえど……
「邪魔!」
お嬢様が手を一振りすると、僕の作った氷塊は一瞬にして砕け散った。
マジですかぁ。
しょうがない、使いたくなかった奥の手を使おう。
「速攻で倒す!」
息まくお嬢様が近づいてきた瞬間、僕は再び魔法を放つ。
自分に向かって。
「はぁ!?」
今、お嬢様の目に僕はどう映っていることだろうか?
全身が玉座と一緒に氷漬けになったこの僕の姿を。
「え、ちょ……えぇ!?」
薄れゆく意識の中、攻撃するかどうかオロオロしながら迷っているお嬢様の姿だけが、目に焼き付いていた。




