第2話 「複数の世界」
「さ、まずは家に帰るわよ。ユイ、その鎖引きちぎるから、ジッとしててね」
言われなくても体は動かないのだ。完全に体は拘束されており、頭を動かすことぐらいは出来るが、腕や足は全く動かない。
微動だにしないのだ。
「セウル様がそんなことをせずとも、この鎖は自動的に消滅して……」
「黙ってて。私が私の手でこの鎖を壊したいの。この子を解放したいの」
「……はい」
2人のやり取りを見て、僕の主人となったセウルお嬢様がいかに力を持った存在かが伺える。
セウルお嬢様は僕の体にまとわりつく鎖を握りしめ、力を込める。
さきほど見た光よりもさらなる輝きが鎖を覆い、僕を締め付ける鎖は一瞬で消滅した。
鉄は光となり、粒子となって消える。物理現象とは言い難い、非科学的な光景だ。
「……マジですかい。この鎖を消し去るって、人間技じゃありませんよ」
「失礼ね、こんなか弱い女の子に対して化け物でも見るみたいな目をして」
セウルお嬢様は心外だと不満そうな顔をしているが、この男と、そして周囲の人間たちの反応を見るに、今の行為がいかに異端で強大か思案するまでもない。
「ユイ、早く私の家に行くわよ。立ちなさい」
「はい」
命令されて、僕は立ち上がる。体が完全に自由になり余裕が出来たからか、僕は自分がある物を握りしめていることをようやく思い出す。
これは……宝石だ。大きさはそれほどでもない、しかしキラキラと輝くダイヤモンドが、僕の手の中にある。
僕は握っていたダイヤをセウルお嬢様や周りの人間に見つからないように、すぐにポケットの中にしまった。
自分でもなぜこんな行動をしたのかは分からない。普段の僕なら、たとえどんなに高価な物であったとしても人の物を自分の物にしようなんて思わない。
ましてこれは、おそらく盗まれた物だ。僕にナイフを突き刺した男は警察に襲われていた。
このダイヤがどこからか盗んだものということは明白だ。
そんな物を僕は、誰にもとられないようにしまい込んだ。
「どうしたの?」
僕の行動に不信感を感じたのか、セウルお嬢様は僕をじっくりと観察する。
「……いえ、僕の荷物とかないのかな、と思って」
「荷物? ああ、召喚される直前に持っていた物ね。ここにないってことは残念だけど、召喚されなかったってことでしょうね。召喚者の周囲から離れたものは召喚されないから」
うまく誤魔化せたと、僕はホッとした。持っていた荷物なんかどうでもいい。所詮は高価な物など一つも入っていないカバンだ。
あったとしても荷物にしかならない。
「それじゃいい加減ここから出ましょう。日が暮れる前には家に帰りたいから」
セウルお嬢様は僕に背を向けて歩き始めたので、急いでそれを追いかける。
今の僕にできることはこの人の後ろについて行くしかない。
奴隷である僕には。
お嬢様を追いこの場から出ると、すぐ目の前に妙な姿をした4本足の生物が待機していた。見た事もない、不思議な生き物だ。
馬とは違う。犬とも違う。
僕の知っている言葉で言い表すのなら……竜だ。
四足歩行の竜、という例えが一番しっくりくる。
「あの……これは?」
「ソウリュウを知らないの? あなたはずいぶんとこの世界から遠い世界から来たのね」
遠い世界、という言葉に違和感を覚えた。
ならば近い世界があるのか?
世界というものはそんなに複数あるものなのか?
などと疑問が浮かび上がる。
「セウルお嬢様、世界って色々とあるんですか?」
「そんなことも知らないの? こりゃ相当に発展の遅れた世界のようね。衣服は綺麗だから少しは文明レベルが高いと思っていたのに」
よく分からないけどいきなりディスられた。
僕自身、この世界のことを詳しく知っているわけではないが、単純な文明レベルならパッと見てこの世界より僕の世界の方が高い。
整備されていない地面、露店が多くスーパーなどの店がないことから、お世辞にもレベルが高いと言えない。
だけどそのことを言及はしない。
「まあ……レベルは低いかもですね。それで、世界って複数あるんですか?」
「もちろんよ。正確に何個あるかは分からないけど、数え切れないほど膨大な数があることは確かね。それに世界には様々な特色があって、極端に知能の低い世界があったり、逆にすごく知能の高い世界もあるのよ。まあどれだけ世界の数が膨大で、どれだけの数の人間がいたところで、私を超える優秀な人間なんて存在しないけどね」
自信に満ちた表情でセウルお嬢様は胸を張る。
世界が複数あって、数えれば無限に近い人間がいる可能性を考慮しながらこの子は、絶対の自信を持って一番の存在だと自負している。
これほどまでの自信はいっそ清々しく、一片の嫌味すらも感じられない。
「それじゃ、早くソウリュウに乗って」
「……これに乗って、帰るんですか?」
「もちろんよ。なに? ユイのところは常に歩いて移動するの? レベル低すぎじゃない?」
車が無い時点でこの世界のレベルが知れるな、と思ったことは絶対に口にすまい。
そう心に固く誓って、僕は指示されるままにソウリュウと呼ばれる生き物の背中に乗りかかった。
「ねえユイ、あなたの世界のことを教えてくれない?」
ソウリュウに乗って移動しながら、セウルお嬢様が僕に問いかけてきた。
心なしかその声は楽しそうに聞こえ、ちらっと見えた表情は非常にうれしそうだ。
まるでおもちゃを前にした子供のような、無邪気な顔に僕には見えた。
「世界のことって……どんなことを聞きたいんですか?」
「うーん……そうね、あなたの生活とか聞きたいわね。狩りとかしてる……風には見えないわね。文明レベルは低くても、ある程度は知能的な生活をしてたのかしら?」
「そうですね。知能的かどうかは分かりませんが、僕くらいの年齢の人たちはみんな勉強に勤しんでいましたね」
そして、ある程度のストレス発散を各々はしていた。
ゲームをしたり、友達と談笑したり、部活に勤しんだり……いじめたり。
「勉強かぁ。どんなことを勉強していたの? まあどれだけ勉強していても、私より優秀な人間はいないでしょうけど」
半ばバカにしたような言葉に聞こえたが、セウルお嬢様には悪気はないのだろう。ただ絶対の自信を持っているから零れ落ちた言葉だ。
自分が頂点に立っているという自覚ゆえ、全ての者は等しく劣っているのだ。
これは嘲笑でも嘲りでもない。ただ事実として認識しているだけだ。
「単純なことですよ。数学だったり国語だったり外国語だったり、歴史を学んだりもしましたね」
「へぇ、結構ちゃんとした教育機関があるのね。数学って算術のことよね? どこら辺のレベルまでやってるのかしら? 足し算引き算くらい出来るわよね?」
「今はベクトルの勉強ですね」
「……ベクトル?」
首をかしげるお嬢様を見て、やっぱりこの世界のレベルは低いなと再認識した。
「簡単に言うと、力の強さと方向を求めることです。この世界では違う言葉なんですかね?」
「……国語って、ユイの国の言葉はどんななの?」
強引すぎる話の切り替え、しかし僕はその切り替えの早さに感心する。
ここまで堂々とした話の挿げ替えは、ある意味清々しい。
「僕の国では、漢字とひらがなとカタカナ、この3つを並べます」
「3つ……この国でもサ文字、ウ文字、チ文字の3つを使うのよ。互角よ!」
別に僕は競うつもりはなかったんだけど、セウルお嬢様は非常に負けず嫌いらしい。
たかが言葉の種類であっても負けたくないとは。
ここは一つ奴隷として、主の機嫌を立てておこう。
「でも、僕の国で使う漢字は元は別の国からの流用なんです。カタカナも外来語みたいなものですし、正確には1種類だけですよ?」
「……そう、そうなの。そうよね! 扱える文字は一つのようなモノよね!」
我ながら無理のある理論だったと思ったけど、お嬢様は納得してくれたみたいだ。
というか、文字の数が多い方が複雑で分かりにくいから人としてのレベルは低いように思えるけど、まあそこら辺は置いておこう。
などと思いながら、僕はセウルお嬢様に聞かれるがままに質問に答え続ける。
1時間ぐらい経過してからだろうか、荒野の真ん中にポツンと……ポツンという表現には語弊があるかもしれない。
圧倒的な存在感を放つ巨大な館がそびえたっていた。