第10話 「戦闘訓練」
「……今、何時だろ?」
傍らに置いてある腕時計を見て、時刻を確認する。
時計の針は、朝の4時半を示していた。
「ん……よく寝た」
背中を伸ばし、肩に力を入れる。
これほどまでにぐっすりと寝たのはいつぶりだろうか。
少なくとも高校に入ってからは、3時間以上寝た記憶はない。
普段の3倍以上の睡眠をした僕は、かつてないほどに体の調子が良い。
「心なしか、体も軽いな」
簡単な体操をして体調を確かめると、どうにも力が有り余っているように感じる。
もしかしたらこれが、魔力に目覚めるってことなのかもしれない。
「さて、予定よりは少し早いし、散歩でもしよう」
僕は部屋から出て、屋敷の中を歩き回った。
廊下を歩きながら、まだ暗い外の様子を見る。
なんだろう、この暗さと、廊下の照明の薄暗さが、非常に心地いい。
「ホントに……平和だなぁ」
かつてないほど清々しい気持ちが、僕の胸に宿る。
多分、あの世界から解放された清々しさだろう。
苦しみしかなかったあの世界、やさしさなど感じた事のない地獄とも言える世界からの解放が、僕の心を軽くしている。
……ここでまた、その地獄が再演される可能性はあるけども。
そう思いながら、僕は30分間という長い間、特に当てもなく歩き続けた。
この無為な時間が、いつまでも続けばいいなぁ。
「おやユイ君、こんなところにいたんですか」
意味のない徒歩に幸せを感じつつあった僕に、アニスさんが声をかけてきた。
そっか、もう時間か。
確かこれから一時間、戦闘訓練があるんだっけ。
「じゃあユイ君、私についてきてください」
「はい」
といって僕はアニスさんについて行ったが、連れてこられた場所は、およそ戦闘訓練をする場所ではなかった。
無数の衣服が立ち並ぶ部屋だった。
「あの……ここは?」
「ここでユイ君の普段着を差し上げます。ユイ君が着ていた服は、すでにボロボロですし血が付いてしまって汚いですから、この屋敷にふさわしい正装に身を窶していただきます」
「はあ……」
「てことで、サイズを測ります。ユイ君、そこに立ってください」
言われて、僕はアニスさんの傍らで立ちすくんだ。
メジャーを体に巻き付けられ、ありとあらゆる箇所の測定をされ、アニスさんは無数の服から僕に合いそうなものを選んでくれた。
「とりあえずこれですかね。着てみてください」
差し出された燕尾服に、僕は袖を通す。
なるほど、サイズはピッタリだ。着心地もなかなかいいし、結構いい素材を使っていることが感じられる。
「ちょうどいい感じです。でも、いいんですか?」
「なにがです?」
「これから戦闘訓練なんですよね? 動きやすくて、汚れてもいい格好の方がいいと思うんですけど」
「いいんですよ。シュテル家の召使として常にちゃんとした格好をしてなくてはいけませんし、訓練の場所だって室内で清掃の行き届いた場所ですので、汚れについては心配いりません。汗で変なにおいがついても、芳香の魔札を用いればすぐに改善できますし」
魔札か。
ちょくちょく聞くけど、結構便利な物なんだな。
「分かりました。それじゃ、すぐに訓練を始めますか?」
「はい、ですので私についてきてください」
僕は言われるがまま、アニスさんについて行く。
階段を下りて一階に、そして数分ほど歩いた後に、アニスさんは床に手を突いた。
「さ、この下です」
なんと床がはがれ、そこから階段が出現した。
「一応聞きますけど、セウルお嬢様たちはここのことを知ってるんですか?」
「さあ? もしかしたら気付いているのかもしれませんが、ここに地下室があると直接教えたことはないですね」
そんなことをしていいのかと思ったけど、アニスさんはこの屋敷のそこら中に抜け道を用意している人だ。今更これだけのことで追及するのもばかばかしい。
とりあえず僕は、階段を下りて地下室に足を踏み入れる。
そこは、中々に広大な面積を有する地下室だった。
「ここならどれだけ暴れても騒音が響くことはありません。思う存分訓練できます」
そう言いながら、アニスさんが地下室の端っこに置いてある、二本の木刀を拾い上げた。
「私が教えるのは主に剣術です。剣術と言っても、何かの流派に属しているわけではない、完全な我流ですが」
アニスさんから木刀を手渡される。
思ったよりもズシリと重みを感じ、何振りかしただけでも疲れてしまいそうな感じがする。
「それじゃあ、私が攻撃するので、それを防いでください」
それだけを言い、アニスさんはいきなり僕に斬りかかってきた。
「イツッ……!」
突然の攻撃に反応しきれず、僕は右肩に思いっきり木刀を喰らってしまった。
「ほらほら、次行きますよ」
痛みに苦悶する暇も与えず、アニスさんの攻撃は続く。
上下左右、あらゆるところから木刀が飛んできて、そのすべてが僕に直撃する。
……けど、いじめられている時よりも、痛みが小さい。
手加減してくれてるんだな。
「一応言っておきますが、攻撃して来ても大丈夫ですよ」
とは言われるも、迫りくる猛攻を避けようと、しかしその攻撃を喰らってしまうので、反撃する余裕など持てない。
何度も何度も木刀を打ち付けられる。
「そんなんじゃ、1カ月後にはこの屋敷を追い出されますよ」
確かに、こんなんじゃいずれ体にガタが来て、ロクな成長を遂げられないだろう。
僕はひとまず反撃することは頭から排除し、避けることだけに重きを置く。
あらゆる角度から飛んでくる木刀から、目をそらさずにその動きを注視する。
多少攻撃を喰らうことは仕方がない。まずは一発、それだけを避けることを目標に。
そして数分後には完全に冷静になり切れた僕は、アニスさんの攻撃に反応することに成功する。
右上からの振り下ろし、完全に見えている。
見えているが、しかし……。
「ツぅ……!」
避けきれず、直撃されてしまう。
見切り避けようと何度も行動を起こすが、そのことごとくが無意味となり、アニスさんの攻撃はすべて僕に直撃した。
予定時刻の6時まで、訓練というよりもリンチという言葉の方がふさわしかった、
「さて、そろそろ時間ですね。それじゃ朝食の準備を始めましょう」
「……はい」
すでにボロボロとなった僕は、返事をするだけで精一杯だった。
いかに手加減され、痛みが少なかったと言っても、何度も打ち付けられればそれは痛い、
骨に異常があるとか、そこまでのレベルではないが、それでも痛みは痛みだ。
今後の業務にも支障をきたしそうなほどに。
「ユイ君、休憩します?」
その場からなかなか動かない僕を見て、アニスさんが気を遣ってくれた。
そのやさしさ自体はありがたいけど、その申し出を受けるわけにはいかない。
「いえ、そもそも僕は、召使いとしてここにいるんです。それは何よりも最優先される仕事ですから」
そう、僕は召使い。この屋敷の家事全般が本来の仕事。
それをおろそかにするようであれば、たとえ力を手に入れたとしてもこの屋敷にはいられない。
軋む体に鞭を打ち、僕は本来の仕事へと向かう。
その途中、アニスさんが尋ねてきた。
「ユイ君、なにか格闘技でもやってましたか?」
突然の質問に、僕は訳が分からなかった。
「いえ、なにもやってませんけど……」
さきほどの訓練で、反撃はおろか回避も出来なかった僕への質問とは思えない。
「そうですか、なら……喧嘩三昧だったとか?」
「そもそもしたことがありません」
「……そうですか」
それっきり、アニスさんが僕に聞いてくることはなかった。
一体何を聞きたかったんだろうか?




