第107話 「幸せになってください」
やっと、やっと金貨が10000枚集まった。
何人、何十人殴っただろう?
どれだけの血を流させたことだろう?
僕が僕自身のために、自分でそのための場まで作り、荒稼ぎしてきた。
その果てにようやく手に入れた金貨10000枚、罪悪感を越えるほどに、少女を救えるということに喜びを押さえきれない。
このときのために僕は苦しみ抜いた。今までの苦しみがようやく報われることに、足取りも軽くなる。
明日、アイリ・クスノキさんに会い、この金貨を引き換えに約束通り魔石の少女を解放してもらう。あの拷問の日々から、ようやく解放させられる。
その事に思いを馳せながら、僕は地下室の奴隷、魔石の少女の元まで足を運んでいた。
少女に一日でも早く安心してほしい。そう思って、いつも通り扉をカチャリと開けて、少女のいる部屋に入る。
「……どうしましたか?」
少女は相変わらず、無数の傷をその身に宿しながら鎖に繋がれている。
今日の分の食事はもう運び終えている。僕が何をしに来たか理解できないのだろう。
「今日はあなたに、お話があってきました」
「話……? いい、です。帰ってください」
少女は僕の話を拒み、そっぽを向いた。
僕はこの子を傷つけない、それを確信しての行動だろう。そう思われていることは素直に嬉しい。
「聞こうとしなくても、勝手に話します」
少女は鎖により耳を塞ぐことも出来ない。僕が勝手に話せば、少女は話を聞かないことは出来ない。
「僕は明日、あなたの事を買います」
少女がピクリと体を震わせる。
しかし顔は僕の方を向いてくれず、明後日の方向を見続けているが、構わず話し続ける。
「ここの奴隷の飼い主のアイリさんにお願いして、あなたを買うことにしたんです。つまりあなたは、ここから解放されるんです」
この薄暗く孤独な、苦痛しかない部屋から解き放たれる。それは喜ばしいことのはずだ。
苦痛を望む人間などいない。誰もが不幸を嘆き、幸福を望むはずなんだ。
だからこの言葉で、少女は喜ぶと思ったのだが、
「……でよ」
放たれた言葉に、耳を疑った。
聞き間違いだろう、そう思い少女に語りかけようとすると、遮るように再び言葉が放たれる。
「余計なこと、しないでよ」
聞き間違いではなかった。
確かに、僕のしたことを余計なことと言われた。
「よ、余計な事って……」
「解放された私に、いったい何が、出来るんですか?」
「そ、それをこれから探していくんです。自由になればきっとあなただって……」
「そんなこと、ありえない……!」
初めて、荒げた声を聞いた。いつものように力なく、諦めたような声色とは全然違う。
自らの意思を示す力ある声が、僕の耳に響く。
「あなたは知らない。魔石の一族が、どれだけ嫌われてるか」
「……そうかもしれません。けど、魔石の一族だからって、全員が嫌ってるわけじゃ……」
「違う! 世界中の人が、こんな一族死んじゃえって思ってる。最低で最悪な極悪一族だって思ってる。ここから解放されたところで、私に幸せなんて、訪れない」
「そんなこと……!」
「誰も私を助けてくれなかった!」
少女は瞳に涙を浮かべながら、今まで溜めに溜めていたであろう鬱憤をぶちまけるかのように、叫び続ける。
「私を殴らない人はいなかった! 私に物を売ってくれる人はいなかった! 私に優しい言葉をかけてくれる人はいなかった! 私を人間扱いする人なんて誰もいなかった! 誰も私の名前を呼んでくれたことなんかなかった!」
言葉を聞くだけでも痛々しい少女の叫び。
この子は、僕が受けてきたいじめなんか比べようもないほどの地獄を味わってきたのを痛感させられる。
「私は、こんな世界なんか大っ嫌い! だって知ってる! この世界は、絶対に私を幸せにしないって!」
……僕は、勘違いしてたのかもしれない。
この子は僕と一緒で自己防衛してるだけだと、己を傷つけないために不幸になるべきだと思い込もうとしていたのだと。今ある苦痛を和らげるために、これから受ける苦痛が当然のものだと思い込もうとしていた。
けど、違う。この子は周りの人に、全ての存在に、世界に、不幸になるべきだと突きつけられてきたんだ。
僕のように楽しむ為だけのいじめを受けたんじゃない。数多の人間の憎しみ、怨み、嘆き、悲しみ、あらゆる負の感情をその身に刻み付けられてきた。
一族の犯した罪をたった1人の少女が……なんの罪も犯していない少女が、その身に受けてきた。
その結果、自分が不幸になるべきだと思い込み……いや、思い込まされ続けてきた。
世界中の人間が心の底から、魔石の一族は不幸になるべきだと主張する。多くの命を奪い取ってきた蔑むべき一族。
その一族の、最後の生き残り。
少女は不幸になるべきだと思っていたんじゃない。
この世界で幸せになれないことを、悟っていただけなんだ。
「出ていってよ! 私は解放なんかされなくていい! 誰からも相手にされない、傷つけられることが分かってる! 世界中の人が私の事を蔑むって分かってる! だったらここで……ここだけで傷つけられる方が、何倍もマシなの……」
そんな、そんな悲しいことがあってたまるか。
この場所こそが、少女にとってもっとも安寧の地だなんて。この地獄のような場所がもっともマシな場所なんて、そんなことがあっていいはずがない。
教えてあげたい。世の中には、魔石を埋め込んだ人間にも優しくしてくれる人がいると。
そんな人間を友達だと言ってくれる人がいることを。
信じてほしい。あなたにも幸せになれる場所がきっとあることを。
「あなたの名前を、教えてください」
叫び涙を流す少女に問いかける。
今の僕に出来ることは、多分なにもない。魔石の一族でも幸せになれると僕がどれだけ言ったところで、少女の心に届かない事は分かっている。
そんな簡単にぬぐいきれるほど、今までの悪意はぬるくない。
少女にとって牢屋の外の世界は、混沌とした地獄にしか思えないはずだ。
けど、たとえ世界がどす黒い地獄であったとしても、僕だけは信じてほしかった。
「スカーという名前、本名じゃないですよね?」
「え、どうして……」
「名前を呼んだとき、あんなに悲しそうな顔をしてましたから」
「っ……!」
「だから、あなたの名前を僕に教えてください。あなたの名前を呼ぶ人が誰もいなかったのなら、これから僕が、何度も名前を呼びます」
「なんで……」
「あなたに幸せになってほしいからです。他の誰でもない。僕はあなたに、心から幸せになってほしいんです」
嘘偽りのない本心からの言葉。
僕はこの傷ついた少女に、誰よりも幸せになってほしい。
「なんで私なんかに、そんなこと言うの?」
なんで……なぜだろうか。
同情、とはちがう。憐れみなんかでこんなに幸せになってほしいなんて思わない。
ただの同情で、僕は僕が苦しんでまで人を助けようなんて思わない。
なら、どうして僕はこの子のために行動したいのだろうか?
それは……
「あなたに、一目惚れしたからです」
「…………ふぇっ!」
「初めてあなたの瞳を見たとき、宝石みたいに綺麗だなって思いました。自分でも単純だと思いますけど、あのときにはもう、あなたの事が好きになってたんだと思います」
誰かを綺麗だって思ったことはある。セウルお嬢様を初めて見たときも綺麗な人だって思った。アニスさんも綺麗な女性だって思った。
ライムさんやアイラさん、女性として綺麗だって思った人はたくさんいる。
けど僕はこの人を、誰よりも綺麗だって思った。
初めて、女性を好きになった。
「ななな……私が、好き?」
「そうです。今まで見てきた女性の中で、あなたは誰よりも美しいんです」
「う、美しいって……からかわないで。こんな私を好きになる人なんて……」
「僕がいます。僕はあなたを誰よりも好きでいます。だから、あなたに幸せになってほしいんです」
「……無理だよ。私はこの世界では、どこにも居場所がない。魔石の一族だから」
「額に石を埋め込んだ人に優しい人を、僕は知ってます」
「……え?」
「この国の人間はきっと、あなたの幸せを許しません。けど、そうでない人もこの世界にはたくさんいます。きっと、いるはずなんです」
「そんな、こと……」
「お願いします。僕と一緒に、幸せになってください」
「……!」
少女の顔がみるみるうちに赤く染まっていく。
怒りや悲しみではない。負の感情ではない少女の顔を、初めて見ることが出来た。
「……ナ……」
「え?」
「ナズナ……私の名前は、ナズナです」
少女の絞り出すようなか細い声……ただ、力なく声を出しているわけではない。
恥ずかしそうに、顔を真っ赤にしながら、それでいてなお、僕の目を見て名前を言ってくれた。
その事実が、たまらなく嬉しい。
「ナズナさん、明日、また来ます」
「はい、待ってます。ユイさん」




