第102話 「気持ち悪い」
『お集まりの皆様、大変お待たせいたしました。前回開催より約2ヶ月、久方ぶりに開催されました今回の催し。闘士対奴隷! この闘技場の上位闘士と、人間の最下層、ゴミクズ同然の奴隷との試合……否! 蹂躙をどうぞお楽しみください!』
ひどい言いようだな。立場的には人間の最下層なのは間違いないけど、ゴミクズ呼ばわりはひどすぎる。しかも蹂躙て明確に言っちゃってるし。
けど、この勝負がどんなものなのかは容易に想像できた。対戦相手は上位闘士、そんなもの、ただの奴隷に勝てるわけがない。
日々実践を積んでる人間とそうでない人間には、圧倒的な差がある。
一方的な蹂躙になるだろう。普通なら。
『さあ今回のショーに参戦した闘士、ご入場ください!』
実況の声が闘技場の入り口で待機している僕の耳に届いてくる。どうでもいいことだけど、この世界にもマイクみたいなものがあるんだな。
「はっはっは! 今日も奴隷の骨を砕いてやるぜ!」
意気揚々と入場してくる対戦相手の闘士。
2メートルを越え、僕よりもふたまわり以上に太い体躯。初めて見るレベルの巨漢に、思わず息を飲む。
『皆さんご存知のとおり、この方は過去30を越える奴隷を蹂躙し、骨の砕く音と奴隷の叫び声を響き渡らせた奴隷壊しの達人中の達人! クラッシャー、リック・ダール選手だ!』
30以上の奴隷……さっき実況は、この催しが2ヶ月ぶりと言っていた。にも拘らずそれほどの奴隷を壊していると言うことは、この人は数年以上この闘技場で闘い続けている猛者だ。
説明を聞くに、人を壊すことにもなんの躊躇もない、僕とは真逆の人間。
怖くて、震えてくる。
けど僕の恐怖なんかお構いなしに、時間は流れていく。
『では次に登場するのは、このゴミクズだ!』
ゴミクズと呼ばれ、僕は歩きだす。誰かと戦う、傷つけあう、僕にとっても最も苦手な場所に。
『おやおや、今回の奴隷はなんともひ弱そうな男のようだ。せめて声だけは大きいことを祈りたい。その叫び声を響き渡らせるために!』
闘技場の観客席から、笑い声が聞こえてくる。何がおかしいのかはなにも理解できないけど、今日この場にいる人は、例外なく人を傷つけることに喜びを覚える、そんな人間なのがわかった。
目の前の人がどれ程の強さかわからないけど、周りの人間全てが僕の苦手な人間であることに、恐怖が増していく。
『さあ無駄な話はやめて早く開始いたしましょう! 闘士対奴隷、無様を晒す奴隷の姿をお楽しみください! 試合開始!』
開始の合図が耳になり響き、いよいよこの時が始まる。
人と、久しぶりに戦うときが。
あの魔導学園国家では、頻繁ではないが戦うことはあった。けどそのときから長い時が経ち、こうして戦うのは本当に久しぶりだ。
感慨深さ……なんて物は微塵もなく、憂鬱な気分は変わらない。目的があり戦う覚悟はある。だけど傷つくことも傷つけることも、大嫌いなままだ。
あの学園国家にいて、自分の心が折れるまでも戦いなんて……そこまで思ったとき、あることを思い出した。
そういえば僕、人を殴ったことがない。
「ハッハー! 死ねやぁ!」
僕が余計な考えをしている間に対戦相手、リックさんが仕掛けてきた。
鈍重な見た目とは裏腹に、さすがは上位の闘士だけあるスピードで僕との間合いを詰める。そして拳を振り上げ、確実に僕の顔を狙っている。
「うらっ!」
振るわれた拳が、僕の目の前で空を切る。いくらなんでもこんな大振りの攻撃を食らいはしない。接近戦はあのアニスさんに鍛えられたんだ、生半可な攻撃をもらうことはない。
「ほお、少しはすばしっこいみたいだな」
リックさんは口角をつり上げて、攻撃を避けた僕を見る。その目には自分が負けるなど微塵も思っていないことが見てとれる。
そして再び、僕に攻撃を繰り出す。
「おらおらおら!」
絶え間なく繰り出される拳、時折蹴りが飛んできて、その動きを見ながら僕は、かつての戦いを思い出していた。
あの学園国家での最初の勝負は、ガルドさんとだった。だがその戦いは僕が毒を盛って、時間を稼ぐだけて終わった。
次はお嬢様のクラスとやった模擬戦争。そこでも僕は基本的にはトラップを駆使し相手生徒を倒し、とどめも魔法を使った。ライムさんも首を絞めて落としはしたが、殴ってはいない。
その後のライムさんとの勝負も、魔法で遠距離から攻撃して終わった。
マグナさんとは勝負の前に爆弾を使って戦うまでもなく終わった。
そしてアイラさんとの勝負は、地面に押さえつけはしたがそれだけだ。
僕は誰との勝負でも、この拳で殴ったことは一度もない。
なんて、卑怯なんだろうか。
「……ごめんなさい」
自然と謝罪の言葉が口からでた。
僕は自分が殴るのが好きじゃないから、魔法を使ったり首を絞めて落とすだけにとどめてきた。さらにはアイラさんとの勝負で、殴りたくないからわざと負けようとまでした。
アルちゃんのための勝負でさえ、僕は自分の気持ちを優先してしたくないことをしないできた。
改めて考えれば、卑怯にもほどがある。
そんな自己嫌悪からでた謝罪の言葉、そしてそれを思い出したことで、疑問がわき出る。
僕はこの人を、殴れるのか?
誰かを助けるためにこの場に赴いている。自分のためではない。
だから恐怖を押さえつけてここに立てている。
けど僕は誰かの……アルちゃんの、友達のためでもいざというときに殴れなかった卑怯者だ。そんな僕が、この人を殴れるのか。
……その答えかのように、僕の腕は鉛のように重く感じ、拳を振り上げられない。
人の痛みを想像するだけで、この腕は動いてくれない。
こんな卑怯で臆病な僕に、自己嫌悪に陥る。
そんな無駄なことを考えているからだろう。目の前に迫った攻撃を全て避けることは不可能だった。
「おらあっ!」
「ぐっ……!」
リックさんの拳が僕の腹部にめり込んだ。その威力は凄まじく、攻撃を受けた僕は宙を浮き、後方に吹き飛んだ。
「ガハッ! アッ……!」
呼吸がうまくできず、苦しみからうっすらと涙が溢れてくる。
久しぶりに受けた痛み、罪悪感だけでなく恐怖が、僕の体に駆け巡っていく。
「ふぅ、てこずらせやがって。だがまあ、これで終わりだ」
リックさんが笑みを浮かべながら僕に近づいてくる。顔を見ればわかる。これから僕に、苦痛が訪れることが。
やり返さなければ行けない。そうしなければ、この人にいじめられる。
それだけでなく、助けたい人も助けられない。
立て、立って戦うんだ。
たとえ嫌いな行為であっても、殴らなきゃいけない!
人の痛みなんか知ったことじゃない。僕が僕のために、戦わなくちゃいけないんだ!
……なのに、立ち上がりはしたものの、拳が握れない。
僕はどこまで、どうしようもないやつなんだろう。
「ほお、俺の一撃を食らって立つか。なかなか頑丈なんだな、こりゃ楽しめそうだ」
一歩、また一歩とリックさんが近づく。
怖い、どうしようもなく怖い。
恐怖心に苛まれ、無意識のうちに後ずさりをする。
もう逃げ出してしまおうかとも思ったそのとき、
「昨日はアストに止められて消化不良だったからな。魔石の女の分も、てめえでまとめて発散してやるぜ!」
……魔石の、女?
じゃあ、スカーさん……あの子がいつも以上に傷だらけになったのは、この人のせい?
この人が、あんなにも凄惨な行為をした?
そのとき、頭の中が真っ白になった。
「死ねやぁぁぁぁ!」
声と共に繰り出される拳は、容赦なく最大限の力が込められている。
まともに食らえば痛みで悶絶し、涙すら流すだろう。
その恐怖の象徴を……右手で止める。
「……おっ?」
リックさんの右拳は、僕の右手に完璧に収まっている。
攻撃を止められたことが予想外だったのか、リックさんは唖然として動きを止めている。
その無防備な状態に、僕は拳を振り上げる。
「ごあっ!」
リックさんの巨体が宙に浮く。
視界には血が見え、宙を舞った血は重力により下降し、僕の頬に落ちてくる。
その直後にリックさんの巨体も地面へと直撃し、地面にヒビが入った。
「お、ぐぁ……」
顎をおさえ悶絶するリックさん。
その姿を見ながら僕は頬の血を撫で、自分の拳に目をやる。
「気持ち悪い」
初めて、人を殴った。
やはりそれは、最悪の気分だ。
人間を殴る感触は、こんなにも気持ち悪いのか。
なんで人は、こんなことができるのだろうか。
「て、てめえ! この俺様によくも……!」
起き上がり激昂するリックさん。
僕に唾を飛ばしながら怒号を飛ばし……その顔面を殴る。
「うえっ……!」
この一撃で、リックさんの意識が朦朧としている。
追い討ちをかけ、渾身の力を込めた拳を振り抜く。
「ぶはっ!」
その一撃で、リックさんは完全に意識を失った。
……気持ち悪い。
肉の感触が気持ち悪い。
血の匂いが気持ち悪い。
人の叫びが気持ち悪い。
気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!
なんだよこれ!
こんな気持ち悪いものの、何がいいんだよ!
こんなことが好きな人が、理解できない。正常な人間とは思えない。
どうして、こんなことができるんだ。
「……審判の人」
「え……あ、はい!」
「あの人、気絶してますよ」
「あ……っと、いや、この場合は……」
「勝敗は奴隷の場合だけ、気を失っても降参しても、受理されないんですよね?」
「……そのとおりです。なので……奴隷の、勝利です」
勝利宣告だけ聞いて、僕はリックさんに背を向ける。
こんなとこにいたくない。
こんな、僕が殴った人が倒れてる場所なんかに。




