共産党員から、金を貰った事が有ります~共産党員が、資本主義を一番理解している
昔、
裁判をやったことが有りまして。
それは、
民事裁判で、
私は、
原告だったのです。
まあ、
裁判そのものは、
私がケガをしたので、
賠償金を払え
という、
全く政治色の無い
ものだったのですが。
被告は、
ケガをさせた個人と、
その場を管理していた法人です。
法人を訴えると、
支払い能力も高いし、
責任能力も高いので、
有利になることもありますが、
その代わりに、
戦闘能力も、
個人の比ではないです。
その裁判の当日、
父が傍聴席にやって来ました。
そして、
「K先生から、
カンパを五千円貰ったよ」
と言われました。
その当時、
父は、
本物の左翼教師でした。
『本物』と書いたのは、
今、
世間に出回っている
左翼のした事
というのは、
ほとんど、
左翼でない人達の行為です。
左翼ではないのに、
左翼にでっちあげられている人達が、
大量にいるのです。
また、
『でした』と書いたのは、
父は、
死ぬ前に、
共産党を辞めてしまいました。
理由は聞いていませんが、
たぶん、
共産主義の無駄に気付いたんだと、
思います。
共産主義の最大の欠点は、
共産主義を理解出来る能力が有れば、
資本主義も理解出来る
ということです。
共産主義で有利になる人達は、
共産主義を理解出来ない
なんて、
アホらしくて、
やってられません。
そう、
共産主義は、
馬鹿に点ける薬
なのです。
ちなみに、
私は、
母が死ぬまで、
政治活動はするな!
と、
父に言われております。
理由は、
無実の罪で逮捕されるから。
父が、
労働組合運動を始めた時、
母の実家まで、
警察が来たそうです。
組合の会議に出席して、
会議室から出たら、
ドアのところで、
引ったくりに、
鞄を持って行かれたことも、
有るそうです。
その犯人を追いかければ、
暴行の現行犯で、
逮捕されてしまいます。
父も、
それを知っていたので、
祖母が死んでから、
始めたと言っていました。
父が教員に成り立ての頃の話ですが。
戦後、
運動会が復活した時のことです。
労働組合も、
結成されたばかりだったので、
運動会で行進をしよう
ということになったのだそうです。
その時は、
父は組合員ではないので、
裏方に回りました。
放送委員です。
その父に、
警察から依頼が来たそうです。
何だと思います?
映画を作るから、
レコードを貸し出して欲しい
戦前なら、
運動会の中止命令が出たんでしょうけど。
戦後だったので、
レコードを取り上げて、
行進の邪魔をしようと。
話はズレましたが、
何故?
そのK先生が、
私に金をくれたのか?
といいますと。
その理由は、
父の次の言葉で、
よく、解ります。
父が、
傍聴席に入った時、
ニコニコしながら挨拶して来た人がいて。
父も、
見たことが有るな
と思っていると。
実は、
私が怪我をした時、
父は、
行政機関にいろいろと、
相談に行きました。
父は、
労働組合運動をやって来ていたので、
労働省関係の役所の出入りが、
多かったのですよ。
労災の担当者の人にも、
相談に行って、
話を聞いてもらっていたのです。
その、
労災の担当者だった人が、
裁判の傍聴席に、
来ていました。
何のために、
その人は、
わざわざ裁判所まで来ていた
と思います?
その労災の担当者だった人は、
父が相談に行った直後に、
定年退職になりまして。
私が、
ある法人を訴えたために、
その法人に再就職出来たのです。
つまり、
私の裁判相手法人の
裁判担当者が、
その人だったのです。
裁判所へは、
仕事で来ていました。
その人にとっては、
父は福の神ですよ。
私等親子のおかげで、
スカウトされて、
天下り出来たのですから。
そりゃ、
父を見れば、
満面の笑みがこぼれるわ。
資本主義社会の
裁判なんて、
こんなものですよ。
私は、
こちら側の手の内を、
全部知っている担当者と、
裁判を争うことになりました。
この、
社会のシステムを理解している
共産党員が、
圧倒的に不利な私を、
支援したくなるのも
御もっとも
でしょ。