連絡船は遭難信号を出す
「あれ‥‥何これ?」
最初は、ただの「?」だった。
きっと、何か『手順とかを間違えた』とか『インターロックが働いた』とかそういう類のものだろうと。
幸い船内照明は生きている。制御回路を介さずにバッテリーから直接に電源を取っているからだ。
もしや‥‥
思い直してユーナはドッキング・ベイに戻った。ハッチが『半開き』になっているとか、そういうミスが無かったか確認するためだ。
だが、何も問題は無いようだ。
「違ったか‥‥じゃぁ、貨物室かな‥‥?」
宇宙船の場合、大量の荷物を『降ろして』しまうと、そこに生まれる空間に空気を取られてしまう事で『船内全体の空気濃度が低下してしまう』という地球では考えられない問題が生じる。
そのため、隙間が多い貨物室を開ける場合は他の居住区から空気を送り込み、逆に貨物室を閉めた場合には、そこから空気を抜いて居住区に戻す必要があるのだ。
なので、貨物室の扉が完全に閉まっていないと空気が送り込めないのだが‥‥。
「うー‥‥ん。チャンと閉まってるなぁ‥‥」
首を捻りながら、ユーナが操縦席に戻る。そして再び操作電源スイッチを入れ直すが‥‥やはり、電源は入らなかった。
「え‥‥まさか‥‥『壊れた』とか‥‥?」
ユーナは全身に鳥肌が立つ感覚に襲われた。
微かに手が震える。
背中に血が集まり、体温が肩甲骨の辺りだけ高くなっているのが分かる。
此処は地球から遥か7.8億kmの彼方だ。『もしも』となれば救助を要請したとしても、やって来るのは半年以上も先になってしまう。
「ヤバイな‥‥」
焦りを感じながら、ユーナは機器のスイッチ類を確認して廻る。だが、やはりおかしな処は見つからない。
「参ったぞ‥‥」
ダッシュボードを開けて緊急対処マニュアルを取り出す。
「電源が入らない場合‥‥と」
パラパラとページをめくるが、電源のインターロックに関する記述は見当たらなかった。後は、極めて専門的な回路の確認だけだ。
「しまったな‥‥先輩はエウロパに置いて来たし‥‥」
地球から一緒に来たコージ先輩なら多少なりと技術的に詳しかったと思うが、エウロパでは助けを求める事も出来ないのだ。
こうなったら仕方ない。
あまり気は進まないが、タローに助けを求めるのがベターな方法であろう。
ユーナは踵を返してドッキング・ベイに向かった。
いくら知り合いとは言え、お客に助けを求めるのは申し訳ないというか筋違いな気もするし、それに『妙な借り』を作るのも正直、いい気はしなかった。
だが、状況はそんな事を言ってられるほど安閑ともしてられないようだ。
ガン、ガン!
ユーナがドッキング・ベイの閉じられた扉を叩く。
「おうっ!どうした?今、開けるからな」
意外にも、タローからの反応は早かった。
プシュー‥‥と音がして、ドッキング・ベイが再び開く。
「‥‥何かあったのか?」
怪訝そうな顔でタローが尋ねる。
「動き出す気配が無かったから『ヘンだな』とは思ってたんだが‥‥」
「すいません、実は電源が入らなくて‥‥申し訳ないんですが、少し見てもらえたらと思って」
ユーナが頭を下げる。
「電源?そうか、分かった。工具をとってくるから、チョット待っててな」
タローは引き返すと、倉庫から工具箱を持ってきた。
「さ、いくぞ。操縦席に案内してくれ」
「では、こちらへ」
ユーナがタローを案内して操縦席に入る。
「これか‥‥どれ?‥‥なるほど、電源が入らないな‥‥」
タローが電源スイッチをパチパチと入れ直してみる。
「ああ、電圧が来て無いな‥‥ほら、見てご覧。そもそも電源スイッチに電圧がノってないだろ?」
タローがユーナに指し示した計器の指針は『ゼロ』を表示していた。
「照明は着いてるから、バッテリーは生きてると思うんだが‥‥おや?」
タローの手が止まる。
「ど‥‥どうしました?」
おずおずと、ユーナが身を乗り出す。
「おい‥‥何か、コゲ臭くないか?」
操縦席下のパネルを開け、タローが中を覗き込む。
「‥‥そう言えば‥‥何か樹脂が焦げたような匂いがしますね」
クンクンとユーナが匂いを嗅ぐ。
「ああ‥‥分かったよ、コレだ」
タローが顔を戻し、ライトで中を照らしながら指を差した。
「‥‥分かるかい?電源基板がハデに『焦げて』やがる。何かの拍子に回路がショートしたんだな‥‥」
困ったな‥‥という表情で、タローが腕を組む。
「持って無いよなぁ‥‥予備品なんてよ」
無論、『替えの電源基板』なぞ、あろうハズもなかった。
「ええ‥‥無い、と思います‥‥」
ユーナはその場にヘタり込んだ。
『遭難』という言葉が脳裏に浮かぶ。
何てこった‥‥これじゃぁ、何時になったら帰れるんだろう。というか、果たして自分は無事に地球へ生きて帰れるんだろうか?
途方に暮れるユーナの肩をポンと叩くと、タローは宇宙灯台の方に向きを変えた。
「仕方ねぇ、救助信号を出そう。‥‥灯台の方に来な。メッセージを送るぞ」
ユーナは無言のままヨロヨロと立ち上がり、少し遅れてタローの後について灯台側に入った。
「‥‥ああ‥‥そうだ、コズミック運輸の24号船だ。こちらで電源基板が焼損してな‥‥」
タローが無線でエウロパの採掘基地と交信している。
「うん‥‥うん‥‥よろしく頼む」
タローがヘッドホンを外す。
「どう‥‥ですか‥‥?」
心細そうに、ユーナが顔を出す。
「‥‥うん。やはりエウロパには『救援に出せる船』が居ないとよ。単純に軌道間距離の話なら火星のフォボス基地の方が近いんだが‥‥惑星の位置関係から言って、今は月基地の方がむしろ近いらしい。なので、月基地からの救援になるだろうとさ。ま‥‥暫くは月基地からの回答待ちだな」
ふっー‥‥とタローが溜息をついた。
何しろ、月まで『信号』を飛ばすには最低でも『30分強』という時間が掛かる。即答でも往復1時間は掛かるのだ。
やれやれ‥‥なんてツイてないんだ‥‥
ユーナは落ち込んだ。
いつも見てるテレビの『今日の運勢』も、そんなに悪くは無かったというのに。
ふと、灯台の窓から真っ暗な星空を見る。
地球は遥か遠く、ここからでは唯の『光る点』にしか見えなかった。