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交換

0.

 アメリカで行われたある統計によると、上場企業経営者の六割が精神病質(サイコパシー)を有するサイコパスだったという。今世紀前半の話だ。


 そこで得られた事実は二つのことを意味している。一つは社会における成功者、つまり優れた能力を有した者の多くがサイコパスであること。もう一つはそうした一握りの者たちが、我々人類を常に進歩させてきたという皮肉な現実だ。


 後に旧人類と呼ばれる人間たちは、この二つを受け入れることができなかった。たいするサイコパスの側は、人類のさらなる進歩に目覚め、高い使命感を抱き、自らを〈超人〉と称した。


 彼らがめざしたのは、人類を能力の高い者が支配する理想国家の実現だ。具体的に言うと〈超人〉たちはサイコパスの要因である遺伝子を突き止め、能力が劣る人間を自分たちと同じ種族に変えはじめた。その能力値を僕たちはサイコパス適性値と呼んでいる。


 遺伝子操作による人類の純化は人間側から猛烈な反発を浴びた。古い人間社会は分断され、〈超人〉は瞬く間に世界の三分の二を支配するに到った。


 サイコパスの特徴を一つの言葉に集約して語るのは難しい。あえて乱暴にまとめようとするなら、それは先天的な不感症と呼びうる。


 今世紀の初頭、古い社会が流動化し、人々はかつてないストレスにさらされるようになった。彼らの多くは失敗のリスクに怯え、現に失敗した者たちは心を病んでいった。

 反対にサイコパスは、自他の感情に鈍感だから、決して傷つくことなくリスクを追い求める。


 つまり不感症ゆえに、飽くなき成功を〈超人〉は追い求めることができたわけだ。ところがそうした歩みは、ある時点で、未曾有の繁栄の裏側に一つの不安を生じはじめる。


 というのも、どれほど能力の高い者たちで社会を営もうとも、必ず全体の八割もの失敗がつきまとう。そうした〈超人〉たちにとって不都合な法則が発見され、やがて指導者層に反省の契機をもたらした。


 もし社会が失敗、すなわち弱者を完全に排除できないのだとすれば、彼らをケアする心を持たない限り、〈超人〉社会はいずれ荒廃してしまうだろう。


 こうした困難を乗り越えるため〈超人〉はある実験に着手した。人為的に共感を発生させたサイコパスを生み出し、〈超人〉そのものを進化させようと試みたのだ。


 〈超人〉はこの頃までに、人体と魂を分離させ、それを他人の体に移し替える技術を開発していた。彼らの思惑は、他人の体に移植されることで、人の魂は強制的に他人の感情を体験することができる点にあった。そうすることで、優秀かつ冷酷な目的遂行能力と共感性という、本来両立しえない要素を兼ね備えられると考えたのだ。


 前述のような実験がどれほど想像を絶したものであろうとも、〈超人〉は進歩に付随した困難をむしろ楽しむクセがある。かく言う僕も、人類のさらなる発展に寄与できるなら進んで危険に踏み込む覚悟を示し、実験の同意書にサインを入れた。


 もっとも僕個人の本意は、社会全体の輝かしい未来とは程遠いところにあったのだが――



1.

 晩秋のある朝、目が覚めると小宮山(こみやま)透子(とうこ)になっていた。昏睡しているあいだに交換手術は終わり、僕は寮の自室へと送り届けられていたようだ。


「すごいな、本物だ……」


 鏡のまえに立った僕は、別人となった自分の姿を隈無く眺める。眉の上で切り揃えたロングの黒髪に、整いすぎて人形めいた目鼻立ち。どこからどう見ても小宮山さん本人だ。


 一瞬呆けていた僕は、やがて鏡の中に明らかな異物を発見する。

 思春期の男女においてもっとも異なる点。それは胸の膨らみの有無だ。


 僕はパジャマの上から乳房を持ちあげてみる。彼女は清楚な外見に反して出るところはきっちり出ていたから、弾力と柔らかさが半端ない。指で握るたびに揺れ、掌からするりと逃げ出してしまう二つの乳房。これこそ異性の象徴だと妙な納得感を覚えた。


 魂の交換によって他人の体と入れ替わる非日常性。そこにささやかな高揚感を覚えた僕であるが、しばらく胸を弄ぶうちに興味は薄らいだ。その代わり、交換手術が成功したという事実のほうが素直な喜びをもたらす。


 僕は交換を望み、適応者として小宮山さんが選ばれた。魂を入れ替えても、体が拒絶しない確率はきわめて低く、そのため被検体になった者は〈超人〉社会においてもごく少数だという。そんな宝くじに当たるような目を引いたのだから、僕たちは並外れた幸運の持ち主である。


 むろん代償はあるにはあった。さしあたり、僕は女子の着替えに戸惑った。


 魂を入れ替える際に、僕は彼女から学園の制服と一緒に何着かの私服と寝間着、数日は過ごせるだろう下着を一応借り受けていた。


 黒い肩掛けカバンから下着を取り出して、まずはブラから身につけようと試みる。両方の腕を紐に通し、前止め式のホックをパチンと留める。たったそれだけのために、ともすればはみ出しそうになる乳房をたぐり寄せながら悪戦苦闘する。


 次はショーツだ。これは男物のパンツに比べると馬鹿みたいに小さくて、本当に股間を隠せるのか不安にさせる代物だったけど、僕の体自体が華奢になっているお陰で不具合は起きなかった。


 最後に制服である枯れ葉色のブレザーに袖を通し、灰色のプリーツスカートを穿いて、僕は学園の女子生徒になりきった。大きな仕事をなし遂げたような達成感があり、ひとまずベッドに座り込んで、あくびを押し殺す。


 ふいに瞳を動かすと、ベッド脇に一冊の文庫本が置かれていた。シェークスピアの『ハムレット』。交換が決まったとき、小宮山さんから「絶対読んでおいて」と渡されたものだが、まだ冒頭の数ページで止まっていて、その先を読み通す自信はない。


 なにしろ僕は彼女みたいに優秀でなく、劣等生で、学級委員を務めながらクラス全体を率いるようなカリスマ性もない。引っ込み思案で、趣味は独学で覚えた手芸だ。冬の到来に備えて少しずつマフラーを編んでいたほど。


 ベッドに寝転がりながら、窓の外をぼんやりと見やる。薄汚れた曇り空から、白くて湿った小雪が降っていた。ここの秋は短い。マフラーを編み終えるまえに冬が来てしまう。


 僕はそういった、自分の力でどうにもならない物事を嫌悪する性分だった。自分の思いどおりになることしかやりたくないのだ。


 そんな僕だからこそ、島の環境は常に苛立ちを覚えさせる。不思議なことに、島にある唯一の船着き場は殆ど使われていない。それなら生活物資はいったいどうやって供給されているのか、僕たちはその答えを知らされていない。島は一種の閉鎖空間なのだ。


 時刻を見ると、午前八時過ぎ。小宮山さんとの約束の時間までそこそこある。僕は慣れた手つきで網膜上の生体端末を操作し、今朝のサイコパス適性値を測ることにした。


【72・651pt】


 ゾーンは赤に近い橙色。身体こそ入れ替わったが、数値は以前と変わりない。


 ちなみに平均的なサイコパシーは30pt前後。旧人類である人間は10ptを割るという。そんな〈超人〉のなかでも異質な僕が、たった七日間の交換実験で共感性を芽生えさせられるだろうか。


  ***


 最初に島へ来た日のことを覚えている。本土の病院で眠らされ、気づけばここにいた。


 寒い国によって併合されたこの島は今から二十年以上まえに返還された我が国固有の領土で、そこには学園と病院を兼ねた実験施設があり、僕は強制的に編入させられた。


 聞いたところによると、小宮山さんも同じようこの島へ渡ってきたのだという。普段殆ど接点がなく、上辺だけの情報しか知らない僕にたいし、彼女は意外にも気取らない様子で話しかけてくれた。


「たぶん一緒に来たのだと思うわ。本土の病院で君のこと見かけたもの」


 交換手術の直前、付設病院の一室に待機した僕たちは互いの過去を少しだけ語り合った。お互いクラスメイトなのに、まともに口を利いたのは初めてだったと思う。


 小宮山さんは愛知県出身で、五歳離れた兄を持ち、両親は健在だという。とはいえ僕は東京出身で埼玉県にある祖父の家で育ち、愛知の病院には縁がない。


「他人の空似だと思うけど」


 すげなく言って、会話を違う話題へ導いたことを覚えている。


「小宮山さんはどうして交換することになったの?」


 島に集められた学園生たちは、皆何かしら本土で罪を犯し、それを購うため人体実験のモルモットにされている。


 僕は暗に、小宮山さんの罪を知りたく思った。くわえて交換に到る動機を。言うまでもないがこれらは下世話な興味だ。彼女は僕の問いかけを真顔で返してきた。


「君こそどうして実験に参加したの?」


 僕たち二人のあいだには共通点がある。

 それは笑わないこと。顔の細かい作りは全然異なるのだけど、表情を構成するパーツが双子みたく似ているのだ。ポーカーフェイス。僕たちは陽性ではなく陰性の〈超人〉だ。


「小宮山さんが教えてくれたら、僕も教えるよ」


 かりそめに条件を出すと、彼女はにこりともせず返事をよこした。


「教えてもいいけど、ここはだめね。病院の職員が出入りする場所だもの。無事交換が終わったときまで大切に取っておきましょ」


 彼女は小指を突き出し、僕たちは指切りをした。何かしら秘密を抱えながら交換することに不安はゼロではなかったけど、期待は躊躇いを軽々と上まわった。


  ***


 そんな出会いに思いを馳せながら現在。僕は時刻を見る。午前八時半過ぎ。


「やばい、遅刻だ」


 約束の時間に間に合わないとは思わなかった。原因は小宮山さんの体が小さくて駆け足が段違いに遅かったからだ。


 慌てて食堂へ飛び込み、何も考えずAセットの食券を買う。金のやり取りを端末越しに済ませ、僕は他の学園生に混じって列に並び、食堂のおばさんからトレイを受け取る。


 問題は果たして小宮山さんがどの席にいるかを捜す点にあったが、恐らく人の少ない場所を選んだに違いないとあたりをつけると案の定端っこの離れ小島のようなテーブルに見知った顔を発見。そこへ急いで駆け込んだ。


「ごめん、遅れた」


 僕にしては珍しく、謝罪が口をついた。時刻を見ると五分は遅れていた。


「大丈夫。気にしてないけど、後ろ」


 まだ食事に手をつけていない彼女が、僕の後方を指差す。何の合図だろうと訝しみ、背後を振り返ると、そこには担任教師である紅谷が満面の笑みで突っ立っていた。


「よう、白哉(びゃくや)次郎(じろう)。おはようさん。小宮山透子はとっくに着いてるのに遅刻はいかんだろう、遅刻は。交換した者どうし、相手を思いやる心を持たなきゃ実験は成功しないぜ?」


 紅谷は軽薄な調子で言い、小宮山さんの隣に着席した。必然、僕は向かい側に腰をおろす。


「Aセットの列が混んでたんですよ」


 何気なく嘘をついたが、紅谷は混ぜっ返すようなツッコミを入れる。


「さくっと出てくるぶっかけうどんでも頼んでおけよ」


 そうして、一人でうわははと笑った。小宮山さんも僕も、つられて苦笑いなどしないが。


「実験期間中は一緒に行動すると決めたのだから、次は遅れちゃだめよ。さ、早く食べましょ」


 彼女は小声で注意を述べた後、「いただきます」と律儀に言ってみそ汁に箸をつけた。


 その動作を、僕はまじまじと見つめてしまう。なにしろ彼女の外見は、交換の結果僕自身になったわけで、そこには既視感を遥かに上まわる違和感があった。


「白哉次郎、早く食えよ」


 持参したサンドウィッチを牛乳で流し込みながら、紅谷が急かすようなことを言う。交換した二人を朝から監視するためとはいえ、彼がいると僕のしたい話ができない。


「先生、邪魔ですよ」


 特に深い考えもなく、僕は気持ちを口に出した。旧人類の書いた小説などを読むと、彼らは対人関係を円滑にするため、回りくどい気配りを演じ合うらしいが、同じことをする衝動が僕たちにはない。


「俺はこう見えてサイコパス適性値が低いんだ。もっと優しく扱わないと傷ついちゃうぜ?」


 自分は〈超人〉らしくないというアピールは紅谷の得意技だ。実際クラスメイトに見せた場面を目にしたことがあり、冗談ではなく真実なのだろう。だがそれを利用し、生徒たちのガードを低くさせていることは明らかだ。その手の懐柔を僕は好まない。


「用事なら早く済ませてください。僕は小宮山さんと二人きりで過ごしたいんです」


「いきなりイチャつく腹づもりか? 実験の目的をはき違えるんじゃねぇぞ?」


 軽口を叩きながら、紅谷は猛スピードでサンドウィッチをたいらげた。それを見て、彼に僕らを邪魔するつもりはなく、実際はすぐに席を立つ気でいることを察する。


 〈超人〉が空気を読めないという説は、旧人類が流した虚偽情報だ。僕たちは普通に、対人関係の機微を把握する。ただし、それを活用する方法が異なるのだ。


「先生、用事は?」


 紅谷の冗談に一切反応を示さず、小宮山さんが棒読みで訊いた。監視以上の意味がないなら、早くいなくなれ、という意図がむき出しになる。


「お前らさぁ、交換したっていうのに全然変わりないのな。おいちゃんがっかりしちゃうぜ」


 三角パックの牛乳をストローで吸いあげ、肩を落とす紅谷。そのしぐさはあまりにわざとらしく、芝居がかっていた。


 結局、紅谷は僕たち二人の現時点におけるサイコパス適性値を確かめた後、「学園祭も近いんだから、クラスの仕事には顔を出せ」と言い残し、今後の予定表をファイルで送信した。僕はこのとき、小宮山さんがぽつりと洩らした数字を偶然聞き取っていた。


【71・925pt】


 思いの外、高度な値だった。僕と同程度ということが何を意味するか、鈍感でいられるわけがない。


 ひらひら手を振り去っていく教師を見送りながら僕は、小宮山さんにたいする警戒心を一ランクあげた。同時に、ふとした拍子に個人情報が洩れる紅谷の管理法を心のなかで罵倒する。生体端末で全てを管理しているのだから、ネット上で処理すればいいだろうに。


 もっともそれを言い出すと、教師という職業自体の否定に繋がる。彼らの仕事を人工知能で置き換えることは理屈のうえでは可能なのだ。


「社会はある程度の無駄を許容しないと成立しないのかもしれないわね」


 朝食をぱくつきながら、小宮山さんがドキッとするようなことを言った。まるで僕の心理を先読みしたかのような台詞だったが、〈超人〉は場の空気を読むばかりでなく、相手の顔色を窺うのも得意だから不自然なことではない。


 ましてや学級委員を精力的に務めるくらいだし、小宮山さんが対人能力に長けているのは説得力がある。僕のように怠け者でないぶん、高いサイコパシーを十分に発揮しているのだろう。


 僕が思考に没頭しているあいだ、彼女は無駄のない運びで昨日の会話を再現した。


「そういえば実験に参加した理由、知りたがってたわよね。この機会に教えておくわ」


 勿体ぶるそぶりも見せないまま、彼女は淡々と話す。


「私の動機は、共感に目覚めることよ。〈超人〉社会が存亡の危機に立たされてる状況下で、さらなる進歩を模索するための実験にこの身を捧げたいの」


 無表情かつ無愛想な発言だが、それを除けば実に優等生らしい理由づけだ。


 すぐれた種族で社会を構成しようとした挙句、僕たち〈超人〉は壁に突き当たっている。それをどうにかして乗り越えたい。高い自負心と責任を感じさせる回答は、僕が予め抱いていた小宮山さんの印象に即していた。しかし、分からないことがひとつだけある。


「僕たちは皆、何らかの罪を犯してこの島に来たよね。その辺りは教えて貰えないのかな?」


 率直に訊くと、小宮山さんは海苔でご飯を巻き、僕のほうを見あげて言った。


「一度に二回訊くのはマナー違反だわ。それを知りたければ君の動機を教えてくれないと」


 互いがどこまで手札を見せ合い、対人関係で優位に立つか。僕たち〈超人〉は無自覚にマウントを取ろうとするクセがあった。


 僕は自分の情報は最小に抑え、彼女から最大の情報を得ようとしていたのだ。小宮山さんはそれはズルだと言い張り、隠した秘密を知りたければ先に手札を見せろと迫ってきたわけだ。


 なるほど、いいだろう。僕は気持ちの上では胸くそ悪いが、決して不合理な要求ではないため本当のことを口にした。


「僕はヒトを殺した死刑囚なんだ。この実験に参加することで刑が軽くなる」


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