第156話「A Felicidade」
「さー、二人共、もうすぐ着くんよ?」
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風が理を想って車内で歌を歌ったおよそ二十分後に、
先生ちゃんの運転で車は、
【Cafezinho】というお店の駐車場にとまった。
風はそれまでのあいだ理が、
「風の歌で身体の疲れがとれた気がするよ、ありがとな?
あたいもお礼と言っちゃなんだけど、この本をあんたにススメるよ」
そう言って理のバックパックから取り出されて、
風に手渡してくれた、一冊の本、
『L'Oiseau bleu』の装釘を、
なんとなくほくほくと表したくなるような不思議な気持ちで、
ずっと眺めていた。
しかし目的地に到着した為、
いつまでも眺めている訳にもいかず、
風のバックパックへと、本を丁寧に滑り込ませた。
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風は、理の幻装者からの言葉が本当なら、
今でも、本質的にはひとりぼっちなのかもしれないが、
この両目に映る、
理・0111や先生ちゃんの与えてくれるぬくもりは、
どう考えても、現在の風には確かなものに思える。
それから、両親に遺されたと思っていた財産を、
大切に使っていきたかった為、外食は全くしてこなかったから、
「カフェ」というものがなんたるかを知るのは、これが初めての事だった。
Cafezinhoの外観はまるでコーヒーカップそのもので、
無言の存在感がある。
店舗に入ると、まずタッチパネルがあり、ここで注文を済ませるのだと解った。
初めての経験に慎重に構えていると、理の空気が大きく変わった。
「ぅわ♪ ここ『サンドリヨン・シュシュ』とコラボしてる!!」
風には聞き慣れない単語が出てきた為、理に尋ねる、
「理? サンドリヨン・シュシュってなんなの?」
「ぇ!? ぁ……ああ、なんでもないよ風。あたい何か言ったか?」
「ぅ……うん、サンドリ」
「何か言ったか!?」
風に有無を言わせない形相で理に睨まれた為、
風は何も返せなくなってしまい、
「ぃ……ぃぃぇ、なにも……」
そう即座に引き下がった。
でも、理をあんな嬉しげな声音にする、
サンドリヨン・シュシュがどうしても知りたかった為、
タッチパネルに、
「チャイルズ・ミールひとつ、と」
そう色々と訳も解らず注文を終わらせた。
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「じゃー飯が来るまでの間に、
オイラちゃんから、これからのてめーちゃん達の行く先を話す。
これからオイラちゃん達が向かう所は、「Daddy」と呼ばれる存在の所だ」
そこでまた理の空気は明らかに変わったが、
先程のサンドリヨン・シュシュとの空気では、まるで対極の感情を覚える。
「先生……ちゃん、本当……ですか!?」
「おー、その様子じゃ理は「Daddy」の存在を知ってるよーだな。
まー苦労して生きてきたんだろーな。お疲れ様」
「先生ちゃん、どうしてですか!?
あたい達が「Daddy」の……特権階級のもとへゆけるなら、
「Mother」の方へ行きましょうよ!」
風はふたりの話しについて行けず、沈黙するしかない。
「理よ。もう解るだろ? 善と悪は同じコインの表と裏だ。
それに悪の側から見た方が、正義の全景が見渡しやすい。
つまり、オイラが言いたいのは、
悪の方が善のなんたるかを弁えているが、
善とはしばしば悪のなんたるかを理解しないという事だよ。
更に善が悪を理解しているのなら、
悪より善の方が、本来は罪作りとも言える。
だからこそ、先に「Daddy」との謁見にゆく。
基本的にはどっちに行っても変わらん」
先生ちゃんの言葉で理も沈黙する。
「まー、いざとなったらオイラの命を使ってでも、
おまえ達ふたりには旅に出てもらう。
此処にいるオイラの命は、おまえ達よりずいぶん安い代物だからな。
なんにも問題はないよ。心配するな」
その先生ちゃんの「心配するな」という言葉には、
風の両親が伝えていた、同じ言葉に似た響きを覚えていた。
未来の事なんて誰にも分からない。
それでも、理と風の命は、必ず守ってみせるという空気に。
理も風も互いに沈黙しながら、神妙になる。
それでも、先生を信頼するなら、ここは頷く事しかできなかった。
そんな空気を変えたのは、お料理が運ばれて来てからの事。
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「……風……念の為に聞いておくが、それがなんなのか解ってんのか?」
「うん理、……子供用の食事だよね?
風はまだ、未成年だしおかしくないでしょ?」
「……あのなぁ風?
それは十代未満の子供が食べる様な、「お子様ランチ」ってんだよ。
十分おかしいわっ」
「へぇ、そうなんだ……。
それにしてもよくできた見栄えだねぇ。
そうか、これがサンドリヨン・シュシュの世界観なんだ。
凄く可愛らしいキャラクターのお食事だね?
この珍しいお米に立っている旗は格好いいし、風は満足だから別に良いよ。
この旗は気に入ったから、もらっちゃってもいいんだよね?」
「……はぁ……いいよあたいはもう……風の好きにしろよ……」
理はそう言ったけれど、風はチャイルズ・ミールに付いてきた、
綺麗な白いドレスを着た、小さな女の子の人形を、
隣に座る理に差し出した。
「……な……なんだよ風、
ぁ……ぁたいは、そういうのからは……もぅ卒業してんだよ」
理? 風の幻装者の司るものは“空気”なんだよ?
しかし、だからこそ……か。
「風はとっても綺麗なお人形だと思うから捨てたりできないし、
格好いい旗も手に入った、
もしも良かったら理に預かっておいてもらいたいんだよ」
「……しゃ……しゃあねぇなぁ……風は、
たっ……確かに捨てるには勿体無いよなうん!
……ぁ……預かっといてやるよ」
な……なんて言えばいいんだろう……。
理の空気が、……にやにや……、いや……によによ……?
た……多分喜んでくれてるから、
またこのお店に来る事があったらチャイルズ・ミールでいいや……。
旗が気に入ったのも本当の事だし……、
すると、
「ご馳走様」
そう言って先生ちゃんはいつの間にかお食事を済ませてしまった様だ。
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そして、理も風もお食事を済ませ、
円の支払いは先生ちゃんがさっさと済ませてしまっていた。
これだけでもう、
理と風が先生ちゃんに支払う事になっている家庭教師代、
五円以上の価値を先生ちゃんは支払われた訳だから、
先生ちゃんの惑星の価値観が、本当によく解らなくなる。
しかし、疑心暗鬼に囚われる様な空気も、
先生ちゃんから受けないのもまた事実。
未来の事は分からない、
それは不安でもあるけど希望にだって変わる。
お店を出る時に店員さんから渡された小さなカップに入れられたコーヒーは、
苦いどころか激しく甘く、なんとも言えない幸福感を感じられた。
ちょうどそんな時、店内に流れる音楽が、
優しく切なげに、
「幸福には限りがあり 悲しみに終わりはない」と歌っていて、
風の口内の幸福感も、皆で車に乗る頃には溶けきってなくなっていた。
しかし、今はこの街のわずかな勝利者、
「Daddy」のもとへと、一路向かう。
てにしているいちわのとりは
しげみにかくれているひゃくわのとりたちより
ずっとかちがあります
songwriter Antonio Carlos Jobim / Vinicius De Moraes