第154話「男と女」
まただ……、また…………、
風は……、風の身体は万華鏡の中に、
舞い上がる様に、舞い落ちる様に、
たおやかになびいている。
三度目のフライトともなると、
精神的にもいくらか余裕が生まれて、
風の推測でしかないが、
まるで虹色に眩く光る、
無数の膜宇宙の輝きが、
遥か遠くまで続いている事を、見渡す事ができた。
ひとつひとつの輝きは、黒から白へ、赤から青へ、
様々に色彩を変えてゆき、
その数限りない膜宇宙に、
命が宿り、生きて、逝く事に、胸が締め付けられる切なさを覚えた。
確かに想う事は、この光景の美しさは、
正に万華鏡と呼ぶに相応しい。
美しいものが醜くなってゆく事。
醜いものが美しくなってゆく事。
それがこの瞬きの中に、
数では表せられない、命の輝きそのものなんだ……と。
そして……、
そして風は…………、
名残惜しくも、
最も鮮明に憶えている膜宇宙のひとつを見つけ、
薔薇とバックパックとともに、
滑り込み、降り立った。
そこは……、
………………
…………
……
街で風が住んでいた場所、
炎家の斜向かいの道端だ。
途端にJ-D-Vが強制接続され、
風は何も賭ける事はせずに、迅速に接続を終了させた。
もう風も犯罪者として、
「手遅れ」のリストに載ってしまっているのかもしれないが、
だからといって、焦っても仕方がない。
バリアジャケットで現在がいつなのか、
星暦から調べると、Slave Driverで両親と別れた、
翌日という事にはなっていた。
しかし、フライトを三度行った風は、
もうすでに時間というものが、
非常に希薄な概念に思われてしまう。
父親の「現実と事実はほぼ同義」という助言が、
接着剤の様に、ようやく風をこの場所へと立たせてくれている。
急激に心が冷めて、灰明に今日も舞う、
彩雪の移り気な動きを、ぼんやりと目で追いながら、
立ち尽くしそうになる……。
だけれど、風には理という想い人がいる、
なら……、
「動かなきゃ」
先生ちゃんの手紙に頼るなら、
現時点から一ヶ月足らずは、
炎家に住み続けるのも選択肢のひとつではある。
でも今は風の事よりも、
この世界での昨日、
あれから両親がどうなっているのかが一番の気掛かりだ。
まず、母親を訪ねてみよう。
そして、その結論でやっと風の足に力が込められた。
………………
…………
……
炎家に入り、
エレベーターに乗り、少し懐かしくもある、
るぅさのお部屋に近付いていくと、
冷めた心が温もってゆく気がする。
早く会いたい、お母さんに。
そんな想いで、るぅさのお部屋の近くまで訪ねてゆくと、
るぅさのお部屋の前に立つ人物がいた。
……父親だ……。
「やぁ、風・1100、ずいぶん成長したな」
「お父さ……、……看さん……どうしてここに?」
「看は炎家の管理人だよ?
ここで特別な事が起きれば、その対応に来るのは当然だろう?
昨日別れたばかりの風がモニターに映ればなおさらだ。
このまま立ち話もなんだ、一緒に彼女のお部屋に入ろう。
理・0111さんも君を待っているよ」
――っ!?
この言葉には、
何か今まで信じてきていた足場がガラガラと崩れ、
受身も満足にとれずに、空虚に叩き落とされた気分になる……。
「……理が、もうこの世界へ来ているのですか……?」
「ふむ……、
その衝撃は看にもおそらく理解できるから仕方ないが、
それが、この万華鏡惑星の現実なんだよ。
さ、風・1100、部屋へ入ろう」
風の心身はがらんどうになりながらも、
父親に促され、母親のお部屋にとぼとぼとお邪魔した。
………………
…………
……
「いらっしゃい風ちゃん、無事で良かったわ」
その声音のぬくもりが届かぬ程、
風の心は今打ちひしがれていて、
「ただいま……、るぅさ」
そう言葉を紡ぎ出すだけで精一杯だった。
るぅさの介護用ベッドに寄り添う、
風の想い人も、何処かしら、
風と同じ様な空虚さを抱えている様に見える。
「……よぉ風、久し振りだな?」
「…………、……久し振りって理?
風はつい先程まで、君と不良の森にいたばかりなんだよ……?」
「そうか……、だけど本当にあたいには、
風と会えたのは、かなり久し振りの事なんだよ……」
風には目の前で起きている事が信じきれないでいる。
つまり……この両眼に映っている想い人が、
本当に、
さっきまで一緒にいた本物の理なのかすら、
風には判断できなくなってしまった。
世界ってなんなんだ……、時間ってなんなんだ……、
人間ってなんなんだ……、風って一体なんなんだ……。
「風? あたいにも、今風が悩んでいる事が多少解るよ。
なぜならあたいには幻装者がいる。
だからこそ風にも伝えるが、
あたい達は悟りでもしない限り、
自身の見ている『主観的時刻』の中から、
そう簡単には抜け出す事はできないんだよ。
本物か偽物かじゃない、全員本人で、全て虚像だ。
そして、その現実を受け入れる中で取捨選択し、
それでも一緒にいたいと願うなら、
あとはもう信じるより他ないんだ」
「理!? それなら風達はっ――!?」
「そうだよ風?
あたい達が、例えこれからどれほど傍で過ごそうとも……」
そこで理はひとつ息を吐いて、
「あたい達は、同じ時を過ごす事はできないんだ」
諦めた空気で、その言葉をも吐き出した。
………………
…………
……
それからしばらくは、沈黙が場を支配した。
自らに突き付けられた現実にも閉口せざるを得なかったし、
理に対する希望の関心事、
「ご両親には会えたの?」。
その言葉も、現在の風には重すぎて、
とても言葉にできそうにない。
良い結果だとしたら、
理の空気もここまで沈んではいないだろうし……。
室内の両親も想い人も風も、
このままでは沈黙に押し潰されそうだったが、
「心配ない」「心配ないわ」
そう風の両親の声音が、
しなやかな強さで重なった。
風には、何が心配ないのか理解できず、
理と視線を交わしてから、両親の次の言葉を待つ。
「人生が残酷なのは、皆一緒だ。
だからといって、人生の歓喜が、
当たり前の様に与えられている事に感謝できなくては、
人生は、より一層惨めなものとなってしまう。
その為の、おまじないだよ。
すぐに受け入れてくれなくても構わない。
でも、看達の夫婦生活は、
今までそれでなんとか乗り越えてきた。
それが夫婦の秘した花だったのだけれど、
ふたを開けてみればどうだい?
ざまぁないだろう?」
「あなた達なら必ず乗り越えられるわ。
だって、全数字にだって乗り越えられたんですもの」
両親の空気には揺るぎない力を感じる。
これが長年苦楽を共にしてきた人達の繋がりか……。
風の人生に、これまでまるで及びもしなかった考えが芽生える。
理・0111、君と、こんなに強く結びつけたら……。
「ん? おっと……皆、すまない。
看はそろそろ管理業務に戻らねばならない。
二人共、ではな。るぅさ、じゃあね」
そう、るぅさを呼んだお父さんの声音は、
風の、
「愛」とは何かという疑問に対するひとつの答えにすら聴こえた。
「いってらっしゃい、看、無理はしないでね」
そのお母さんの声音に、風は確かに覚えられた。
自分が愛されて、この世に産まれ落ちた事を。
嗚呼…………、風は生まれてきても良かったんだと……。
しかし……、
「じゃあ、理ちゃんも風もお疲れでしょうから、
風のお部屋で、今日はふたりで休んだら?」
母親のその言葉で、風の空気は凍った。
……ぇ?
…………え?
「るぅさ、ちょっと待ってよ!?
理だって風のお部屋はイヤだろうし、
女性同士、るぅさのお部屋に泊めてあげてよ!?」
「風? るぅさは身動きが不自由だし、
訪問看護やヘルパーさんが出入りするから、
理ちゃんをゆっくりとは休ませてあげられないわ」
で……、でも…………、風らは年頃の男と女で……。
「なんだ風?
あたいに見られたら困る物でも部屋にあるのか?
あたいは今、正直ゆっくり眠りたい。
あんたがあたいに変なちょっかい出してきたら、
殺してやるから安心しろ」
そんなこんなで……、
………………
…………
……
風のお部屋に着くなり、
理はバックパックを適当におろして、
お風呂も、シャワーさえ浴びずに、
風のお部屋の小さなソファへ一直線。
「おやすみ、風」
そう言い残して、
ソファに丸まり、本当にすぐに寝静まってしまった。
理は、ボロボロだったんだ…………。
風は何故だか、そんな彼女の寝顔を見ていると、
薔薇で曲を作ってみたくなった。
これからの不安は消えてくれやしないけれど、
今の風が、どれ程、君に生かされているか伝えたくて。
……大丈夫、心配ない……。
そう心におまじないを染み込ませながら。
じぶんをせめるのもほどほどに
わたしたちは
みなおなじふねにのるなかまです
歌 カタリカタリ