第150話「不良の森」
母親に靴のリフォームをお願いした次の日の白夜。
まだ風の身体に刺さったままの『尖った蜜』の、
既に閲覧可能になった護身術のデータを、
「NSFD」を通して身に染み込ませようと自習の為、不良の森に向かう途中、
Green Grassのロビーで理が風を待っていた。
待ってくれていたという事実は、空気から伝わってくる。
「おはよう、理。風を待ってくれていたみたいだね」
「……やっぱり、風には伝わっちまうんだな」
風は理に、なんとなく肩をすくめてみせる。
「風はこれから先生ちゃんに言われた自習の為に、
森に向かおうと思っていたんだけれど、
もし良かったら理も一緒に行かないかな?」
「そう……だな、あたいの話しも此処よりも森の方がいいか……。
分かった、風と一緒に行くよ」
そうして風達は二人きりで森に向かう事になる。
風は理への想いが伝わりすぎぬ様に、自然に振舞う事に努めた。
………………
…………
……
静かな森を、白夜の光が突き抜けるその道すがら、
「あの……理? 大分遅くなっちゃったけど、このハンカチ有難う」
風は自然選択室で借りた、
理の、白い馬が刺繍されたハンカチをようやく返す事ができた。
「風は律儀だな、って――うおっ、……すげぇキレイにシミが落ちてる!?」
「うん、そぅるさんに手伝ってもらったんだけどね?
それに、そぅるさんと言えば、理のその靴も?」
理の靴は、今や風の履いてる靴と同じ物へと変わっていた。
「ああ、風もか。
あたいもそぅるさんがリフォームしてくれるって事になってね」
その理の会話の空気で、
風とそぅるさんが親子である事は気付いていない事が理解できた。
それでも風が、理に対して誠実でありたいなら、
風の両親の事も、風の理への想いも、
なるべく早く、しっかりと伝えなくてはいけない。
それでも今は……、
「それじゃあ理の本題について、落ち着いて話し合おうか?」
「ああ、そうだな……、
風も誰かから聞いてるかもしれないが、この不良の森の存在についてだ。
ひょっとしたら、
あたい達がここにいられる可能性も、あとわずかかもしれない事には、
風は気付いてるか?」
「うん」
風ははっきりと返事をした。
「そうか、多分あたいら三人の中で、一番ヤバいのは先生ちゃんだろ?
先生ちゃんなら何処へ行っても平気なんだろうが、
そうするとあたいと風が困る、授業はまだ、始まったばかりなんだからな」
「そうだね。その為の交差点にはアテがあるよ」
「そうか風!? それは良い情報が聞けた」
「でも、どの道、
再び街に入る事を望み、星凪交差点に戻るなら、
J-D-Vからは逃げられないと思うよ。
風も理もまた、街の有名人に逆戻りさ」
「だろうね……」
その声音と空気で、星凪交差点と含みを持たせた真意。
そこで風らはお別れなのだという事実を、理が知らない事を確信した。
これは所謂、誘導尋問で、自分自身の空気の扱い方に嫌悪を抱く。
しかし、理への想いと風の両親の事、想い人との別れの期日、
風の人生で、これ程重い選択が重なる事は初めてだから、慎重にもなる。
風からしてみたら、不良の森の事情さえ知らなければ、
ここが風の終の棲家でさえ構わなかった。
理・0111……君がいて、両親に良き師がいる。
それでも不良の森は……、
………………
…………
……
そぅるさんから聴いた話しでは、
不良の森は、街が人工的に作り出した大森林で、
Green Grassは、この森で行き場をなくした者達の、
養護であり介護施設の側面も持つ。
そぅるさんの様に先天的に身体の「NSFD」が正しく機能しない人や、
精神疾患、身寄りのない子供、様々なモノに対する中毒、依存症者等々、
数え上げたらキリがない程、多種多様な人々が住んでいる。
それでも街の管理下には、彩雪に月花草、
「NSFD」にJ-D-Vがあるから、医療従事者達を筆頭に連携を組み、
そぅるさんと魂さんが運営している実態がある。
そこで一番問題となるのは、薬物依存者らしい。
さすがに「氷茶」の様な実物の覚醒剤は手に入らないらしいが、
J-D-Vに接続して金銭を稼いでいる依存症者の中には、
「脳鉄」という電子ドラッグが流行ってしまっている様だ。
故に街の警察や麻取が不規則的に森の中へJ-D-Vの巡察にやって来る。
「脳鉄」にも依存性がある為、
「手遅れ」と判断されたら自然選択室が待っている。
風と理にとって一番問題なのは、検査をされる中で、
必ずJ-D-Vに接続しなくてはならなくなる点と、
街は絶対に先生ちゃんの存在を見逃すはずがないという事。
そうなってしまえば、もう不良の森も安全地帯でなくなる。
………………
…………
……
「ハッ! また警察や麻取との駆け引き生活に逆戻りかよっ!
結局この森も奴らの飼い主からご褒美をもらう為の餌の餌って訳だっ!!」
「理、それは言い過ぎじゃないかな?
先生ちゃんの星の言うように、
みんながみんな、その瞬間瞬間に与えられた、
その人の正しさや役割に従っているだけだよ。
世界が一元論でも二元論でも多元論でも、
結局その人個人の色眼鏡次第だと思う。
とどのつまり誰だって、心の底では自分を信じているんだ」
「また風は訳の分からない単語並べやがって、
嬉しかったら、喜べよ!
ムカついたら、怒れよ!
失ったら、哀しめよ!
笑える様に、楽しめよ!
だから、あんたは笑えないんだ……ょ……」
理の語調は尻すぼみに、そこから彼女の深い謝罪の空気を感じてしまい、
「気にしなくていいよ理。
確かに風は楽しいとか面白いとか、本当にはよく解らない。
どんな時に笑ったらいいかも理解に苦しむ。
それでも、どうしたんだい理?
幻装者を覚醒させてからは、
あんなに大人しかったのに……」
「……それは……………………だろ……」
「……ぇ? 理、今なんて?」
風の空気でも微細にしか聴こえなかった。
だけど風の聞き間違いじゃなかったら……。
「うるせぇっ! なんでもねぇよ!」
彼女の顔はうっすら赤らんで、
それを見た風も、見てはいけないものを見てしまった気がして、
彼女を直視できなくなってしまう。
そしてなんとなく、森に流れる風で揺れる月花草を見つめる。
彼女は社会で、時に命懸けで生活をしてきた女性だ。
街の抱える闇、汚濁も、風以上にその眼にし、経験してきたんだろう。
そのひとつひとつの痛みや哀しみを、風には癒してあげられる手立てがない。
とても自分自身に失望し、無力感に苛まれる……。
だけど……、
だけど…………、
「理・0111? あのさ?」
「なんだよ?」
「今の風の精一杯の想いなんだけど、
どれだけ嫌悪や憎悪を抱いている人間に対しても、
風は、いずれはそれを許して、
受け入れなきゃならない日が、誰にでもやって来ると信じ始めているんだよ」
「風? あんたは神様にでもなる気かい?
あたいにゃとてもそんな話しは信じられないね」
「風にもただ、そうなったらいいなって、
全部受け入れて、みんなが好きになれる覚悟が欲しい、
そんな風に腹をくくれる人間になりたいって願望だけだけど、
理・0111…………君といると、
そんな気持ちでいる事が、風にはとても心地のいいものなんだ」
「…………、あんたが何を言いたいのか、あたいにはさっぱり解らないね」
……うん、つまり……風は、
こう伝えたいんだろう、それは仕方がないんだろう……。
思いがけない程、とても自然な想いで、空気は震え、
はっきりとした音圧を彼女に当てる。
「理・0111、風は、貴女の事が好きです」
………………
…………
……
伝えたくてたまらないのなら、伝えておいた方がいいと想う。
生きる、
そう決めたら、神様が永遠永久を与えて下さらない限り、
人生は、とてもとても短いものだから……。
風の聞き間違いじゃないのなら、
「あんたといるから」、
そんな宝物の様な言葉をくれた、
いつも勝気な天使の為に。
風に信じられないくらいの嬉しさをくれる君への、
わずかでも、感謝を捧げる想いになったらいいんだけれど。
あなたは
いちげんろん にげんろん たげんろんのどれ?
きみがいてくれるならぼくはどれでもかまわない
歌 BLANKEY JET CITY 作詞・作曲 浅井健一