第148話「ハイウェイ」
先生ちゃんの惑星の話しと、
『尖った蜜』でのデータ蓄積を始めた日の黒夜。
Green Grassのお部屋で、
「NSFD」に流れていくデータを、
何気なく眺めていたら、風のお部屋の扉の前に、
母親の空気を感じた為、
扉を隔てながらも、
「そぅるさん?」
そう声をお掛けした。
直後にそぅるさんの空気が、
ありありと肩を落としたものだから、
風はどうすれば良いものなのか、迷ってしまう。
その間に、
「風くん、今ちょっといいかしら?」
扉越しにそぅるさんからお呼びが掛かった。
………………
…………
……
「――悪かったわね、
そぅるの部屋まで来てもらっちゃって、適当に座って?」
「はい、失礼します。風にご用ってなんですか?」
先程から、会話を重ねれば重ねる程、
そぅるさんの空気を曇らせてしまっている。
その原因は風にも察する事ができていると思うが、
いきなり「お母さん」だなんて呼べない……。
風にもどうすれば良いのか分からなかった為に、
普通の家庭が、こんな会話をするものなのかどうかも分からなかったが、
聞いておいてもらった方が、風にはメリットがあるだろうと、
風が理に抱いている想いや、
それだからこそ、
そぅるさんや父親とは一線を引いておきたい事を伝えた。
すると――、
「そうだったの!? 分かったわ♪」
一瞬にして、そぅるさんの空気は輝いてさえ見えた。
風の空気でも、何がそこまで彼女を喜ばせたのかは分からない。
「そぅるも理さんなら安心するわ♪
魂とも相談して、さりげなーく、応援してあげるわね♪」
……い、いや、そこまでは……、でも――、
「そぅるさん、風、女性を好きだって、恋を初めてしているんです。
でも、だからって彼女とどうしたいって想いに戸惑っていて、
一緒に過ごせるだけで、今は十分なんです」
「わかるわぁ、その気持ち♪ ……ぇ……でも、あら?
……そういえば、理さんは、
風くんには他に好きな女性がいるって言っていたわよ?」
すぐさまそぅるさんの空気は、風への疑いの色に染まる。
しかし、そんな眼差しを向けられても、風には心当たりなどない。
「過去へ来るまで風の人生に深く関わった女性なんて、
理と貴女しかいませんよ!?」
そこでまたそぅるさんの空気は、ハッとして、
その後に何か……わずかにげんなりとした空気に変わる。
「……謎は全て解けたわ……、
理さんも風くんの事、分かった様な口ぶりだったけど、
あの娘も結構鈍いのね……」
……? それって、どういう……?
………………
…………
……
――! あれって、そういう――、
「……事だったんだ」
つまり未来に理が、風とるぅさがお似合いだと言っていたのは、
理は風が母親に恋をしていると思っていたのか……。
「と、いうことの様ね」
確かにあの頃は、
母親とのふれあいが風の生き甲斐だったから、
そう見えてもおかしくはなかったのかもしれない……。
「一応聞いておくけど、そぅると風くんには、なにもなかったわよね?」
「っ!? 当たり前じゃないですかっ!」
「風くん、乱れ過ぎ、……でも、そぅるも安心したわ」
だけどもしも、風の人生に理が現れてくれなかったら、
風自身は、その中でるぅさの事をどう思っていったかと考えると、
少しだけ冷えた身震いがした。
「よし! 貴重な話しも聞けた事だし、
そろそろそぅるの本題に入らせてもらうわ。
風くん……?」
「はい?」
「ここで、脱いでもらえる?」
――っ!?
………………
…………
……
そして、風は脱ぎ始めた――、
「……うわぁ!? 大分キツそうでカタクなっちゃってるわね?」
「そ……それは、風のひとつきりの、一応大事なモノだから……」
「……一応ね……、それでも嬉しいわ……、じゃあ、触らせてもらえる?」
――風の履いていた靴を。
「よしっ! これで風くんの靴をリフォームできるわ♪
代わりも用意してあるから、これ履いておいて」
そう言ってそぅるさんは風に、
まるで、映像でしか知らない、
レストランで見かける様な、
平べったい、ピザ生地の様に見える、
円形で白い、おそらく合成繊維の様なものを、風に渡してくれた。
「その生地を床に並べて置いて、両足で踏んでみて、
そしたら自然に履かせてくれるわ」
そぅるさんに言われるがままに、
生地を並べて置いて踏んでみると、
途端に生地が生き物の様に動き出し、
あっと言う間に足に絡みついてきて、
風は靴を履き終えていた。
信じられないくらい、心地よく、足にフィットしている。
「風くんの靴は、街で成人を迎えるまでの、
大体のサイズ調整ができる程度の靴にしておく予定だったの。
風くんが成人を迎えたら、そぅるも魂も、
あなたの親である事を、告白しようと考えていたから」
風はその言葉に少しの間沈黙し、それから口を開いた。
「なぜ……? なぜそぅるさん達は、
風から距離を置いて育てる事にしたんですか?」
「あなたに、この世界を、
少しでも早く知ってもらう為、
そして、そこからあなたに一日でも早く自立してもらいたかったから。
全てを奪っておいてから、全てを与えたかったのよ」
風は言葉を失った……。なんだよそれ!?
その言葉だけが、頭の中を埋め尽くした。
それでも彼女の言葉はまだ続いた。
「風・1100?
そぅるは生まれながらにして、
元々、街の全数字で孤児だったわ。
物心がついた時には、両親も他人も酷く憎んでいて、
魂と出会うまで、生まれてきた意味を渇望していた。
もちろん魂にさえ、最初はまるで信頼も興味もなかった。
それでも魂は、出会った頃からずっと、そぅるばかりにかまってきたの。
ある日、そぅるは魂に対して堪忍袋の緒が切れて、
彼とのご縁をきっぱり断ち切ろうと考えて、ある贈り物をする事に決めたの。
風には、それが何か分かる?」
彼女の「風」と呼ぶ声音は、
確かに彼女がるぅさなのだと想起させる程、優しい声音だったけれど、
その贈り物については、見当がつかず、風は首を横に振った。
「風? 女性から男性に靴を贈るのはね?
「その靴を履いて、私から離れていって」そういう風習があったの。
だから、これで魂をそぅるの元から追い出せると思った。
感字の魂に、
一時の同情から傍に居てもらっても、年を重ねれば、
そぅるはどんどん魂を重くして、お互いに惨めになるだけって、
その時は、信じて疑わなかったから」
確かに、母親は街での生き甲斐だったけれど、
一緒に……、結婚するとなると、風には考えが及ばない話しになる。
肉体的にも精神的にも、歩調の合う合わないは、とても重要な事だろう。
「それでも魂は言ったわ。「魂の感字は、君にしか震えないんだ。君が人生をそんな捨て鉢にしかできないのなら、魂も、君と一緒に死ぬよ」と。そぅるはその言葉を買ったわ。どうせそぅるの人生なんて先は真っ暗だったし、魂の売り言葉の化けの皮も剥がしてやるつもりでね?」
なんとなく話しの先が読める気がする。
つまり母親も父親も……、
「……では、ふたりはフィフティー・ミラーで……」
「そう、お互いが投身自殺未遂した先が不良の森だった訳。
そして、生き残ったそぅるに魂が笑いながら告げたの。
「どうやら、魂達は、まだツイてるみたいだね」って。
それで、そぅるは生まれて初めて覚えたのよ。
そぅるは独りじゃないんだって。
生きてて良かったって。
この人だけは、信じてみようって」
両親の馴れ初めが分かったと同時に、
風には、どうしても解消しておきたい疑問が生まれた。
「あの、そ……そぅるさんの未来の、
街での十分な介護を受ける為が、
まず、前提にあるとは解っているんですが、
それってそんなに急いで稼ぎ出してまで、
街に入らなきゃならないものなんですか?
不良の森だって、十分良い場所じゃないでしょうか?」
その問い掛けで、明らかにそぅるさんの空気は、厳しく様変わりをした。
「あのね、風? 不良の森はね……?」
………………
…………
……
ここが不良の森と呼ばれる理由が解り、
母親や父親はともかく、
風や理や先生ちゃんのここにいる中での不安材料のひとつを知った。
場合によっては、
本当に樺崖を利用しなくてはならないかもしれない。
だからこそ今は、母親との時間を大切にしたい。
「そぅる……さん?
もし良かったら、猫のアヴァターの向こうの、
そぅるさんに、会いたいです」
大きな猫は、直後に驚きで肩を震わせて、
しかし、
やがて少しずつ、アヴァターが解けていった。
その懐かしい未来の背中は今、
机の上の、風の靴へと一所懸命に向かっていた。
風は心の中で、虚心坦懐に呟く。
……初めまして、お母さん……
いたみなくしてえるものなし
しっぱいをかさねてせいこうへ
きみいじょうのたからものはいまだにないけれどね
歌 くるり 作詞・作曲 岸田繁