第147話「The Free Design」
今日の先生ちゃんの授業、
第一声は、
「さて、今日の授業は、
より高度な護身術の基本と応用のデータ蓄積と、
この星を出てからの、他の星々での「コミュニケーションの体系」の理解」
そして、そこまで言い終えてから、神妙な所作で、
先生ちゃんは何故か丁寧に、風らに対して頭を下げられ、
「それから先ず、最初にオイラからのお願いがあります」
………………
…………
……
その先生ちゃんのお願いの冒頭は、
先生ちゃんの生まれた星の、ひとつの価値基準から始まった。
「オイラの生まれた星の、
正式な名称は【地球】と呼ばれる、
およそ全宇宙の中でも、最も歴史と文明の誕生が古い星のひとつと、
オイラの星の人間達の間では考えられている。
そして、オイラの生まれた星の基準では、
ある一定の生活水準や感情や知性、
文明と呼ぶ事のできるものがある星々は、
全て地球と呼ばれている。
だから、オイラの生まれの価値観からすれば、
この星もまた地球なんだよ。
全てパラレルワールドの考えから発生した、
別の可能性の地球……ま、オイラの星の建前からすりゃ、
同じ生きる歓喜と苦悩を抱えた存在同士、
統合したいという考えだ。
オイラは大概で身勝手なこの考えを好いてはいないがな」
そこで先生ちゃんは、ここまではいいか?
そう言いたげに、言葉を区切った。
風には質問もなかったし、理も落ち着いて傾聴していた。
先生ちゃんの話しよりも、幻装者を覚醒させてからの、
理の大人しさの方が、風は遥かに驚きを覚えている。
理からは、以前の明らかな刺々しい空気が、ずいぶん鳴りを静めていた。
「だからといって、オイラの星にも問題は尽きない。
それぞれの地球によって、「惑星」の定義は様々だが、
オイラの地球に最も一般へ広まっている「惑星」の主旨は、
『惑いし生命を宿す星』という事になっている。
さればこそ、オイラの星の、
有名で有力な言葉のひとつに、こんなモノがある。
『問題は神から与えられる障害ではなく役割である』、てな。
要は、何処までいっても問題が解決できないのであれば、
もういっその事、個々に与えられている役割を受け入れ、
精一杯人生を楽しんでしまおう、そういう原理だな。
おまえ達なら、容易に察してもらえると思うが、
この原理で動く者達の中には、犯罪者も大勢いた。
なぜなら、そういう役割を、
神に与えられたのだから、そう居直ってな。
しかし、幾千幾万を超えた歴史を経てもなお、
それでもオイラの星は生き残り続けた。
その中で、オイラ達の地球を訪れた様々な者達が、
こんな別称を名付けるまでに至った。
あくまで先人に礼を払い、星の正式名称は【地球】のままだが、
いつ頃からかの、その別称は、
【予定調和惑星・Harmonia】」
………………
…………
……
僕の空気が教えてくれている、
先生ちゃん……、空蝉先生のお話の本意はここからだと。
理がそれを理解し始めた空気も感じられる。
「おまえ達がこのPolarisから出たら、
先ずはその人生に与えられた自由度の高さに戸惑いを覚えるだろう。
だから、その戸惑いを、少しでも払拭させる為に、
オイラは今、ここに立っている。
オイラの生まれた地球に、
重犯罪者としてこき使われながらも、
オイラはオイラの夢の為に、仕事をこなし続けてゆく。
その仕事の目的は、星々をめぐる政治的なやりとりの交渉の仲立ちから、
おまえ達と出会えた、優秀な人材育成まで様々だ」
風が優秀な人材……? そこには大きな疑問が残る。
「あたいの何処が優秀なんでしょうか?」
理も同じ疑問を持った様だ。
「端的な、オイラの判断の大きな要因では、
死を覚悟した事のある眼をしている若者の事だな」
すかさずの空蝉先生の即答だった。
でしたら、
「風からも質問です。先生の地球は何の為に、
規格外の値段を付けてまで、先生の様な優れた家庭教師を派遣し、
現地の人間の育成まで行われているのでしょうか?」
「風・1100、とても重要で有難い質問だな。
だからこそ、オイラも真剣に答える。
オイラはオイラの人生の目的がすでに見つかっている。
しかし、おまえ達には、それがまだ見つかっていない。
故に、この宇宙が、果てしなき輪廻の流れの中にあるのなら、
オイラ達は、この先、別れ、そして、再び出会うだろう。
その時に、自ずと由となる。
善でも悪でもいい。後悔のない生き方を自由に選んで歩け。
誰かの為に己を良薬としてもいい。
一見害しか与える事を見い出せない毒にも、
“毒を以て毒を制す”、そんな強かさがある。
その闇を理解しなければ裁けない闇もあるしな。
だがな? 多くの人類が最も必要としているモノは、薬でも毒でもない。
ただ清かに湧き出ずる、何の変哲もない、
自然のままの水だという事は、どうか忘れないでくれ。
オイラ達の仕事は、様々な地球の人間に、
絵画に必要な道具を渡し、オイラ達では思いつく事ができない、
おまえ達の唯一、心身に描くものに希望を託す事だ。
最初はあまりの彩りに躊躇うだろうが、慎重に、かつ大胆に描け。
全ての存在が、ただ己の役割を、あるがままにある事を忘れずにな」
「……風は、もっと具体的な、
空蝉先生の星の目的をお聞きしているんです。
それだけでは先生にお支払いする微々たる金額の釣り合いが取れません」
「風・1100?
おまえは「自由」を、天国かなにかと勘違いし始めているのか?
理・0111にも伝えたぞ、
都を離れ、天国を探しても無駄だ。
天国も地獄も、おまえ自身の心の中にしかない。
現実にある、天国や地獄など、
人生の中の、切り取ったほんの一コマに過ぎない。
「不自由」を受け入れられるから、社会というものが生まれ、
そこで生き、死んでゆく強さだって人間にはある。
釣り合いが取れないと思っているのは、
おまえがまだせかいを侮っているからだ。
もう一度、念を押しておく、
オイラより、先に逝くんじゃねぇぞ、
生き残れ、二人とも」
………………
…………
……
風には、なかなか納得がいかなかったが、
空蝉先生とのこれまでを振り返って、
この方の声音には空気を纏った今ですら、
嘘偽りの空気を、ほとんど感じられない。
風もまた、理と離れる時が近付いてゆく中で、
様々なものとの決別を、覚悟しなくてはならない事だけは解る。
そして今、
護身術の基本と応用のデータ蓄積と、
他の星々での「コミュニケーションの体系」の理解の為に、
風と理は再び、『尖った蜜』へと頼っていた。
先生ちゃん曰く、
「おまえ達の「NSFD」でさえ、
今回のデータの受け渡しは尋常じゃない。一人一本ずつな?
正味、零日以上は掛かるだろうから、次の授業はまたその後だ」
零日!? 確かに尋常じゃない情報量だ……。
「あの……、あたいお風呂には入れないんでしょうか?」
理の女性らしい質問に、少しドキッとする。
「刺さっている部分を入浴中にも、常に意識できるならべつにいーよ。
あんまり強い負荷が掛かると、さすがに刺さってるから多少痛むぞ。
シャワーで我慢できねーかな?」
彼女はだんまりとして、
「…………、分かりました」と短く会話を終わらせた。
「理・0111よ? 女子の死活問題だろーから、仕方ねーけど。
オイラも風ちんも男の子だって事は、頭に入れといてくれよ?」
先生ちゃんも話題の中に混ぜてくれているのは、
理に風の想いを悟らせない為と、風への注意でもあるのだろう。
どちらにせよ感謝です。
理は軽く頷いて、自身の言動に恥じている空気はなかった。
「なら、『尖った蜜』が抜ける日まで、
各自で自習、それからは実戦の状況を想定した訓練に入る」
先生ちゃんのその言葉に、理は明らかに高揚し、
風もまた腹をくくった。
……しかし、零日後がやって来るまでに、
風には、
大きな転機がいくつも待っている事を知るすべもなかった。
ゆめみたものはいずれじつげんされる
じこのやさしさをたいせつに
たびにでるじゅんびをしましょう
Song Stereolab