第139話「שלום חברים~シャローム・ハベリム~」
空蝉先生からの、
おおまかに「自身の為に人は殺さないでくれ」という教えを受けて、
いよいよ風達は、
空蝉先生からの、実践的な護身術を教わる流れになる。
「先ず理にとっての護身術は、
不意の近接戦闘の状況で如何に相手を制するか、
それを護身だと、重く理解している様に見えるが、
オイラにとってより良い護身術とは、
「危険な状況そのものの回避」への徹底的な理解の事だ。
おまえ達がこの星から出て、旅をしてゆく中で、
「危険を感じる場所」「危険な時間帯の外出」等を極力減らせ、
多種多様で臨機応変だが、それが「危険な状況そのものの回避」、
オイラの教えられる、それが最も有効な護身術だよ。
陳腐に聞こえるかもしれないが、
可能な限り、光に照らされた、明るい道を歩いて欲しいという訳だ」
あ……、また理の空気が不穏になる。
「先生ちゃん? そんな事はあたいだって解ってるよ。
でも、避けられない危険だって、いくらでもある事も解ってるから、
貴方を雇っているんでしょ?」
理の明確な嫌味を込められた言葉へも先生ちゃんは動じない、
それこそあらかじめの罠へと、
理を落とし込んだ空気を感じる。
「もちろんだ。オイラが言いてーのは、
争いを避ける、起こる前に鎮火させる、
心理戦や情報戦を、常に行い続ける姿勢を保つ事を奨めてる。
その中にも“無為自然”の穏やかさを備えられれば、よりしなやかで良い。
これは、授業内容の重要事項だから、何度でも言う。
「危険な状況そのものの回避」をどの段階で始められるかが、優秀な護身術だ」
理の空気の不穏さは、若干収まり、
空蝉先生は次の手で一気に詰める空気。
「理は、育ってきた場所が場所だからな。
故に、オイラも悩んだが、
理には、“クラヴ・マガ”という近接格闘術の内にある護身術から教えていく」
今日の授業が始まってから、
初めて理の空気に躍動感がみなぎりはじめる。
「この格闘術は、
「致命的な死線からの生還」を追求した術理に基づいている。
雇用主である理の要望へ、応えうるものとして判断した」
術理……? なんとなく感じ取れるものはあるが、
疑問を尋ねる事にする。
「空蝉先生、「術理」とはなんでしょうか?」
「風ちんは遠慮しぃだな。今は「先生ちゃん」でもいいんだぜ?
ここにはオイラと生徒達だけだし、
オイラもおまえ達から学んでいるんだからな?」
「はい……、……では、先生ちゃん、「術理」の意味を教えて下さい」
「うん。術理とは、
戦闘を収める術への、
より効率的な物理法則の体得だな」
なるほど……、
風の合気道にしたって物理法則に則っているに決まっている。
るぅさの介助にしたって、
始まりは合気道の為に人の重心移動への理解を深めたかったのが発端だ。
先生ちゃんの「体得」とは言葉通り、
その術理を自然に心身に覚える事を意味していると思える。
「そのクラヴ・マガは、いつからあたいに教えてもらえるんですか?」
理の空気は、ようやく自分自身の望む授業内容になってきた事で、
朗らかささえ帯びていた。
だけど……、
「理? もう一度言う。
“クラヴ・マガ”を教えるオイラの目的は、
「致命的な死線からの生還」だ。
脅威に対しての完全な鎮圧が主目的ではない。
一例として、「防御から攻撃への素早い転換」で、
理の逃走が可能な、一時的な脅威への牽制ができれば、
その時点で勝利とさえ言っていい。
要は有効な一撃を入れて、相手が怯んだら、一目散に全力で逃げろ。
逃げる際に大声を出して、助けを求める事が有効な場合もあるだろう。
おまえがそういう類の人間なら仕方ねーが、
相手と対峙して、
どちらが強いか白黒つけなきゃ気が済まない生き方は、
それなりにしんどい痛みと思いを避けられない。
此処に居るオイラはほとんど不死身だが、
「目的」と闘る時まで、
戦闘から離れる訳にはいかねー理由がある。
だから、オイラは戦闘の場に自身を置く事が、生きる目的なんだよ。
しかし、おまえ達には戦闘の理由は、今のところ無いだろ?
矛盾だが、オイラは戦闘を一義に置く生き方を、
生徒達には極力奨めたくない」
っ……? 聞き捨てならない言葉がある。
「先生ちゃん、風の聞き間違えでなければ、
今、先生ちゃんは「不死身」と言いましたよね?」
「あたいも確かにそう聞いた。
先生ちゃんが「不死身」ってどういう意味ですか?」
「それは齟齬だな。「ほとんど」と言ったぞ。
オイラの命は、然るべき場所で、厳重に拘束されている。
これから行う訓練の中で、その意味はわかってゆくさ。
オイラが旅を続ける中で付けられた、異名のひとつ……、」
そこで言葉を区切った先生ちゃんの空気は、
風の感情が大きく併発され、とても一言で表せるものではなかった。
最中にも言葉は紡がれる。
「オイラが『個別の幻影』で在る事を」
………………
…………
……
その言葉を咀嚼して理解に及ぶには、
到底短い時間で、さらに言葉を失う様な確言がなされた。
「それでは、今からおまえ達を殺す」
あまりにも平板な声音で、
まるで一日の始めの挨拶かとすら感じた瞬間に、
先生ちゃんは一瞬で、風との間合いを詰めていて、
お面の向こう側の先生ちゃんと瞬く暇、
先生ちゃんの空気は、刹那とても優しげに、風に微笑みかけてから、
いつの間にか手にしていた鋭利なナイフを、風の心臓へ、
極めて正確に突き刺した。
………………
…………
……
…………はずなのに……、風は……生きていた。
ぇ……!?
……刺傷すらない……。
激しい動揺が風を襲い始める間に、
先生ちゃんは、
理の発声の沈黙も終えていた。
………………
…………
……
風から、そして理の落ち着くまでを待ち、
先生……ちゃんは、とても穏やかな声音で、
教えを示された。
「さっきのが、
オイラが示せる限りの、
命を平等に扱う人間が発する殺意だ」
……整理できず呆けた部分もあるが、
これは問い質しておかなければならない。
「先生……ちゃん、
極力肉体以上の武器は使うなって仰いましたよね?
あのナイフは、先生ちゃんの中で、許される行いなのでしょうか?」
風は声音に、若干先生ちゃんへの憮然を込めた。
「おー風ちんの幻想者は、
殺意の可視化までできるのか、そいつ大切にしてやれよ?」
「っ……? 殺意の可視化? では……?」
「ああ、オイラはナイフを持ってねーよ。
だからといって、オイラの身体は、余程物騒なもん抱えてるけどな?」
「……あたいも、先生ちゃんに聞きたい。
先生ちゃんが人を殺した事がないって、嘘でしょ?」
「いや、オイラは嘘を吐いてねーよ」
「あたいにだって……、
風の様な幻想者を纏っていない、
あたいにだって、一瞬で覚えられたんだ!?
あたいは殺されたって体感を」
「オイラ言ったろ?
オイラが示せる限りの命を平等に扱う人間が発する殺意だ、と。
おまえ達がサバイバル環境に身を置き、
獲物を仕留めて、己の糧にしてゆく事を繰り返してゆけば、
自ずと身に付いてゆく殺意だよ」
風はさらに疑問が湧き上がる。
「でしたら先生ちゃんの、
「何故人だけは殺していけないのか?」が、
非常に曖昧模糊としたものに感じられてしまうのですが?」
「風ちん? そりゃー非常に単純な問題だよ。
人が争う事で失われる命の規模が、
他の生物とは比べ物にならない程、甚大だからだよ」
先生ちゃんは、そこで一先ず間を置いてから、
「この街のJ-D-Vのニュースにしたって、
人の死は報じられるが、
その他の生物の死を悼む報道なんて、ほとんどされないだろ?
このPolarisそのものが生きていて、
生物にも機械にも、量子にさえ、
掛け替えのない命が宿りうる事を、
オイラはオイラの犯した罪から学んでいるから、
他の生物の命を尊び、それを大きく侵害する、
人間の争いを助長させたくないんだ。
人間が万物の霊長だとしても、
現時点で「保護者」か「絶滅者」か立場を考えて、
少し調べれば、データは出揃ってるだろ?」
風には先生ちゃんの言葉が、
遠過ぎる様に感じて、強い違和感を覚える。
だからといって、
反論できる程の素養も持ち合わせてはいない……。
「では、次の授業に行く前に、
オイラからまとめておく。
大規模な戦火に、おまえ達がまみえた時、
人々とのふれあいの中で、
「こんにちは」と、
「友達」と、
「また会う日まで」と交わし合う事さえ、
“一期一会”の様に、
お互いが、せかいに望まれた、
愛おしい存在である事は、
どうか忘れないで下さい」
先生ちゃんはそう仰って、
風達に謝意を示すかの様に、
深く頭を下げられた。
その謝意に込められたものが、
風達との出会いへの感謝の気持ちなのか、
先生ちゃんが生きてゆく中で、
起こしてしまった過ちをわびる気持ちなのか、
風の空気でも分からなかった。
しんあいなるゆうじんへ
はじめまして こんにちは
どうかじしんのじんせいをあいしてください
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