第137話「We are the massacre」
Green Grassへ来て、
日々を過ごして行く内に、
分かっていく事は確実に増えていった。
中でも頭が下がるのは、そぅるさんの生活についてだ。
彼女曰く、
「そぅるは運営者だからね。誰よりも早く起きて、誰よりも遅く眠るの」
風は空気と同一化してから、
朝、そぅるさんが一番に動き始める気配を益々感じ取りつつ、
ある日、予め早朝に起床して、気になっている事を尋ねてみた。
………………
…………
……
「そぅるさん? お早う御座居ます。
あの……いつも貨物浮揚艇で出掛けてゆかれますが、
一体こんなにまだ暗い黒夜に、何処へお出掛けしているのでしょうか?」
「ふふふ♪ 聞きたい?」
「はい、わざわざ足に障害を持つそぅるさんが行かなくても、
魂さんに頼れば済む事なのにって、気になるんです」
「浮揚艇はほとんどオートプログラムで、
そぅるをいつもと同じ場所へと運んでくれるから、
大した労力でもないし、
これはそぅるにとって、生への感謝と、大切な儀式だから、
他人任せにはできないわ」
生への感謝と……儀式……?
「この儀式に対しての理解は求めないけれど、
そこまで気にしてくれていたのなら、
近い内に一緒に来てみる?」
そぅるさんに抱く不思議な疑問は、
日毎に膨らんでいくばかりだ……。
疑問の解消に近付く為とお世話になっている身の上が、
風に「はい」と答えさせた。
………………
…………
……
それからわずかに時が経ち、
場所はいつもの不良の森の開けた場所へ、
先生ちゃんの下、風と理は集合していた。
「てめーちゃん達、サバイバルプログラムの基本くらいは憶えたか?」
先生ちゃんの次の授業が始まる。
プログラムの量は膨大で、
全てを憶える事も覚える事もまだできていない。
風も理も、先ず沈黙して、先生ちゃんの次の言葉を待つ。
「先ず自分の身を守れ、風雨や暑さ寒さからな。
自力での極限環境からの脱出が困難と判断したら、
救助される為の手を打て、おまえ達の星の先人が生み出した、
身体を巡る「NSFD」はかなり優秀な装置だ。
その恩恵をフルに活かして、後は水と食料の確保を考えろ。
知識より体験がより良い教師になる。
これは今日行う護身術の授業にも当てはまる事だが、
人生に何が起こりうるかは、大抵の人間には分からない。
賢明な、サバイバルにも護身術にも言える事は、
常日頃から日常の中にある、
何処に危険があるのか、その眼を養う事だ。
そして、
“君子危うきに近寄らず”と、
“虎穴に入らずんば虎子を得ず”という言葉を、
よく見極められる様になってくれ」
今の先生は先生ちゃんとは呼べない真摯な声音だ。
風も理も揃って頷いた。
………………
…………
……
「それじゃあ始めにオイラから、
伝えたい事と聞いておきたい事がある」
風はもちろんの事。
理の耳を澄まそうとする空気まで伝わってくる。
「オイラがおまえ達に、先ず覚えてもらいたいのは、
格闘術ではなく護身術だ。
その違いが解らなければさらに言葉が必要になる。
特に理と街でやりとりした時には、
理は格闘術の方に興味を持っていた様に見えたが、
今日の授業を護身術で進めてゆく事に、理に異論はないか?」
理はすぐに反応した。
「あたいには先生のお言葉の意図しているものが、
おそらくほとんど理解できていないでしょうが、
あたいだって修羅場をくぐってきた自負はある。
護身術は受動的なものでしょう?
“先手必勝”って言葉だってあるくらいだ、
あたいは負けたくない、強くなりたいんです!
その為には格闘術が有意義に思えます。
風の合気道みたいな、ぬるいものには惹かれません」
恋しい女性から、
自身を否定される言葉を聞かされるのは辛いものなんだな……。
だけれど、理のくぐってきた修羅場に思いを馳せると、
仕方ないと、口論にする事は諦める。
「そうか、では理へさらにオイラからの質問だ。
あらゆる武器を使ってもいいと許された場合、
理はどんな攻撃手段で敵を倒そうと思う? または倒してきた?」
「そ……それは、あたいがSlave Driverで取り上げられた、
麻痺銃を使って倒してはきました」
「そうだな、
およそ敵の間合いの外からの攻撃で、相手に戦意を喪失させる。
オイラは否定しねぇよ。実に理に適う戦闘技術だ。
だがな、考えてもみてくれ、
その理に適った攻撃手段の射程距離が伸びれば伸びる程に、
戦火が拡大してゆく事実を」
確かに肉体より刃物が、
刃物より拳銃が、
拳銃よりミサイルが、
より対象を沈黙させうるだろう。
「オイラはおまえ達を、
憎悪が原動力で生きていく人間にはしたくない。
だから、こう告げる、
極力自分の肉体以上の武器を使うな」
瞬時に隣にいる理の空気が猛烈な熱を帯びてゆくのを感じる。
「甘っちょろい事言わないでっ!
殺らなきゃ殺られる時は絶対にあるっ!!
先生はあたい達に、無抵抗で死ねとでも言うんですかっ!!」
「どんな敵に対しても、
生きているという礼を尽くし、
自身の肉体で行える、より良い手を尽くす。
人事を尽くしてもダメな時は、
そうだな、オイラは死を想えと伝えている」
これには理も絶句し、複雑な空気のまま、
これ以上ともなると険悪な空気にまで至ってしまうと思った。
しかし、まだ空蝉先生の言葉は続く。
「理・0111? これはオイラ個人の在り方から学んだものだが、
この全宇宙にある全ての存在に、生命は宿りうる。
生命とは何かという事に、齟齬が生まれてはしまうだろうがな?
オイラ達は生きているだけで、すでに虐殺者なんだよ。
例えばおまえ達の先人が、愛しく想う子孫の為に遺した貴重な食料、
月花草と意思の疎通が可能だったら、
おまえはその存在をどう扱う? それに先ず、食べる事ができるか?」
「あ……あたいはそんな「たられば」の話しはしてません。
食物連鎖の中に組み込まれているのですから、
仕方のない話しじゃないですか……」
「そうだ。だからこそオイラも人事を尽くした結果、
諦めなければならない時は、
おまえ自身もまた、できる限り、己の肉体以外には頼らず、
自然に還りやすい様に、
自身に与えられている肉体へ誇りを持って逝ける様に、
大きな荷物は背負わないでくれと頼んでいるんだ」
「……先生は街で泡小波の用心棒まで、
闘わずに済ませる事さえできる方じゃないですか?
あの用心棒が出て来て、荒事を起こさず鎮められる貴方の実力に、
あたいは心底安堵したんです。
それは先生が護身術のみならず、
優れた格闘術も修めていらっしゃるからじゃないんですか?」
そう、風も何故あの様なわずかな対峙で、
あの異様な空気を纏った猛者が、
ごくあっさりと降りたのかは疑問のひとつとしては残っていた。
だからこそ、空蝉先生の答えを待つ。
「あいつは荒事専門のプロだ。
どんな業界でも一定の域まで達した人間は、
様々な角度から空気、“気”を通じて、
心理戦を即座に始めるものなんだよ。
もう一度言うが、あいつはプロだ。
つまり報酬に釣り合わないとみなしたら、
次の仕事への影響を瞬時に計算するのが生業だから、
引き際を心得ている人間だったという事だ」
風達にそういう類の人間がいる事を、
理解させる為にだろうか、先生は少し間を空ける。
「これはオイラの偏見から、
近接戦闘なんてものを選択する人間の種類をふたつに大別するが、
ひとつめは、己の内面にある恐怖を自制できずに暴力を振るう臆病者。
ふたつめは、心底拳を交えて、肉体で語り合うのを求め続ける戦闘狂。
理の推察通り、オイラは格闘術も覚えている。
オイラもこの二択の中に居るバカだからな。
でもな、オイラ自身は、おまえ達にバカが進む道をどちらも歩んでほしくない。
危険を察知する能力に長け、あまねくものへ礼儀と礼節を払い、
降りかかる火の粉を、軽くいなして、可能な限り身を護る術だけで、
“道”を踏み外さずに旅に出られる様になってほしいんだ」
「……あたい達に、人を殺すなと説いていらっしゃるのでしょうか?」
「そう受け取ってもらえると助かるな。
おまえ達の死生観まで変えてしまおうとは思わないが、
オイラ自身は、どんな手を使っても、
人を殺し続けて生きていく道を選ぶよりは、
最低限自身に与えられている肉体だけで、
死というものを自然に受け入れて生きる方が、
結局様々な苦しみに縛られずに済むと思っている。
罪障は成仏の妨げになるからな。
あくまで、オイラの正解だがな?」
そこまで聴くと風にも疑問が湧いて来る。
「あの……これはお聞きしておきたいのですが、
それでしたら、空蝉先生は、人を殺めた事はないのでしょうか?」
「ああ無い、今よりずっと幼い頃は、
オイラはその事に対して、慙愧の念に堪えない時期があったが、
現在はオイラが生きてゆく為の、それは誇りのひとつになっている。
しかしな?
極限の状況下では、何が正常な判断かなんて事は益々誰にも分からなくなる。
どんな手を使っても自身の生への欲求に従う事を、オイラは否定もしない。
だがもしも、おまえ達が自身の命よりも大切な存在を見つけた時の為に、
つまびらかにできない生き方を選ばない様にしてほしいんだ」
自分の命よりも大切な存在……?
風は先ず思考してみて、ぼんやりとした……。
風にこれまで親しくしてくれた数少ない人々が思い浮かんだが、
明らかな極限の状況というものを体験した事が無い為に、
その数少ない人々の為に、自身の命を投げ出すという、
はっきりとした意志は定まらなかった。
「オイラ達生き物は栄養が断たれたら死ぬ。
だから栄養源になる生命は、自身の生命を維持する為に、殺すしか方法がない。
命の営みの中で普通の事だ。
しかし、愛情というものが芽生え、成熟されてゆく中で、
普くものに通されない殺傷行為は、
時が刻まれてゆく中で、確実におまえ達自身を切り刻んでゆく」
空蝉先生の言葉の重みを空気のお陰か、
感じ取る事はできても、風には理解が及ばない。
「恋愛」という文字が「恋」と「愛」で成り立っているのなら、
理に「恋」しているという自覚があっても、後者の「愛」という文字が、
風には覚えが届かずにいる。
「後はな理・0111?
ここにもオイラとの齟齬が生まれていると思うから伝えておくが、
先手必勝という言葉は、
身体的に先に手を出した者が、必ず優位に立ち、勝利を収める、
そうは解釈するな。
達人程、その動作は最小で済ませる。
つまり先に心理戦を制して、相手をより大きな罠へと促し、
隙を作り出す事に長けた者が、必ず勝つと、オイラはひとつ思っている。
極端に言えば、争いの火種をより最小の内に消し去る。
それが強くなるという事だ。
戦争までいっちまえば、先に手を出した方は、必ず勝たなければならない。
そんなどうしようもない哀しみの“先手必勝”だ。
この星の言語体系なら、零文字熟語と表現すべきだな。
己の弱さを自覚し、争いを徹底的に避け続ける生き方も強さに変わる。
個人でどれ程の強さを獲得しても、
せかいを敵に回してしまえば、あっけなく淘汰されるだけだ。
基本的には体で戦う以前に、心で戦いを終わらせろ」
空蝉先生の言葉に、
風の合気道に対する思いは補強された気持ちになる。
……そうだよ。攻めるのは望むものがある奪い取る為の生き方だ。
他人が何を考えて生きているのかは解らないが、
風の現状は、
自分と理・0111という女性ひとりを、
護りきれる力があれば上出来なんだ。
「偉そうな説教になっちまったが、
オイラの、護身術から覚えてもらいたい理由を、
理に納得してもらえたかな?」
理から憮然とした空気は依然感じるが、
「先ずは護身術「から」という事でしたら、承知します」
その言葉を告げ終えた彼女からは、中庸な空気を感じられた。
「そうだな。オイラはおまえ達に雇われている。
できる限り雇い主の意向に沿う努力はするさ」
「でしたらあたいは先生に従い、強くなってみせます」
理の声音は、暗に授業の開始を求めるものだと感じられたが……、
空蝉先生の空気はわずかに曇りを帯びてみえた。
「理のやる気に水を差す事はしたくない。
だけどな、オイラがおまえ達と共に、
より高みへと上達させたい、
身につけてゆきたいのは、
強さではなく、優しさというものについてだ」
理が再び反発しようとする兆しを、
空蝉先生は「なぜなら」と、
今まで以上に、
深い奥行きを感じさせる声音ひとつで踏み込んで摘み取り、
理の不服を一時的に制する。
「悪いな、これを最後に実践的な授業に入るから、我慢して聞いてほしい。
オイラもずっと強くなりたいと思っていたよ。
それでも歳月を経る内に、
弱さは己と周りを不幸にし、
強さだけでは常に暴走が付き纏う事を思い知らされた。
優しさだけなんだよ。
己の弱さの自覚から他人の弱さを許し、
自制の利かない暴力ではなく、
しなやかな想いが必ず備わっている強さは。
優しさとは、
少なくとも一石二鳥以上に良い働きをする力なんだ」
聴き終えて、理の空気を察する為に空気へ頼ると、
空気から「……大丈夫……」と知らせを受けて、安心し、
風の思考はわずかな間、意思の疎通ができる月花草を思い浮かべた。
そして、躊躇はしても、風は食べる事を選ぶのではないかと思えて、
ほんの少しだけ、解る。
人が人を殺す事、
戦争がいつまでもなくならない事、
風が普通という奇跡の中で生き抜いている事、
風達……、
人間の生とは始まりから惨敗なのかもしれないと。
どうかたすけて
わたしたちはみんないっしょにさけびました
われわれはうまれついてのぎゃくさつしゃだと
楽曲 world's end girlfriend