第136話「田舎の生活」
最初の授業、「かくれんぼ」を終えた次の授業は、
やはり他の都市や、他の星へ移り住んだ時の為の、
サバイバルの授業だった。
しかし、サバイバルの幅は広い。
ここは森の中だから、
森でのサバイバル技術を学ぶ事はできるが、
サバイバルが必要となる過酷な状況下はいくつもある。
街しか知らない風には、
知識しかないが、「高山」や「氷点下環境」、
「ジャングル」や「砂漠」に「海」と様々だ。
そんな数多の技術を学ぶ事を思うと、
場合によっては、
ただの机上の空論程度にしか理解できないのではないかと……、
不安を覚えていた。
そんな、ここ不良の森の開けた場所での事。
………………
…………
……
「てめーちゃん達は、ここを奴隷街だとか蔑んではいるがな?
オイラちゃんから見たら、比較的マシな街だぜ。過保護と言ってもいいぐらいだ。
少なくとも彩雪と月花草で飢える事は稀だし、
住環境の備えもある。「衣」もみてくれにこだわらなければ安価で手に入る。
特に理に伝えておくが、
死んだ先の事はわかんねーが、どこに行ったって現世に天国はねーよ。
ここではない何処かなんてない、住んで都にするんだよ」
「……あたいの名は「おんなのこちゃん」じゃありません。
ちゃんと理・0111と呼んで下さい先生ちゃん?」
風は即座に理の空気が張り詰めるのを強く感じたが、
それも空蝉先生は容易く解した。
「あーわりー理・0111。オイラちゃんの育ちの問題だ。
かといって、もー染み付いちまってるからな。
だが、「先生ちゃん」か……。それも悪くねーな。こそばゆいぜ♪」
「あたいには先生は恩人ですし、敬ってもいますが、
「ちゃん」とまで、何度も舐められると、あたいにもあたいの育ちがあります」
すると空蝉先生はすかさず、
「うんにゃ、おまえ達はオイラの「先生」でもあるんだ。
だからこう提案する。締めなきゃならない時はともかく、
緩めた方が好い時は、オイラの事は「先生ちゃん」と呼んでください。
くれぐれも臨機応変にな?」
逆にご丁寧に頼まれてしまった……。
しかし風には難易度の高いお願いだ。
「風ちんも、分かってくれたかな?」
風の醸し出す空気を悟ったかの様に、念を押されてしまう。
「先生ちゃん」か……、「ちゃん」付けで人を呼んだ事など、
生まれてこの方一度たりともない……。はぁ、これは困った。
「それでは前置きはここまでにして、授業本番と行こうか」
空蝉先生……ちゃんが、いくら優秀な方と認めていても、
ここからは地道な努力で学んで行くしかないと、
腹をくくってはいたのだけれど……、
……何故か、
………………
…………
……
風と理は今、手を繋いでいた。
森の大きな木の根に腰を下ろして……。
理由は……、
「これはてめーちゃんらの「NSFD」用に合う、
サバイバルの為のプログラム「尖った蜜」だ。
粘膜摂取がより効率が良いが、未成年にはススメられねー。
このプログラムの入った針の両端を互いの手と手に刺して、
よく馴染むまで手を繋いで、その間親睦でも深めていてくれ。
オイラちゃんも色々とやる事があるんで、今日は自習な。
プログラムが馴染んだ頃に、また来るよ。願わくは仲良くな」
そうか……、例えば自分に全くサバイバル能力がなくても、
その為の媒体があれば、それを元にして生き抜いてゆく方法を見い出せる訳だ。
サバイバル環境下に応じて、「NSFD」を通じ、
情報をヴィジュアライズさせれば良いのだから……。
こんな方法があるなんて思いもしなかった。
だからこそ、空蝉先生……ちゃんが、
本当に別の星からやってきた人物なのだと、
「尖った蜜」による、
街との明らかな科学のひとつの在り方の違いで、
風は森の樹木達のさらに先、
万華鏡惑星の外側へ思いを馳せた。
しかしそれもわずかな間で、風はこの状況下に、
沈黙しか選ぶ事ができずにいた。
これが人を好きになるという事か? これが恋なのか?
現在の一番の関心は、緊張して汗ばんで感じる風の右手が、
理に不快な影響を与えていないだろうか、
その空気を感じ取る努力だった。
空蝉先生……ちゃん。……ええい、ままよ!
先生ちゃんは親睦を深めろと仰ったが、
理は泡小波町の生まれだ。
風には些細な問いかけだったとしても、
理へ思わぬ傷をえぐる事があるかもしれない……。
……恋とは、なんと己自身が紛糾を起こすものなんだ。
互いに沈黙をしばらく維持していたが、
それを終わらせたのは、彼女の方からだった。
「……なぁ風? 「NSFD」をイジれば、
あたいも風みたいに、身体を硬化させられたりできるのかい?」
沈黙を破られて、安堵する。
それに風が応えられる質問だった事へも。
「うん。大丈夫だよ。街の住人、「NSFD」が身体に巡っていればね」
「でもその為の知識は必要なんだろ?
あたいは強くなりたいんだ。
いつも悪いけど、手を貸してくれないかな?」
「風にプログラムを頼んでいるなら、それはダメだよ……」
「なんでさ?」
「理の様々なデータを隅々まで知らなきゃならなくなる。
理もそれは嫌だよね?」
「なるほどな。うん、嫌だなそれは……」
「理にも幻装者の機会がいるじゃない?
相当大きな力の空気を感じるけれど、ダメなのかい?」
「それが……、“機会”に耳を澄ますと、
その“時刻”になれば必ず“機会”は訪れる。
そう仰るだけで、あとは何も答えて下さらないわ」
「……そうなんだ。
それでもさ?
風達には先生ちゃんがついてるし、
先生ちゃんの今後の授業にだって護身術は入ってるはずさ。
きっとなんでも地味な作業の積み重ねだよ。
焦らずにゆっくり一緒に歩いて行こうよ」
「そうだな。過去にフライトして、幸い時間はあるからな」
「それに風は不良の森が気に入ってるよ。
『天使の揺籠』以来、
街にいるのは息苦しかったけれど、
人間は呼吸をしなければ生きていけないって、
当たり前の事を思い出せた気がするんだ」
「ふふ、確かにここは静かで好いね」
彼女が笑うと、風は妙な気持ちになる。
なにか……風は存在していてもいいんだと感じて、
風の心で凪いでいた部分がささめき始めたみたいだった。
だから、こう思う。
君の笑った顔をもっと見ていたい。
先生ちゃんから伝えられた、
この視界の窓に映る、
初めて僕に生きる喜びを、深々と感じさせてくれた。
君に……、「さよなら」を告げなくてはならない日まで。
この「忘れ得ぬ想い」を抱きしめて。
きみとクローバー
そしてこのおもいこそ
わすれえぬおもい
歌 スピッツ 作詞・作曲 草野正宗