第123話「六等星の夜」
「うわぁ…………、まるで星々の大海原へ立っているみたいだ……」
………………
…………
……
自然選択室を出て、
また自身の所在が不明になるエレベーターに乗り、
あの部屋で起きた衝撃の所為か、風らは、
そこへ辿り着くまで、誰一人として、言葉を発する事はなかった。
時間が零分、一分、零分、一分と過ぎてゆくけれど、
風は風自身の生きてきた事への罪悪に対して心を砕いていたので、
その場所の到着までに掛かった時間を、長いものには感じなかった。
しかし目指すところがあれば終着もある。
辿り着けても、辿り着けなかったとしても。
「それでは皆様、この街の唯一の空港、
【星凪交差点】へ到着で御座居ます」
監理者の声音で、風は薔薇を抱えて、
エレベーターを一歩出るや…………、
そこには下空にも上空にも大空、
黒夜の満天の星空だけが、キラキラと光り輝いていた……。
しかし、空港と言われてもピンと来ない、
「どうしたらこの街から出られるんだい?」
おそらく風と同じ様な疑問に理も至ったのだろう。
……しかし単刀直入過ぎるよ理……。
「それ程焦らないで下さい。
もしもあなた方が空港をご利用されるなら、
多かれ少なかれ覚悟が必要で御座居ますから」
……覚悟……?
「それにここは街の影響下を、
全く受けずに生きられる場所へは参りません。
空蝉様は「全天監視下」にある為、J-D-Vを使えば、
即座に街の管理者達には、マークが付くのはもちろんの事です」
「あんたいーヤツだな」
何故か空蝉さんは監理者を称賛する。
「貴方様が居れば隠しても仕方がありませんからね。
恩と受け取って下さるなら、
是非彼の地で真っ先にJ-D-Vをお使い下さい」
「うん前言撤回。そーいう事だ二人共。
おまえらが何処へ行きたいかは知らねーが、
J-D-Vを使う時は、よく気を付けろよ?」
大人のキャッチボールにはまだついていけない。
「ちょっと待った! ここまで来れればなんとかなるって、
そう思っていたあたいの考えはどうなるんだよ」
「……いや、だから理、
この街の影響下を完全に抜け出したいなら、
もう違う惑星へ移住するぐらいしか方法は無いんだよ?
今出揃った条件だってJ-D-Vを使わなければ破格なんだ。
受け入れるしかないよ」
「……だからって、風のくれた、
本当の「自由」への切符は高過ぎる。
……そんな条件、
達成できっこないよ……」
「あんなー女の子ちゃんよ?
できるできないで物事を考えてちゃ、
中々前には進めねーぜ?
大切な事だから、一度で覚えてくんろ?」
その言葉から、理の為に少しだけ間を置いて、
空蝉さんははっきりと告げた。
「大切なのはできるできないの計算じゃない。
やるかやらないか、踏み込むか諦めるかの覚悟だ。
やると決めちまったら、人生を全て注ぎ込んでも、やるんだよ。
だがその上でも、思考は常に柔軟であれ」
………………
…………
……
「……と言うのが、この惑星が万華鏡惑星と呼ばれる所以です。
ご理解いただけましたか?」
……そう……か、だから風は……、
……街には飛び降り自殺が極めて少なく、
また風も死ねなかった訳だ……。
……でもそうすると無数の疑問が錯綜してしまう…………、
が、
「でしたらご説明させていただいた通りに、心描して下さい。
より強い想いが、あなた方をより正確にその場所へ誘うでしょう。
何度もご経験のある方は平気ですが、
初心者の方々は大抵気を失われてしまいます。
しかし、この街の病院関係者の連携は、
はるか昔より大変優れておりますから、ご心配なく。
それでは、よい空の旅を」
監理者がそう告げると、
途端……に……っ!? 強風に煽られたっ!
こんなに強い風に煽られた事は生まれて初めてだ……!
「立ってるのがそんなに辛ぇーなら、一旦座れ」
そう言う空蝉さんは何事もないかの様に、
外套を乱しつつも平然と立っている。
本当にこの人は何者なんだろう……?
風も理も、最後に空蝉さんも、
風が吹き荒れる満天の星空の中、腰を下ろす。
監理者はいつの間にかエレベーターと共に消えていて、
暗に風らはもう飛び立つしか選択肢はないと告げていた。
………………
…………
……
「しっかし絶景だなー。長生きはしてみるもんだ」
空蝉さんはこれからのフライトにまるで気負いが無いようだ。
「おまえらあれ見てみろ? 六等星までばっちり見えるぜ?」
……ぇ、六等星……?
ぁ……嗚呼、昔の数語か……。
風も星や空を眺める事は好きだから、
空蝉さんに言われるがまま、星空を見上げると、
確かに零等星さえ近くに感じられた。
「空蝉さんも星がお好きなんですか?」
「うーんとそーだなー。
手が届かねーのにあんなにキラキラ光りやがって、
「あいつ」みてーだから愛憎相半ばってーところかな?」
「「あいつ」ですか……」
風は自分の中へ相手に入ってこられる事が苦手だから、
ここでも踏み込まない。
「それでも零等星まで気にするぐらいですから、
きっと星に惹かれてはいらっしゃるのでしょうね?」
「まー六等星はオイラちゃんみてーなもんだからな」
「空蝉さんは零等星……ですか」
「よくよく気を付けて見てくれねーと、
あるのかないのかも、
はっきりしねー小さな星って事なんさ」
その言葉が風を惹きつけて、空蝉という人物を、
気まぐれに信用させてしまう。
「……あ、あの、空蝉さん。
まだ家庭教師の生徒募集はされているんですか?」
「うんまー「特定の」ではあるがな。
なんだ? 興味でもあるのか?」
風は神妙に頷いた。
「そっか、おまえなら何も問題はねー。
月謝は一ルクサと一億ルクサがあるけど、どっちのコースにする?」
やはりデタラメな料金設定ではあったが、嘘ではないようだ。
風は理の選んだコースを知りたくて、
さっきから黙りこくっている理の方を向く。
「わぁ! 髪の毛滅茶苦茶だからこっちみんなっ!」
な……なるほど、
風は女性の深みを覗き込もうとしていたようだ……。
それにしても自然選択室の事も、
もう吹っ切ってしまったかの様な声音だ。
女心が移り気とは事実なのかな……。
しかし……、
ここは……最後は自分で決めろ、だよね。
「一ルクサでお願いします」
「あいわかった。じゃあ最初にひとつだけ約束してくれ?」
「……約束、ですか? はい、無理なものでなければ」
なんとなく胡散臭さを感じてしまったものの、
「オイラより先に、逝くんじゃねぇぞ」
それはこれよりの師に対して大変無礼だったと、心を改めた。
………………
…………
……
「……という訳だから、オイラちゃんは、
「おまえらのもとに」って心描いて飛び立つわ。
おまえらはおまえらで二人が納得して飛び立てる場所をイメージして、
なるべく一緒に居てくれ。じゃーな」
空蝉先生はそう告げると、強風をものともせず、
風の入口まで歩き、軽々と星空へ消えていった。
理はバックパックから手鏡とヘアブラシを出して、
綺麗な緑色の髪を宥めていたが、
数秒後には癇癪を起こす髪に、
疲れ果てうなだれていた。
「理? 理は行きたい場所はある?」
「……別に……、
街からも出られなくてJ-D-Vも使えないなら、
街の様に騒がしくなくて、静かな場所なら何処でもいい。
それか風に行きたいところがあるなら、風が決めてくれていいよ」
……そう……か、それは有難いな、
「理? それならお言葉に甘えて、
風の心に描くものを共有してほしい」
それから風は自身の不可思議の源。
『天使の揺籠』の中で見た、
擦り切れて、傷だらけの、古ぼけた靴を、
優しい眼差しで磨く一人の女性の話をした。
「わかった。それならあたいもそこへ風と行ける様に、
心に描いて飛び立つわ。
……あとは、
きっと死なないと分かっていても、別れには違いないから、
風の入口まで付き添ってくれないかな?」
「お安いご用だよ」
………………
…………
……
「こんなところからみんな飛び立つのか……、
足場がなければ上も下もわからないね……。
本当に大丈夫なのか風?」
「風は絶望学校の高さから落ちても生きてる。
勝算は高いし、万華鏡惑星の意味も繋がる。
なにより、もう空蝉先生は、率先して行ってしまった。
やるしかないんだ」
「うん。風・1100。嘘だとしても、あたい、
あんたがそう言ってくれるなら信じるよ」
「氷崖の死」……彼女の異名。
彼女は罪人だが、罪と向き合い、風らは共に生きていく。
街の中枢が何を罪とみなしているのかは、
ここまでやって来ると判然としないが、
風から見たら彼女は被害者である様にしか見えない。
風は飛び降り自殺未遂を経験しているから、
この賭けに優位性を見い出せるが、彼女にしたら初めての経験だ。
これもまた不可思議な感情だが、風は生まれて初めて、
女性を優しく抱きしめて、安心を与えてあげたくなる。
風らは風の入口で向き合って、
しばらくの間見つめ合っていた。
すると、
「あのさ……、あたいこんなんだから、男共も寄り付かなくてさ。
おまけに男性嫌悪も少しある。……でも、
あんたはあたいを少し変えてくれちまいやがった」
くれちまいやがったって……すごい言葉遣いだな。
「だから別れる前に、もう一度あたいを忘れらんないように、
一発ぶん殴る。まごころを込めてな」
本当に男性と女性は彼方に此方だ。
何を言っているのか意味が分からない。
けれども、風を殴る事で、
フライトの踏ん切りがつくのなら、いくらでも頬を差し出そう。
「あのな?
あたいは、年下の癖に妙に大人びたあんたが…………、
大嫌いだ!」
っ
殴られると意識して目を閉じた僕の両の頬には衝撃はなく、
ただただえも言われぬ感触が、風の唇に微かに残った。
風はただ呆然とし……、
「あんたは命懸けだった。
だからあたいも、それぐらい大切にしてきたものをやるよ。
今度会う時は、いつも素っ気ない、
あんたの笑った顔でも見てみたいもんだ。
じゃあ、またな……!」
そう言うと彼女はニカッと白い歯を見せて笑い、
風は何も言葉を掛けられないまま……。彼女の姿は星空に消えていった。
………………
…………
……
そして、風の番がやって来た。
全く恐怖が無いと言えば嘘になるが、最早それは問題ではない。
やる、しかないんだ。
下空の星々を見下ろしてから、上空の星々を見上げる。
きっと風も小さな小さな零等星だ。
関わって下さった方達の観測ありきで存在している、
ちっぽけな弱々しく光る星だ。
薔薇をしっかりと抱いて、
空蝉先生、
管理人、看・000さん。
るぅさ、
そして…………、理・0111。
風に気付いてくれて、見つけてくれて、
本当に、有難う。
風は星空に、舞い落ちて、舞い上がる。
ねむれぬよるをすごす
くらくなればほしがみえる
そして あしたはあしたのかぜがふく
歌 Aimer 作詞 aimerrythm 作曲 飛内将大