第114話「Desperado」
…………あの事件の始まりは……、
………………
…………
……
風の通う【第101000児童養護施設学校】、
通称【絶望学校】。
その名前の由来は数字を平語へ変換すると、
たまたまそうなる事。……世間の人達全てとは言わないが、
風の通う親のいない子供ばかりを集めた学校に対する、
人々の恐れと偏見からやって来る、所謂、蔑称というものだった。
その頃の風は、
今思えば本当に絶望というものを覗き込みすぎていたのだと思う。
何もかもが空しくて虚しくて、何かを渇望していた気がする。
事件を経てもその渇望しているものが何かは分からない……。
昼休み、
いつもの様に学校の屋上で一人、
昼の彩雪と月花草を飲食していた。
幼い頃からこればかりだ。しかし問題はない。
「彩雪」も「月花草」も完全食、あるいは標準食と呼ばれるもので、
味わいも白夜か灰明か黒夜かによって、
自然に変わる様にできているから、飽きにくい。
どの道風の長い人生設計を思うと、
他に選択肢は無いので、文句を言わず食べるしかないのだけれど……。
自分を客観的に見る事はできないから、
この頃の風をどう表してよいのか迷うけれど、
酷く憂鬱であった事は、るぅさという陽が射し始めた今は分かる気がする。
とにかくむなしくて、消えてしまいたい。それが全てだった。
食事を終えて、寝転んで灰明の空を見上げる。
その日の彩雪の量は多めで、
意思を持っているかの様に動き回る色とりどりの生活の糧達が、
風をここでは無い何処かへ誘ってくれたら良いのにな、そんな事を考えていた。
まだ学校に行っていた頃は、風のJ-D-Vの賭けも、
街の推奨する設定を基本的には使っていた。
食事を摂った後の腹ごなしの、とある「遊び」の為に……。
それは、J-D-Vが優れた点のひとつ、柔軟性を試す「遊び」だ。
例えばJ-D-V内の店舗の施錠されている区画を、
街の推奨設定で解錠して、どういう経路で解除したかや、
どうするともっと解錠しにくくなるかなど、
きちんと店舗の人やシステム管理者へ報告して、
一定の有用性が認められると、風にも様々なメリットがある。
推奨設定を守っていれば違法ではないのだ。
むしろ歓迎される事の方がずっと多い。
風にはそういった才能が人よりあったのかどうかは分からないが、
他にやれる事もなく、苦しみも感じないので続けている内に、
ほんの少しだけ、J-D-V内では知られる存在になり、
風とたくさんの店舗の人達の智慧から生まれた防壁は、
次第にこう呼ばれ始めていく、
『智天使の防壁』と。
事件当日も学校屋上でそれを行っていたが、
突然強風が吹き、
風の人生の風向きが変わってしまった。
先程のメリットに戻ると、……それは、風はまだ未成年だから、
金銭的なメリットはほとんど無いのだけれど、
情報提供に見合った分の情報をもらえるというものだ。
『智天使の防壁』の名が定着して、不可思議な思いを抱く、
しかし空虚が占める心へ、
その情報が風の人生を終末に導こうとしていた。
………………
…………
……
「聞け風よ、以前からおまえが求めていた情報の手掛かりを見つけた。
いつもJ-D-Vの治安協力に感謝する。
朗報だ、風のご両親は少なくとも存命されている」
その言葉が風の心に与えた影響については子細には分からない。
ただ……両親が死んでいたなら、
風はこの事件を起こさなくて済んだかもしれない……。
両親が生きている事で、
理解したくない事を理解しなくてはならなくなった。
納得するしかなくなってしまったんだ、
…………風は……両親に棄てられたんだと、
風は必要とされなかった存在なんだ…………と。
自分に何が起こったのか分からないまま、
その情報に感謝の言葉を送れたかも憶えていない。
ただ屋上で寝転んでいたがらんどうな身体を、どうにか起こして、
それから屋上の端まで、酷く脱力して、まるで悪い夢の中にいる様に歩いた。
屋上には一見なんの柵もない様に見えるが、生徒達が落ちない様に、
触ると柔らかい透明な壁に仕切られている事は知っていた。
「……邪魔だよ。J-D-V? 賭けるものを上げる」
「I understand.What do you bet?」
「風の命を賭ける」
「I understand.Let's enjoy life」
…………何が人生を楽しもう、だ。これから終わる人間に向かってと、
今思えば、J-D-Vがそんな無駄な言葉を告げてきたのは初めてだった。
徐に風を遮る壁の破壊を始める。
風ぐらいに足りない頭だって、この行為が学校にも警察にも、
果ては街の中枢へも及びかねない事は、なんとなく考えていた。
学校のセキュリティを破壊したら、警察にも伝わる、
V-lessは自殺者が多い事は分かっているが、
いつもトップは孤独死で、飛び降り自殺は極めて少ない。
それが何故かは知らないが、そんな死に方をしたら、
様々なメディアで取り上げられる前に、
まず街の中枢近くへは間違いなく届くだろう。
でも風はもうそんな事は知らない。関係無くなるんだ。
壁を壊して一歩空中へ足を踏み出せば、
どんな言葉も風の耳には届かなくなるのだから。
しかし命を賭しても、想像以上に街のセキュリティは堅牢にできていた。
……だが、「超現実」の能力を行使する事にも驚きを覚えた。
風のデフォルトでは、
どう考えても解錠できるはずもない扉が次々と開かれてゆく。
何事も物事には陰陽、表裏一体であるという考え方があるが、
風がただ命を賭して命を終わらせる中で、風を通り過ぎていく情報の群れに、
さらに憂鬱という風が吹き抜けていった。
街の抱え込む闇と、闇を隠す為の光について。
生きていくつもりが残っていたら、
その情報を風は許せないと思ったかもしれない。
だが風はもう手遅れだった。
広い屋上には風一人で、
まだ教師も警察も気付き始めたか動き始めたばかりだろう。
「超現実」をもってして、手段を選ばず破壊し続けて…………、
「……これで詰みだ」
屋上の壁も風の命も。
他人のたった一言がもたらした、たった十分足らずの自殺行為。
恐れも迷いも、乾いた風が全て吹き消し、風は不要品を街へ棄てた。
あのとんでもない額の家庭教師は、
何故あんな馬鹿な真似をしているのか知らないが。
人生で初めてみた膨大な情報開示の一人目の愚か者は、風自身の事だった。
落下していく中で、走馬灯の様に想いが風の中を通り過ぎて行き、
その中で最も温かく、身を締め付けられて見えたものは、
擦り切れて、傷だらけの、古ぼけた靴を、優しい眼差しで磨く一人の女性で、
風はもしかしたら物心が付いてから初めて…………、
涙というものを流していたのかもしれない。
これいじょうどうすればいい?
こころはどんぞこ
そこにひかりがさすきもしない
Song The Eagles Lyrics/Music Don Henley Glenn Frey