第113話「Cherub Rock」
星暦1000年1月11日花00日。
……風は……なにやってんだろう……。
………………
…………
……
「黒夜」から「白夜」が訪れた次の日にまで、
風は管理人の言葉から発生した忌々しい思いに引きずられてしまっていた。
仕事はるぅさの介助だけで、
学校へも行っていないから「白夜」から「灰明」に掛けては、
ここ半年足らずは余裕がある事が多い。
るぅさにはきちんとした、ケアマネージメントがされていて、
本当なら風みたいな素人はお呼びじゃない。
それでも風がるぅさに出会えたのは、
彼女がまだ軽い支援段階の全数字だから。
風はまだ学生だが学校の成績はそれなりだったし、
学校へ行かなくなったとある事件までは、
あだ名のひとつに「空気」と揶揄される程に、
自分自身を殺す事には長けていた。……自慢できるものでもないな……。
介助者になる決意をしたのは、学校に行きたくても行けない停学期間にあり、
大切な時間と生活費を無駄にしない為。
もうひとつは事件からの、
もしもの火の粉を払う時の為の「護身」を学んでおきたかったから。
その為に介助者の仕事は適当であると判断した。
しかし、るぅさを紹介され介助者を始める内に、
るぅさとふれあう時間こそが大切になっていった。
……あんな良い人そうは居ない。
年齢不詳の少女と老人を行き来しているのがるぅさだ。
風の様な学生に、管理者が大切な個人情報を流してくれるはずもなく、
彼女のこれまでをほとんど知らない。
しかしこの半年にも満たない間に、風はすっかり彼女を優先し、
つまり停学が解けても、全く学校に行かなくなってしまった。
事件の所為で目立つだろうし、
街は光と闇と灰がくっきりと分かれている部分もある。
上がりたい人は上がればいいし底辺にいる人も甘んじるなら、
捕食-被食関係も成り立つ。上を見ている人は、きっと上しか見ていないのだろう。
諦めて苦しめられる事もあれば、諦めて楽になれる事もある。
風は社会を諦観しているから、学校で学ぶ事にあまり意義を感じられなかった。
忌々しい怒りを覚えながらも、どこか遠くで冷静な回想を行い、
心を整えている風。今風の怒りの矛先は、
身体を循環する極小の「自然科学融合装置」、「NSFD」から、
【Joy-Dimension-Vision】、俗称【J-D-V】へと向かっていた。
………………
…………
……
「……やっぱり……お手上げじゃないか……」
例えばJ-D-Vでは自身の個人情報の秘匿性を持てば持つ程、
閲覧できる情報量が少なくなって行く。
言い換えれば個人情報を隠さなければ隠さない程、ここでは「自由」になれる。
でも普通に考えたら、現実に直面している世界を皆重要視しているから、
誰もが仮面を被っているのがJ-D-Vの実態だ。
……余程計算のできない、愚か者でなければ。
風は昨日の件からV-less中の家庭教師の生徒募集欄を、
厳重なアヴァターを着込んで見に来ていた。
しかし風が賭けをする程度の金額では、
平均的な額の家庭教師の情報欄さえ全く閲覧できなかった。
J-D-Vの決まり文句、「What do you bet?」
全ての情報管理までは風の知る由もないが、かなり細かい情報まで取り零さず、
個人の持つ情報は街の中央へ管理されている事は、事件から知っている。
風はもう死んでいるから解っていた。この街には「自由」に飛べる人なんか、
先ず何処にも居ないって事を……。
もう境界から去ろう。暇潰しにさえならなかった。
今度管理人が、また風に声を掛けて来た時には、
嫌味のひとつでも言える様になっておこうか?
「……風なんか、相手にしてくれる暇な家庭教師は何処にもいませんよ」と。
余計に気分が滅入っただけだったが、このまま戻っても「灰明」までは、
おそらく手持ち無沙汰の為、
何かるぅさを見舞う際の話題のひとつでも作っておこうと、
現在のV-lessの家庭教師の最高額でも見ておくかと気が変わった。
そして…………、風は見つける事になる、今はまだ知らない、後の我が師を。
………………
…………
……
「……なんだ……この人……!?」
月謝の最高額者に入っている時は、特に驚きもしなかった。
一ヶ月間の支払い額「一億ルクサ」、たった一人ぶっちぎりの要求額で居た。
……しかし、余りにも途方もなく馬鹿らしい金額にすぐに切り替え、
ロクなものじゃないと、最低金額の家庭教師でも哀れもうかとした時に、
風は驚愕した。
「……なんで、この人……居るんだよ……!?」
最低金額者「一ルクサ」にもその名が登録されている……「空蝉」と。
しかもこの人自身の情報開示の量が半端ではない……こんなの……、
何か軽犯罪を犯しただけでも、この街では御用だぞ……。
こんな情報開示をした愚か者を見たのは、これで風の人生では二度目だ。
これではあらゆる情報機関に対して、
逐一自分の大切な情報を提供しているのと同じだ。
ミノムシの様に秘匿している風の閲覧能力でさえ、
この人が丸見えなのだから……。
興味より気持ち悪さが先に来て、J-D-Vをすぐに終わらせてしまった。
知りたくもない情報が風にわずか染み付いてしまい、忘れられなくなり、
反芻してしまう。
……「空蝉」……V-less門前……V-less全天監視下……
……「特定の生徒募集」……そして……
……「特記事項・重罪人」……
………………
…………
……
風の救いは、やはり灰明から黒夜に掛けてやって来た。
るぅさのお部屋での介助依頼だ。
るぅさに街の空気を吸わせてあげたいけれど、
家庭教師の件をさらに引きずってしまった風には、
お部屋の介助だけというのは、本当に有難い事だった。
着替えて足早に部屋を出て、ひとつ屋根のお部屋を、
一時間掛けて訪問する。この狭い炎家にでさえ、
一千を超える人達が生活している、
一時間ならるぅさも許容してくれる範囲内だろう。
………………
…………
……
「いらっしゃい、風ちゃん♪」
彼女はいつも風を笑顔で迎えてくれる。とんでもない強さだし、
これじゃどちらがケアしてもらう側か分からない……情けないな。
彼女の笑顔に持ち上げてもらい、風もご機嫌を装う事ができる様になる。
「こんにちは、るぅさ♪ 月花続けては珍しいね?」
「……どうしたの? 風ちゃん、何か嫌な事でもあったの?」
…………これがるぅさを年齢不詳にする訳のひとつだ。
少女の様に、コロコロと表情を変えるのに、
人生経験を経た老人の様に深い洞察力を併せ持っているかの様に、
一瞬で風に、全てお見通しかの様な、
かつ鋭さのない丸い刃をすっと突き付けてくる。
風はしがらみからいつも距離を置いてきた人間だから、
逆に風の人生経験が足らなすぎる可能性も十分考えられる事だけれど、
ここは否定しても肯定しても、避けたいやりとりが続く為に、
話を逸らす事にした。
「今日は風、るぅさにどんな事をお手伝いさせてもらえばいいんだろう?」
途端にるぅさの表情が曇ってしまった……。
だが「嫌な事」を話してしまえば、
風はもっと嫌な思いをせねばならなくなる。
それがるぅさを喜ばせるとは思えないから仕方ない。
風は流れを変える為におまじないを使った。
「哀しみは共に分かち合おう。風は今、るぅさに出会えてご機嫌さ?」
風が納得して欲しい事を声音に込めると、
「……そう……、ならいいわ」と、渋い表情で頷いてくれた。
………………
…………
……
今日のるぅさの依頼は、
J-D-Vに繋いでウィンドウショッピングに出掛けたいというものだった。
僕はウィンドウショッピングというものをした事が無いので分からないが、
るぅさが喜ぶ事なら受け入れられると容易く返事をした。
一時間も掛ければ済むだろうと、
勝手な憶測を立ててしまっていたから。
「What do you bet?」
………………
…………
……
賭けるものによって得られるものが変わるのがJ-D-V。
風とるぅさが賭けるものもまた違ってくるので、
落ち合う場所を決めてベットしなくてはならない。
誰かと二人きりの待ち合わせなんて、生まれて初めての経験で、
しかもそれが女性である事に少し緊張していた。
風は今日の白夜と同じくアヴァターをガチガチに着込んでいた。
るぅさにしたって風程では無いにしろ、
そうして来るものだと決めつけてしまっていた……が、
「待たせてごめんね、風ちゃん♪」
彼女はアヴァターどころか容姿も名前も情報も丸出しでやって来た。
「るっ……るぅさ!? それで大丈夫なの!?」
「……な……何が? 000の格好……どこかオカシイ?」
「い……いや、かなりの自由が与えられているのは分かるけれど、
怖くないのかなって……」
「ここの良い所は、000だって賭けるものによれば自由になれるトコ♪」
確かにそれは知ってる……、だけれど、
「るぅさは街が怖くないの?
ここを出たら、誰かがるぅさの個人情報を憶えていて、
るぅさに接触してくるかもしれないんだよ?」
「風ちゃん……あ…………000も気を付けなきゃ。
1100? そんなに街が怖いなら平語はダメよ?
ちゃんと000って呼ばなきゃ? 000は平気よ」
「る……000……相当賭けたね……そこまですれば、
ここでは000も自由に歩ける様になるんだ……」
J-D-Vは賭けるもので、
「仮想」にも「超現実」にも覚える世界が変わってくる。
「超現実」では思いも寄らない変化が起きる。
「そっ♪ 000は1100と並んで歩きたかったの♪
でも……そのアヴァター、
……まさか二次元にまでしてくるとは思ってなかったわ。
それじゃ並んで歩くとまるで000が二次元好きの愛好者みたいね」
まぁ少しは腐ってるけどと、謎の言葉を残して、
「さ? 行きましょ♪」と、
風達の危険なウィンドウショッピングの始まりを告げた。
………………
…………
……
一時間が過ぎ、零時間が来て、また一時間がやって来ても、
000とのウィンドウショッピングはまるで終わりが見えて来なかった。
風はそれとなく尋ねてみる。
「……000? ……つ……疲れないの?」
「ん? 1100どうして?」
ダメだ000の眼はまだ活き活きと輝いている。
風は仕事中だ。もう弱音は言うまい。相手が000であれば耐えられる、
……はず。
「……いや……なんでもない。000が疲れてるかどうかの見極めは、
介助者として必要だから」
「そう♪ 1100は良いケアスタッフになれるかもね♪」
…………ここは察してくれないんだ000?
そう思い、風が最後までやり遂げる決意を固めていると、
唐突に声を掛けられた。
「よぉ愉快な異常者」
…………そこに居たのは……、
………………
…………
……
……初めは誰かすら分からなかった……風には生まれてこの方、
親しくしていると唯一言える人は、000だけだから。それでも……、
処世術のひとつとして、憶えていた……。この人は……、彼女は、
……彼女の名前は、
「…………、理・0111先輩……。こ……こんにちは。
……どうして風の事を?」
彼女……理・0111先輩は風の学校のひとつ上だった卒業生だ。
憶えていたのは、憶えておかなければならない人だったから。
彼女は危険、そう在学中に生徒中の間で噂されていた人だから。
彼女は、とある異名で学校に在籍していた。その名は……、
「氷崖の死」。
その本当の意味は今だに分かっていないが、危険である事は、
人並みの感覚があれば、風くらいの同世代には、すぐに感じられるはずだ。
「ん? イヤ……結構賭けてる人がいんなって、情報見てたら
あんたを見つけちまってさ? 面白そうな後輩だから、声掛けてみた」
000の危険な賭けは、000ではなく、風に牙を剥いた様だ……。
そこに事情を知らない000が入ってくる。
「面白いオタクって? 1100の知り合いの方?」
「こんにちは。あたいは彼の学校の卒業生で、理・0111と言います。
貴女はかなり肝の据わった女性の様ですね。
この街の治安協力の為に情報を拝見してしまいました」
「まぁ礼儀正しくて素敵な方ね♪」
……000と風の扱いが違い過ぎるが、学校では見た事の無い一面に、
風も驚きを覚える。治安協力という言葉には甚だ疑問を抱くが、
根は礼儀正しい人の可能性だって十分有り得る。百聞は一見に如かずだ。
「しかし、貴女の情報開示で、あたいは彼の存在を断定出来ました。
よく話し合った結果なら構いませんが、大切な後輩が、
あたいの様な女に眼を付けられたくないのなら、
もう少し考えてあげてください」
「…………、どうも000の思慮が浅かったみたいね?
それでも1100の情報には、固い保護を掛けていたつもりだったけれど……」
「そのご様子だと、貴女方は親姉弟や恋愛関係では、まだなさそうですね。
非常に残念ですが、うちの後輩は、今や街の有名人の一人なんです」
「……?……1100が有名人? 介助をしてもらう者として、
知っておきたい事かもしれないわ。教えていただけるかしら?」
「そういったご関係でしたか。ですが、
あたいの人伝ての情報に偽りがなければ、これ以上後輩の周りを、
騒がせたくはありません。貴女程大胆に賭けていらっしゃるなら、
貴女ご自身のお力ですぐに見つけられるでしょう」
……正直聞きたくなかった……000だけには聞かせたくなかった……。
見ざる聞かざる言わざるで心の平穏を保ってきていたが、
今だに沈静化していないとはさすがに思っていなかった。
しかも街の有名人とまで言われてしまっては、もう外出さえ気が滅入る。
事件の主役とはいえ、当時も今も風はまだ未成年で、
本当に重要な事件については風に聞かれても分からない……。
だって……そう、その時風は意識を失ってしまっていたんだから……。
意識を失っている間に、風がし出かしたと言われている、
V-less門への侵入と破壊、
風が「灰空を割る者」と呼ばれ、
毀誉褒貶の中、一層の殻に閉じ篭る契機となった事件……、
『天使の揺籠』の事を。
てんしはゆりかごに
そこにないているあのこがいます
だれかここからだしてくれと
Song The Smashing Pumpkins Lyrics/Music Billy Corgan