第9話「Das Wohltemperierte Klavier -Präludium C-Dur」
今日は捧華に対しての、
美術の授業です。
僕と倖子君と捧華で、
バスと地下鉄と徒歩で、
倖子君お気に入りの美術館に来ています。
彼女は僕と違って、美味しいものは先です。
理由をいつか聞いた時、
君は、
「苦手なものは、しなければいいのよ」
高らかにうたったね。
今はよく解るよ。
しかし、
僕は「食い残し」も「悔い残し」も嫌なんです。
十人十色。
さてさて、
こちらの美術館のはじめに素敵なところは、
自然に囲まれた、
細めの坂を上ったところに、
すぅっと静かにひらけて、
不思議の国さながらに、
僕は、男だけれど、
物語の始まりを告げてくれるんです。
感性を刺激される。
広い芝生に噴水のお出迎え。
三月ウサギさんやチェシャ猫さんも、
探せばいるかもしれないね。
噴水と大気と光の創り出す、
虹のアーチを愛でながら、
美術館そのものへ、粛然と向かう。
館内に入り、観覧料をお支払い。
捧華はまだ無料で通る頃です。
倖子君は、
するり、
と、
しゃがみこんで両手を流れる様に、
捧華の両肩に置いて言います。
「私は心也君みたいに野暮じゃないからね。多くは語らないよ。捧華? 観るんじゃなく、感じなさい。どうしてそこにその美術品が置いてあるのかを。アーティストの人生そのものを」
ぅう……やはり倖子君は美しいのです。
……敵わないなぁ君には。
君は解ってくれているけれど、
あえて、
僕は色々と娘に対して、心配症なんです。
僕カッコ悪い……野暮……だな。
捧華は館内の空気も読みつつ、
「あい」
お利口さんな静かな返事です。
館内を二時間半程かけて、親子手を繋いでまわり、
お食事も館内のレストランでしました。
市街地を一望しながら、食事を楽しめるビュースポット。
愛する人達と。
うん。
実に贅沢で、有意義な時間です。
……あとは、
てへっ♪ ふふっ♪
ふたり音声のみ。
うん、来てくれて有難う。
コンちゃんポップちゃん。
これで早水家五人水入らずです。
お食事を頂いてから、
するすると会話が進み、
倖子君が、
出逢った頃の僕らのデートの話をし始めました。
………………
…………
……
「みんな聞いてよ? 初めて私達がふたりで行った美術館の美術品を観て、この人なんて言ったと思う?」
コンちゃんとポップちゃんはだんまり。
きっと答えを知っているんで空気読んでくれているんだよね。
捧華からはわくわく感、
「きっとおとぅさんはステキな形容詞を贈ったので?」
僕ずーん。
君ぷすっ。
「それがね? 『一体この美術品達はいくらぐらいするんだろう?』よ。百年の恋も冷めるわ。その後の情熱で、今は一緒に居て上げてるけど」
捧華が可哀想な顔で僕を見た。
嗚呼、あの頃の僕尻叩きたい。
ぺんぺんと。
捧華からがっかり感、
「もっと頑張ってねおとぅさん」
励ましの体の追い打ちをかけられた。
………………
…………
……
帰りの地下鉄で、
捧華は僕と君の間にはさまれて寝入りました。
そうして、
しばらくの間を置いてから、
君は自然に伝えてくれる。
「今日は私にとっても好い刺激になったわ。創作活動への意欲満々っ、心也君? 私があの頃のデートで伝えたかった事、おわかりになりましたかしら?」
ようやくあの頃の君の背中が少し見えて、
「うん。十全じゃないけどね? だけど、今なら及第点を頂ける言葉が出てきそうです」
自然に子のふとももに、夫婦ふたり手が重なり。
想いも重なる。
美術品も君も、
本来お金に換えられるべきものじゃないのです。
あとは、
その人の感じた事が、
全てで御座居ます。
おそくてもやらないよりはずっといい
さいこうのせっきょうものはじかんです
ときはいろんなことをおしえてくれます
komponist Johann Sebastian Bach