第103話~日頃の感謝を~「Honesty」
2016年十一月二十五日金曜日大安。
とある夫婦の白昼夢。
本日のお夕飯の献立への質問の為に、
私がノックをしても、
だんな様からの返事が無かったので、
妻の当然の権利として、
夫の部屋の襖を即座に開けた。
結婚で私の様に、
繊細で傷つきやすく、
美しく純粋な心の女性が求めているものは、
ひとつ、夫からの安心である。
つまり全ての責任は、
私を不快にさせ、
私を不安にさせ、
私を刺激させ、
私が単にムカついたから、
夫の所為である。
大変筋が通っている為、
私は私の論理的思考に、
一切の曇りを覚えなかった。
すると奴は、
………………
…………
……
ヘッドフォンしてやがった。
私は夫に対して、
次の虐た……、じゃなかった。
奴はOLinerだ……、
何処から法廷で争う時の証拠を提示してくるのかわからない。
私をなおざりにするという大罪をすでに犯しているのにだ。
とかく男は油断がならない。
躾てあげているとはいえ、
これはもう少し各部屋の盗聴……、……ではなく。
多趣味な私の、
各部屋の録音機器の数と質を増やしておくべきかもしれない。
家庭内に防犯の為、仮に、万が一、
盗聴器と呼ばれる物が仕掛けられていたとしても、何ら不思議はない。
私はか弱い純粋な小鹿の様な存在なのだから、
くくく。
さすがに襖を開けてしまえば、
愚鈍な奴も、私の存在に気付いた様だ。
………………
…………
……
ヘッドフォンを外して、
僕、早水 心也は末の娘。
捧華の有難さを覚えながら、
直立して腕を組んで、僕を見下ろす愛妻と相対しています。
捧華という鎹があった頃は本当に良かった。
コンちゃんとポップちゃんにしたって、
大切な僕らの子供達だが、魂の双子は、
ほとんど実体化してはお家に居てはくれないから、
今は、夫婦水入らずという真剣勝負だ。
しかし、僕ら夫婦に限るなら、
気配りや心配りは、圧倒的に倖子君の方が上です。
つまり、彼女の機嫌を損ねるという時点で、
僕は数々の地雷を踏み続けてきた事になる。
彼女の第一声で、
「なにしてるの? 馬鹿なの? 死ぬの?」
僕はもうひたすら降伏し続けるしかない処へと至った。
しかし、
「理……理由があるんだよっ!? お願いします! 聞い」
「言い訳するんだ。ごめん私今から役所に用事があるから、それだけ」
役所に、用事……?
「すみません。お役所へなにしにゆかれるのでしょうか……お姫様?」
お姫様は物凄く笑顔でしたが、
その両眼だけは笑っていませんでした。
そして、
宣告。
「離婚届戴きに♥」
「僕は応じないよっ!?」
「なら調停離婚になりそうね♥」
ダメだダメだダメだダメだダメだダメだ!
どんなに醜く足掻いてでも、
この場を収めなくてはならない。
ここは札を切るっ!
倖子君の弱みと分かっていても推して参るっ!!!!
「あの……僕の家族について相談させて下さい」
………………
…………
……
僕の愛妻倖子姫君は、
今、ご機嫌です。
その最も大きな理由は、
僕が「家族」という言葉を使った為です。
倖子君は、家族や友人をとても大切にする女性です。
一方僕は、家族や友人に対しても、
情が薄く、冷たい人間です。
基本的には人に優しくあたりたい僕ではありますが、
如何せん所謂僕は「コミュ障」というものの様です。
親姉兄であってさえ、一緒に居る事がいたたまれないのです。
心の病を患ってからというもの、
その傾向が著しくなりました。
それに僕が両親、姉、兄、義父、義母、
義兄、義姉、その子供達や親戚一同にしてきた事を想うと、
気軽に家族だなどと口に出せない程、
僕の生き様は、愚かなものだからです。
………………
…………
……
「あ、この曲知ってる。
結構昔の曲だよね?
どうしたの心也君しんみりしちゃって?
これが私のお義姉さんとどう繋がるの?」
君は座って僕とヘッドフォンを交替してる。
さすがに君は察しが早い。
もうお義姉さんに対しての僕の想いを見抜いてくる。
「お察しの通り、
今日は僕ら家族を大きく支えて下さっている、
お義姉さんの誕生日です。
ですから、せめて微力ながらでも、
日頃の感謝をお伝えしようと、
色々僕なりに調べものをしていたのですよ。
伝わる伝わらないが主目的じゃなく、
結局は僕の為、自己満足ですが」
「お義姉さん捧華の寮の子と、
同じお誕生日なんだよ? 知ってた?」
……?
常世さんならそう言うだろうし、
七ト聖さんは女の子って軽々しく言えない風貌に立ち居振る舞いだし……、
消去法で、高確率とすれば……、
「歌坂さんと?」
「ピンポーン♪」
へぇー……。
………………
…………
……
「この歌曲はね?
僕がもっと小さかった頃に、
お義姉さんの旦那さん、
つまり、
僕のお兄ちゃんが教えてくれた歌曲なんです」
君はご機嫌で悪戯っ子みたいににんまりして、
「ぷぷぷ♪ 「お兄ちゃん」だってさ♪
いつもは「兄さん」「兄さん」とか格好つけて応対してる癖に♪」
「別に良いじゃないですか?
倖子君ですから裸を見せているんです。
それに今では、フォーマルな場でしか会う事は少ないですし、
僕がしでかしてきた数々の迷惑を思えば、
軽々しく接する事は、もうできません」
「心也君は心もアレも小っちぇえなぁ」
どちらも事実だから突っ込まないけれど、
「アレ」は余計ですし下品ですよ奥様?
しかし、
「はい。感じてますよ。分かってますよ。
みんな、そんな僕でも見捨てずに、
愛してくれている事は」
「そーゆーこと!
だから今の心也君があるんじゃん!
じゃあ次の質問」
大体の察しから頷く僕。
………………
…………
……
「なるほど……、お義姉さんに似合う花を探していたら、
「リンドウの花」にピンと来て、
「リンドウ」の花言葉のひとつに「誠実」があったから、
こちらの歌曲に至った訳ね。
合点がいった……し、」
し?
「そういう大事に時間を割いていたのなら、
今日のところは大目に見てあげるよ」
我が君は優しく微笑んで下さった。
「それでも誕生花ってあるじゃない?
単純にそこで終わらせられる事だったんじゃないの?」
「「リンドウ」を十一月二十五日の誕生花に、してあるものもあるよ。
だけど、
誕生花って基本的に、
取り締まる規制も規則も法もなにもないから、
様々な人達がお花を愛して好きにやってる部分があるんですって。
ですから、
やっぱり僕が「リンドウ」に惹かれたのは、
花言葉の「誠実」ですよ」
君は笑顔の中にも真面目な声音で尋ねてくる。
「心也君? 君は「誠実」かな?」
君が一番よく傷ついているだろうに…………。
「いいえ。全くもって「不誠実」な人間だよ」
君は感傷的な声音から、
「そうだね。
そこがゴールのない「誠実」に対する、
スタート地点かもね……」
「それでも……、辿り着けないと分かっていても、
目指して歩き続ける事を止めてしまったら、
僕はまた、君に出逢うまでの無関心に戻ってしまいますから」
「私達の全ての家族は、
ずっと先の「誠実」を歩いていらっしゃる。
追い抜く事は無理だとしても、
背中の語るお言葉は、いつも傾聴してなくちゃね」
君は両手を組んで前に伸ばして身体を解しながら、
ちょっぴりの愚痴をこぼす。
「あーぁ……、私もお義姉さんみたいに、
綺麗でスタイルよく、もっと身長も欲しかった」
もうその愚痴は耳にタコさんいっぱいだし、
僕が言ったらそれこそセクハラだけど……、
今は我が君を、
フォローフォロー、
「僕は君が君だから、愛しているんです」
齢四十に達しようという純粋な乙女の赤らめる頬が妙に愛おしくて困る。
「……あっ! ……貴方って本っ当に直球馬鹿よねっ! ふんっ!」
そりゃそうだよ、
僕が地獄と絶望の中をさ迷い歩いていたとして、
本当の、最後の最後があるなら、
僕が一番「誠実」に縋るのは、
君なんだ。
僕はよく思い知らされているのだから……、
「誠実」を求める前に、
先ず、
僕が「誠実」を忘れたら、
君にすら、見つけてもらえないだろう?
………………
…………
……
2016年十一月二十五日金曜日大安、午後九時頃。
とある夫婦の就寝前。
「それじゃあ僕はもうお薬を飲んで休ませてもらいますね」
「うん……お義姉さん達が好い一日をお過ごしだったらいいわね。
お義兄さんから、何か今日の事でご連絡はあった?」
「うん。
僕の兄から、お義姉さんへ伝えたい事は、
たった一言でした」
「やっぱり野暮な心也君と違って、
お義兄さんは分かっていらっしゃるわね」
そうだね……全く、その通りだ……。
「言葉は正しく伝わらない。
だからこそ、言葉を重ねてゆく事は、
「不誠実」を目指してしまっている事に、
なってしまうのかもしれませんね……」
「そうかもね」
それから倖子君は何処かしら気恥ずかしげに、
こほん、と咳払いをしてから、
僕に手を差し伸べる。
「今日も心也君が支えてくれた、良い一日だったよ。
だから……握手」
もう一度、
よく刻んでおこう。
言葉は、
それを発する想いは、
正しく伝わらない。
それでも僕達は、分かり合う為に、言葉を重ねてゆく。
全ての人にとって最良な言葉なんてほとんど無い。
結婚にしたって、学生の頃抱いていた、
甘く薔薇色めいた形容詞より、
今は……、
こんな名詞がしっくり来る、
…………、戦友よ。
僕は君の、柔らかく温かな小さな手を握っている間に、
兄のたった一言の重さと深さに、想いを馳せる。
誰にでも伝わる言葉は、
誰にでも伝わる、やさしい言葉なのだと、
うんと肝に銘じて……。
ぼくのさいあいへ
いつもほんとうにありがとう
Happy Birthday N.H.&AL.K.
Song/Lyrics/Music Billy Joel