第102話~捧華の日記~「涙がほおを流れても」
2016年四月十八日友引、午後十時頃、早水 捧華自室にて。
「……ですから、有意義な一日でした。
四月十八日、おやすみなさい……」
………………
…………
……
あたし、早水 捧華は、
これから学園での生活をノートに記す事にしました。
つまり、日記です。
今日は世陽緑地まで走り、
昼食には皆さん予定通りに到着。
普通学園でご用意していただいた昼食を、
有難く摂りました。
その後は世陽緑地のフィールドアスレチックへと、
流れていく予定でしたが、
恵喜烏帽子氏が話合いを提案しました。
………………
…………
……
結論からするに、
あたし達は同級生なのだから、
あからさまな敬称を付ける事は、
もう止めにしないかという事でした。
あたしは、
……多分人見知り……なので、
皆さんの顔色を伺い、
発言はしませんでしたが、
そこに神守森氏がご発言。
要約すると、
神守森氏から放たれる「圧倒」、
ご本人曰く「威圧」は、
神守森氏の在り方そのものの発露であり、
ご本人にもどうする事もできない類のものである事。
神守森氏ご自身は、
学園に来て、
森に入り、
そこからあたし達と、
共に長く歩んでいく為には、
ゆっくりでも構わないから、
自分らしく、
それぞれが対等の言葉で向かい合うのが、
より好いと思うのだ。
との事でした。
きっとひとつ、
神守森氏の強い促しが、
通じ合ったとすれば、
あたし達は、
共有し協力し連帯し、
その上で、
自立せよ。
あたしはそう感じました。
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…………
……
――しかし、
話合いの終着直後に祷が凄い剣幕で、
恵喜烏帽子氏に詰め寄ったのです。
………………
…………
……
「御門っ!?
それは皇様も含めて言っておるのかっ!?
それによっては、わらわは許さぬぞっ!」
「…………、分かってるよ祷ちゃん。
でも俺達は危険の少ない後衛とはいえ、
命張るかもしれねぇ、対等な場所に立つかもしれないんだろ?
ケースバイケースで、仕方ねぇ時はちゃんとする。
……これだけで、分かってくんねぇかな?」
「御門よ? またわらわの期待を裏切るつもりか?」
その時の恵喜烏帽子氏の表情は、
まるで何か鋭利な刃物を突き立てられたかの様で、
見てしまったあたしの心へも、
形容し難い痛みが走りました。
祷に対しても、
あたしの知ってる祷かどうか不安を覚える。
あたしは孤独に繋がれる。
そこに、
ポツリと、
感情の起伏に乏しい、
しかし、
よく通る声音が辺りに響きます。
「小生も皆と同じが良い。それがいい。
なぜならここは、普通の学び舎なのですから。
派閥はうんざりです。
小生は神守森さんに賛同します。
もちろん無理をしてほしい訳ではありません。
常世さん、有難う。
小生なら、大丈夫ですよ」
両目を閉じたままの、
皇様のお言葉で、
場は純一無雑なものになり、
もう誰も迂闊に言葉を発せられない程、整えられました。
でも、
……でも、
あたしが眼にした皇様のお顔が、
喜ばれているのか、
哀しまれているのか、
楽しまれているのか、
判然とせず、
何故かあたしの心は遣る瀬のない、
怒りを覚えていたのでした。
………………
…………
……
その後のフィールドアスレチックは純粋に楽しかった♪
小山や丸太のシーソーを渡り、
力のモーメントを感じさせるもので楽しく学び、
滑車で丸太を上端まで引き上げたり、
慣性の働きを利用したものまで、
振り子に乗って丸太蹴りをしたり、
ロープを引いて丸太の引き上げをしたり、
ネットが付いた丸太でできた高いロケットに登ったり、
まるで宇宙をはらばいで遊泳する様なものまで、
高低差のある丸太橋を落ちない様にトントンと、
丸太に取り付けられたロープの吊り橋を渡って、
丸太で出来た円形に立ちはだかる壁を登って降りたら、
そろそろ佳境も見えてきて、
UFOみたいに吊るされた木株を渡り、
最後は、ターザンみたいに滑車で木株に座り、
空中から地上へ滑り降りて終了しました。
アスレチックも競い合う方、
マイペースな方で、
自由で良かった。
終えて各自ストレッチをしながら、
あたしが今日最もこちらの緑地で感動した事。
樹木って凄いなぁ! 植物って有難いなぁ!
感動を心から感謝のお辞儀で表して、
世陽緑地を後にしました。
………………
…………
……
本日の計画を無事終えて、
帰路は、
お車に送られる天休氏と神咲氏。
いつの間にか消失している、
皇様、神守森氏と七ト聖氏。
後の皆さんは様々な交通機関で、
帰路へと着きました。
………………
…………
……
祷と杏莉子とあたし、
四角荘までの道すがら、
管理人室を横切るあたし達に、
五代様から、
いつもの様に優しく穏和なお声が掛かりました。
あたしにお父さん達からの連絡があった事を、
教えて下さったのです。
…………………
…………
……
あたしは管理人室のお電話の前、
もうこれで五代様に、
三度目のお世話になります。
多分この時間だったらお母さんが出るかな、
なんて思いながら、
五度目のコール半ばで、
「はい、早水です」
意外やお父さんが出ました。
「あっ、もしもしお父さん? 捧華だよ」
「捧華か、良かった――元気にやってるかい?」
「うん♪ だんだん楽しくなってきたよ。
お父さん? お家で何かあったの?」
「いや、捧華の事で連絡欲しかったんだよ。
一度、普通学園に倖子君とご挨拶に行くねってさ」
心が跳ねる♪
「本当に♪ いつ頃お父さん達に会えるの?」
「捧華と会えるかは確約できないよ。
夢降る森について理解を深めるのが、
一番の目的だからね」
あ……、そう、なんだ。
……もしかして、
「お父さん達、森に入るつもり?」
そして、この言葉であたしは気付けた。
この心配を、お父さん達はずっとしていたんだ……って、
だからお父さんの返す言葉も察せてしまった。
「捧華が危険に曝される可能性のある場所へ、
親として先に立っておくのは、それこそ当たり前の事だよ」
「…………、はい」
そして続けて尋ねてしまう。
「強制じゃないなら、あたし止めとこう……かな?」
だって、お父さん達に危険な所に行ってほしくないって、
あたしだって思うもの……。
……それでも、お父さんはこう続けた。
「うん、捧華は親孝行娘だな。
有難う。
ただね?
お父さん達は同時に、
捧華の幸せへの可能性も摘み取りたくはないんだよ?
“虎穴に入らずんば虎子を得ず”だね」
分かる様な……分からない様な……。
「……お父さん、教えてくれる?」
「もちろん。
お父さんが思うのはね?
死が傍らに感じられる程、
今を大切に生きてゆける、
そう思うんだよ」
でも……、でもっ!
「お父さん達がもしも死んじゃったら、
あたし……心が滅茶苦茶になっちゃう!」
「うん。僕もそうだ」
今あたしははっきり思ってる。
森に入るのは嫌だっ!
だけどお父さんは穏やかに伝えてくる。
「捧華?
捧華には初耳かも知れないけれど、
こんな言葉があるんだよ。
“結婚は人生の墓場”なんてね?
昔は善い意味に捉えられる事も、
何を先人が仰っているのかすらも、
僕には分からなかった。
だけど僕は今、肯定的に捉える事ができているよ」
ん……?
「え――お母さんと結婚して後悔してるって事?」
お父さんは、あははと笑って、
その音色にあたしは芯から温もる。
「まさか、そうじゃない。
人は誰しもが命を懸けなければならない時がやって来る。
僕の一番は倖子君に対してだ。
お陰で今は僕はこう想えるんだよ。
僕の人生は、「これでいいんだ」って」
「これでいい?」
「そう、僕のゴール。
とても揺らぎのわずかな、安息の場所です」
あたし、お父さんの言ってる意味が理解できない。
「お父さん? もう少し詳しく教えて?」
これは僕の人生のあり方に過ぎないよ?
と、
お父さんは前置きして、
「以前話したよね?
僕は人と「わかりあえない」方が好い。
それは今も変わっていないよ。
究極的にはね捧華?
僕は倖子君と出逢えた事、
想える今がある事、
想い続けるであろう未来があるだけで、
とても倖せなんだ。
もう終わりなんだよ。
だから、陰陽師になって、
もしも「記憶」を失ってしまったら、
……それが、本当に怖かったんだよ」
お父さんの言葉は落ち着いていて揺らぎがわずかです。
そこまで教えてもらっても、
あたしは、まだ、理解できない……。
「お父さんの言ってる事……あたしわかんない……」
「その通り。
僕は分かってもらっちゃ困るのだから、それがいい。
僕の君への想いは、誰にも分かってほしくない。
神様には、失礼ながらとても悔しいですが、
とっくにお見通しですけれどね?」
……なんか、……なんかお父さんがお母さんばっかりなので、
あたしの胸の中は何処かしらもやもやとして、
不意に嫌な子になってしまう。
「そうだね……。
お父さんが一番大切なのはお母さんだもんね?
あたし達家族全員が海で溺れたとしても、
お父さんはお母さんを真っ先に助けにいって当然だよね」
お父さんは、
あたしの声音で沈黙する。
ふん、デリカシーがお父さんにはちょっと足りないよ。
しかし、
お父さんの繋ぐ声音は、
とても優しくとても悲しく、
あたしの胸に深く響いた。
「捧華? そんな訳ないだろう?
僕も倖子君もコンもポップも、
真っ先に助けにゆくのは、
捧華、おまえだよ」
瞬時、
お兄ちゃんとお姉ちゃんが、
あたしの傍に居て、
力強く、笑顔で頷いてくれていた。
少し離れた場所から、
五代様の「これはこれは♪」と、
一層温かみのあるお声が、
あたしの鼓膜を震わせる。
でも……、あたしには何もかもが分からなくなる。
何か……とても悔しい、とっても嬉しい……。
そう……、
思わず……、
涙が、伝う程に…………。
かすれた声であたしは、
まだ嫌な子のまま、
「そんなの、あたし嬉しくないよ……。
お父さんはお母さんを助けなくちゃダメだよ……」
電話の向こうで、
お父さんらしい困った苦笑が聴こえてくる。
「そんな事をしたら、僕は倖子君を失う。コンもそうだ。
だから、この想いが届かないなら、
捧華は絶対に生き残らなくてはならない」
そうしてあたしをもどかしくさせた癖に、
お父さんは解消もしてくれぬまま。
「長話が過ぎたね。
管理人様に、くれぐれも宜しく」
最後に、
お父さんは、
あたしの髪を撫でてくれていた頃の様に、
あたしに何気なく言葉を、
捧げてくれた。
「捧華、僕らはほんの少しだけ、
前を歩かせてもらいたいんだよ。
どうか……覚えておいてほしい」
はい……覚えておきたいです……。
「じゃあね、
いつでも、
星になって待ってる」
この言葉に込められた、
想いの全てを。
………………
…………
……
あたしは生きよう。
生き残ろう。
どれほどの、
涙がほおを流れても。
ほんきで
あたしはいきのこりたい
ほんもののじんせいにあんぜんちたいはないから
歌・作詞・作曲 岡崎律子 編曲 西脇辰弥